第5日 海のあをに染まってただよふ

 白鳥はかなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ


 若山牧水はこういう短歌を詠んだらしい。とても綺麗で、ぼくのお気に入りのうた。なぜ突然これを思い出したかというと、理由は至極単純。幼馴染の彼女と海に来ていたからである。


「海、きれいね」

 そういう彼女の横顔がいちばんきれいだと思った。でも、それは言わないでおく。きっとそれをいうのは今じゃない。

「うん。晴れてよかった」

 空は真っ青。海も真っ青。空と海の境界線がとてもうつくしい。溶けてしまいそうな輪郭を眺めるのがいちばん好きだった。でも、今は彼女の輪郭を眺めるほうが好きだ。

「ねえ、海、入ろうよ」

 おもむろに彼女は白い手でぼくの手を引っ張る。

「ちょっと待って。ぼくらは水着を持ってきていないじゃないか」

 そう、ただ思いつきで海を見に来ただけ。彼女が海をみたいと言ったのだ。

「いいじゃないの。きっとたのしいわ」

 軽やかにわらってなおも彼女はぼくの手を引く。もう彼女の足は海に染まっていた。

「濡れてしまうじゃないか」

 もう足を濡らしている彼女に向かって言う。ああ、これは説得力皆無。

「それがいいのよ」

 ほらっ、と彼女はぼくを軽く引っ張る。ぼくは少しだけ踏ん張った。曲がりなりにもぼくは男だ。だから、少女一人に軽く引っ張られたくらいじゃよろめかない。

 ああ、でもそれに何の意味があるのだろう。

 だからぼくは彼女に身を委ねた。力を抜いて、手を引かれるままに。


 ぼくの行動が予想外だったのか、勢い余って彼女はたたらを踏む。彼女の珍しく少し驚いた顔。でもそれもあっという間だった。波に足を掬われたからか、たちまちぼくらは転んだのだから。手を繋いでいるから、転ぶときもいっしょだ。

 バシャン。

 透明な海がぼくたちに降り注いだ。冷たい。ぽたぽたと雫を垂らしてぼくらはお互いの顔を見る。先に口を開いたのはやはり彼女だった。

「ふふっ、間抜けなかお」

 彼女は静かに、やがて声を上げて笑う。ぼくもわらった。何だか全てが面白くなったから。海の青にも、きみの色にも染まっていいような気がした。


 ひとしきりわらうと、彼女は海を眺めてぽつりと呟いた。

「海、きれいね」

「きみがいちばんきれいだよ」

 彼女は静かに頬を染める。きれいだった。

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