(2)

 長い廊下を一つの足音が駆けていく。城内に人の気配はなく、執事の足音だけが鳴り響く。彼女は全感覚を研ぎ澄まし、周囲の気配を探りながら、慎重にかつ迅速に書斎へと向かう。


 少年を背負っているにも関わらず、一切の疲労を伺わせない執事の端麗な顔立ちには、誰もが見惚れてしまうこと間違いないだろう。


「ぼっちゃま、まもなく到着です!」

「うん!」


 笑顔で大きく頷く少年に執事は少し微笑む。


「騎士のみんなももうすぐ来るかな?」

「ええ……」

「?」

「――彼らを信じましょう!」


 執事は答えをはぐらかす。少年も薄々感じたのだろうか? 後ろを振り向いては、少し暗い顔をする。彼のその様子を感じ取った彼女は、チクリと胸を痛ませた。


 *


 ――書斎。


 赤く染まった月光が、明かりの灯っていない部屋に陰りを帯びながら侵食していく。床には、窓の影と重なって映る二つの人影。装飾の施された白色の長椅子に身を寄せ合うように座り、不安な顔つきを見せるその二人は、少年の実の両親である。


「あの子、大丈夫かしら」

「大丈夫さ。彼女が無事に連れて来ると言っていただろう?」


 そうね、と少しだけ笑みを見せる妻の顔を見ては、ただ抱き寄せることしかできない夫。彼自身もまた『どうか……』と願うように少しだけ手に力を込めていた。


 また、少し不甲斐なさも感じていた。それも本来ならとして騎士たちを引き連れ、として先陣を切って戦うのが彼の務め。しかし、団員たちに必死に説得された為、今こうして妻と共に書斎で隠れながら、息子の安否を祈ることしか出来ないでいた。


 しかし、それも束の間。書斎の扉が静かに音を立て開かれると、その隙間から二つの影がぬっと伸びる。


 微かな物音に即座に反応した二人は、長椅子の陰に隠れながら警戒態勢を取りつつ、音のした方へと目を向ける。ところが、ゆっくり開かれた扉から入ってきたのは、少年と手を繋いだ執事であった。


 少年の母は二人の姿を見るや否や、勢いよく立ち上がり早足で駆けて行く。そして、二人に勢いよく飛びつくと、執事の身体を力強く抱きしめた。


「無事で……よかった」

「奥様っ……おっ……折れ……る」


 目を潤ませ、華奢な身体からとは思えない腕力で力一杯抱きつく少年の母と、目尻に涙を浮かばせながら必死に耐え、今にも昇天してしまいそうな執事。


 いつの間にか抜けだしていた少年は、母の背中をつんつんとつつく。それに気付いた彼女は、はっとした顔で腕の力を弱めた。途端、執事は床へとへたり込んでしまう。


 その様子を笑みを浮かべながら見ていた父は、二人のもとへゆっくり近付いていく。


「無事でよかった」

「うん! 父様と母様も!」


 満面の笑みを浮かべる息子の頭を髪が乱れるほど撫で回す父は、床にへたり込んでいる執事の頭も優しく撫でてやる。


「我が息子をよくここまで連れて来てくれた」

「いえ……これも執事の務めです旦那様」


 少年と同じように頭を撫でられた執事は、少し照れたのか頬を赤く染める。その様子を見ていた母は『私の時と態度が違うじゃない』と言い少し頬を膨らませ拗ねてみせる。だが彼女らは互いに顔を見合わせると、まるで少女のように笑い合った。


「……さて、現在の状況を教えてくれるか?」

「かしこまりました旦那様」


 執事は、地図を取り出すと駒を置きながら順に今の戦況を丁寧に説明を始める。ガレント竜国には騎士の駒を、その周りを囲むように獣の形をした駒を魔族とし其れを幾つか置くと、魔法を使って動かしていく。


 次々と壊れていく両者の駒。最初は騎士が圧勝していたものの、だんだん時間が経つにつれて、互角へ持ち込まれ、遂には騎士陣営が劣勢へと追いやられていく。


 最後には、この国の半分まで魔族たちに侵略されていた。


「……と言ったところです」

「これは、本当なのか?」

「説明不足でしょうか?」

「いや十分だ」


 父の眉間には、皺が寄っている。頭の中では解決策を模索しているが、必死に絞り出した案は二つ。一つは、死を覚悟して戦うこと。もう一つは、今すぐ城から脱出することである。


 数分ほど悩んでいたが、父は妻と息子の顔を一瞥すると『考える余地もないか』と、より生存率が高い方を選び決断を下した。


「それでは、参りましょう」


 執事は、ゆっくり書斎の扉を開けると、顔を出し左右に伸びた廊下を確認する。そして、青い瞳を閉じて全感覚を研ぎ澄ませ周囲の気配を探っていく。数秒も経たないうちに目を開けると、父の方を向きこくりと頷く。


 そして執事を筆頭に、父・少年・母の順で縦列に並ぶと、急いで城内からの脱出を目指した。

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