〇第64日 不思議なクリスマスプレゼント

 眠れない時に寝るべきか。

 深夜一時、ぼくは針を鳴らし続けるアナログ時計を意味もなく睥睨していた。

 チッ。チッ。チッ。チッ。

 時計は規則正しく時間を刻み続ける。この間にも夜は深まりつつあった。


 健康のことを思えば、たとえ眠くなかったとしても布団に入って体を休めるべきだろう。しかし、眠れないまま布団に横たわるのはなかなかに苦痛だ。時間が勿体ない。少なくともぼくはそう感じる。

 それなら夜更かしをして、眠たくなるまで好きなことをしたい。たとえそれが健康に良くないとわかっていても。

 チッ。チッ。チッ。チッ。

 とかくぼくは睡眠に悩まされていた。不眠症やら過眠症やらそこまで困らされているわけではないが、たまに眠れない日はこうやって堂々巡りの思考が空回りし続けるのだ。なんと勿体ない時間だろうか。

 しかも、今は睡魔がやってこなくて悩むというのに、授業中やら日中には睡魔に襲われる。忍び寄る睡魔に抵抗するのもなかなかに苦しいものがある。 

 かれこれ睡眠と付き合って約十九年経つが、残念ながらまだ上手くやっていけそうにない。

 チッ。チッ。チッ。チッ。

 時計の音だけが響く部屋でぼくは眠れない夜を過ごす。


 ♢


「ふふ、ひどい隈ね」

 次の日、幼馴染の彼女に会うと開口一番にこう言われてしまった。結局昨日は朝の五時まで寝付けなかったのだ。今は眠いというよりか頭が重い。

「一時には寝ようと思ったのに、眠くならなかったんだよ……」

 彼女の陶器のように白くきれいな肌は隈なんて見たことも聞いたこともない、というように輝いていた。きっと睡眠に悩まされたこともないのだろう。

 これはただの偏見だが、彼女は何があっても規則正しく生活していそうだ。

「きみは睡眠と付き合うのが上手そうで羨ましい」

 ぼくが心からの羨望を込めて言うと、彼女はころころと笑った。それから笑顔を消して、

「そう見える?」

「え?」

 ぼくはもう一度彼女の肌を眺める。そこに隈一つ、肌荒れ一つさえもなかった。

「ふふ、そんなに見つめられちゃ、穴でも開きそう」

 彼女は茶化しながら笑った。そこでようやくぼくはからかわれたのだということに気が付いた。

 それより、と彼女は笑いを収めてぼくの瞳を覗き込んだ。

「もうすぐクリスマスね」

「うん、そうだね」

 外の空気はしんと冷えていた。今にも雪が降りだしそう。この分だとホワイトクリスマスだって期待できそうだ。

「夜更かししていると、『サンタさん』がプレゼントを届けてくれないそうよ。徹夜した人の元にはプレゼントが届かなかったらしいわ」


 『サンタさん』。名前は御伽話のサンタクロースからきているが、ここで言う『サンタさん』は毎年クリスマスになるとプレゼントが届く制度のことである。願いを書いた手紙を書いた者限定の制度。

 ちなみに誰が行っているかは不明だ。国が行うにしては大規模すぎる上に資金が足りなさすぎるし、国も『サンタさん』には関与していないと公言している。

 あまりに不可解な制度だけれど、今のところメリットしかないので誰も抗議の声を上げない。現金なものだ。

 

 なんやかんや言ってぼくも『サンタさん』を楽しみにしている。だからプレゼントが来ないと困るな、と当たり前のように思った。クリスマスの日はきちんと睡魔がやってきますように。

「そうだわ」

 不意に声をあげた彼女はぼくの方を覗き込む。

「きみはこんな噂を聞いたことがある?」

 続いて彼女は声を一段と低くしてぼくの耳元で一言二言囁いた。しかしぼくはそれどころではなかった。彼女の白い吐息にどぎまぎしてしまう。なんとか理性を保って拾った声はこんなものだった。


 ――サンタさんへの願い事の裏話。サンタさんに「最高のおもちゃをください」と手紙を書けば、今一番欲しい物が手に入るんだって。


 ぼくは首を傾げてしまった。

「一番欲しいものって……自分でもよくわからない時はどうなるんだろう」

 今ぼくが一番欲しいものは何か、自分でもわからなかった。欲しいものは何個か挙げられる。けれど、その中で一番なんてよくわからないし、今、頭に思い描いているのが一番欲しい物かもわからない。

「だからそれをサンタさんにお願いするのよ。まあ、これは都市伝説の類だけれどね」

「都市伝説?」

 今の話に怪談っぽい要素が見当たらない。むしろサンタさんだの一番欲しい物だのなかなかにファンシーで夢のある話だと思うのだけれど。

 彼女は怪しげな光を瞳に宿して囁く。

「だって、一番欲しい物がもし誰かの命だったら――?」

 ひっと情けない声が出た。朝起きてクリスマスツリーの下に死体があったらぞっとしない。それほどの殺意を秘めていたことも怖い。少なくとも血塗られたクリスマスなんてごめんだ。


 彼女はからからと笑った。

「冗談よ。だから都市伝説。出所も、真偽も不明。なら試してみる価値はあると思わない?」

 うわ、でた。ぼくは頭を抱えたくなった。彼女は大抵冷静沈着を貫いているが、たまに好奇心の塊へと変貌を遂げる。気になったことは自分で突き止めないと気が済まない性分らしい。

「クリスマスの朝が楽しみね」

「……何もないといいけれど……」

 ぼくの呟きは、鼻歌を歌い始めた彼女には届かなかったかもしれない。


 ♢


 そしてクリスマス当日。きちんと眠ったぼくは、結局欲しかった高級な靴を『サンタさん』に貰った。品名、サイズまで指定して頼んだからその通りに届いた。よかったよかった。

 正直に言おう、ぼくはあの都市伝説が怖かったのだ。

 『最高のおもちゃ』なるものに興味がなかったといえば嘘になる。しかしぼくは昔から都市伝説の類が苦手だったのだ。触らぬ神に祟りなし。

 その時。

 

 ピンポーン。

 

 誰だ、クリスマスの早朝にインターフォンを押すなんて。まあ、心当たりは一人しかいない。幼馴染の彼女だ。あんなことを言っていたのだ、何かあったのだろうか。


 逸る気を抑えてドアを開ける。途端に耳に届く「メリークリスマス!」という明るい声。

 ぼくの心配をよそに彼女は無邪気な笑みを浮かべて立っていた。腕には虫かご程度の箱を抱えている。

「ねえ、最高のプレゼントをお願いしたら面白いものが届いたの。きみも見てみない?」

 頬をほんのりと上気させて言うものだから、ぼくは溜息を抑えきれなかった。

「とりあえず中に入ろう。外は寒いから」

 きょとりとして彼女は目を瞬かせる。そこでようやく寒さを自覚したのだろう、ふるりと身を震わせるとぼくの後ろに続いた。ぼくらは幼馴染、お互いの家は自分の家と同じくらい勝手がわかっていた。


 ♢


 ぼくの部屋につくと、彼女は箱をそっと床に置いた。

「これは恐ろしいものよ。でもきみにも見せておきたくて」

 箱から中身を出す。箱とほとんど同じ大きさの金属製の箱と数本の端子、それから紙の取り扱い説明書が出てくる。紙なんて今時珍しい。手に取って読むとこんなことが書いてあった。


 これは『睡眠自動制御装置』。眠りたい時は眠りに誘い、目を覚ましたい時には眠気を取り除くことができる。更に眠りたい時間まで調節できる。箱についているダイヤルを回すだけで、何時に寝て何時に起きるというのも自由自在らしい。なんともアナログ。

 それはそうと、もしかしたら彼女も実は睡眠に困っていたのかもしれない。


「便利な道具だね」

 ぼくの呟きに彼女は首を振った。

「とても恐ろしい機械よ」

「どうして」

「いとも容易く殺人ができてしまうから」

 ぼくは彼女の言葉の意味が解らなかった。メリットこそあれ、殺人だなんて物騒なことがこの小さな機械にできるとは思えなかった。


 チッ。チッ。チッ。チッ。

 静かな部屋で相変わらずアナログの秒針の音が響き渡る。


 彼女は白い指で機械の滑らかな表面をつうとなぞらえた。そして形のよい唇から言葉を紡ぐ。

「きみは死をどう定義する? 死の捉え方は人によってさまざま。例えば、脳が活動を止めること。心臓が止まること。その人が自我をなくすこと。人々の記憶から失われること。意識をなくすこと……」

 ぼくは彼女の指から目が離せない。ゆっくりとゆっくりと傷一つない表面を彼女の指が滑っていく。

「この機械のダイヤルにはね、制限がないの。眠る時間を設定する環は際限なく回り続ける」

 彼女の言葉にぼくははっとした。

「つまり、誰かを永遠に眠らせることだってできる……」

 そういうこと、と彼女は深く頷いた。

「それ即ち永眠ね。その言葉の意味するところは――死よ」

 ぼくはぞわりと肌が粟立つ感覚に身を震わせた。

「わたしはね、脳死や心臓死よりも意識の死を以て死が訪れると思っているの。だから、もしわたしが植物人間になったら殺してほしいとさえ思っている。意識のないわたしはわたしではないから。意識を回復する見込みがなくなった時点でわたしという個は死んでいる」

 つ、と彼女は指を止めた。

「まあ、クリスマスにこんな暗い話題はよしましょう。せっかくの楽しい気分が台無し」

 ごめんなさいね、と彼女は暗い空気を吹き飛ばすように微笑んで言った。

「う、うん……。それで、きみはその箱をどうするの?」

 『睡眠自由制御装置』だったそれは、今やぼくの目にはただの安楽死装置のようにしか見えなくなっていた。「眠るように死ぬ」というのがこの機械によって簡単に実現可能になっているのだ。

 使い方によれば、殺人の意識すらなく殺人ができてしまうのだ。

 睡眠を操れたらいいなと思っていたけれど、それが機械の手によって行われるとなると話は別だ。外注の力は時に身を滅ぼす。


「それはね」

 ぼくの問いに彼女は箱をダンボールに入れた。そしておもむろにカッターを取り出す。え、とぼくが言う間もなかった。

「封印してしまうわ。こんな人智を超えたものは使うべきではない」

 そう言ってカッターで端子に繋がったコードを切ってしまった。迷いのない動作。きっと彼女は初めからこうするつもりだったのだろう。


 ♢


 後日、ネットを漁ると彼女と同じ『睡眠自動制御装置』を与えられた人が数名いたことがわかった。呟いている誰もがその性能を疑うことなく使用していた。しかしそれを用途以外の目的で使用した者は、例外なく永遠に目を覚まさなかったという……。


 ♢


 チッ。チッ。チッ。チッ。

 秒針の音が響く中、無残に銅線をむき出しにして揺れているコードを眺める。そこでぼくはあることに気が付いた。

「そういえば、きみは睡眠に困っていなかったんだよね?」

「ええ」

 彼女は怪訝そうな顔をしてこちらを向いた。その表情に嘘の色はない。隈一つ見当たらない顔を見るに、本当に睡眠に悩まされてはいなさそうだ。

「じゃあ、どうしてきみの元に『睡眠自由制御装置』が届いたんだろう」

 『サンタさん』は一番欲しい物をくれるはずだ。なのに、どうして。

 

 ああ、と彼女は静かに視線を落とす。そしてゆっくりとぼくの方を向いた。

「きみが睡眠に困らなくなったらいいなと思っていたのよ」

 照れたようにまたそっぽを向いてしまった彼女に、ぼくの感情のメーターは一気に振り切ってしまった。

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