杏野 6
佐々山が少しずつ近づいてくる。その姿を見ていると、胸が締め付けられるような気がした。死んでいるので、あくまで気がしただけだが。
俺の座るベンチの前にたどり着いた幼馴染は、しゃがみ込み、先程の家族が置いて行った花束をジッと見つめていた。
立ち上がった佐々山は、何か考えているような顔で突っ立っていたのだが、やがてベンチに腰をかけた。俺のすぐ隣に。相変わらず距離が近い。俺の姿は見えていないので測りようがないだろうが。
ホットレモンティーを一口飲むと佐々山は、次に鞄から分厚い小説を取り出して読み始めた。時折吹く風が、髪とマフラーと頁をはためかせ、その度に彼女は少し震えるのだが、俺は寒さを感じないし、こんなに近くにいるのに、死んでいるからなのか、いつもの良い香りが鼻腔を擽ることもなかった。
ひどく切なくなった。
でも……
しばらく並んで座っていると、なんだかいつもと同じだな……そう思えた。そう思うことにした。
俺も続きを読む事にした。読み終えてしまうとする事が無くなり……なんだかそれが少し怖くて、読破を躊躇っていた文庫本の残りの頁を。
二時間は経っただろうか。クライマックス間近ということもあって、隣の佐々山に気を使うこともなく一気に読み終えてしまった。感動の涙を浮かべる事は無かったが、ほんの少しの達成感が胸にじわりと広がっていた。小説ってこういうものだったんだな。
しかし。
俺は佐々山の横顔に目を向けた。
達成感を味わうのはまだ少し早いと、ちゃんと理解しているつもりだ。
物語の最終幕にて男は意を決して主人公に胸の内を熱く吐露していた。初めてまともに読んだ小説の登場人物が……まだ付き合いの浅い架空の男が、俺に勢いをつけてくれた。
息を吸い、浅く吐く。口を開く。
「佐々山……俺」
死んでいるからなのか、緊張で手や脚が震えることは無かった。しかし、
「あー、えーと」
震えはしないだけで、緊張自体は全身をしっかり支配していた。伝わらないし聞こえないと分かっているのに、なぜ言えないんだ! 犯人に飛び掛った勇気はどうしたんだ!
告白して気が済んでしまったら、俺は消え失せてしまうのだろうか。そんな漠然とした恐怖が全くないといえば嘘にはなる。けど。
「す……すす」
いけ! 言え!
「すごい高そうなシャンプーの匂いするよな佐々山って」
なんだそりゃ!
駄目だ。馬鹿は死んでも治らないって言葉を聞いた事があるが、それまで体言するとは思ってもみなかった。
寒さが限界にきたのか、佐々山は小刻みに体を震わせながら、本を閉じ、公園の入り口の方を見つめていた。
「あっ……」
思わず声が漏れる。佐々山は泣いていた。
いつもは微笑を形作る為にゆとりを持たせた唇は真一文字に結ばれ、目から涙が一雫、零れていた。
「ずっと……ここ最近ずっと、笑った顔が可愛いなって思ってた。だから泣くなよ」
自然と放たれた俺の言葉は、誰の耳にも届かない。
公園の出口の方から、ワウワウと犬の鳴き声が聞こえた。気を取られている間に彼女は立ち上がっていた。その横顔が、なぜだろう、可愛いではなく綺麗だと思ってしまう。
一度ベンチを離れかけた佐々山は、ふと立ち止まって振り向くと、鞄から読みかけていた分厚い本を取り出し、花束の隣に供えるように置き、何か呟くと公園の出口へと駆けて行く。
結局好きだとは言えなかった。
でも泣いてくれて嬉しかった。
立ち去る前に何と呟いたのかは聞こえなかったが、『また来るね』と言ってくれたのだと信じて、俺はこれからも幼馴染を待つことにした。
暇つぶしに分厚い小説読みながら。
次こそは好きだと言おう……そう思いながらも口に出せない内は、ずっとこのベンチに居られるのかもしれない。
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