第13日 位置エネルギーのむだづかい
位置エネルギー。質量のあるものが高いところにあるだけでエネルギーを持つらしい。だから人間も高いところに行きたいのかもしれない。否、それは違うか。
ぼくは自転車を漕いでいた。勾配の急な坂道に差し掛かってぼくは立ち漕ぎに切り替える。人並みに体力はあるつもりだが、それでも息切れしてしまった。そして一番許せないのが上りきった途端に現れる下り坂。ほんと勘弁してほしい。上って下って。まさに位置エネルギーの無駄遣いだ。
「ほらほら、頑張れ。もう少しで着くから」
ぼくの目の前を涼しい顔で走っているのは幼馴染の彼女。彼女は電動自転車だからね。羨ましい限りだ。位置エネルギーも電気エネルギーの前では無力。電気エネルギーを持たないぼくは必死にペダルを踏みつけた。アデノシン三リン酸を消費するんだ。
「はあ……やっと着いた……」
あれから十個くらいの坂を上ったり下ったりした気がする。自転車で遠い目的地に到着するとなぜか達成感があった。しかし、サイクリングが目標じゃない。ぼくらの目的は隣町の遊園地だった。
「お疲れ様。さあ、人生最後の子供料金を楽しみましょう」
ぼくらは明日で高校生になる。すなわち、遊園地の入場料が大人料金になるということ。大人と子供を年齢で線引きするのは不思議だ。世の中には子供みたいな大人も、大人みたいな子供もいるのに。
とにかくぼくらは子供として最後の遊園地を楽しもうと思ったのだ。
「何に乗りたい?」
彼女はこてんと首をかしげてこちらを見る。最近特に彼女がかわいく見えるから不思議だ。
「何でもいいよ」
「じゃあ、あれに乗ろう」
彼女はにこにことしてこの遊園地一高い柱を指さした。
それはこの遊園地の名物、フリーフォール。ゴンドラが高いところまで上がっていったかと思うと、垂直に落とされるというアトラクション。身長制限も設けられているような代物で、ぼくは乗ったことがない。位置エネルギーの無駄遣いだとは思ったことがあるけれど。
「わかった」
正直長旅に足が疲れていたので、座ることのできるアトラクションならなんでも良かった。
キャーー!
ゴンドラが落ち始めた瞬間、数々の悲鳴が飛び交う。そしてめまぐるしくうつりゆく景色。内臓が浮遊する感覚は初めてだったし、周りに合わせてぼくも叫ぼうと思った。怖いわけじゃない。ただ、それにかこつけて叫ぶのがストレス発散になるのだ。
口を開いた矢先、隣が異様に静かなことに気付く。はたと彼女を見た。
彼女はひどく退屈そうな顔をしていた。無表情。恐怖に慄いているというふうでもなく、しけたお笑いを見たみたいな顔をしていた。思ったよりつまらないと顔に書いてあった。ぼくは叫ぼうとした口のまま急に叫ぶのをやめた。今のぼくは何とも言えない変な表情をしているのかもしれない。
あまりにぼくがじっとみつめていたからだろう、彼女と不意に目が合った。そこで急激に彼女の顔に色がついた。
「へんなかお」
そう言いながら屈託のない顔で笑うのだからぼくはどきりとしてしまった。これが吊り橋効果。たぶん違うけれど、なんだかこそばゆい気持ちになった。
だって、アトラクションだって彼女を楽しませることができなかったのに、ぼくなら彼女を笑顔にすることができた。それが嬉しくない訳ないだろう。たとえ笑いの源が変顔だったとしても。
彼女は笑っているほうがいい。
なんて思っているとまたコースターは急降下し、ぼくの思考は吹っ飛んだ。軽やかに笑う彼女の声。花のような笑顔が至近距離にある。
ああ、少なくともこれは位置エネルギーの無駄遣いではないな。
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