7.Slow growing plants

キルスティン・シェファー。


あのお堅いワーウィック長官をはじめ老若男女に読まれるベストセラーの英国人女性作家だ。何故彼女が例の日記帳を知っているのか、そもそも日記帳の存在を明確に分かっているのか、どんなことを知っているのか。謎は多い。



「今日は予定は無いってことだな。自由時間だ」



色々と下準備や確認作業がノルマなのだが、それを除けば火急の用件はない。



「メシいつ行く?」


「え、ご飯ですか......6時くらいで」


「分かった。......真央さんそれで良い?」



真央は入室から、いやそれ以前からほとんど言葉を発していない。彼女が口を聞けない訳ではないこと、英語など外国語が話せないだけなのは二人も把握しているところではある。要は彼女はずっと警戒しているのだ。こう例えると酷く失礼になるのだが、アンは内心番犬みたいだ、と思った。鋭い顎を持つシェパードの様な。



「分かった」



簡単な英語の返答があった。



それまでは自由時間ということもあり、アン・アームストロングは市営の図書館に繰り出した。調べ物に必須のインターネットは1967年のアメリカ軍による開発、その後の民間転用を待たなければいけない。それまでは自力で様々な資料に当たる必要があるのだ。仮にも中国行政が運営しているのでやはり図書館の内部は中国語と英語で案内が表記されていた。意外なのは日本語案内もあったことだ。かの国はナショナリズムを基調としているので少数派の文化は全て中国化していくという先入観があった。


地元の大学図書館よりも一回り大きい、海沿いの図書館を巡る。やはり「らしい」と思ったのは分類の最初が蒋介石と孫文の思想や伝記と定められてあり、次に社会科学、人文科学、自然科学、総記と並んでいる。洋書(つまりは欧米言語の文献)もまた、同じ分類で2階の片隅に陳列されていた。色々と手探りで本を手に取り開いてみる。自国の製本が中国や日本のそれと比べると何と簡素なことか、その表紙の薄さや紙質から全く違った。適当に九州の文化について写真集を見てみたり、少しは理解できた方が周囲からも好まれるだろうと考え初心者向けの日本語教本を覗いてみた。


しかし全く分からない。最初の「ひらがな」46文字はまだ暗記すれば良いが、ここに「カタカナ」と「漢字」が加わる。漢字の量といったら!かつて母に無理矢理教えられ、暗記を強要させられた聖書の方がまだ易しく見える。せめてアルファベットを用いた表記法があるだけマシなのかもしれない。文字だけでなく、訳の分からない文法や発音も長々と続いていた。こんな言語を日本人は如何にマスターしているのか非常に興味深い。


だが日本語を覚えるのは日本に滞在する者として義務と言える。言語とはその地に纏わる文化と概念の集大成である。一々何百冊と読破するよりも言語を扱えるようになるだけで十分その国・地域を理解できるだろう。それどころか日本人の外国人への嫌悪感は凄まじいものがあると聞く。何せかつて列島諸共戦場に変えられ家族を殺されたのだから。白人であるだけで殴られた、という事件が何度か新聞の海外記事欄に掲載されていた。せめて日本語でコミュニケーションが取れなければ文字通り死活問題になる。


少しは日本語で会話できたら、きっとあの子もそれなりに接してくれるようにはなるはすだ。アンは出発前の一幕を思い出した。


#


それは初めての会議が終わった後のこと。



「アームストロングさん、少し良いかな」



初老の紳士である桂清美に呼び掛けられたのは、一同がぞろぞろと手荷物を引っ提げ出ていった後だった。アンは生来の生真面目さを発揮してしまい筆記用具からファイル、メモ帳まで持ってきていたので時間を要していた。



「はい、何かありましたでしょうか」


「あぁ、いやね。話しておきたいことがあって。君にしか頼めないんだ」


「私にしか?」


「そう。あ、そんな密約だとか機密事項とか、内通じゃないよ。私的なことだ」



益々想像がつかない。



「君はこれからジェラール准尉、そしてウチの真央とチームとして九州に行くわけだが...」



初めて会った時と比べるとしどろもどろとしている。私的で重大なこととは?



「真央を見捨てないでやって欲しい」


「えっ」


「君が彼女に悪印象を抱いているのは分かる。だが真央も警戒心が強いだけなんだ。彼女は交友関係どころか実の家族もいない」



桂の表情からは自分ではどうしようもできない問題に直面した、特有の絶望が少しだけ見て取れた。少しだけというのは彼も「この道」の手練れであるために感情を見せない、見えないようになっているからである。


アンは彼の目から視線を逸らさなかった。



「流石に面倒を見てくれ、とは頼まない。烏滸がましいからね。だが決して彼女との対話を諦めないで欲しいんだ」


「対話...」



拒絶する理由もなかったのでその願いをしっかりと受け取った。アンとしても、チームワークのためならば動かない訳にもいかない。


#


(お先真っ暗だなぁ)



意気込んでみたものの最初の最初で挫折してしまいそうになって正に前途多難だった。前置詞についての項目に割かれたページの多さには戦慄すら覚えた。言語学者とは恐ろしい者だ。仕方がないから今は簡単なフレーズだけでも覚えておこう、と踏ん切りをつけた。その後はまぁ「ひらがな」だけでも書けるようになれば最低限何とかなってくれる、という楽観論も含めて。


さてしばらく後、腕時計が午後4時を伝えたので作業を切り上げそのままホテルに向かった。自分達の部屋の中では例の彼女がいたが、何も動じずにただ座禅を組んでいたので失礼ながら驚いてしまった。勝手に入ってしまって良いのか動揺した。



「た、ただいま・・・」



勿論返答はない。コミュニケーションすら取るつもりすらないのかも知れない。アンはぎこちなくキャリーバッグを部屋の隅で広げた。自分一人でホテルの一室を借りる際はもう少し、いやそれなりに奔放に散らかしてしまうが一挙一動を監視されているような環境だと靴下一足放り投げただけで並々ならぬ敵意を向けられてしまうかもしれない。



(落ち着かないなぁ。あの子は凄く静かだけど)



ドアのノックが鳴ったのは僥倖だった。



「おーい、いるか」


「あ、ハイ。開けます開けます」


「そろそろメシ行くか?早いかもしれねぇが夜になると観光客が多くなる。さっき少しブラブラとしてても外国人ばっかりだった」


「それなら行きましょうか」



真央もスッと立ち上がり、着の身着のままで後ろに立っていた。アンは身体が跳ねるのを誤魔化すことが出来なかった。



「ッッ・・・ビックリしたぁ」


「ニンジャだな、まるで。そういやアレルギーとか、好き嫌いはあるのか」


「へ?」


「折角来たんだから良いの食べたいでしょ。例えばだがな、このラーメン?とかいう・・・・・・パスタみたいなもんか?これは外れがないってさ。後はやっぱり海鮮だな。フライとか焼くのとか、アメリカ人にとっては驚くかも知れないが後は生で食うのもあるぞ」


「あの、海鮮はちょっと・・・」


「苦手か?なら肉だな。活力が要るからな」


「というか、こんなにスラスラと・・・・・・何処で知ったんですか」


「海沿いで寛いでた同じフランス人のカップルに教えて貰ったのさ。このガイドブックもくれてな」



初対面とも気兼ねなく接することができるとは恐るべき積極性である。



「んー、少し時間がかかりそうだがここなんてどうだ?中華風、いや日本風バーベキューの店らしい。ちゃんと野菜もあるぞ」


#


結局、外に出て店を決めることにした。ジェラールとアン、後ろに真央という配置で市民や成金、浮浪者や観光客が渦巻く市内の道を進んだ。直感に頼るのも大事だ。それに、騒ぎを起こすのなら誰にも迷惑が被らず何より気付かれずに済ますのがスマートなやり方だ。


最初は図書館の2階、洋書コーナーだった。色々と探している様子をこそこそと、三つ分後ろの棚から見ていた男が一人。この仕事に慣れてないのだろうか、気配を誤魔化しきれていない。まぁ気配を消す芸当はそれこそアルセーヌ・ルパンくらいにしかできないが、一般人に「仮装」するならそれなりに練習すれば容易なものだ。恐らく自分など下っ端でも処理できると相手方は踏んだのだろう。そして帰り際に勝手に追ってきたのが二人。途中の曲がり角、公衆電話の辺りで合流、合わせて最低三人はいた。彼等がこそこそとしていたのも当然分かりやすかった。


ジェラールもどうやら同じ状況だったらしい。先程の会話中に見せてくれた観光用ガイドブックの隅にあった走り書きが証左となった。



〖三人 ホテル前〗



そして当然、真央も気付いていたようだ。一人に対し三人ずつとなれば彼女を狙う人間もいるはずだが、距離を離した後ろからの気配はどうやら六人だけだ。知らない間にお帰り頂いたのだろう。何気無くこちらが近道になる、なんて呟き入り組んだ横道に逸れた。相手方もまるで餌に釣られ紐に引っ張られる池の魚のようにスイスイとついていった。


丁度死角に差し掛かった所である。



「现在,杀了它!」



やはり刺客達は三流だった。合図をかけたということは戦闘の開始を敵に知らせ、そして伏兵を忍ばせていると種明かししているようなもの。しかも動きも緩慢、モーゼル96の銃口をアン達に覗かせる所作はまるでスローモーションであった。


彼等が引き金を引く前から、既にジェラールはユニークの22口径を抜いて一発撃っていた。別に追っ手の誰かを狙った訳では無い。銃弾は斜め上を跳び錆びた留め具を貫いた。二度と灯されないであろう古いネオンの看板が音を立てながら落下し、一丸と固まっていた男達の頭上にぶつかった。巨漢といえどもこれは堪らないだろう。



「你在干什么,他们才三岁!」



反対側、つまり出口の方向からも残りの追っ手が襲ってきたが、これも鎧袖一触だった。ひらり、と真央が軽やかに跳んだ。しかし蝶の舞は狼の間合いに早変わり、彼女の動きは瞬時に加速した。油断したのか対応出来なかったのか、銃口を構えて一番前に出ていた男のがら空きとなっていた胴にエルボーを一撃。


悶絶し、銃を落とし腹を抱え倒れ込んだ哀れな男を飛び越え、動揺していた残り二人にも回し蹴り一閃。見事に計六人、無事に仕留めた訳だ。銃撃戦も発生せず死者も出ていないので大した騒ぎにはならなかった。繁華街を歩く人々からすれば「いつも通りの乱闘騒ぎ」と認識されていることだろう。



「いやー、腕が鈍ってなくて助かった。流石俺」


「す、凄・・・・・・あ、いや、すみません。私、何も・・・」


「気にすんなって、助け合いよ助け合い」



バシンと背中を押された。



「にしても凄かったな、ニンジャガールの動き」


「確かに・・・・・・助かりました」



真央は眉一つ変えなかった。ツンとしたままである。



(少しくらいリアクションしてくれても良いじゃん)



当然口には出せない。


刹那、アンは愛用のコルト45・コマンダーを抜いた。勝手ながら改造を施し発砲音を遮っている。そのまま真央のいる方に向け発砲した。彼女の目が大きく見開いた。



「ガッ...」



彼女のすぐ後ろから襲いかかろうとしていた刺客が握っていたナイフが、先程の銃弾により弾かれた。衝突によりナイフが回転しながら宙に舞う。傷こそ負っていないとはいえ衝撃を受け痺れる右手を抑える生き残りに対し、自らが隙を突かれ狙われていた状況をすぐさまに把握した真央が飛びかかり、後ろに回ってチョークスリーパーで眠らせてしまった。鮮やかな体術である。もしかしたら三軍に海兵隊で鍛え上げた屈強な兵士達より遥かに強いのかもしれない。



「...ふぅ」


「流石。お疲れ」



ヒューっとジェラールが口笛を吹いた。アンといえば久しく銃火器に触れていなかったこともあり緊張が解れずどうにも現実に戻れない。



(やっぱ慣れないなぁ。お姉ちゃんなら、こういうこともできたのかな)


「...ねぇ」


「え、はい?」


「...助かった。有り難う」



真央から自分に向け初めて発せられた言葉(厳密にいえば恐喝があったが)は感謝の意を含んでいた。目と目が合った。真央の黒い目つきには不安があった。



「気にしないで(You're Welcome. )。お互い様だよ」


「そう」



そっぽを向かれたが耳が紅潮していた。



「コイツらはさっさと奥にでもやっとくか。頂けるものは頂くけどな」



ジェラールが延びている数人からパスポートやメモ帳、身分証、財布、そしてモーゼル96を拝借した。正直とどめを刺すことも必要かもしれないが現時点で死体処理の方法がないので黒いビニールのゴミ袋がたまった路地裏の奥に放置しておいた。その中から適当に一人選び、ジェラールがひょいと持ち上げた。



「コイツはホテルに運ぶわ。少し聞い(尋問し)てみないとな」


「それじゃ、一旦戻りますか?」


「待って」


「ん、どした?ニンジャ」


「この近くに知ってる店がある。そこに行こう」


「店知ってるなら言ってくれよ。そこ安全なの?」


「問題ない。私達の拠点だ」


「レストランと秘密基地、かぁ。丁度良いかもしれません」


「美味しいご飯も食べれる。ついて来い」



博多はようやく夜を迎えた頃だ。灯りが余さず全てを照らし、活況が盛り上がり始めた。如何わしい勧誘や屋台からのかけ声が飛び交う街の中心を横目に、三人は真央による案内の下目的地に向かった。



























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