5.Alternative Voynich

〖1914年から1939年の25年間に渡る、アドルフ・ヒトラー氏と思われる人物によって執筆されたもの。現時点で146枚が世界各地で発見されており、他にも少なくとも未発見の数百枚も存在していると推測される。現在連合国未来文書調査班(以下AFDR)では146枚の内37枚を保管し、解読を進めている。内容に関しては後述。〗



報告書の序文には端的にこう記されてあった。まるで悪質な陰謀論の記事だ。地元の大通り、その隅っこにある小さな書店の中で店員にすら忘れ去られたオカルト雑誌にありそうな内容。こんなものを信じる人間などいるのだろうか?例えば高校から繋がりがある、ディズニーランドや繁華街で売っているコスメにしか興味のなさそうなジョッグ(スクールカーストの頂点)は勿論、眉唾物の話題に詳しいナード(ジョッグの対概念)でも一笑で済ましてしまうだろう。アンは子供騙しのような空想の説明をいぶかった。周囲の面々も表情こそ変わっていないが、内心では眉を顰めているに違いない。マークは気にすることなく説明を続けた。



「既に何枚かは解読が終わっている。内容は報告書の67ページから83ページまでに記載してあるので各々見ておくように」



紙面をめくる音だけが響く。



〖最も恐るべき事態が今朝、発覚した。モロッコに駐屯していたドイツ大西洋艦隊がフランスによる奇襲攻撃を喰らい、壊滅的被害を被ったとラジオが発表した。傲慢な軍人共による悲惨な被害の報告と、皇帝陛下による演説が続いた。陛下はあの日と同じことを述べられた。



「朕はいかなる党派の存在も知らぬ。あるのはただドイツ人のみだ」



嗚呼、戦争(Krieg)、戦争(Krieg)、戦争(Krieg)!遂に始まった、いや終わらせる時が来たのだ。私はいても立ってもいられずにウィーンのクビツェクに電話した。彼も先程テレビで見たと言った。私は誇りある勲章に唾を吐きかける真似はできない。〗



「...これは解読された一例だ。本文はドイツ語であるため翻訳は難しいわけではなかったが、内容が不可解なものが多い。」



よく見ると、今読んだページの上には9.1.1939とある。とんとおかしい話だ。この日はポーランドで戦争が始まった日。皇帝はオランダに亡命している。モロッコはドイツのものではないし、奇襲と言えば日本がハワイに仕掛けたあの事件くらいだ。アメリカ人が「恥辱の日」を知らないわけがない。時系列もばらばら。出鱈目な架空戦記。



「ねぇ、これのどこが「未来文書」なの?」



マークはアデライデの指摘に応じた。



「確かに、内容がこれだけだとただの妄想で結論づけられるだろう。しかし、次を見れば君達も薄々気づくはずだ」



円卓の上にひらりと置かれたのは先程と同じテイスト、日記調のものだった。



〖12.4.1917


今日も「あやつ」との会話があった。どうやら私のことをとても気に入っているらしい。何の意味も成さない妄想を一方的に話されても困る。まるでマホメットに啓示を授ける神の気分に浮かれているのではないだろうか?忌々しい!


以下に「あやつ」の下らぬ妄想を書き連ねてみる。私にとっては一文にもならない無価値な行為だが、まぁことが終わればゴシップ系の作家にでもアイデアとして提供してやろう。


・あらゆる物質が生成できる現象の中で最も強大なエネルギーを用いた火。

・プロメテウス?ギリシャ火?どうやらその類いとはまた違うものらしいが。

・火は、一瞬で周囲を焼き尽くし、黒い雨を生み出し、残されたものの理を変える。

・火は、海に挟まれた陸地に巣を張る鷹によりもたらされる。

・鷹の火と同じものを、熊、獅子、鷲も持つ。

・龍と狼も続く。


一体どういうことなのか皆目見当もつかない!〗



「この一枚はほんの例に過ぎないが・・・・・・全てに渡ってこの調子だ。さて、諸君」



マークは一同を鋭く見据えた。



「これが何を指しているか、分かるかね?」



唐突なディベートの始まりだ。マークは必ず自分の意見だけで物事を進めず、無理にでも他人の意見を聞こうとする。アンも何度かその餌食にはなっているので慣れたものだが。少しの沈黙を経て、最初に声を出したのはロバンソンだった。



「・・・そもそも「あやつ」とは誰なのでしょうかね?」


「分からねぇな」


「多分それは分かんないんじゃない?他の所からヒントを探しましょう」


「動物が羅列されていたけど、共通点があるでもなし無視して良いものか」


「海の生き物はいねぇな」


「全てを変えてしまう火、火......」


「原子爆弾」



アンははっと思いついた。そう、全てをねじ曲げる火力。あの兵器なら、それは可能だ。元は戦中、ドイツによる核保有阻止のためにアメリカが先手を打った研究。日本陥落後、英ソ代理戦争の舞台となったイランの都市に初めて落とされた4400キログラムは世界を驚嘆させた。人間は地獄に行かずとも迎えさせることが可能になったのである。



「・・・そういうことだ。これが答えだ」



マークは机上のラジオの電源を付け、ダイヤルを回した。ノイズ音の中から少しずつ明瞭に、流暢なニュースキャスターの声が聞こえてきた。このスピーカーの先を通して、世界中に情報を届けているのだ。



『・・・先程入った情報によりますと、スペイン保護領モロッコにて発生した直下型地震の観測が終了したようです。ロンドン当局からの報告です。本日1960年2月12日、ロンドン時間午後13時54分、地下における原子爆弾の実験が行われ、イタリア王国政府は自国による原子爆弾の開発と実用の開始を宣言しました。繰り返します、イタリア王国政府が原子爆弾の保有を宣言しました。鋼鉄協定加盟国内では大ドイツ国に続き、世界で5番目の核保有国が生まれたのです。米英政府並びにソ連政府はこれに対し・・・』


沈黙。アデライデの表情は読み取れなかったが、消沈しているのは明らかだった。壁により掛かり俯いている。薄暗い照明の部屋の中で、ぽつんと置かれたラジオだけが淡々と原稿を読んでいる。狼。確かそれは、イタリアの国獣ではなかったか。となると他の動物も頷ける。鷹(アメリカ)、熊(ソヴィエト)、獅子(英国)、鷲(ドイツ)。いずれは龍(中華民国)も火(核)を保有するだろう。



「・・・我々AFDRは事前にこのことをCIAから提供して貰っている。そこから編み出された情報から本日の決行を予想できた。これを偶然と断定できるかね?」



マークの言葉は断固としたものだった。



「これはほんの一部だ。残り百数十も同じように何かしらの予言、いや預言か。まぁどちらにせよ、精神障害者の言葉と一蹴するのは軽率」


「しかし長官サン、この訳のわからん歴史はどう説明する」


「ジェラール君、検討はつかないかね」


「そらな。そもそも俺達はあの時(第一次世界大戦)敗けてないからな」


「私も検討がつかん」



ジェラールは面食らった。



「そこは史学のプロに頼むしかあるまい」


「おいおい、そんなんじゃ困るぜ。俺はアビジャンにいる同志達に吉報を持ち帰るために来たんだ、これだげじゃ信用はできないな」


「成程、それでは君達は祖国があの様のままで良いということかね」



足を組んで座っていたジェラールが立ち上がり、マークの前を塞ぐように対峙した。



「そう言い切れる程のことなんだろうな?」


「そうでもないのにわざわざ呼ぶと思うか?」



ふとしたことで燃え上がりそうな雰囲気を止めたのはロバンソンだった。



「ま、まぁお二方、落ち着いて。今我々で争う訳にはいかぬでしょう」



トーンの高い声で遮られた二人はそれぞれの席に戻った。教授はため息を溢し、顔を伝う冷や汗を拭き取ろうとハンカチを取り出した。


それにしても、奇っ怪な話に巻き込まれたものである。

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