第8話 大団円
温泉旅館へは、二泊三日での小旅行であった。一応、名目は研修旅行ということなので、そこでは、どちらかというと、規則正しい生活を行い、精神的な成長を育むというのが目的だった。
ただ、その頃になると、ちあきは、少し精神的にきつい時期に入っていた。
レッスンがきついというわけではない。ただ、身体が非常に重く、普段であれば、ちゃんとできるようなことも、億劫になって動かないのだ。
まるで、汗で服が身体にへばり付いてしまったかのようである。もがけばもがくほど動けないような感覚で、必死になっても、どうしようもなかった。
自分では、原因が分かっていた。
というのは、レッスンを初めて、3カ月ほど経ってからのこと、それまで必死に皆に追いつこうとして、必死だった。
何しろ、オーディションだって、友達が勝手に応募したもの、合格したりしたものだから、柄にもなく、まるで自分の天職のように思ってしまっていたのだ。
しかし、実際には、ダンスも歌も、まったくの素人。他の人たちは、オーディション合格を目指して、それなりにレッスンを重ねてきたわけなので、最初から差はついているのだ。
それを少しでも埋めようと、元々のちあきの負けん気と、誠実さで、かなりの練習を続け、ある程度までは上達したように思えた。
習い事では、ある程度のところまでの成長は、努力さえすれば、できるものである。問題はそこからなのだが、ちあきは、そこまでくると、少し安心したのだった。
安心というか、精神的な余裕ができたというのか、そこまでくると、今度はいろいろなことを考えるようになった。
というのは、
「このまま、アイドルとしてデビューして、売れるかどうかは別にして、アイドルとしての活動が、本当に自分のやりたいことなのだろうか?」
ということであった。
そもそも、シンガーソングライターでやっていきたい。そして、自分の作った曲を歌い続けたいと思っていたはずなのに、
「まずは、アイドルで芸能界の基礎固めをしよう」
と思って、飛び込んだということは、自分でも覚えている。
もちろん、その思いには変わりはないのだが、自分の気持ちの中で、何かが揺れているのがわかった。
「せっかく、かなりの倍率を突破して、オーディションに合格したのだから、まずはアイドルとして頑張る」
という気持ちと、
「いや、今の勢いを追い風にして、強引でもいいが、わがままと思われない程度に、自分のやりたいシンガーソングライターへの道を模索していることを、スタッフにも話しておく方がいいのか?」
という気持ちの揺れ動きであった。
話をしておく程度はいいような気がしたが、それが、まるで言い訳のように思われると、今後、いくら誠意をもって、真面目にレッスンに取り組んだとしても、スタッフの頭の中に、
「こいつは、中途半端な気持ちで、アイドルになろうとしている」
とでも、思われるのは、間違いなく、マイナスである。
そんなことは、分かっているはずであった。それでも、気持ちに余裕が出てくると、つい次のステップに進むことを切に望むという気持ちが強くなり、どうしても、言いたくなるという衝動に駆られるのだった。
アイドルと、シンガーソングライターという、どちらかというと正反対の道の狭間で苦しんでいるのは、まるで、躁鬱状態なのか、二重人格なのかということを感じているかのようだった。
だが、少し怖かったが、一人の信頼できると思える一人のスタッフに相談を持ち掛けた。その人は立場上からか、それとも煩わしいと思ったのか、
「今は、レッスンに集中する時期ではないか?」
と、まあ、当たり前と思えるようなことしか言わなかった。
いや、
「言えなかった」
というべきであろうか。
そう言われてしまうと、まるで、自分が相手を困らせてしまったのではないかという後ろめたい気持ちにもなってきて、とりあえず、
「分かりました。そうします」
としか、言えなかったのだ。
それでも、頭の中に何かしらのモヤモヤがあって、そのことを分かっているのは、その人だけだったのだ。
そんなジレンマの中において、最初は、
「心配してくれているんだな」
と思ったスタッフに対して、時間が経つにつれて、
「きっと、私の相談なんて、すぐに忘れていくんだろうな?」
と思った。
他にも、もっと、自分よりも深刻な悩みを持った人がいて、その人も、相談しているかも知れない。
そう思うと、なんだか、自分だけが悩んでいると思うのは、少し危険な気がしたのだ。
そんなことを考えていると、今回の温泉旅行は、少し不思議な感覚だった。
「ちょうどいい、気分転換になる」
という楽観的な考えと、
「せっかく、温泉に来ているのに、悩みを抱えたままというのは、心から楽しめないということもあって、なんだかもったいない」
という後ろ向きの気持ちであった。
ちあきは、元々、こういう相対的な考えをすることが結構あった。
それが、躁鬱症のような感覚から来るものなのか、それとも、二重人格性から来るものなのか、どちらなのかということを考えるのであった。
この温泉を選んだスタッフは、実はもう一つ、含みを持っていたようだ。
この温泉というのは、以前、アイドルになろうとして、なかなかうまくいかず、悩みながら、傷心の気持ちを持って、ここに辿り着いた一人の女の子がいたという。
その子が、ここで、アイドルになれるかどうか、自問自答を繰り返し、結局、
「アイドルを諦める」
という気持ちになったという伝説の場所であった。
スタッフは、彼女の話を、隠すことなくしたのだが、それを聞いていた皆は、一体どう感じただろう。
その場は一瞬凍り付き、誰も何も話そうとしない。きっと、自分の頭をフル回転させて、いろいろ考えていることだろう。
「私だったら、どうするだろう?」
と考えている。
中には、
「彼女の選択は間違っていない。冷静に考えて、これ以上粘ってもダメだと思ったのなら、その時は、覚悟を決めて、そこでやめるという選択肢だってある」
と考えている人もいるだろう。
さらには、
「せっかく、ここまで頑張ってきたんだから、辞める辞めないは、最期は自分の意思でなければいけない。他人の考えなどは、一切無用で、余計な情報は今の自分にはいらないものだ」
と考えている人も多いだろう。
それが、その人の性格というもので。ただ、それを自覚しなければいけない時期というのは、あるはずだ。それをスタッフは、今のこの時期だと感じたのだろう。
「誰もが、通らなければいけない道」
と考えれば、それはそれで、無理のないことに違いない。
今回の旅行において、別に何かを得ようという大きな目標はない。むしろ、
「自分の気持ちを知る」
という意味で、大きなものとなるだろうというのが、スタッフの考えのようだった。
そんなスタッフの考えからか、この温泉宿は、近くに墓地があったり、神社もあったりする。
ある意味、
「自分を顧みる」
という意味で、このあたりは、実に効果的なのではないかと思っているようだった。
さすがに、墓場には、昼間でも気持ち悪いということで、入ることはないが、近くの神社には、生徒は、一人で各々やってきて、お参りをしているようだ。
皆、一緒だったら、ご利益がないと思っているのだろう。
それだけ、まわりをライバル視している証拠だろうし、こっそり、一人で抜け駆けという気持ちもあるのかも知れない。
どうしても、いくら同僚とはいえ、最期は競争になるのだ。
同じユニットを組むにしても、どうせならセンターがやりたい。そういう意味での競争なのだが、それぞれに個性があるように、適材適所というものが、人の数だけあるというものだ。
もし、センターと言われても、その人がプレッシャーに弱く、いざお披露目の時にでも、パニック障害を起こして、そのまま倒れないとも言えないではないか。
もし、そうなってしまうと、ユニットの存続の問題や、スタッフのコンプライアンス違反があったのではないかと、警察が乗り出してくることにもなりかねない。
本人が再起不能にまで陥ったら、その時は誰が責任を持つというのか。
考えただけでも怖くなってくるというものだ。
ちあきは、別に怖がりでもなく、今回の旅行では、思考がたまに停止してしまうくらいに、本人が考えているよりも、結構深いところで悩んでいるかのようだった。
「感覚がマヒしている」
と言ってもいいかも知れない。
おかげで、この研修旅行の最期に、
「合宿の最期にふさわしい」
ということで、肝試しをするようになった。
二人一組で、墓地の中にあるチェックポイントに置いてある、アイテムを持って帰ってくるという、実にシンプルで、どこにでもある、肝試しであった。
こういう時に性格が出るというもので、
必死になって強気に振る舞っている人もいるが、それがポーズであることは分かり切っていて、一番怯えているのだろうと感じた。
また、まったく寡黙になってしまって、ひところも喋らない。つまり、自分の世界に入り込んでしまった人、
そして、
「心ここにあらず」
と言わんばかりに、まず感覚がマヒしてしまい、魂が、どうすることもできずに、つまりは離れることもできないようになってしまっているのだ。
ちあきは、どれなのだろう?
「たぶん、寡黙になって、何も言わない」
という感じではないだろうか?
それだけ、怖がっているということだ。
「感覚がマヒするというのは、怖くてマヒするものなのか、マヒしてしまうから、怖さが増してくるのだろうか?」
などという。まるで、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
という禅問答のようである、
しかし考えてみると、この、
「タマゴとニワトリ」
であっても、何となく結論が出ているような気がする、
「タマゴが先か」
と言って先にタマゴを出しているではないか。
だから、答えは、タマゴなのである。
つまりは、曖昧なことがあって、ある意味どっちでもいいようなことで悩んでいるとすれば、先に手に取った方が先なのだ。必ず手に取らなければ始まらないものだということが分かっているのだから、そうやって、時には、強引ともいえるやり方で決めてしまわなければいけないのではないだろうか?
それが、ある意味、この研修旅行の目的でもあり、生徒たちに、一つの覚悟を、持ってもらい、それが、これからも節目節目で訪れるということを知ってもらいたいというのが、この研修旅行における、
「目的であり、結論めいたもの」
ではないだろうか?
結論はすべての最期のではない、節目節目での考えに対して、結論というものがあるはずなのだ。
それを分かっていないと、せっかくの機会を見逃してしまうことがある、
そのことを分かっていなければいけないということなのだろうが、今回の旅行でどれだけの人の胸を捉えたというのだろう。
今回の研修旅行での肝試しは、結局、最期中止になった。何やら、
「お化けを見た」
というのがあったからだ。
それも一人が見たというだけではなく数名がいうので、信憑性があった。それを宿の人にいうと、
「やはり」
というではないか。
訊ねてみると、
「その幽霊は、いわゆる地下アイドルの女の子なんだよ、彼女は、ある時、ネットの誹謗中傷で疲れ果て、ここに来たんだぞうだ。別に遺書のなかったので、本気で自殺するつもりはなかったのだろうけど、結局自殺死体として発見されたんだよね。でも、その昔美濃も似たような感じで、人から騙されて亡くなった人がいたので、その幽霊に導かれたのかということになり、この向こうの滝の横に祠を作って、祀っているというわけなんです。でも、別に何か悪さをするわけではないので、ここの温泉旅館は一時期閉鎖していたんだが、わしの代で、再開することになったんです」
というではないか。
どうやら、かなりの誹謗中傷があったようで、
「三年くらい前に、そういえば聞いたことがあった」
とスタッフの一人が、その時のニュースを話してくれた。
話を聞く上で、かなりひどかったようで、自殺も仕方がないというほどだった。
実際に自殺をした人の話を聞いていると、
「私が、今悩んでいるようなことは、それほど大きな問題ではないような気がしてきた」
と感じたのだが、それは、その霊がちあきをここに引き付けるなのかがあったのではないかと、都合よく考えてしまった。
いろいろな節目があるということを、前述していたが、今回はそのうちの一つ。
しかし、
「何か決めなければいけないことを、強引にでも、決めてしまわないといけない時というのが、必ず存在する」
という思いが頭を貫いた。
それが今であり、
「このままアイドル活動も一生懸命にやるが、作曲の勉強もやめることはない。もし、両立が難しいと判断した時、どうするかということは、その時に考える」
というものだった。
しかし、ちあきは、頭の中で一つのことを考えていた。
「後悔はしたくない」
これに尽きると思うと、結論は、おのずと見えているのであった……。
( 完 )
自分の道の葛藤 森本 晃次 @kakku
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