6.Southern Skyscraper
一同は皆それぞれの顔色を覗うばかりだった。それぞれ思惑や各国当局から命じられた任務は抱えているだろうし相手を出し抜こうとするのも厭わないだろうが、ここまで突飛な話とは思いも拠らなかったのだろう。シンと静まりかえった会議室。アンはこの部屋がとても広く感じた。入室した時点ではこじんまりとしていたのに、まるで皆思考と現実の中でポツンと置いて行かれている。
「・・・それで、どうすれば良い」
口を開いたのは寡黙なカルモだった。彼はここまでほとんど発言しなかった。生来物静かな人なのだろう。彼のやんわりとした声色は場の緊張を少しだけ溶かしたのか、マーク長官は食らいつくように返事した。
「このノートが出鱈目ではないことは今や周知の通りだ。諸君も十分に、分かっていただけたことだろう。君達にはこのノートを構成する各ページの捜索、確保、並びに敵組織による入手の阻止、或いは強奪を主任務として遂行して貰う」
マークは「十分に」の一言を強調した。
「えー?正気かよ」
「ジェラール准尉、君も理解しているはずだ。それに今更拒絶しても一向に構わないがね、それで君達が無事に帰ることができるとは保証できないな」
「やっぱ?」
「こんな馬鹿げた話でも世界中が血眼になっている。秘密を知っている人間がフリーになったら必ず狙うだろうな。私達(MI6)だってそうする」
「お~怖ェ怖ェ」
水面下の世界は残酷なのだ。国益のためならば何だって許される無法にして秩序ある世界。
ここで、ずっと部屋の隅で聞くだけだった桂が立ち上がり、マークに厚紙でできた箱を渡した。祝辞の一環で相手に渡すような菓子折りを入れるような箱。確か日本人の礼儀慣習として「菓子折り」とやらを渡すものがあるらしい。それの余った箱だろうか。中には小さな旗や数色分のペンが収納されてあった。
「アンツォフェルモ君」
「はい?」
「君、何色が好きかね」
「う~ん...」
アデライデは顎に手を添えた。
「紫(viola)、ですかね」
「ふむ」
マークは長方形の形をした厚紙箱から小さな紫色の旗を取り出した。
「カルモ君は?」
「...特に希望はありません」
「じゃ、君はオレンジで」
書類や荷物を取り払って露になった机上の大きな日本列島の地図、赤の二重丸で首都であることが示されている大阪には桃色と黄色の旗が、そして大阪から少し先、東の方にある名古屋には紫と橙の旗が差された。
「今後の動きを連絡しておこう。と言っても我々は出会ってばかり、いきなりチームとして団結するのは難しいから、あまりに危険な任務は任せないから安心してくれたまえ」
「まずはAFDRの本拠には私とロバンソン教授が残る。ここでは発見されたノート、或いは既に保管してある分の解読と考察を行う。これに関しては「ひかり」からも多大な援助がある。感謝申し上げたい」
桂はその言葉に対し微笑んだ。早乙女は顔色を変えなかったが、軽く会釈した。
「教授」
「は、はい」
「適当に選んでしまったが旗の色は黄色で良いかね?」
「だ、大丈夫ですよ。黄色は好きです」
「なら良かった。アンツォフェルモ君とカルモ君は、名古屋に赴き東側の連中に備えてくれたまえ。勿論最善と最良を目指すべきだが、我等の動きが決して看破されないとは断言できないからね」
「拝命しました」
「任せて下さい!」
明るく元気そうな女性と、寡黙にして冷静に見える青年。成程一目見ただけで良好なパートナーシップを取れそうだ、とアンは思った。
「准尉、君は何色が好きかね」
「んー?青(bleu)」
「仲山君」
『赤』
「アームストロング君は」
「えっと、緑(Lime)で」
そこまで?と言われんばかりに細かいことを気にするのがこのマーク・クーパーという男であることを彼女は知っている。まるで現実に蘇ったシャーロック・ホームズだ。もしかしたらホームズより変人かもしれない。
マークは三色の旗をがさつに掴むと地図の左下にある、本州と比べると小さい(列島の中では大きく目立つ方だが)島の上に差した。倒れないように手を添え、旗が安定したのかそっと離した。
「攻撃こそ最大の防御、とは良く言ったものだ。君達三人には...」
#
ドン、と体が揺れた。格納されていた車輪が地についたのだろう。機体も衝撃を全て和らげるのは難しかったのか周囲も小衝突に気付き、眠りこけていた近くの乗客も目を覚ましたようだ。三人で並んで座るには少々狭いエコノミークラスの席には、窓側から真央、アン、そしてジェラールの順に座っている。ジェラールは我先にと降りる他の客を妨害しないよう周囲に気を配りつつ、二人の荷物を上の棚から降ろした。
「ほいよ、着いたぞ」
「あ、有り難う御座います」
「地下鉄の便が出るまで思ったより時間無いわ。パスポート出しときな」
確かに税関で引っかかり時間を浪費してしまうのは惜しい。事実、大阪空港から出る時に日本語を話せなかったばっかりに、ジェラールとアンは時間を食ってしまった。真央は先に進んで待っていたばかりにどうにか出国を認めて貰うまで迷惑をかけてしまった。
飛行機を降り、早足で税関を突破した。すんなりパスポートに印鑑を押して貰えたのでジェラールはすっかり上機嫌だ。アンも肩の荷が降りた。何せ出発時に散々待たされた真央の表情には平静そうにしていても隠しきれぬ怒りが滲み出ていたのだから。
一同はそれぞれキャリーバッグを受け取り、さっさと空港から直接地下鉄駅に向かった。地下鉄は人の山でごった返していた。その波を掻き分け離れ離れになってしまわないようについて行くのは大変だった。切符を落とさないように右手の親指と人差し指でしっかりと持ちつつ、左手でゴロゴロと鳴るキャリーバッグを運びながら足早に進む二人を追い、何とか予定通りの列車に乗ることができた。
空港から東比恵の駅を過ぎ揺られながら、変わり映えの無い地下のトンネル壁を見つめている内に目的地である博多に着いた。
博多の町は匂袋と音のなる都市だ。香辛料、海鮮の出汁、米が炊けた蒸気、肉の焼ける音、野菜を切る軽快なリズム、醤油が鍋肌で焼け、お玉(ladle)が鍋に当たりながらも中身をかき混ぜる。あちこちで値切りの交渉や井戸端会議といった喧騒が止まない。大阪で聞こえたものとはまた違う訛ったような日本語と、少数だが中国語で会話が交わされている。笑い声、セールスマン、屋台、提灯、アドバルーン……未だ昼だというのにまるで不夜城を誇る星空の下に聳え立つ繁華街のようだ。その中をわざわざ徒歩で進むのは蛮勇に等しいので、順当にタクシーを捕まえ目的地のホテルに向かった。
博多。かつては日本南部の中心。敗戦を迎えた後は中華民国による占領統治を受け入れざるを得なかった。かつて「竹のカーテン」が降ろされ始めた頃、ソ連に対抗しようとした米英は中国を誘い民主主義日本を立ち上げようとした。だが蒋介石は風見鶏の姿勢を採り勝ち馬に乗ろうと独自の道を歩んだ。列島を構成する島々の中で九州だけは中国の行政(東海特別自治区)に組み込まれた。そのお陰で今では日本人と大陸からの移民がこの島、そしてこの都市で共生している。今晩泊まるホテルでも、中国人と日本人が共に働いていた。
「おし、それじゃ後で324号室に来てくれな。俺待ってるから」
隅々まで磨き上げられた、ロココ風味が特徴となるホテルのフロントでジェラールはツインベッドがある部屋の鍵を渡しながらそう言った。「むさ苦しいオッサンが乙女達と一緒の部屋じゃダメでしょ」という彼の意向により、二対一で別れることになった。一人ずつ部屋を割り当てる案も当然出たのだが、もしもの時に各個撃破され全滅する危険性を鑑み女子同士で固まることになった。尚、アンは今年二十五歳となる。彼女に少女という自覚はないので、年頃のような扱いを受けると少しむず痒く感じてしまう。
#
408号室から一望できる博多の景色は、アンにとってはケーブルカーで登った頂上から見るサンフランシスコを思い起こさせた。正直ただの観光客として訪れたかった気持ちも出てきたが、これもまた自分で決めた道なので吐露しても仕方が無い。今の彼女はNationalGeographicの記事を完成させる記者サラ・マクブライトとしてここにいる。同室の仲間である真央も元谷奏多(もとたにかなた)としてサラの現地アシスタントを演じる。潜入するのに馬鹿正直な人間はいない。
今回の記事は『九州 あらゆる視点』だ。中国の領土にして日本らしさが色濃く残るこの地域を、訪れる様々な外国人の視点から見ていくものだ。実際に発行される次号で掲載される。最初のターゲットはフランスの海軍将校......そうジェラール本人である。中国海軍主催の国際観閲式が三日後に長崎で行われる。フランスを代表して彼が参加することになった。ジェラールは何も偽らずにインタビューに応じ、長崎に向かえばそれで何の問題も無い。多少は話の帳尻を会わせる必要はあるが。ちなみに、この記事に暗号を忍ばせて任務の状況や成果を伝えることも可能だ。仮想敵国に入り込むためにワーウィック長官達が工面してくれたのだろう。
荷物を広げ適当な服装に着替えた後、忘れずにルームキーをズボンのポケットに入れて324号室のドアをノックした。はいよ、と聞こえガチャリとドアが開いた。
「悪いね、俺の方がまだ準備出来てなかったわ。部屋入って待っててくれない?」
ジェラールの口回りには泡が立っていた。どうやら髭剃りの途中でお邪魔になってしまったようだ。綺麗に掃除されたままの居間、そこで待っていると口元をさっぱりとさせた彼が戻ってきた。
「いやーお見苦しい所を見せて失礼しちゃったな」
「あ、いえ。私達も早く来すぎたので」
「いーのいーの、俺等は行動が早くて当然なんだから。記者にしろ何にしろ」
ジェラールはそういうと壁掛けの水彩画を外し、額縁を開いた。中に小さな薄型の発信器がある。
『我等無事ニ到着セリ』
と簡単なモールス信号を一度送り、そのまま発信器を指で潰して自分のキャリーケースの中に閉まってしまった。これで大阪の本部も全員が無事であることを把握できる。ジェラールは真昼の日光と海が一望できる風景をカーテンで遮断し、ドアの外に「起こさないでください」と書かれた札をかけた。これでルームサービスも清掃員も入ってこない。
「さーて、無事に着いたな。明日からは別行動になるけど、二人はどうする?」
「そうですね、明日には長崎に行くつもりです」
「早いな」
「准尉はどうなさるおつもりで?」
「んー、観閲式の開催が明後日だから明日まで博多に滞在だな。だから二人が先に出ることになる。留守番は俺に任せなさい!」
今回の任務におけるジェラールは言うなれば囮(デコイ)の役割を果たす。彼が公式のイベントで敵勢力含む世界中の注目を集めている合間に、アンと真央でノートの手がかりを探し、そしてそれを知っている可能性のある人物と邂逅することだ。米英日当局からは既に当該人物に連絡が及んでいる。そして当該人物が無事に出国できるまで護衛すること。三人が九州に来たのはこのためである。
「俺は明後日に出て佐賀に行くわ。君等が取材に来るタイミングもここ。一旦、この時点で進捗を話し合おう」
「分かりました。何か私達にできることはありますか?」
「今ン所は何とかなるかな。強いていうなら現地のことよく知っといた方が良い。後はあのターゲットについてもだな。えっと、あの女性」
「キルスティン・シェファーですね」
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