8.A certain Chinese restaurant
古ぼけた街灯やネオンの灯りを頼りに裏路地を進む。左右に折れ道の幅も全く違う。人一人何とか通れそうなものから十分に広いが生ゴミの悪臭が酷いものもある。基本的にスパイ行為が生業とはいえ、このような「如何にも怪しそう」な環境を行くのは愚策ではある。木を隠すなら森の中、人間が潜むなら群衆溢れる表道の方を選ぶのが当然である。しかしジェラールが先程返り討ちにしった刺客の一人を担いでいるので、悪路らが今は最適な道のりだろう。
(まるで野良猫みたい)
目の前を駆ける真央の姿は、その真っ黒な髪と格好からも黒猫を連想させた。人間に警戒心の強いタイプ。たなびく髪やパーカーのフードが揺れる度に猫の尻尾を連想してしまう。
「着いた」
「ちょ、ちょ待てって。俺おじさんなんだからもう少し・・・・・・おぉ」
「わ、凄い・・・」
何処の国であろうと、文化は根強いもの。故郷サンフランシスコのチャイナ・タウンにそっくりそのまま、赤と緑を基調にした東洋風の建物が。看板には「明栄飯店」とある。人気の無さと全体的に光源が届いていない環境からは閉店後野ざらしにされているようだが、商売は回っているのだろうか?
「これ開いてんのか?」
「大丈夫だ。店主が綺麗にしないだけ」
「それダメだろ」
「私達招かれざる人も連れてきてるけど・・・」
刺客は未だのびたままである。
「問題ない」
遠慮無く扉を開いた真央に続いて、二人も入店した。急激に五感を襲う香辛料とごま油の匂い。厨房からは鍋を振る音、野菜を刻む音、油が跳ねる音、食器と食器がぶつかり合いながら水で流され、冷蔵庫と厨房を慌ただしく往来する足音、まるで罵声のような指示と負けじと返される返事。
店内はとても明るく、電灯も事務室にありがちな青白いものではなく柔らかい琥珀色、客席の隅にある観葉植物は枯れたところもなく、飾られた陶磁器はピカピカに磨かれ光を反射している。既にいた他の客達も各々の会話や料理に夢中のようで、全体的に賑やかだ。
「二階だ」
「え、案内されてないよ」
「フランス人の持っているソレ、一階じゃどうしようもできない。客に見られたら余計な騒ぎになる」
「フランス人ってお前・・・・・・名前覚えようや。でも皆気にしては無ェみたいだが」
「博多の夜なんてそんなものだ。客の中にはカタギじゃないのもいる。でも変に目立つのはダメ」
二階は誰もいなかったからか物静かだった。丁度良いサイズの回転テーブルに座る。アンとジェラールはこの未知なる机を余り知らなかったこともあり心の内で少しだけ盛り上がった。
「しばらく待ってろ。呼んでくる」
真央が人質をずるずると奥に運んでいったので、文字通り二人きりになった。眼をキラキラさせながら店内の整えられた、まるでロココ時代に流行ったシノワズリ庭園のような装飾。恐らく、欧米からの人間の受けを狙ったのだろうか。店内を見ていたアンに、ジェラールが声をかけた。
「そういや、CIAだっけ」
「えっ?」
「確かそんなこと言ってたよな、君。この前の会合の時に」
「ちょ、ちょっと、准尉。今は、」
「別に問題無ぇよ。ニンジャガールが案内してくれた店なんだから、ウチの味方だ。カット・アウトの連中と落ち合う拠点だよ、ココは」
「それはそうですが・・・」
カット・アウト。要は潜入捜査員と指揮官の仲介を務める役目である。彼等も目立たないように市井に紛れ込み、任務遂行のために情報や証拠を流通させる。潜入捜査員と指揮官が何度も直接顔を会わせていると、もし敵に発覚した際のリスクは大きい。その予防策だ。
余談だが、ついでとして所謂「スパイ」の役割につてざっと触れておく。
①カット・アウト。上記の通り。
②ケース・オフィサー。諜報機関員。工作を実行する。AFDRではマーク・クーパー「中将」が該当する。
③エージェント。非公式で雇われているスパイ。②の指示に従い諜報や工作を行う。所属が明らかになり国際問題に発展する、なんて事態にならないように公的身分は保障されていない。アン・アームストロング、カルモ、アデライデ・アンツォフェルモがこれに当たる。
④スパイマスター。秘密情報機関のリーダー。大使館に勤務している外交官がこの役職を担うこともある。アメリカ本国のどこかにいるワーウィック・フェイスフル長官もその一人。
⑤アサシン。暗殺専門、暴力装置。仲山真央も立派なアサシンの一人である。
要は種類が多いということである。ジェラール・ステヴナン准尉やロバンソン・シモン教授は別口からの協力者だ。
閑話休題。
「というと・・・・・・あの事件の報復か」
「報復?」
「あれだよ、"アメリカ最大の敗北"と言わしめたあの事件」
「申し訳ないですが、知らないですね。任務に私情は持ち込まないように徹底されていますし」
「え、知らない?アメリカのスパイが東日本から機密奪って・・・」
『はい、いらっしゃい』
目の隈がベッタリと、まるでペンキで塗られたような女性がいた。エプロンの白にはソースの飛び散った跡や焦げがついている。先程厨房の中で中華鍋を振っていた人だ、とアンは思い出した。
『汚れた格好でごめんねぇ。真央の友達だって?こんなとこだけど料理には自信あるから、食べてってね』
『おい、楊。コイツらは日本語知らないぞ。中国語も無理だ』
『え、そう?じゃ、貴方が通訳してあげなさいな』
『面倒臭い・・・』
一緒になって戻ってきた真央が英語で「通訳」してくれた。
「・・・この人は楊心(ヤン・シン)。ウチの所属で、ここの店長をやってる。さっきの刺客は今屋根裏に運んできた」
「わざわざドーモ、っと」
「メニュー。適当に選べ」
『こら、乱雑に扱わないの』
真央が放り投げて渡した見開きのメニューを開くと、見事に漢字ばかり。料理の写真が併せて載っているのが幸いだが、見たことがないので正直分からないままだ。微笑む楊と目が合った。きっと初対面にも関わらず愛想良くしてくれているのだろうけど、申し訳なさが込み上げてきた。
「なぁ、ラーメンってのは・・・」
『はい?』
ジェラールがそう口走った瞬間だった。楊の笑顔が彼の視界を捕えた。しかし、その弧を描いている眼からは先程のような歓迎の色は見えない。寧ろ有無を言わせない威圧があった。
「それ以上は止めておけ、楊は改造された中華料理が嫌いなんだ」
取り敢えず、メニューの上から三つ、適当に料理を選ぶことにした。楊の笑顔は氷が溶けたようににこやかなもものに戻り、ゆるりと厨房に戻っていった。
#
真央は再び屋根裏に戻った。料理が来るまでの時間を有効に活用するのだろう。主に拷問で。
(そういえば、)
彼女ともしっかりと意志疎通を取れている。アンはようやく気がついた。そうだ、彼女は英語が拙かったのではなかろうか。いつの間にかすんなり会話ができているではないか。
(凄い、なぁ)
己も色々と経てここまで来だ自負はあるが、到底及ばない。
The His Note ~分かたれた極東の島国~ Divertissement @diveltisman
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