第11話 フェスティナ・レンテを想う
フェスティナ・レンテ。Festina lente. ゆっくり急げ。アウグストゥス帝をはじめ、さまざまな偉い人ががこれを座右の銘にしていたらしい。日本で言うところの「急がば回れ」。世界中で同じような考えが広まるくらいだからもしかしたら真理なのかもしれない。
今日は中学の卒業式だ。つまりスペシャルイベント。何かを新しいことをするのにうってつけの日。ということで、ぼくは覚悟を決めていた。
――卒業式の帰り道、幼馴染の彼女に告白することを。
実は、ぼくらの仲には告白なんてものが存在しなかった。気がついたらずっと一緒にいた。ただそれだけ。腐れ縁と言ったらそれきりの関係。
でも、ぼくは彼女が好きだ。誰よりも好きだ。だから告白する。そして成功したら学ランの第二ボタンを渡すのだ。我ながら王道で完璧なプランだと思った。
「ねえ、ききたいことがあるんだ」
卒業式の帰り道。ぼくは彼女といつも通りふたりで歩いていた。腕にはおそろいの卒業証書。往復で千回以上通ったこの道だって今日でさよならだ。最後くらい特別な思い出で彩りたい。
「なあに、改まって」
彼女の毛先がふわりふわりと揺れている。多くの女子生徒が髪型をアレンジする中、彼女はいつもと同じ髪型だった。それを密かに好ましく思いながらぼくは問うた。
「中学校生活の中で一番楽しかったことは、なに?」
実は、この問いに対する彼女の答えを知っていた。なぜなら彼女の卒業文集をちらりと読んだから。そこには一番楽しかった思い出として文化祭が挙げられていた。ぼくはそれを見て彼女の一番の思い出を上塗りしたいと思ったのだ。ぼくの告白によって。ああ醜い。
彼女はぼくの思惑を知らずに微笑んだ。
「そうね……一番は、きみとのありふれた日常かな」
ぼくは鈍器で殴られたような衝撃を受けた。予想と違ったからではない。ただ、ありふれた日常が一番というのが目から鱗だったのだ。しかも、ぼくとの日常。
花が咲くように数々の些細な記憶が蘇る。
遅刻しそうになり、寝ぐせのついたまま「おはよう」と挨拶した彼女。その日クラスであったことを楽しそうに話してくれた彼女。前髪を切りすぎちゃった、と眉毛の露わになったあどけない顔でわらった彼女。
つい先程だっていつも通りの彼女の姿に喜びを感じたはずなのにね。嗚呼、ぼくは浅はかだ。
「……そっか。とても、素敵だね」
辛うじて言葉を紡いだ。これが精いっぱい。
「で? きみは何を言ってくれようとしたの?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて彼女はわらう。あの時よりも大人びた表情をするようになったんだなとふと思った。
「ううん。今日が何でもない日でよかったなって」
これはぼく自身への皮肉。やっぱり彼女はわらう。彼女には全てお見通しだったのかもしれない。
「ふふ、きみって面白いね」
そしてすっとぼくの手を掴む。細くて華奢な指先がぼくの手に触れた。あれ、と思った。もう遅い。立場逆転。
「わたし、恋愛ってグラデーションのようだなって思っているの。告白なんてなくても気が付いたら一緒にいた、それが答えだと思わない?」
――つまり、ぼくらはもう恋愛をしていたのだと。
おめでたいぼくの脳みそはそう理解した。理解して顔に熱がのぼるのを感じた。
「はは、そうかもしれないね……」
「でしょう? ありふれた日常にきみがいてよかった。きみの隣が一番心地いいから」
嗚呼、これは一本取られた。でも敗北ではない。一周回ってぼくは開きなおった。
「そうだね。ぼくもきみの隣が一番いい」
そして彼女の手をそっと握り返した。彼女の小さな手はぼくの手のひらにすっぽりと収まって、それがぼくには愛おしいとさえ感じたのだ。
そうだ、今日は早まったから失敗したのだ。卒業式だからと焦ってしまったんだ。これがぼくの失敗。特別だから告白するんじゃない。一番の思い出にしたいから告白するんじゃない。ぼくらの告白は日常に溶け込んでいるものなのだ。
――ゆっくり急げ。だって、恋人になることが最終目的じゃないんだから。
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