〇第28日 駄洒落地獄

 布団が吹っ飛んだ。


 ぱっと思い浮かぶ駄洒落と言えば、まずこれなのではないだろうか。布団が吹っ飛ぶ。もしこれが現実に起こったならば、あまりにもシュールな光景だと思う。そもそも布団ってけっこう重たいから飛ばすのにはかなり力がいる。それに埃がすごそうだ。だからこそこの言葉は面白みがあるのかもしれない。


 ――ぼくの目の前では何枚もの布団が吹っ飛んでいた。


「……」

 一枚どころの騒ぎではない。そんなに風が強い訳ではないのに、何枚もの布団が空を彩っていた。不思議なことに電線に引っかかったり、道路に落ちて交通を乱れさせることはなかった。

「おはよう。空がどうかした?」

 声がしたかと思うと、幼馴染の彼女がすぐ傍にやって来た。――蜜柑の乗ったアルミ缶を手に持って。

 嗚呼、わかった。これは駄洒落の世界だ。だから布団は吹っ飛ぶし、アルミ缶の上には蜜柑が乗っている。うーん、有り得ない。有り得なさすぎる。発熱した時に見る夢みたい。自分で出した結論が馬鹿らしすぎて失笑してしまいそうになる。


 アルミ缶に熱い視線を送るぼくに気がついたのか、彼女は軽やかにわらった。

「ああ、これのこと?」

 そう言って蜜柑乗せアルミ缶を掲げてみせる彼女。残念なことに、ぼくにはこの先の展開が読めてしまった。それでもぼくは彼女の言葉を待つことしかできなかった。

「これはね、アルミ缶の上にある蜜柑!」

 にこにこと満面の笑みで彼女は答える。無邪気に笑う姿もかわいいな。

 ――じゃなくて。

「あのさ、何枚も布団が吹っ飛んでるのっておかしくない? あとアルミ缶の上に蜜柑を乗せるって……今時の流行り?」

 彼女は不思議そうに首を傾げた。

「どうしたの、急に。林檎は地面に落ちるし、一足す一は二だし、布団は吹っ飛ぶよ? 蜜柑はわたしなりのセンスよ。素敵でしょう?」

「……」

 地面を見ると猫が寝転んでいる。羽虫はぼくを無視するように目の前を横切っていく。その後ろでは引っ越し業者のお兄さんが大きな箱を運んでいる。

 

 ぼくは早々に思考回路を遮断した。真面目に考えていたらバカになる。ただにっこりと笑って答えた。

「うん、素敵なセンスだね。ところで今朝ぼくの庭には二羽にわとりがいたんだけど、どう思う?」

 これはかなりセンスがいい部類なのではなかろうか。かなり自信満々で言ったのに、彼女は怪訝そうな顔をした。

「きみはにわとりなんて飼っていないでしょう? 変なことを言うのね」

 なんでだよ。布団は吹っ飛んでいるのになんでそれは変なことになるんだ。ぼくは乾いた笑いを零すしかなかった。

「はは。ごめんごめん、言葉の綾だよ」

 ぼくの頭上を布団が吹っ飛んでいった。


「そうだ。車でわたしの家にくる?」

「え?」

 彼女の家に行く? 訳が分からなくて間抜けな声を洩らすと、彼女は呆れたというような表情を浮かべる。

「もう、今日はわたしの家に来てくれるんでしょ。車で来るんだったら、きみが来るまでに駐車場教えるけれど」

 結局駄洒落なのか。ぼくは乾いた笑みを洩らすことしかできなかった。


 そこで場面はがらりと変わる。

 ぼくはテーブルを目の前にして椅子に腰かけていた。誰かの家にいるようで、暖色の光がぼくを包んでいた。

「ほら、召し上がれ。これ全部わたしの手作りなのよ」

 言葉とともにエプロンをつけた彼女は、キッチンから色とりどりの料理を持ってくる。ここは彼女の家のようだ。夢みたい。

「鶏肉がとりにくくて苦労したのよね」

 美味しそうな鶏肉の香草焼きが目の前に鎮座していた。それしか頭に入らない。

 もう駄洒落にはすっかり慣れてしまった。だからぼくの頭は彼女の手作り料理で頭が一杯。鶏肉云々なんてもう頭に入ってこない。嗚呼、これが手料理。

 

「そうだ。ぶどう、一粒どう?」

 どこから取り出したのか、彼女はぼくの口元に葡萄を差し出す。今日の彼女は爆弾発言ばかりだ。もしかして、これは「あーん」というやつでは。

 ぼくの心拍数は密かに上がっていた。そうしている間にも葡萄は接近してくる。駄洒落最高。とうとう葡萄がぼくの元までやってきて、ぼくは口をそっと開ける。彼女の白い指が眩しい。あと数センチ、三、二、一。


 ♢


 ふと目を覚ましたら授業中だった。先程までの先生が黒板に問題を書いている。

 ――嘘だろ。あと一歩で葡萄が食べられたのに。


 それはそうと、気が付かぬうちに眠っていたらしい。チョークと黒板がぶつかる音が教室に響き渡っている。先生に怒られなくてよかったと思った。

 ふと視線を感じて隣を見る。隣の席の彼女が頬杖をついてこちらを見ていた。目が合ったかと思うと彼女はゆるりと微笑みぼくに囁く。

「もう、もう少しで先生に見つかりそうだったのよ」

 そう言いながら彼女は先生が解説している問題の頁を教えてくれた。

「うまいこと前髪で目が隠れていたからバレなかったみたい」

 そう言って彼女は自分の前髪を指さす。白い指先。ぼくは葡萄を思い出しながら目にかかる前髪を払いのけた。

「……前髪が伸びてきていて助かったかも。でもそろそろ切らないとなあ」

「ふふ、もう少ししたら前髪で前が見えなくなっちゃうかもね」

 えなくなる。

 ぼくは慌てて窓の外を確認した。


 ――布団は一枚も吹っ飛んでいなかった。よかったよかった。

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