ゆかり

@Allan_kimagure

短編

 この話では、普段私が行っている喫茶店での話をしようかと思う。

 あれは…、確か、5年ぐらい前だった気がする。当時、私は売れない作家で、日銭を稼ぐので精一杯だった頃だ。その日は日曜日でアルバイトが休みだったので、小説のネタを探しに、外に出かけていた。

 外を出て、のんびりと散歩していると、桜の花びらが散っていた。道路は桜の花びらで覆われ、普段の無機質な黒色のアスファルトが薄紅色の道路へと変色していた。

 やや、これはまた風情だなと趣深く感じるも、同時に切なさに襲われる。アルバイトなどの日々に忙しくて、以前楽しんでいた桜も、今ではほとんど散ってしまってから、その開花に気づく。

 私はもう季節の変化にも気づかなくなったか。私は社会に飲まれていく中で、情緒が薄れていく自分を悔やみ、指を咥えているしかなかった。

 私はそう思うと、どっと疲れ、近くの公園のベンチへと座る。そして、胸の中に溜め込んでいた不安や葛藤、悔しさをまるで吐き出すかのように、深い、深い溜息をつく。

 「はぁー…。」

 溜息をつくが、どうもすっきりしない。まだ喉に何かが引っかかっているようだった。それは、まるで魚の小骨が喉に引っかかったようで、気持ち悪い。

 私はそうして浮かない表情で、公園のベンチで座っていると、公園にいる女性たちが俺をジッと見ながら、ひそひそと話をしている。その女性たちは、幼い子どもを連れており、子どもを遊具で遊ばせているため、おそらく子どもの母親なのだろう。きっと、公園で変質者が子どもを狙っているとでも思っているのだろうか。

 私は、その軽蔑されたような視線で見られることがいたたまれなくなり、公園を足早に去っていった。公園を出る際に、その母親たちに向かって些細な復讐をするかのように、小さく舌打ちをする。

 だが、彼女たちは、俺の舌打ちを聞き、より一層、軽蔑した目で見てくる。

 しかし、今のは自分でも、不審者だったなと思ってしまった。

 とにかく、俺はどこか休憩する場所が欲しくて、ぶらぶらと散歩していた。

 すると、住宅街の中に、一軒のこぢんまりとした喫茶店が建っていた。

その喫茶店の外壁は白と黒茶で塗られており、いかにも喫茶店というようなお洒落な見た目をしていた。上には、「ゆかり」という少々寂れた看板が掛かっていた。だが、それも味があった。

その喫茶店からは、コーヒーのかぐわしい香りとスイーツの甘い香りが漂わせ、店外まで漏れ出ていた。そして、その香りに釣られ、まるで花の蜜の匂いに誘われた蜂のように、一人、また一人と喫茶店に誘われていった。

 俺もその妖艶な香りに連れられ、その喫茶店の中へと入っていった。

 入口の扉の内側には、来客を知らせるベルが付いており、カランカランとベルの音が店内に響き渡る。

 「いらっしゃいませ。」

 喫茶店の中には、一人のおじいさんがコーヒーカップを洗っていた。そのおじいさんは白シャツに赤いネクタイ、黒いベストを着ていた。髪は白く、少し生えている髭も白い。だが、無精髭というわけではなく、見た目や佇まいに品があった。もし、喫茶店のマスターという言葉があるならば、彼が適任と言わざるを得ない。

 「お好きな席へどうぞ。」

 マスターにそう言われ、私は端っこのテーブル席に座る。すると、マスターは私の座った席に、メニュー表とグラスに注がれた水を置く。氷水が注がれたグラスには、水滴が滴っており、氷が少し溶け、カランと音が鳴る。私はグラスを手に取り、口へと注ぐ。なんでこう喫茶店の水はこんなにもおいしく感じるのだろうか。

 私はメニュー表を開き、コーヒーの種類を見る。だが、タンザニアやエチオピアなどよくわからない暗号が書かれていたので、私はとりあえずメニューにおすすめと書かれているブレンドコーヒーを選ぶ。

 「えっと、とりあえずブレンドで。」

とまるでコーヒー通かのように、気取った感じに注文する。

 「かしこまりました。」

 マスターは注文を受け付け、メニュー表を下げる。そして、ブレンドのコーヒー豆を、挽いてくれる機械に入れる。

 機械はガガガと音を立てながら、コーヒー豆を挽く。

 なんだ、機械なのか。手で挽くのかと思った。私は勝手にがっかりする。

 そして、再び、カランカランと扉に付いているベルが鳴る。その音と同時に扉が開き、一人のおじさんが扉からひょこっと顔を覗かせる。

 「いらっしゃいませ。」

とマスターが挨拶すると、

 「こんにちは。」

とおじさんが挨拶する。

そして、おじさんは真っ直ぐ私の隣のテーブル席に座りにくる。

 私は他にも席が空いているのに、なんでこっちに来るんだと不審に思ったが、

 そのおじさんが、

 「いつもの。」

と言うと、

 「かしこまりました。」

とマスターは承知する。そして、マスターは何やらコーヒー豆を用意する。

 そのやり取りで、このおじさんが常連なのだと伺える。多分、席もいつもこの席なのだろう。

 私はボーっと店内を見ていると、テーブルにコトッと静かにカップが置かれる。そのカップには透き通ったコーヒーが注がれていた。あまりの透き通る美しさに、宝石を連想させられる。もし、私が新しい黒い宝石を発見したら、「ブレンドコーヒー」と名付けよう。いや、それはかなりダサいな。

 私は自分のネーミングセンスのダサさに落胆しつつ、コーヒーカップを手に取る。そして、美しい黒い宝石を口に注ぐ。口に宝石が広がっていくと、私は目をかっぴらく。

 なんだこれ、おいしい。全然嫌な苦みが無い。これなら何杯でもいけそうだった。

 私がぐびぐびとコーヒーを飲んでいると、

 「あんた、見かけない顔だね。ここは初めてかい?」

とおじさんが、いきなり私に尋ねてきた。

 あまりにいきなりだったので、私は飲んでいたコーヒーを喉に詰まらせる。

 「ゲホゲホ!」

 「だ、大丈夫か、兄ちゃん?」

 そのおじさんは咳込む私を心配そうに見る。だが、これはお前のせいだ、というように、私はおじさんをギロリと睨みつける。

 だが、そのおじさんは鈍感なのか、その睨みに気づいていない。最近のゲームでいうなら、この敵には「睨みつける」攻撃が効かなかったようだ。

 私は諦めて、

 「ええ、大丈夫です。」

と低い声で返事をする。

 そのことを聞き、おじさんは、

 「おお、そうかい。それで、ここは初めてなのかい?」

とまた同じことを尋ねてきた。

 私は、おじさんの執拗さに根負けし、

 「…え、ええ、そうです。」

と答える。

 一応質問に答えたが、私はいきなり知らない人を信用するほど馬鹿じゃない。私は数センチほど距離を取る。

 だが、おじさんはものともせず、私に話しかけ続ける。

 「そうか。ここはいいとこだろ。落ち着いていて、とても安らぐ。」

 それは同感だ。私は、「はい」と相槌を打つと、おじさんが聞いても無いのに、この喫茶店について語る。

 「ここはな、様々な出会いや別れがあるんだ。」

 私は出会いや別れという言葉を聞き、少し興味が出る。小説には、出会いや別れがつきものだからだ。

 「へえ、例えば、どんなものがあるんですか?」

 私がそう尋ねると、

 「そうだなぁ。」

とおじさんは顎に手を当て、何かを思い出そうとしている。

 なんだ明確ではないのか、と私は呆れる。

 すると、カランカランと再度扉のベルが鳴る。扉が開くと、二人の若い男女が入ってきた。

 「こ、ここにしよっか。」

 「うん。」

 二人は少々よそよそしく店に入り、一つの席に座る。マスターはその席に水とメニュー表を置く。

 男女はメニュー表を開き、

 「ど、どれにしようかな。」

と迷っている。

 そして、数分迷ったのち、

 「す、すみません。」

とマスターを呼ぶ。

 「はい。」

 マスターは返事をし、注文を受け付ける。

 そして、若い男が、

 「エスプレッソで!」

と、まるで若い女に聞こえるように、わざと大きく言う。

 「はい。エスプレッソですね。そちらのお客様は?」

 マスターがそう尋ねると、

 「私はココアで。」

と若い女が答える。

 「かしこまりました。」

 マスターはそう言うと、エスプレッソなどを作り始める。

 私が若い男女を見て、デートしたてなのかなと思うと、おじさんがコソコソと耳打ちをしてきた。

 「ほら、例えば、ああいう若い二人の出会いもやっぱり喫茶店で始まるんだよ。」

と年甲斐もなく言ってくる。何が始まるんだよ、だ。お前は一体何歳なんだと言いたくなってしまう。

 そして、おじさんのところと若い彼らの方に飲み物が届くと、若い男はエスプレッソを見るなり、少し驚いた表情をしている。

今の彼の気持ちを当ててやろう。あれは、多分、こんなに小さくてこの値段なの!?という表情に違いない。なにせ、エスプレッソはまるでおままごとで使うような小さいカップなのに、とても値段が高い。

 それに…。

 若い男がエスプレッソをちびっと少し飲むと、眉を顰め、若干しかめっ面になってしまう。

 私は、やはりなと思うと、ニヤニヤしてしまう。エスプレッソは苦い。特に、コーヒーに慣れていなければ、なおさらだ。

きっと彼は彼女に見栄を張りたくて、頼んだのだろう。そして、誓うだろう、もう二度と頼まないと。

 だが、それもまた甘酸っぱい青春なのだ。私は再びコーヒーに口をつけると、コーヒーが先ほどより酸味が強くなったような気がした。

 その酸味が私の青春を思い出させる。私も初デートの時は、緊張していた。気取って、喫茶店に入り、エスプレッソを頼んだもんだ。そして、値段の高さと苦さを実感し、もう二度と飲まないことを誓ったんだ。

 そう、あの青年は私だ。過去の私だった。

 それがいつの間にか、心が揺れることが少なくなっていた。年を取った、いや、年老いたに近い。そう思うと、口の中に苦みを感じてきた。

 私は残りのコーヒーをぐびぐびと一気に飲み込み、そして苦みを洗い流すように、水で苦みを奥へと流す。そうして、私は喫茶店を後にした。

 私はそのまま直進で家に帰り、小説を書こうと手を進める。しかし、書けば書くほど、書いた内容が空虚のように思えて、手が止まってしまった。今日はあまり気が乗らなかったので、また後日書くことにした。

 三日後、私は再びあの喫茶店に出向いていた。一昨日と昨日はバイトをしていた。しかし、その間、なぜかあの喫茶店が頭から離れなかった。そうしているうちに、バイトが終わり、今日へと日にちが変わっていた。バイトが無いから何しようと外へ出ると、知らず知らずのうちに、あの喫茶店の前に立っていた。やはり私は蜂のような虫なのかもしれない。甘い香りに誘われて、本能で来てしまっていた。

 私はそのまま店に入ると、おなじみのベルが鳴る。

 「いらっしゃいませ。」

 私は先日と同じ席に座る。マスターは水とメニュー表を持ってきた。だが、私はメニュー表を開かずに、

 「ブレンドコーヒーで。」

と先日と同じものを頼む。

 「かしこまりました。」

 マスターは注文を受け、ブレンドコーヒーを作り始める。そして、しばらく経つと、この間のと全く同じブレンドコーヒーが提供される。

 私はコーヒーを手に取り、さっそく口をつけると、この間のと同じコーヒーで安心する。だが、この間のような甘酸っぱさは無い。

 すると、カランカランとベルが再度鳴る。

 もしかして、あいつか、と思い、恐る恐る扉の方を見ると、あのおじさんではなかった。年老いたおばあさんだった。

 私はホッとよく分からない安心感を感じる。

 店に入ったおばあさんはヨボヨボとゆっくり歩いて、席にゆっくり着く。マスターはいつものように水とメニュー表を席に置くと、おばあさんは若干震えた手でメニュー表を手に取る。

 おいおい、ちゃんとメニュー見れるのか、と私は心配そうに見つめるが、

 「モカを二つ。」

とおばあさんは微かな声で注文する。

 私は思わず、二つ!?と不思議に思う。おばあさん一人しかいないのに、なぜ?と疑問ばかりが私の頭を占領する。

 だが、マスターは不思議に思わず、

 「かしこまりました。」

と注文を当たり前のように受ける。

 そして、数分の後、マスターはモカを二つ作り、おばあさんの席に提供する。だが、さらに不思議なのが、おばあさんの近くとその向かいの椅子の付近にそれぞれコーヒーを置く。

 「…ありがとね。」

 おばあさんはか細い声でお礼を言い、

 「ほら、おじいさんも飲んで。」

と向かいの空っぽの椅子に向かって言う。

 その仕草で私は悟る。おばあさんは認知症なのだと。だが、マスターはそれを分かったうえで、コーヒーを二つ提供しているんだ。きっとモカもその「おじいさん」が生きていたころ、よく二人で飲んでいたのだろう。

 そんなおばあさんを見ていると、私は段々切なく思えてきた。認知症になってまで、おじいさんとの思い出である喫茶店で、いつも飲んでいたコーヒーを頼む。いや、認知症だからこそ、おじいさんの死を理解できていなくて、余計に切なかった。そして、それを本人が自覚できていないのが、さらに切なさを増幅させた。

 私は涙が出そうになり、目元をコーヒーカップで隠すように、ぐいっとコーヒーを飲みこむ。すると、コーヒーは先ほどより若干塩味と苦みが増していた。私は先日同様、最後に水で口の中の苦みなどを洗い流す。

 そして、私はそそくさと店を出る。店を出たとき、視界がぼやけたのは多分気のせいだろう。私は家に着くと、筆が徐々に進み始めてきた。なぜだか、頭が冴えていた。でも、まだ何か足りない気がした。私の頭にはあの喫茶店が常にちらついていた。

 数日後、私はバイトが無い日になると、再びあの喫茶店に出向いていた。そして、店に入ると、再び同じブレンドコーヒーを頼んでいたのだった。

 私はまたベルが鳴らないかとソワソワしていた。そして、カランカランとベルが鳴り、扉の方を向くと、あの初日のおじさんだった。私は非常にがっかりした。なんだお前かよと。そして、相変わらず、おじさんは話しかけてきた。

 「お、また、来ているの?やっぱりこの喫茶店のコーヒーにはまったんだね。」

とニヤニヤしてくる。非常に不愉快だ。お前が淹れたコーヒーでもないくせに。

 私は、はぁと溜息をつくと、カランカランとベルが鳴る。そのベルの音に反応し、扉の方を見ると、一人の少女が店に入ってきた。丸眼鏡を掛け、髪を三つ編みで結っていた。彼女をいい言葉で表すなら、文学少女。悪い言葉なら、途轍もなくダサい。

 彼女は端の席に座り、マスターは水とメニュー表を机に置く。彼女は律儀にぺこりと軽くお辞儀をする。そして、メニュー表をしばらく見ると、注文をするため、手を挙げる。

 マスターはすかさず彼女の許に向かう。そして、彼女は、

 「カフェモカ。」

とただ一言だけ呟く。

 「かしこまりました。」

 マスターはそう言い、カフェモカを作り始める。

 彼女はマスターが作り始めたのを見届けると、ポケットからスマホを取り出し、何やらジッと画面を見つめる。私は何を見ているのか気になり、トイレに行く素振りを見せかけ、チラッと彼女のスマホの画面を見る。

 すると、彼女の画面には、彼女自身と薄い茶色の犬が写っていた。

 彼女はその犬の頭を撫でるように、スマホの画面をスッと優しく触る。

 彼女はさらに、スマホをスワイプしていくと、どんどん違う写真が流れていく。そして、どれもその犬の写真だった。しかし、スマホをスワイプしていくにしたがって、犬が年老いていった。

 「お待たせいたしました。」

 マスターがカフェモカを彼女の机に置く。

 私はきょどったようにそそくさと、彼女の許を離れる。

 「ありがとうございます。」

 彼女はお礼を言い、カフェモカに手を付ける。そして、再度、スマホの画面をジッと見る。

 私はペットを大事にしているんだな、と感心していると、突然、彼女はぐすりとすすり泣き始める。そして、か細い声で、

 「…モカ。」

と彼女は呟く。

 その言葉で、私は彼女に何が起きたのかを悟った。きっと先ほどの写真の犬が亡くなったのだ。きっとカフェモカのような色だから、名前がモカというのだろう。

 私は再びコーヒーに口をつけると、苦みが増していた。その苦みで私は、昔の記憶を思い出す。私も昔、犬を飼っていた。名前は色が茶色だったので、チョコと名付けていた。だが、そのチョコも老衰で亡くなってしまった。チョコが亡くなってからは、しばらく学校に行けなかった。また新しいペットを飼うかと親に聞かれたが、そんな気にはなれなかった。チョコの思い出は代替できない。

 そんな苦い思い出も私にはあったのか、と実感してきた。そうだ、私も昔は色んな事に悲しみ、喜び、驚いていた。だが、いつの間にか、一々感情を動かしては疲れるため、感情を動かすのを止めるようになっていた。その方が楽だからだ。

 「私には眩しすぎるな。」

 そう思っていたら、言葉に出ていた。しかし、それを偶然耳にしていたマスターは、

 「まだ諦めるには早いですよ。」

とボソッと伝えてきた。

 私はなぜかその言葉で救われた気がした。そして、もう少しだけ頑張ってみようかなと思えてきた。

 このブレンドコーヒーは色んな顔を持っている。それは、まるで悲しい顔、緊張している顔、怒っている顔などのように、このコーヒーは生きていて、感情を持っていた。

 そう、このコーヒーはお客さんとの出会いや別れで、味を変化させていた。

 その多角的な刺激が、私を魅了させ、この喫茶店に通わせ続けたのだ。いや、違うな。私だけではない。様々な人を惹きつけたのだ。

 人の数ほど出会いがある。出会いがあるほど、コーヒーの味がある。

 私はこのコーヒーを、この本を読んでいるあなた方にも飲んでもらいたい。もし、興味を抱いた方は、この喫茶店に出向くといい。

 さあ、あなたはどんな出会いを見せてくれるのかな。

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