願いと祈りの狭間で

青柳ジュウゴ

願いと祈りの狭間で

 

 

 そこは真白い空間だった。

 一番最初の記憶は今いる自室と寸分違わない。私はここで生まれ、今もここにいる。

 静かな場所。

 全てが満たされていて、不自由もない。

 けれどここから出る事だけは禁じられていた。

「あなたさまは世界の中心、護るべき女神。あなたさまがここに居られる事で世界は安定を保っているのです」

 告げられた言葉。

 その意味が、今も理解できないままでいる。

 

 × × ×


「お前、いつもこんな所に一人ぼっちでいるのか?」

 かけられた声色に覚えはまるでなく、いやそれよりも自分に話しかけてくる者も殆どいないので反応が遅れる。

 ぼんやりと外を眺めていた時だった。

 出る事を禁じられている以上する事は限られていて、外界での人々の喧騒と言うもの、笑っている人達を見るのが唯一出切る事だった。

 書物はある。煌びやかな装飾品も。

 己が望めば手に入らないものなどはない。ただ、他人との接触が制限されているだけだ。外では飢えて死ぬ者も、寒さのせいで凍え死んでしまう者、くだらない理由で闘い死んでゆく者も沢山いると聞く。それならば今ここにいる自分は幸せなのだろう。

 そんな事をぼんやりと考えていた時、掛けられたのが先刻の言葉。

「耳、聞こえねぇのか?」

 いきなり窓の外に現れた一人の青年は少しむっとしたように言葉を連ねた。

 そんな事はないと言おうとして、だが殆ど使う事のない喉はとっさには動かない。だから首をゆるく振ってみた。

 それに満足したのか、そうか、と言って青年は笑った。

「……あなたは、」

「ん?」

 言葉。

 酷く久しぶりに出したような気がする。

 ずっと一人でいるわけではなく、日に何度か部屋を訪れてくる者はいるが彼らと言葉を交わす事はあまりなかった。――今思い出してみて、そうだったのだと、改めて気付く。

「……あなたは、どうしてここに? ここは殆ど人が来ないのに」

 声は掠れていなかっただろうか。自信がない。

 訪れる者達は感情をあまり外に出さない。快活に笑う彼が眩しく映り、少し目を細めて問うが彼はそんな事わけねェと、答えになっていない答えを笑いながら返してきた。

「お前いつもここから外を見てただろ」

 だが彼はこちらの反応などまるで気にしていないらしい、ふい、とこちらから視線を外した。

 そうして腕を広げる。

 ……他人との接触がないと言う事は酷く注意力を散漫にさせるものらしい、そこで初めて彼の肌はうっすらと日に焼け褐色に染まっていたことに気付く。割とがっしりとしていて、白く細い自分の腕が酷く青白く見えた。

「いっつも寂しそうにさ。退屈だろ、外に出て来いよ」

 人懐っこい笑みで、にかっと笑う。

 そうして差し伸べられた腕。思わずその手を取りそうになるが思い留まる。

「どうしたよ」

 不思議そうに見つめてくる瞳。

 無邪気なその顔。

 自分と同じくらいの年であろうというのに、その表情はどこまでも純粋で子供のようだった。

「でも……私は、ここから出てはならないと……」

 何故か、彼の顔が見れなくて背けてしまう。

 伸ばしかけた手はぎゅっと胸の前で握ってしまった。

 その事が気に入らなかったのか、向けられてくる彼の視線が、酷く痛いものへと変わる。冷めた目だと容易くわかった。

「する事もねぇのに?」

「……」

 答えられない。

「ふん、ならいいさ。勝手にしなっ!」

 つまらなさそうに言い捨てると、彼はあっという間にその場から走り去ってしまっていた。

 また、自分は一人になっていた。

 

 

 

 その日も自分は一人部屋の中にいた。

 寝台の上にぽふんと寝っ転がり、昨日会った彼の顔を思い出す。

 一晩明かした後だと言うのに、彼の表情、仕草をはっきりと覚えている自分が不思議だった。印象的、言葉にするならそんな感じだ。ここは静かであまりに白い。そしてここにいる者達は皆、彼に比べてあまりに感情が希薄だ。

「退屈そうだな」

 突然かけられた言葉。昨日と同様に窓から。

 思わず飛び起きしてしまう、そんなこちらの様子を見て彼はげらげらと豪快に笑った。

「よう、相変わらずつまんねぇツラしてんだな」

「あなたは、昨日の」

 窓の桟のところに両腕と顎を乗せ、こちらを覗き込んでいたのは昨日の彼。

「お前知らないだろうけど、俺ずっとお前の事見てたんだぜ?」

 ぼんやりと外を見てるだけのお前をさ。

 何をするでもなくぼうっとしていた自分を見られていたのかと思うと少し恥ずかしかった。

 

 ――恥ずかしい?

 

 そんな感情があるのだと言う事自体知らなかった。

「話、してってもいいか?」

 くしゃっとくずれる彼の表情、笑顔。

 意識しないまま、自分はこくりと頷いていた。

 

 

 

 それから、彼はよく自分の元を訪れるようになった。

 俺達は立ち入り禁止だから、ここまで来るのはなかなか大変なんだと言っていた彼の顔はけれどとても生き生きとしていた。

 そんな彼の表情を見るのが楽しく、また彼が話すのは自分の知らない世界の事ばかりだった。

 会った事もない人達の話。

 少し血生臭い話。

 見た事もない動物達の話。

 外の世界の話。

 どれもこれも知らない事ばかり。

 彼が楽しそうに話す様子も見ていて飽きなかった。

「外、出たいんだろ?」

 時折ぽつりと、零すように問いかけられる言葉。

 けれどやはり答えられない。

 ここからは出られない。――出てはならない。

 世界の為に。

 全ての均衡を保つために。

 でも、本当は、私は――

 答えはいつもそこで止まる。

 自分が何をしたいのか。

 自分の事なのに一向につかめない。そもそもそんな感情など持った事もなかったのだと今更気付く。

「私は……」

 どうしたいのか、解らなかった。

 

 

 

 満たされた部屋。

 何もしなくても全て回りにある。

 望んだものは瞬時にその場に現われる。

 自分の思い通りにならないものは殆どなかった。ただ、楽しそうにする彼らを外から眺める事だけ。そこへ自ら入り込む事が許されていないだけ。

 幸せなのだろう。きっと。

 眺めるだけしか出来ない『彼ら』の生活は決して楽ではない。

 裕福な、と呼ばれる生活をしているのはほんの一握りだけだ。住む場所もなくて凍えている彼らを何度目にしただろう。

 だからきっと、自分は幸せ。

 けれどそれは何か自分が求めているものとは違うような気がする。

 思い上がっているかもしれない。それでも自分に出来る事があるのなら何かしてあげたい。

 苦しむ彼らを見る事しか出来ない自分が歯がゆくて、情けなくて、泣いて頼んだ事があった。

 彼らを護りたい。彼らを救いたい。

 不幸になるだけの理由が無いのに、苦しんでいる彼らを幸せにしてあげたい。

 傲慢な思いかもしれないけれど、私には力があるのでしょう? 彼らを救う事だって出来るはずでしょう?

 懇願した。

 必死になって、無表情な彼らにすがり付いて懇願したのだ。

 しかし彼らの答えはいつだって同じ。

「確かにあなた様のお力では彼らの運命すら変える事が出来るでしょう。ですがそれは許される事ではありません。あれは無知で愚かです。あなた様の気まぐれで彼らに手を差し伸べればあれはますます手に負えなくなる。いいですか、我らはあれを監視しているのですよ。これ以上愚考を犯さない為に」

 淡々と、語る。

「あなた様は一度あれらに手ひどい裏切りを受けているではありませんか。それなのに何故そこまで御心を砕く必要があるのです。我々にはあなた様が何故泣くのか、その理由が解らない」

 感情がないのではないかと思うほど、彼らは不思議そうに、しかし表情は変わらぬまま語るのだ。

 

 

 

 

 

 その日の事はよく覚えている。

「だめ……ッ駄目です!」

 彼がこちらの腕をいきなり掴んだかと思うと窓の外へと連れ出そうとしたのだ。

 当然のように、自分は抗う。

「外に出てはならないと……私は、」

 口をついて出るのはいつもと同じ言葉。それが面白くなかったのか、小走りでこちらの腕を引っ張る彼の動きは更に速度を増していった。ずっと握られたままでいる腕が、痛い。

「関係ねぇよ」

 ただ一言。

 そう言ったかと思うと彼は再び黙り込み、ぐいぐいとまるで引きずられているような形となる。

 歩く事はあっても走る事などなかった自分にとってそれはかなり疲れる事だった。

 出てはならない。

 けれど、外の世界に興味があった事は確かだ。

 外から見るだけの、介入を許されない世界。見守るだけではなく、彼らと共にありたい。外の世界から見つめるだけではなく、中へ。

 目の前の青年と会って、そう思うようになった。

 一度それを知ってしまえばそれを知らなかった頃には戻れない。遠くから見守るだけでは満足しない。

 見るだけだった世界。

 窓をひとつ超えただけでそれはまるで違って見えた。

 緑、色とりどりの草花。

 名を知るだけで触れる事の出来なかったもの。

 土のにおいと、僅かに肌を焼く日の光。

「どこへ行かれるのです」

 外に出て、一体どれくらいが経ったのだろう。

 ほんの僅かの事だったのだろうが、それは外の世界を知らない自分にとって永遠にも似た時だった。

 それを打ち砕くのは、感情のない声。

 振り返れば思ったとおり数人の無表情にも見える彼らの姿。

 思わず萎縮してしまう。

 そんなこちらを見ても彼らは顔色ひとつ変えなかった。

 ただ淡々と、言葉を紡ぐ。

「あなたさまが外に出れば、あなたさまのその強大な力で世界は均衡を崩すでしょう。ひとつの人種にあなたさまが関心を向ければどうなるか。全ては世界の為、すぐに部屋にお戻りください」

 丁寧な言葉遣い、丁寧な仕草。

 だがそこには彼らが求める答え意外他は認めないと言わんばかりで。

「なんだよそれっ!」

 何度も聞かされてきた言葉。

 仕方がないのだと、諦め部屋に戻ろうとするが今まで黙っていた、自分を外へと連れ出した彼は掴んだままの腕を放そうともせず、寧ろ更に強く握り締めながら怒鳴った。

「世界の為? 世界の為にこいつはこんな所に一人でいろってのか!? ふざけんなよ、こいつの意思はどうなるんだっ!!」

 意思。

 ……私の、意思?

「解らぬか、この方が下界に出ればどうなるか」

「わからねぇよ! こんな寂しい所に一人でいなきゃならない理由なんて!!」

 喚くような彼の言葉。対する彼らは相変わらず無表情に近い。

「お前に理解できるとも思っていない、我らは常に最善の行動をとっている」

「そんなの……ッ」

 けれど彼の言葉は最後まで唇からこぼれ出る事はなかった。

 変わりに吹き出たのは――深紅。

 一瞬の事だった。

 目の前で彼の体がばらばらになる。

 彼の顔が苦痛に歪む、それでも彼をそんな風にした彼らは眉根ひとつ動かさず。

 ……悲鳴が、上がった。

 それが自分の、かすれた衣擦れのような悲鳴だと気付いた時には既に彼は動かなくなっていた。

「お忘れ下さい、あのような者など」

 放心してしまったこちらの腕を取ろうとするが、その腕を自分は払いのけていた。

 ぐったりとして動かない彼の元へ、駆け寄る。

 流れ出る生暖かい、彼の一部。

 初めて自分から触れる、冷たくなってしまった彼だったもの。

 抱きしめ、一滴だけこぼれた涙が彼の血色を失った頬にぽつりと落ちた。

 

 私は彼と共に外の世界に行ってみたかった。

 彼らの生きている様を、見たかった。

 でもそれは許されないから。

 ここから出るという事は、全てを無に帰す事だから。

 

 

 

 世界の安定の為に、

 

 

 

 ――人間の為に。

 

 

 

 私はここから出る事も許されず、ただ見つめる事しか出来ないでいる。

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