佐々山 1

 突然だが、私は死者の霊が視える。

 四歳頃には、既にこの世のものではない存在を認知し、死者と生者の区別もついていた。

 霊の中には思わず吹き出してしまう程に強烈な外見の亡霊や、つい声をかけてしまう可愛らしさの浮遊霊なんかもいたので、周囲からは気味悪がられる事も多く、私には友達がいなかった。


 二目惚れという言葉があるのかは知らないけれど、そんな体験をしたのは四ヶ月程前のことで、相手は幼い頃に友達ができない私と唯一親しく遊んでくれた杏野君だった。幼くして諦めこそ我が人生なのだと悟り、中学高校と諦めの壁を作り人と接する事を避けてきた、そんな私の目の前に、杏野君は実にいきなり、再び現れた。

 彼は少しも変わっていないように見えた。けれど、確か読書嫌いだったはずなのに、再開は移動図書館の本棚の前だった。聞けば、親戚の子の為に来たのだという……それを聞くついでに、わざわざ恋人の有無まで確認する自分自身にはかなり驚いた。彼を公園に誘う度胸にも。

 こんな事をする自分は初めてだった。人に飲み物を奢ってあげたのも初めてだ。

 他愛のない話をした。それがやたらと楽しかった。

 ふと、彼との物理的な距離を詰めようとしている自分に気がつく。自分の周りに壁があるのなら、その中に彼も入れてしまいたいと、そう思っていたのかもしれない。

 蝉の鳴き声が止んだ刹那、公園の入り口付近に、犬を連れた老女の霊を見つけた。そこで、自分が夢見心地に片足を浸していた事に気がつく。こうやって一緒に居ても、その内ボロが出て不気味に思われるかもしれない。非現実的なものを見て現実に引き戻されるなんて、なんて皮肉なんだ。

「私のことどう思ってた?」

 発作的に、思った事をそのまま口にしてしまい、後悔する。私は何の為に誰の為に何を言っているんだろう。お前達のせいだと、何も悪くない犬と老女の霊に冷めた目線を送る。

 でも……

 ひとしきり噎せた彼からの返事には、何の脚色もなされていない響きがあり、そのくせ、

「大人っぽくなったなーって」

 追撃にはまるで、『可愛いよ』と言われているような甘美な柔らかさがあった。

 久しぶりに笑えてる……心からそう思えた私は、なんの躊躇いもなく彼の連絡先を聞くことができた。

 それからの日々。

 残暑に燻されながら捲った頁も。

 開いた本に舞い落ちた楓も。

 肌寒さを凌ぐ為にごちそうし合った温かい紅茶も。

 隣に彼が居るだけで、たかが季節の巡りにすら、こんなに心が弾むなんて思ってもみなかった。



 先日、彼が死んだ。

 通り魔に立ち向かうような勇敢さを持っていたなんて知らなかった。私と一緒じゃない時にも一人でこの公園に居たなんて知らなかった。彼が死んだことすら、すぐには知らなかった。

 私は彼のことを何も知りもせずに好意を抱いていたんだなと、そんな事も思った。

 何かを諦めるのには慣れている。けれど、こんなに泣いてしまう自分の扱いには慣れていなかった。私は私自身のことすらも、あまり知らなかったのだと、そう気が付いた。

 泣くだけ泣いてから、公園へと行く決意をした。

 彼との思い出をなぞり、自身を慰め、そして慣れ親しんだ諦観を抱くのだ……そんな思いが心に満ちていた。それ以外に別の心情はない。私はそういう人間に仕上がったのだ。そう考えていた。

 けれど。

 公園へと近づくごとに……踏み締めた足の振動が『諦め』を揺らし、崩す。

 特異な体質のせいで何かを諦めるのに慣れていた私が、特異な体質のお陰で何かに期待する日が来るなんて。

 死者が見える……そんな状況に感謝する日が来るとは、本当に思ってもみなかった。

 果たして、彼はベンチに居た。

 地縛霊だぁっ!……今まで口にしたことのないそんな歓声をぐっと喉元で抑え込み、表情が崩れないように集中する。

 何か思い残す事があって彼は此処に居るのだろうか? そうだとするなら、期待することがもう一つ。

 彼に貸したあの本の終盤を思い出していた。

 死んでてもいい。彼の口から好きだという言葉を聞きたくなってしまった。聞きたくて聞きたくて、それだけは諦めきれないと思った。

 彼が座るベンチに近づく。しゃがみ、供えられた花束を眺める。

 どんな顔でどんな風に接すればいいの。視えてはいるが言葉が通じ合う確証は無い。今までだって言葉の通じない霊はたくさんいた。そう考えると怖くなった。諦めが心中にちらつく。

 彼の顔を直視出来ず、私はただ黙って彼の隣に座った。

 何かを誤魔化すように本を読む。

 頁を捲る。

 すると……

 ああ。

 いつもと同じだな。

 そう思えた。


「佐々山……俺」

 不意に、彼の声が聞こえた。

 私を呼ぶ声音がいつもと違うのは、彼が勇気を振り絞ってくれているからなのだろうかと、そう感じたが、

「す……す」

 通り魔に飛び掛かる勇気と愛を語る度胸は、案外共存が難しいのかもしれないと、そうも思った。

 でも。

 お願い。

 言って。

 嫌だ。

 怖い。

 だって、もしも。

 それを言った途端に彼が消えてしまったら。

 でも。

 好きだと、聞きたい。

「凄い高そうなシャンプーの匂いするよなっ」

 私は……吹き出しそうになるのを必死に堪えた。予想外すぎるのに彼らしい言葉。どうにか笑いを堪えようとするが、堪えると余計に面白く、体が震え涙まで出てきた。限界だった。

 その直後。

「ずっと……ここ最近ずっと、笑った顔が可愛いなって、思ってた。だから泣くなよ」

 好きとは言われなかった。

 けれど期待以上の温かさが胸にじんわりと灯る。そして、その温かさは懐かしさまでもを胸に染み渡らせた。

 小学一年か二年の頃。誰にも視えないものを見つめる私の横顔。それは誰もが不気味に思う横顔。


『ボーっとしてるお前の顔、なんか可愛いな』


 彼はそう言った。そう言ってくれたのだ。

 そして、今日。

 笑った顔まで褒めてくれるのね。


 今日から私は諦めが悪くなる。

 彼が、「好きだ」と言うまで、何回でもベンチに座り、何度も知らんぷりをして。

「私も好き」そんな返事が出来るまで、何年でも待ち続けよう。


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待機霊 安達亮 @rigger

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