4.Knights of the Round Table

そう言うと、右手に当たる人物がゆっくりと立ち上がった。桂清美だ。それ程年老いているようには見えないが、まるで老人ホームで暮らす腰を痛めた老人のようだ。



「えー、皆様初めまして。私が「ひかり」副機関長、桂清美です。どうぞよろしく」


「彼は君達の日本滞在に関する支援を担って貰う。何か生活に困ったことがあれば彼に頼るように」



早乙女が言い終わると、彼女の左手の人物が立った。すらりと背筋を伸ばし、直立不動の様。まるで女王を護るバッキンガム宮殿の赤い衛兵だ。似たようなものだろうか、ここにいる彼はカーキ色で身を包んでいる。英国陸軍の代表として威厳のある佇まい。



「紳士淑女の皆様、お初にお目にかかります。私、英国陸軍よりチームに参加させていただきます、マーク・クーパー中将です。連合国未来文書調査班の班長・・・・・・司令官としての役割を担うことになりました。以後お見知りおきを」



しかし、アン・アームストロングがこの場の末席にいる事実はマークにとっては不意を突かれるに違いない。実のところ、ワーウィック長官とマークは互いに旧知の仲で、米英共同の調査では必ず意見を交わし、顔を合わせ、時にパブで呑んだくれている。アン自身も何回か世話になったのであった。いつも通り、一人で優雅に紅茶を嗜む姿だったため、この会議室に入った瞬間に彼がいることに気がついた。アンからしてみれば彼は本来の所属であるMI6の名を代表して参ずると考えていたため、彼の自己紹介を通してハッと気づかされた。


確かに私達はチームだ。しかし、あくまでも共通の目的を達成するために手を組んだ関係性に過ぎない。最後には祖国の利益となるために、背信や離脱も十分に有り得る。信頼できる人間は己と祖国からの伝達のみ。言うなれば、ここにいるのは皆ジャック・オー・ランタンの集まり。ランプ代わりにくり抜いて火を点すためのカボチャもカブも持ってないけど。自国のためにどんな嘘でも身や発言に塗り固めるし、時には要点を隠し、公にしても問題ない本当のことだけ伝え相手を出し抜く。「嘘はついてないじゃないか」と自らを正当化しながら。アンは胸中ため息を吐いた。マークも彼女が来ているのは知っているのだろう、それでも「いつも通り」なのだから、マーク・クーパーその人が如何に手練れであるかを再認識させられる。



マークが一糸乱れずに静かに座った後も、紹介は続いた。マークの隣にいた、広い額が特徴的な人物だ。顔をハンカチで拭いている。



「えー、マサチューセッツ大学より来ましたロバンソン・シモンです。生まれはトゥールネ、ベルギーの西の方です。専門は東洋史となります、よろしく」



赤毛の女性は、愛想の良いトーンで簡単に済ませた。机の周りには色々と、何かしらの部品が散らばっていた。ロバンソンが顔をしかめそっぽを向いた。



「アデライデ・アンツォフェルモです。イタリアからアメリカに移住しましたので、生まれはイタリアですが国籍としてはアメリカ人となります。よろしくお願いします」



さて、いよいよ自分の出番だ。



「この度CIAより派遣されました、エージェントのアン・アームストロングです。よろしくお願いします」



素性は敢えて偽らなかった。この場においては正直に出た方が良いと決めた。無論、この場だけだが。何せ半年、下手すれば数年間この日本で共にすることになるのだから、余計な衝突の種は蒔きたくはない。寧ろある程度の信頼を得た方が色々とやりやすくなるだろう。結局、信頼に勝るものはないのだから。



「同じくCIAより派遣されました。カルモと呼んでください」



瞑想に耽っているように見えた色黒の青年はどうやら同業者、それどころか同僚のようだ。機密性の高い職業柄、「仕事仲間の〇〇さん」なんてものは中々発生しないし、いたとしても任務遂行のための一時的協力関係に過ぎない。



「えー、フランス海軍准尉、ジェラール・ステヴナン。生まれはパリ、43歳。よろしく」



こうも明け透けだと返って不審に感じられる可能性もあるが、この軍人はそんなことを気に止めるような人物ではないように見えた。鬱蒼とした目の隈、蓄えた口髭と対照的に快活な話し方、そしてニカッとした微笑み方は、地元で朝早くから力を発揮する漁師達を彷彿とさせた。プロヴァンスの漁師もこの男のように体躯も声も大きいのだろうか。



「・・・仲山真央」



今朝自分が殺されかけたあの少女は、ざっくばらんに斬り捨てるように自己紹介を終えた。これ以上は近寄るな、関わるなという静かな威嚇。群れず、助けを求めない一匹狼。彼女の右目を抉るように大きく裂かれた傷跡が目に焼き付いた。恐らくあの閉じられた右目は使い物にはならないのだろう。一体、彼女に何があったのか?


しかし、英国、ベルギー、フランス、イタリア。彼等彼女等は皆あの暗黒大陸・・・・・・欧州の生まれだ。特にロバンソン教授とジェラール准尉にとっては切実な問題なのであろう。あの大陸は英国を除けばほとんどの国がナチス・ドイツとソヴィエト連邦の支配下に置かれているのだから。中立国は少なく、息苦しさで呼吸が絶え絶えになりながらも何とか生存している。モスクワとベルリンは互いに火花を散らしつつも、各国が「誤った判断」を降すことがないように暴力をちらつかせながら監視を続けている。かつては対等な同盟国であったイタリアはドイツ国防軍の脅威を感じ取り追従の姿勢を取ることで何とか独立国としての体裁を保つことはできているが、ベルギーやフランスといった諸国は完全にナチの傀儡となり、反対する人々、「生きるに値しない存在」と烙印を押された人々は皆根無し草となった。フランス人にとってはギニア湾に沿う地域に根ざす自由フランス軍が頼みの綱だが、ベルギーは完全にオランダとフランス(これは西アフリカではなくペタンの後継者達)に分割された。英国は唯一の自由民主主義国として何度目か分からない孤立状態を維持している。東欧はソ連の社会主義帝国を形成する衛星国ばかり。かつて世界を思うがままに弄んできた欧州は、今や世界で最も自由からほど遠い場所となった。ずっと自由を謳い、実際にある程度の自由と機会のある生活を送ってきたアンにとっては知識でしか欧州の現状を理解できない。



「・・・それでは、早速本題に移りたい。諸君、配付された資料を見て欲しい」



早乙女は凜とした声のまま続けた。指示された資料は、ホチキスで留められた何十ページに及ぶ冊子状として各人の席に配布されている。表紙には英語、日本語、フランス語で「連合国未来文書調査班第一資料」と記され、チームを象徴する鷹と松明をかたどったようなマークが誇らしげに印刷されている。アメリカの国章に似ているが顰蹙は買わないのか、と少し疑問を抱きつつ中をざっと繰っていく。見たことのない写真、文字ばかりのページ、そして補足情報としての地図と年表。まるで大学で受けたような考古学の授業だ。退屈なものだったが。



「まずは我々の目的を確認しよう。シンプルなものだ。我々の任務は「未来文書」を確保すること、それのみ」


「未来文書?」


「・・・俄には想像もつかないようだな、准尉」



早乙女は姿勢を正し、一同を見渡した。



「あぁ・・・・・・まぁ」


「そう思うのは当然、本来であればこんなものは存在すらも疑わしい。何よりこの世にあって良いものではないからな・・・・・・クーパー中将、お願いします」



分かりました、とマークが立ち上がった。手に持っていた大きな紙を白板の上に伸ばし、マグネットで固定した。そこには何かが書かれた数枚の紙を映した写真、そして誰もが知っているあの男を映した顔の写真もあった。


大ドイツ国初代総統、アドルフ・ヒトラーその人である。写真の中の男は、戦場で伝令として勤めていた時期の凡庸な顔つきだったが、誰もが彼であることを悟ることができた。


マークは大きく咳払いした後、胸ポケットから指示棒を出しながら説明を始めた。



「「未来文書」、通称「ヒトラー・ノート」は、並行世界に生存する青年アドルフ・ヒトラーによって綴られた日記と思われる文書の総称である」

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