理想じゃない貴方へ

@Allan_kimagure

短編


 21XX年、世間を騒がせるようなとある物質がアメリカで発見された。

 ある脳科学者が脳に影響を与える物質を研究していたところ、動物の性格そのものを変えるガスが発見された。

 そのガスをネズミに吸わせたところ、仲間のネズミと意思疎通をし、集団をまとめ上げるというリーダーシップを発揮した。そのガスはネズミ以外の動物にも実験したところ、他の動物の間でも同じ現象が見られ、言語を介さないコミュニケーションや関わりが見受けられたという。

 人間にも治験実験を繰り返したところ、動物と同じ傾向が見られ、このガスは動物の性格をよりよくするものとして注目された。そして、そのガスは動物をリニューアルrenewalするという意味で、RNガスと名付けられた。

 そして、最近では、このRNガスを使ったビジネスが登場してきた。

 密室でそのガスを吸えば、自分の性格を、いわゆる理想とされる、明るく爽やかで人当たりの良く賢い性格に変えることができる。

 そんなうたい文句を掲げ、アメリカの数店舗では既にRNガスの吸引が実装された。

 そして、今日、日本でも徐々にRNガスの吸引が実装されようとしていた。



 「恵美―!もう朝よ、起きなさい!」

 母の声が階段を上り、二階にある私の部屋までたどり着く。

 その母の声で一応は起きたが、まだ私の瞼と脳が「まだ眠いから起きないでくれ」と私に訴えてくるので、私は眠っているふりをすることにした。

 正直、結局困るのは自分だってわかっているはずなのだが、この寝起きの時だけは、どうしても学校を後回しにしてでも眠りたいと思ってしまう。

 だが、母がそうはさせない。私がまだ眠っていると思っているのか、はたまた眠っているふりをしているのを分かっているのかは定かではないが、再び私の名前を呼ぶ。今度はさっきより大きめの声で。

 「恵美!!起きなさい!!」

 「…はーい。」

 私は起きたことを知らせるため、というより、母のうるさい声をもう聞きたくないため、無理に返事をした。

 朝に大声は鼓膜に響く。しかも、起きないと、ずっと鳴り止まない。まるで、スヌーズ付きのアラームだ。いや、起きないと機嫌を損ねないだけ、まだアラームの方がマシだ。

 私は眠い目を擦り、半ば寝ぼけたまま階段を下りて、リビングへと向かう。

 「ほら、朝ごはん用意したから、食べちゃいなさい。」

「はーい。」

 母は朝ごはんを用意したといったが、別に大層なものではない。ジャムを塗ったトーストに目玉焼き、ただそれだけだ。しかも、毎朝、全部それだ。正直飽きているが、以前、「飽きた」と言ったら、小一時間ほど怒られた。

 どうして母親という生き物は、小さなことですぐ子どもを怒るのだろうか。私はその母親の横暴さに納得がいかず、度々、溜息が出そうになる。

 でも、母親全員がそうなら、私にもそういう時が来るのかもしれない。そう思うと、余計に溜息が出た。

 私はいつもと同じ朝食を、向こうの付いているテレビを見ながらゆっくり食べる。

 日本は相変わらず平和で、殺人事件などの重たいニュースを報道したかと思えば、もうネタに尽きたのか、カルガモ親子が地域の人に見守られながら、横断歩道を歩いている。そうして、綺麗な女性アナウンサーがいくつもニュースを報道していると、気になるニュースが私の耳に届く。

 「次のニュースです。今日、日本でもとうとうRNガスが吸引できる店舗が新宿にできました。しかし、このRNガスのビジネス化について、意見が賛否両論となっております。政治家の間でも意見が分かれ、国会において話し合いが行われております。」

 RNガスとは、生物の性格を変えることができるというガスで、自分を変えたい、自分に自信が無い若者の間で流行しているものだ。そのせいか、最近のSNSでは、RNガスが人気急上昇のトピックとして挙げられている。

 正直、私は元々、ニュース自体はそこまで興味ない。だって、自分とは関係のない遠い地での事件なんて結局は他人事でしかない。でも、SNSをよく見る私にとって、RNガスは私にとっても、関心のあるニュースだった。

 それゆえに、私は食い入るように、RNガスのニュースを見ていると、

 「ほら、恵美。早くご飯食べちゃいなさい。」

と母に注意される。

 「うん、わかっている。」

 しかし、私は母に注意されるも、テレビに夢中で、手の動きを速めない。ゆっくりと朝ごはんを口に運び、ゆっくりと咀嚼する。

 「んもう、全然わかってないんだから。」

 母は、注意しても一向に直す気のない私に呆れ果てる。

 だが、私にも言い分はある。

 父も私と同様に、ながらご飯をしていた。父は必ず朝食中にテレビでニュースを確認していた。

それなのに、母は父には注意せず、私にだけ注意するのだった。それが私は納得いかなかった。

 「んもう、わかったよ。」

 私は母の小言が面倒で、残りのトーストを口に無理やりかきこみ、そのまま学校に行く準備をする。

 私は学校に行く準備を済ませると、

 「行ってきます。」

と言い、家を出る。

 そして、私は学校までいつもの通り道を歩く。学校までの道、近所の人、近隣のお店、全部が見慣れたものだった。別に知り合いではないけど、登校中によく見かける人が見慣れた環境に同化され、知り合いではないけど知り合いという変な関係性が出来上がっていた。

 すると、突然、誰かが私の背中を軽くポンと叩いてきた。

 だが、私はその正体が誰だか分かっていたので、慌てることはなかった。

 「おはよう、恵美。」

 私は後ろを振り返ると、そこには友達の梨花がいた。

 「あ、おはよう、梨花。」

 私は梨花に挨拶を返す。

 「恵美、そういえば、昨日のあの番組見た?あの俳優がさ…。」

 梨花はいつも見ているテレビ番組の話を切り出す。

 そこからは、二人で他愛もない話を延々とした。学校であったこと、SNSでのこと、最近流行っているイケメンの芸能人など、数えたらキリがない。

 まあ、結局は友達とだったら、どんな話題でも盛り上がるのだろう。

 そうして、梨花と話していたら、あっという間に学校の正門に付いていた。

 正門付近には一人か二人学校の先生がいて、生徒皆に挨拶をしていた。

 「おはよう。」

 「…おはようございます。」

 私や梨花も先生に挨拶をされたので、挨拶し返す。

 正直、めんどい。一々挨拶を返さなきゃいけないため、できることならこの正門からの道を避けて行きたい。でも、昇降口まではここから行くしかないため、仕方なく挨拶をするしかなかった。

 私たちはこの挨拶の道を通って、昇降口に着き、外靴から中靴へと履き替える。その中靴へと履き替えると、自分たちの教室まで梨花と今日の授業を確認した。

 「今日、体育あったよね?」

 「うん、あるよ。」

 「先生、今日、何やるって言ってたっけ?」

 「今日は確かマラソンって言っていた気がする。」

 梨花の口からマラソンという言葉が聞こえると、私は途轍もなく苦い食べ物を食べたような顔になる。

 「うへぇ、最悪。」

 「だよね。」

 梨花もマラソンが嫌いなようで、同じように嫌そうな顔をする。というより、マラソンを好きな人なんかいるのだろうかとさえ思えてくる。

 そうして、向こうに自分たちの教室が見えてくると、教室前の廊下に派手な髪色をしたグループがたむろっている。

 嫌だなぁ。ああいう人たちは苦手だ。ああいう人種は、個性や自由を悪さと履き違えている。それがとっても気に食わない。でも、私にはそう主張できる勇気も力もないので、ただ心の中で呟くことしかできなかった。

 私がそう思っていると、

 「よお!」

といわゆる陽キャグループが、急にこちらに声をかけてくる。

 一瞬、え、私!?と戸惑ってしまったが、彼らの次の言葉でそれは勘違いだったとわかる。

 「木村!」

 彼らは、私たちの少し後ろを歩いていた木村君へ声をかけていた。

 「…ど、ども。」

 木村君は声が小さく、きょどった言い方で返事をする。

 その返事を聞いて、陽キャどもは頬を少し膨らませて、プッと笑って噴き出す。

 「キモラって本当、話し方きもいよな。」

 「わかる!わかる!」

 彼らはわざと木村君に聞こえるくらいの声量でそう言う。

 木村君は話すのがどうやら不得意のようで、話し方がどうしてもきょどったような感じになってしまうそのせいで、あだ名が木村からキモイという意味を込めて、キモラと付けられてしまっている。

 元々、人と話すのに顔を赤くしてしまう木村君は、陽キャどもに笑われ、余計に顔を赤くする。彼はズボンの端をぎゅっと掴み、顔が下に俯いていた。

 私はその彼の姿を見て、少し気の毒に思った。

 「恵美、何しているの?授業始まるよ。」

 梨花はもう少しで授業が始まることもあり、足早に教室に入ろうとしていた。

 「うん、今行くー!」

 私はそう返事をし、彼の恥ずかしがる姿を見ても、声をかけずに、教室へと走り去ってしまったのだった。



 平日のつまらない学校が終わり、土日に入ると、私は両親と駅前に買い物に来ていた。

 この街はまあまあ田舎で、家の周囲にはコンビニやドラッグストア、さびれたスーパーぐらいしか無いため、わざわざ駅前のショッピングモールまで来て、食材や生活雑貨などを見に来ていた。

 私はというと、食材や雑貨とかは特に興味ないので、適当にぶらぶら探索していた。探索といっても、もう見慣れたショッピングモールなので、文字通り、時間潰しで数店舗を見て回るだけだ。

 はぁ、親はまだかな、と退屈そうに見て回っていると、駅のすぐそばで見覚えのある後ろ姿を見かける。

 その後ろ姿は、そこまで背が低くないのに、やや猫背のせいで低く見える。そして、周りを不審そうにキョロキョロと見回していた。木村君だ。

 木村君も何か駅前に用事があったのかな。

 私はそう思ったが、木村君は駅前のショッピングモールというより、駅の改札の方へと向かっていた。

 この街は田舎のくせに、一丁前に東京に一本で行ける。でも、それは東京へ気軽に遊びに行けるので、割と助かる。まあ、それしかメリットがないのだが。

 私はショッピングモールに置いてある時計を見ると、そろそろ両親が買い物を終えて、集合場所に来る頃だと気づく。

「やべ、もうそろそろ親が来る頃だ。早く戻らないと。」

 私は少し早歩きで集合場所へと向かう。駅の改札へと向かう木村君など気にも留めずに。

 そして、私は両親と合流し、そのまま家に帰った。

 そうして、土日は買い物以外、SNSや友達との電話で時間が流れていき、いつものつまらない平日に戻った。

 私はいつもと同じ道で登校し、いつもと同じように梨花と合流して学校に向かった。何も変わらない日常。でも、今日はたった一つだけ、でもとても大きなことが変わっていた。

 いつも通り、自分たちの教室へと向かっていると、

 「よお!木村!」

と相変わらず陽キャグループが木村君に挨拶をすると、

 「おはよう!」

と軽快な挨拶が返ってきた。

 「え?」

 陽キャどもは一瞬戸惑いを見せるが、木村君の陽気な話し方に好感を持ち、

 「どうした木村!今日めっちゃいいじゃん!」

と木村君の背中をバシっと叩いて褒める。

 すると、木村君は頬をポリポリと搔き、

 「いやぁ、今までの話し方良くないなと思ってね…。」

と照れくさそうに言う。

 皆が笑い、木村君も一緒になって笑う。

 木村君はそれからも陽キャどもだけでなく、色んなクラスメイトと楽しそうに話し、時には冗談を言って場を和ませていた。

 そこには、私の知っている木村君はもはやいなかった。

 木村君は自分を変えたのではない。自分を殺してしまったのだ。今同じ教室で同じ席に座って、同じ名前と見た目の彼は木村君ではない。ただの同姓同名の別の誰かだった。

 きっと木村君はあの日、あの駅から新宿まで行って、RNガスを吸ってきたのだろう。

 彼がその店舗に行くまでどんな気持ちだったか私にはわからない。新しい自分に生まれ変われることへの期待なのか、それとも今までの自分が消えることへの恐怖なのか。

 それでも、彼がそういった感情を抱きながら、わざわざ東京まで行ったのは、とても切なく感じた。

 もし、もし、過去に戻れるなら、私は理想じゃない木村君に言いたい。そのままの貴方でいいと。

 でも、私は改めて考え直す。私は意気地がないから、きっと過去に戻っても、伝えられないかもしれない。

 私は自分自身への不甲斐なさと悔しさから、スカートの端をぎゅっと掴んだ。

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