第8日 酩酊はできずじまい
幼馴染の彼女は今日で二十歳になるらしい。お祝いということでぼくらは少し背伸びして夜のレストランでディナーをとることにした。
お洒落なクラシックが漂う店内。豪華で精巧精緻な料理。いつもに増してうつくしい彼女の後ろにうつくしい夜景。
「二十歳の誕生日、おめでとう」
ぼくらはチンとグラスを合わせてワインを口に含む。葡萄の上品な香りがぼくの鼻腔をくすぐった。彼女はふうわりと笑みを零した。
「美味しい……」
「うん、とても飲みやすいね」
「ええ。いくらでも飲めそう」
確かに。彼女となら永遠にでも飲めそうだった。
それでもやがて度数の高いアルコールがぼくの脳みそを侵す。いつもより饒舌なぼくの口が躍った。
「ねえ、二十歳になった気持ちは?」
「さあ。特になにも」
彼女は頬をほんのりと赤く染めていた。とてもきれいだった。
不意に彼女は視線を逸らし、窓の外の夜景を見る。微笑んで、何かを慈しむように呟いた。
「そうね……言うなれば、また死が一歩近づいたなあって思ったわ」
思わずワインを吹き出しそうになった。豪奢な店内、幸せそうな表情の彼女、そして死という言葉。あまりにちぐはぐで、ほろほろとした酔いも吹き飛びそう。
「……随分とネガティブだね」
「ふふ、事実じゃない。わたしたちは今も死に向かって歩いているのよ」
それはそうだ。生まれた瞬間から誰もが死へと向かうのだ。でも、死ぬために生きるのは、あまりにも虚しい。
「違うよ。思い出をつくるために歩いているんだよ」
「ふふ、きれいごと。アルコールが抜けたら恥ずかしくなるよ」
悪戯っぽく彼女は目を細めて言う。ぼくは頷いた。そりゃあ、人生はきれいごとの集合だ。
「確かに。でもね、ぼくは酔っているから大丈夫。酩酊は正義」
酷い理論だと我ながら思う。誤謬以前の問題だ。筋が通っていない。でも、酩酊しているから仕方がない。
ころころと彼女はわらった。ぼくは彼女の笑っている様がいっとう好きだった。その様をぼんやりと眺めていると、桃色の薄い唇が言葉を紡ぐ。
「ねえ、わたしときみ、どっちが長生きすると思う?」
どこからその話になったんだろう。
「どうして」
「だって、わたしたちはいつか死ぬんだから。今も死へ向かって歩いている。そして、必ずどちらかが先に死ぬのよ」
質問の意図を理解はしたけれど、答えたくはなかった。言霊と死は怖いから。嗚呼、酩酊なんて遥か彼方へ飛んでいってしまった。
「……折角酔っているんだから、もっと楽しい話をしようよ」
くふくふと彼女はさぞ愉しそうに笑う。
「きみはこういう話はお嫌い?」
そう悪戯っぽく彼女が言うのだからぼくは溜息を吐いた。
「ううん、きみらしいなって思うよ」
「そう。きみは優しいね」
不意に儚い雰囲気を纏った彼女。気がつけば、思ったままの言葉が口を突いて出ていた。
「きみのことならなんでも受け止めるよ。ぼくときみの仲じゃないか」
よかったと彼女は微笑んだ。じゃあ、と続ける。
「きみとなら死へと歩いてもいいわ。だって、素敵な思い出をつくれるんでしょう?」
ぼくは酔いが一気に醒めた気がした。彼女はにこにこと笑っている。
「なんてね。酩酊は正義なんでしょ。わたしは酔っているから何を言っても大丈夫なの」
ああ、これは大丈夫じゃない。酩酊はできずじまい。
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