第7話 上屋敷緋色は再び動き出す

 ゆらりと骸骨が立ち上がる。

 次の瞬間、緋色の目の前に大太刀が迫っていた。


「っ、く──」


 双剣で受けたのは反射だった。だが、緋色はすぐさま敗北を確信する。

 白銀の薄い剣が震え、砕ける。

 飛び散る破片。大太刀の刃が緋色の首を捉え、刎ねる。すぐさま双剣と共に生き返った緋色は、骸骨から距離を取ると、ホルスターから注射器を取り出した。


 ドーピング。彼我の差は明らかだからこそ、得意分野に持ち込むしかない。


 前に出る。同時に、背後からもイズルが攻める。


「厄介なのは、姫宮か」


 骸骨は呟きながら、大太刀で緋色を殴りつける。

 見えてはいたが、回避を許してくれる速度ではなかった。直撃を受けた緋色は地面と激突。

 即死しない程度の威力はわざとだろう。生き返れないからこそ動きは止まる。


 緋色を処理した骸骨は、返す刀でイズルの刃を受ける。

 探索者たちから物資提供を受けることで武器を確保していたイズルは大物を持っていない。短刀で、大太刀との鍔迫り合いを強いられている。


「っ──」

「気負うな。あんたたちはどうせ死なないんだ」


 骸骨の回し蹴り。腹に全力の蹴りを受けたイズルは、鞠のように地面を転がる。


「そうだろ。なあ、お嬢ちゃん」

「チッ」


 奇襲は不可能だった。

 骸骨がイズルへ対処している隙を使っての接近には成功したものの、結局は顔面を殴打され、飛ばされる。


 ドーピングを施していても踏みとどまれない膂力。これで皮も肉もないとは信じがたい。


 殴り飛ばされた緋色の身体は、岩に叩きつけられて、中身も外見もボロボロになっていた。

 全身のあらゆる骨が折れて、皮膚は裂けている。ピクリとも腕が動かないのだから、治療も自害もできはしない。


 イズルも似たような状態だった。自力で動くことは、生き返るまで叶わない。


 骸骨は二人の歩みをずっと見ていたのだ。蘇生によるリセットを封じることなど、児戯にも等しいのだろう。


「……イズル」

「はい──まだ、死ねそうにないです」


 状況は緋色も同じ。

 いずれ死に至るダメージを受けてはいるが、今すぐではない。


 動けない。戦えない。

 骸骨は悠々と、骸の椅子に腰掛ける。


「いい見せ物だったぜ、お前たちの繰り返しは。並の死にたがりならとっくの昔に発狂してるってのに、何一つ変わらねえんだから」


 動く死体と、死ぬためだけに存在した生贄。

 緋色もイズルも、正しい意味で「生」を理解していなかった。ゆえに何億回と殺されようと、絶望には至らない。

 二人にとっては、死こそ正常で、義務なのだから。


「悪いな、お嬢ちゃん。いつだったか、あんたには本能がないって言っちまった気がするが」


 確かに、いつかどこかで聞いた覚えがある。

 骸骨の声を聞きながら、緋色の意識は徐々に薄らいでいっていた。


「訂正する。お嬢ちゃんからしてみれば、死を目指すことこそ本能だったんだな」


 生物は生存を目指す。

 ならば、間違って動いているだけの死体は何を目指すのか。


 それこそが、緋色が抱き続けた衝動のカラクリ。死体としての純粋欲求。


「そう考えりゃ、お嬢ちゃんは狂ってるわけじゃないか。なあ、姫宮?」 

「……あたしを、その名前で呼ぶな」


 イズルの声も朧げにしか聞こえない。緋色の意識は霧散していく。

 これまでの死は、すべてが速やかなものだった。ゆっくりと死に落ちていく感覚は初めてのもので、焦りはどうしても生まれる。


 早く死なないと。

 生き返って、戦わないと。

 イズルを、解放しないと。


 ──イズルのために、生き返らないと。


「……緋色?」


 違和感に、生き返ったイズルは振り返った。

 ダメージは同程度だったはず。肉体強度は緋色の方が上だから、確かに死に至るまでの時間は長くなるだろう。


 けれど、ならば、どうして呼吸が聞こえない?

 今の緋色なら、呼吸が止まった次の瞬間には立ち上がれるのに。


 振り返る。

 動かない死体が、そこにあった。


「え」

「うん? ──へえ、こうなったか」


 呆然と口を開けるイズル。

 楽しげに笑う骸骨。


 動く死体である緋色の本能は死を目指すこと。

 緋色は本能で死を求めていた。ならば、本能を破壊するほどの「何か」がなければ生は望めないはずなのに、緋色は生き返らない。


 一体、緋色の中で何が起きたのかはイズルにも骸骨にも分からない。けれど、事実は見て取れる。


 上屋敷緋色は死を手に入れた。

 生を望んで、死を手に入れた。


「──緋色?」


 イズルの手が震えて、短刀が落ちる。

 共に死を目指してきた相棒の終わり。目の当たりにした光景はイズルにとって衝撃的で。


「緋色」


 終われたんだ。

 よかった。

 あれだけ、望んでいたんだから。


「……うそ、つき」


 祝福に満ちていたはずのイズルの心は、知らず、そんな言葉を紡いでいた。

 イズルは自分が何を言っているのかも理解できないまま、ただ身体に刻まれた戦闘行為を再開する。


「一緒に死のうって、言ったのに」


 ダガーを投げつけ、同時に接近。両手にそれぞれ握った短剣で斬りかかるものの、やはり大太刀を相手にするには分が悪い。


「置いて、いかないで……!」


 涙が溢れる。その意味をイズルは知らない。涙という概念をイズルは知らない。

 自分の言葉も感情も、何もかもを理解できないまま、また内臓が蹴破られる。血を吐いて、ショックで呼吸が止まり、生き返る。


「残念だったな、姫宮。やっぱり、死ねないのはあんただけみたいだ」

「っ、うぅ──」

「どうする? このままここで生き返り続けるか? それとも、前みたいに探索者のところへ戻るか?」


 選択肢は二つに一つ。

 イズルはほとんど無意識に、首を横に振る。


「嫌。嫌だ。あたしは、緋色と一緒がいい。緋色と一緒に死にたい」

「……はあ、しゃあねえな。ならいっそ、お嬢ちゃんの死体でも持っていくか?」


 そう言って、骸骨は緋色の死体を見る。

 そこには、何もなかった。


「──は?」


 死体がない。気付いたときにはもう遅かった。

 骸骨の眼前に、血まみれの緋色が立っていた。名前の通り、全身を緋色に染め上げた死体は、拳銃の銃口を骸骨の口に突っ込み、引き金へ指をかける。


「最も確度の高い自殺方法、らしいね」

「……最高だ、お嬢ちゃん」


 銃弾が放たれる。

 黄泉国。世界屈指の危険地帯、その門番が打ち倒された。




「……緋色。緋色、どうして。死ねたんじゃ、ないんですか?」

「うん。だから無理やり動いてる」


 倒れ伏していたイズルの手を引いて、立ち上がらせる。イズルの瞳からは、まだ涙が流れていた。


「私はもともと魔素で動いていただけの死体だ。魔素があれば動けるのは当然だろう?」

「でも、だからって。やっと死ねたのに、どうして……?」

「生きていたい理由ができた。それだけのことだよ」


 イズルを解放したい。解放するためには、生き返らないといけない。生きていないといけない。


 その欲求が緋色を死に導いた。

 本能が求める死への衝動を、イズルへの情という理性が破壊した。だから緋色は手に入れた死を手放して、再び動いている。


「イズル。黄泉国のルールは壊れた。脱出できるし、死ぬことだってできる」

「……あ、うん。そう、ですよね」


 何百年と渇望していた死を目の前にしているというのに、イズルに覇気はなかった。

 緋色にはその意味が理解できない。不思議に思いイズルの瞳を覗き込んだその途端。イズルに身体を抱きしめられていた。


「……イズル?」

「緋色は、ちゃんと死ねるんですか?」


 動く死体の心臓は、今も鼓動を刻んでいる。

 きっと嘘は通じないだろう。緋色は直感して、ありのままを伝えた。


「分からない。生存欲求が生まれた以上、無意識に身体を動かす可能性は否定できない」

「そう……」


 イズルは俯いて、唇を噛み締める。

 返ってきた答えは、緋色にとってあまりにも想定外のものだった。


「じゃあ、駄目。あたしは緋色と死にたいんです。置いていかれたくないし、置いて行きたくもない。緋色も終われる確証ができるまでは、あたしも死ねない」


 緋色はより強く、イズルに身体を抱きしめられる。

 

 緋色の中で、死に焦がれる衝動が消えたわけではない。ただ、イズルを置いていきたくなかったから、その衝動の方が強いから、動いている。

 だからイズルに死を否定されればどうしようもない。イズルの意思を尊重するほかない。


「……分かった。なら、とりあえず外に出よう。私と同じ例だって、探せばそのうち見つかるさ」


 イズルは頷き、緋色を解放する。けれども二人の手は繋がっていた。

 何も知らないイズルが、無意識のうちに繋がりを求めた結果だ。


 外へ向かう。一体どれだけの時間が経っているのか定かではない外界を二人で目指す。


 石扉を抜ける直前。緋色の耳が微かなノイズを捉えた。


 感謝するぜ。それだけを告げたノイズ。

 

 幻聴か、声か。それすら定かではない耳鳴りに、緋色は答えた。


「──なんだ。お前も死にたがりだったのか」

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殉職したはずの死にたがり探索者は、強制蘇生迷宮に囚われた カブのどて煮 @mokusei_osmanthus

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