3.Start

「本来は今夜の召集で話す予定だからね、この場で喋っちゃうのはあまり良くないんだけどね」


「私達「ひかり」は、君もご存知の通り日本国直属の諜報機関。世間一般には日本のあれこれを宣伝する国営メディアをアピールしてる」


「今回は君達CIAに協力させていただく運びとなった。改めてよろしく」



桂が差し出した右手は見た目と比べ柔らかかった。同時に、アンは長年の悪癖をまたもや繰り返した。思考を回し日米共同の真意を掘り当てようとしている。つい物思いに耽ってしまうのは就職する前は考えられなかったが。軍事的協力?それとも、国際的陰謀?まさか、ソ連が東日本と共に西側に攻めてくるとか。最近、東日本と同じく社会主義に染まっている朝鮮半島にミサイル発射基地が建設されているニュースを見かけた。それか、中国。中国の統治が敷かれている九州からぞろぞろと攻めてくるとか。かつてのハーンの帝国がそうしてきたように。イコール、第三次世界大戦。



「ま、堅苦しい話は後にしよう。日本に来たのは初めて?」


「はい、初めて来ました。活気に溢れていて飽きません」 


「はは、確かにそうだ。ここ大阪は眠らない街だ。アメリカ程豊かでもないから君には物足りなく見えるかな、とは思ったけど、そう言ってくれるなら国民として光栄だな」


「いえ、少なくともウチよりも健康な生活は確実に送れます」


「一理あるかも」



変に口が滑ってでもしたら何もかもおじゃんだ。アンは出来るだけ侮辱にならないように、しかし無機質に思われないように返答の一字一音すらも気を配った。



「君のあれこれについては既にワーウィック長官から聞いてるよ」



桂は大型の茶封筒を引き出しから取り出し、中にある数枚を彼女に見せた。年齢、履歴云々、後は取り直したいと願って止まない顔写真も貼り付けられている。何分フラッシュによって視界が遮られるなどといった咄嗟の衝撃が本能的に受け付けないのだ。おかげで酷い面になった。周囲は気にすることはないと慰めてくれたが。



「勤務地として日本を所望、か」



桂と目が合った。



「他にも色々と候補地はあっただろうけど、どうして?」



『運命作戦』に配属された職員は、その目的を知らされることは遅く、質問も控えるようにされていたが、勤務地は何故か選べるようになっていた。本来は達せられるがままに世界あちこちを飛び回るのだが、その意図は分からない。



「...日本を選んだ理由、」



日本の他にも、聞いたことのないような地域まで候補は多くあった。どれも訳ありの、日常が少しおかしい国々だ。環境や文化の差異こそあれ、大してやることは変わらない。だが、アン・アームストロングは日本を選んだ。


浮かび上がったのは、去り際の彼女。いつも見せる微笑み。



「何で、でしょうね」


「会いに来た、と、思います」



己の感情を返事とするには不透明だが、どうしてか宙に浮いてしまった。



「成程ね...」



桂はそれ以上は追及しなかった。



「英語以外で話せる言語は?」


「あ、すみません...」


「それはちょっと不味いかもしれんね。何せメンバーのほとんどがアメリカ人じゃないから......あぁ、そこまでは聞いてないかな。今回参加するのはウチとアメリカだけじゃないんでね」



さて、夜が更けた。雲が星空を覆い尽くしている。アンはあれから一度ホテルに戻り、支度を済ませチェックアウトを済ませ、早々にこの喫茶店に戻ってきた。成程、「LUCE」の看板はとても分かりやすい。イタリア語で「光」ときている。ここまで露骨ならば他国の同業者も疑うことはないという判断か。今度は朝と違い、堂々と玄関口から入り、適当な席を探す。二階構造の造りは全て木製のアンティーク調で統一された装飾で彩られている。「余裕のある人間は靴も整える」とはよく言ったもので、桂が如何にこの店舗に注力しているのかがひしひしと伝わってくる。


二階席、窓側に座る。この階には他の客はおらず自分だけの空間だったが、それでも清潔感が行き届いている。恐らく、自分達のためだけの空間なのだろう。ショーウィンドウほどではないがそれなりに大きいサイズの窓ガラスには白字の「LUCE」がプリントされており、内側からは反転して逆向きになっている。そこからの景色は眠らずに明るさを保つ水都の宝石がありありと見える。一階のカウンターからやってきた従業員が注文を尋ねてきた。朝にご馳走になったあのコーヒー、あの苦みの中にある仄かに甘い玉露をもう一度味わいたかったが、今は息を抜いている場合ではない。



「夕立の中で味わったキリマンジャロ一つ」



英国人女流作家、キルスティン・シェファーの代表作『傘の中の恋』からの一節だ。例の事前に通達された合言葉である。この一節を選んだのはワーウィック長官が手を焼いている三人の子供達、二人目の長女がこの恋愛小説をいたく気に入っていたからだそうだ。少なくとも、キルスティンは西側諸国において文学界の天下を握っている。



「承りました」



店員は奥に戻った。短針の音に耳を傾けつつ少し待つと、一個の鍵を持ってきて渡された。無機質な角張った形状と金属の冷たさが手のひらから広がる。



「あちらの扉からお願いします」



店員がかざした手の先には木製のドアがあった。木の茶色とニスによる光沢はこの店の雰囲気に沿った高級感と荘厳さを引き立たせている。ドアノブの鍵穴に鍵を差し、右に回す。体が異様にギクシャクしているようで、強張ったまま入室する。鍵を持つ手がどっと塗れていた。昨日のような悠々とした時間を送ることはできないのだ。昨日までは来日観光客を装った初心者の潜入員だった。だが、今からは違う。この瞬間から、アン・アームストロングは失敗の許されない盤上の駒になったのだ。



「…さて、これで全員揃ったな」



どうやら自分はチームを待たせていたらしい。「連合国未来文書調査班(Allied Future Documents Research Team、AFDR)」の活動は今日この日から始まるのだ。


#


円卓に沿って皆が座っている。一人は瞑想でもしているのか目を瞑ったまま微動だにしない青年、他にも何か小さな箱型のものを弄くっている人、談笑している男達。見るからに一癖も二癖もあるような面々である。当然、早朝に自分に襲いかかったあの少女・・・・・・仲山真央の姿もあった。卓上を上から見た円の頂点、丁度上り坂と下り坂の境目の席には、桂、そして見知らぬ外国人とまた別の日本人女性がいる。三人とも眉一つ動かさずに資料と向き合っている。一体何が記されているのか、内容は全て自分達にも教えられるのだろうか。


ぽっかりと、まるで塗り忘れられた白いキャンバスのように空いている席に座った。そもそもとしてここまで奥行きのある部屋が隠されているとは予想だにしていなかったため、まるで場違いではないかと少しそわそわしてしまった。隣にいる人間はあの小さな箱に夢中の人間だ。さっきから何を触っているのか、その箱はどれ程硬いのか、そしてその人物に興味が移ってしまった。何でも興味に従って目移りしてしまうのは仕事としては褒められた態度ではないが。



「これ、気になる?」



相手は眼鏡越しにアンに呼びかけた。手に持っていた箱に取り付けられてあったゼンマイを回すと、微かながら音楽が流れ始めた。確か、カルメンであったか。勇猛果敢なるオーケストラもこうして聞くと雀のさえずりのよう。



「トーレンスが製造した古いのをちょっと弄くってみたの。音が気に入らなくて。オルゴールの音は軽やかな方が良いでしょ?聞こえにくいかもしれないけど・・・・・・貴女、こういうの興味あるの?」


「ごめんなさい、そうでもなくて。少し気になってしまったの」


「あら、そうなの」



故郷の夕暮れを思い起こさせるような赤毛を揺らし、彼女ははにかんだ。


部屋の中央にいたスーツ姿の女性が立ち上がった。皺一つない赤のスーツからその鷹のように鋭い目つき、そして金髪。同郷の人間だろうか?それに、彼女の全てを圧倒するような声が織りなす英語はネイティブのものだ。日本人によくあるLとRの発音の間違い(と言っても然程気になるわけでもないが)もない。



「諸君、そろそろ始めよう。まずは遠路はるばるご苦労、よく来てくれた。私が「ひかり」を統括する早乙女弘美だ、よろしく」



手短な挨拶。やはり見た目そっくりのかっちりとした仕事人間だ。それにしても日本人だったとは。



「君達は今よりチームとしての行動を求められている。そのことを忘れないように。まずは簡単に自己紹介をして貰おうか。私から見て右手の御仁から」

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