第7話 ジレンマ
人から勧められ、最初はまったくやる気がなかったオーディションだが、審査をパスしていくうちに、いつの間にか、必死になっていく自分がいるのに気が付いた。
一生懸命に、合格を願い、それまで練習してもこなかったダンスや歌も、へたくそならではでこなしてみると、なぜか、とんとん拍子だった。
さすがに最初は、
「小さい頃からアイドルを目指して頑張ってきた人に対して自分のような素人が、勝ち進んでいくのは、失礼かな?」
と思ったが、誰に対して失礼だというのだろう?
もし、他の応募者に対して失礼だというのであれば、他の人の才能が本物で、ずぶの素人の自分が選ばれるはずがないというのであれば、その失礼は、
「審査をしている人」
に対してになってしまうだろう。
「あなたたちは、ずぶの素人の私を選んで、他の上手な人を落とすということで、その目は節穴か?」
といっているようなものである。
それを思うと、
「審査は公平だ」
と考える。
自分が合格するということは、
「自分には、他の人にはない、何かを見つけたからなのかも知れない。自分の知らないところで何かがあるのではないだろうか?」
と考えられるのだ。
そう思うと、それまで、中途半端な気持ちで審査を受けてきたわけではないと自分に言い聞かせ、
「こうなったら、落選した人のためにも、自分が合格し続けたい」
と思ったのだ。
だが、
「落選した人のためにも」
などというのは、自分の言い訳であり、
「落選した人は、落選するなりの理由があった」
と思わないと、結局、審査員に失礼だということになるのだ。
そして、実際に合格してしまうと、すべての人に対して、自分の合格を認めてもらわないと、価値がないとも思うようになった。
最終的に、それが嫉妬であってもいいと思う。ここまでくれば、どんなに嫉妬をしても時間を戻すことができないのだから、受賞者の勝ちであることに変わりはないのだ。
はるかは、
「当てが外れた」
と思っているかも知れない。
応募させて、一次審査、あるいは、それ以前の書類審査で落ちたちあきを見て、何か自己満足のような感情に浸りたいと思っていたことだろう。
しかし、それがうまくいかず、結局、合格させてしまったのだから、
「ミイラ取りがミイラになった」
とでも思っていることだろう。
さらに、自分が掘った穴に落ちたという意味で、
「墓穴を掘った」
ともいえるだろうし、
「因果が巡る」
ということで、
「因果応報」
ともいえるだろう。
同じ結果であっても、ちょっとした違いで、これだけたくさんの格言があるのだから、
「人間、どんなところからでも、そこに行き着くだけの可能性が存在しているのだとすれば、可能性が無限に存在するという考え方も、まんざらではないかも知れない」
といえるのではないだろうか?
とにかく、ちあきは、アイドルになるため、上京し、さっそくアイドルのアンダーとして、日々、レッスンに励むことになった。
ちなみに家族は、反対することはなかった。ただ、
「あんた、本心からではないと聞いたけど、それで大丈夫かい?」
と言われた。
「うん、大丈夫。オーディションも必至に食らいついたつもり」
というと、両親は安心したように、
「いつでも帰ってきていいからな」
と声をかけてくれた。
本心ではないと分かったが、それが親の一種の、
「愛のムチ」
だったのだ。
それをありがたく受け取り、上京し、寮に入った。
そこでは、皆が平等だった。入った年数によっての、年功による序列はあっても、それは社会人としてということで、研修生という意味では、先輩も後輩もない。どうせ、ここから抜ければ、後輩であっても、相手が上になるからだ。
ルームメイトなどで、仲間が増えたが、友達ではない。
「一つの同じ目標に向かって頑張る仲間」
ということで、ライバルでもあるし、一番しっくりくる言い方は、
「仲間」
ということだろう。
特に共同生活の中で覚えていくことは、もし、ここを辞めることになったとしても、ここで培われたことは生きるはずだ。
もちろん、最初からそんな気弱なことではいけないのだろうが、そこを考えるのはスタッフの仕事で、彼女たちは、とりあえず、自分のことで精いっぱいだと言えるだろう。
「今年の新入生は結構多いな」
というのは、オーディションにはいろいろなオーディションがあり、アイドルグループ一つを取っても、一つのアイドルグループだけが、アイドルグループではない。
中には、
「派生型のアイドル」
つまり、お店の姉妹店のような関係のグループのある。
そのため、
「姉妹グループ合同のオーディション」
というのもあり、そこで合格した数名が、一つのアンダーグループとして、皆同じところに住み、日夜レッスンを続けているというケースもある、
ちあきたちは、まさにその一つで、いろいろなオーディションに合格してきた人もいて、話を聞いていると、勉強になる。
中には、ちあきの取ったオーディションでは、途中で落ちたが、他のオーディションで、グランプリという人もいる。
最初からアイドルを目指している人は、ほぼ全部のオーディションに挑戦し、その中でしのぎを削っている人ばかりであった。
そういうことであれば、
「そういえば、オーディションの控室で、懐かしそうに話をしている人もいたっけ?」
と感じた。
今までうまくいかなかったもの同士が、話をしたり、情報交換を繰り返すというのは、今に始まったことではないだろう。
ここの訓練学校のようなところは、ダンスや歌、さらには、一班教養のようなものまで教えるというところであった。
そして、いろいろなオーディションに、また出ることになる。
「それはアイドルのタマゴとして、これからの自分をいかに売っていくか?」
ということを自分に知らしめることでも、会社側で適正を見るという意味でも重要なことであった。
それが、昔のアイドルとの一番の違いであり、それらのことが、これからの自分をいかに生かすか、そしてその仕組みを知っていくことで、自分たちの生き残りが、まだデビューもしていない今から、始まっているということである。
そんな中で、適性を見極めている先生がいるのだが、その先生というのは、昔は、音楽プロデューサーであったり、テレビ番組の構成や編成を行っている部署の、部長であったり、さらには、映画監督であったりした。
中途半端に名前が売れた人たちであったが、
「ここで生き返った」
という人も多いという。
中には、作曲家の先生もいて、ちあきは、その先生のことをどうしても意識してしまった。
作曲した曲にどんなものがあるのかを調べたところ、若い自分には馴染みのないものが多く、音楽サイトで検索し、何とか、数曲分かったので、ダウンロードして聞いてみたが、悪い曲ではなかった。
プロの作曲家が作った曲を、悪いなどと、どの面下げていうのかということであるが、その曲を聞くと、
「昔の曲もいいものだ」
と感じた。
ブームというのは、ループすると言われている。
「十五年から二十年周期のものが多いんじゃないか?」
と言われているが、音楽や映画など、そうかも知れない。
そういえば、映画でも、最近では、昭和末期くらいの映画が、その時の俳優が同じで、時代がそのまま進んだというような設定の映画もあった。
これは人から聞いた話であったが、カルトのブームとして、コンセプトカフェや、メイド喫茶などというものがあるが、
「五年周期で、流行りが来る」
といっていたのを聞いたことがあった。
五年というと、いささか短い気はするが、何度も繰り返せば、二十年、三十年になるのだ。
まったく同じブームというわけではなく、似たようなブームを繰り返しながら、発展しているのか、後退しているのか分からないが、流行っているのは、間違いないようであった。
音楽も同じであり、今流行っている音楽が、
「昔にも流行った音楽を少しアレンジしているだけ」
というのも少なくないという。
その先生の音楽が本当に流行ったのは、今から三十年くらい前だったという。
その頃というと、ある有名なアーチストが幅を利かせているような時代であり、どんな曲を作っても、その人の色が消えない時代だった。
よほど奇抜であるか、まったくジャンルが違っていない限りは、同じに見られてしまうという、どうにも理不尽な時代だった、
それだけ、他に個性がない時代だったのかも知れない。
だからと言って、そのアーチストに全責任があるというわけではない。
むしろ、自分の個性を表に出して成功したのだから、尊敬に値するだろう。
そんなことを考えていると、先生の曲だけではなく、他の曲も気になってきた。
もちろん、一世を風靡したその人の曲ももちろんである。
そう思って人気の作曲家の曲を聴いてみると、
「なるほど、レトロな感覚もあるが、今でも十分通用するわね、実際に、今も似た曲、結構あるような気がするわ」
と感じた。
これが、ブームのルーティンであろう。ぐるっと一周回って、また流行り出したということである。
そして、それ以外に流行った曲を当時のランキングを元に聴いてみた。
すると、
「当時のドラマのテーマ曲が多い」
ということであった、
「当時のドラマは、トレンディドラマと言われて、有名脚本家がオリジナルでどんどん書いていた時代だ」
ということであった。
今のドラマというと、そのほとんどが、マンガが原作で、シナリオライターオリジナルであったり、小説が原作というのは、ほとんどない。
今の作品には、有名な音楽プロデューサーで、今のアイドルの生みの親ともいえる、作家が、原案を考えているというのもいくつかあったりした。
そうすることで、彼が総合プロデュースするアイドルが、ドラマの主演などで出てくると、それだけで、視聴率が稼げるというものだ。
特に、最近のテレビ関係は昔と違って、まったく変わってしまった。
昔であれば、ゴールデンタイムというと、野球があって、そのあとにドラマがある。
そのドラマが野球中継で延長になったりすること、さらに、野球ファンからすれば、ちょうどいいところで終わってしまうというのが許せないということであった。
テレビ局からすれば、相手h視聴者ではない。一番強いのは、
「番組に、いや、その時間帯に金を出しているスポンサーが一番強く、彼らには頭が上がらないのだ」
というのが、問題だったのだ。
だからこそ、今では、スポーツ特に野球などを専門に見れる、有料チャンネルに移行し、
「試合開始から、終了まで、ノーカットでお送りします」
という触れ込みで、ちょうどいいところで放送中止などないということで、月間、数百円で契約し、毎日野球を楽しむということだ。
月間数百円で見れるのであれば、それは有難いことだろう。
そうなると、民放では、ゴールデンタイムの野球を放送しなくなる。
さらには、ドラマも、どんどん、有料放送で、昔の再放送などをしているので、民放のドラマもあまり見る人がいなくなった。
そのため、1時間番組が30分程度で、10回程度のちょっとしたドラマにしかならない。そうなると、
「深夜のドラマでいいではないか?」
ということになり、深夜ドラマが増えていった。
これも、有料放送の影響であろうが、そうなると、ゴールデンに進出してきたのは、バラエティであった。
以前からあったクイズ番組だけではなく、昔は深夜帯だったものが、ゴールデン進出ということなのだが、これだけ皆ゴールデンに来てしまうと、ある意味、
「ありがたみというものがないではないか?」
といえるのではないだろうか?
まあ、昔に比べてなくなった番組というと、前述の、
「時代劇」
などもそうであろう。
昔の番組は、有料放送でいくらでも見れる。いまさら、新しい番組に視聴者が食いつくことはないというわけだ、
それでも、一時期は、元アイドルをレギュラーに入れたり、
「セクシーな女優の、入浴シーンに使ったり」
と、どれも、一定の年齢以上の人間に対する。
「サービス」
でしかないのだ。
要するに、いまさら、
「視聴者のことを考えることなく、スポンサーにばかり、媚を売る番組を、いくらただだとはいえ、誰が見るか」
というものである。
歌番組もまったく見なくなり、今の時代は有料放送ではなく、媒体がテレビのように、移動中には見れないものではなく、今は、スマホというものがあることで、
「動画」
として、配信したものを見ることができる。
中には、無料配信のものもあり、いわゆる、
「ユーチューバーと言われる人たちが、巨万の富を稼ぎ出す時代だ」
と言われるようになったのだった。
それでも、
「日本は、スマホなどでは、世界からかなり遅れている」
と言われているのだ。
配信動画など当たり前と言われる時代がやってきた。音楽も配信で見れるから、いちいち番組を見ることはない。自分の好きなアーチストを選んで、いくらでも見ることができる。
もちろん、有料かも知れないかもではあるが……。
今のアイドルも、明らかに昔とは変わってきた。もう十年以上も前がピークだったと言われるが、完全に人数による力のようなグループで、テレビに出るには、当時、スタジオの関係で人数制限が掛かったことから、
「選抜メンバー制」
などという、不可思議なものもあった。
しかし、そのために、野球でいえば、一軍に上がるために同じグループで競争するというのも普通にあった。
そして、この頃からであろうか? アイドルも卒業性というものが存在し、その後の身の振り方を、活動中に模索して、勉強する機会を与えたりなどもあった。昔のアイドルからは考えられないことである。
さらに当時から出てきたのが、いわゆる、
「地下アイドル」
というものである。
誤解のないように言っておくが、地下アイドルというのは、ただのマイナーというだけのことではない。元々は、今のアイドルが、音楽以外でも活躍するようになったので、従来の、ライブを開いて、客を呼び、グッズなどを売るという元々のアイドルの形を今に伝えるのを、地下アイドルという表現でいい表すのだった。
あれはいつだっただろうか? 寮への慰安ということであるが、ある夏に、会社でいう、慰安旅行のようなものに行くことになった。
一応、アイドル養成の教室とはいえ、時々、地方の営業のようなことをしたり、プチアイドルを招く機会などがあって、活動は細々と行っていた。
オーディションにもいっぱい参加して、エキストラに近い役でも、もらえるものは貰って仕事をするのだった。
給料は月給制で、寮もあるので、生活に困ることはない。その中で、毎月少しばかりの積み立てを行い、その金と、会社の福利厚生費とで、夏になると、どこかに温泉旅行に出かけるのが、ここのルールのようだった。
計画を立てるのは、プロダクションの営業の人で、この寮はいくつかのプロダクションが集まってできているので、今回はちょうど、ちあきのプロダクションが当番だった。
アイドル達を束ねるのも、その当番のプロダクションから選ばれることになる。ちあきのプロダクションからの参加は二人だったこともあって、ちあきが、とりまとめ役ということだった。
といっても、宴会の幹事のような難しいことはなく、フロント側と、アイドル側の連絡程度のことなので、それほど大変でもない。
逆に、
「センターやリーダーになった時の練習にもなるからな」
と言われると、思わず、
「私がやります」
といって、立候補したくらいだった。
ここは、正直、アイドルとしては、まだまだ初心者というところで、ファンに知られているわけでもない。まだ、地下アイドルの方が売れている子はたくさんいるだろう。地下アイドルといっても、メジャーになれていないというところは同じなのだが、彼女たちは、すでにファンを獲得している。
グッズも売れっ子になれば、かなりの売り上げになるだろうし、チェキ代だって、バカにはならないだろう。
それを思うと、露出がまだまだ少ないことに、焦りのようなものも感じていた。
そういう意味で、
「同じ養成学校の仲間には、絶対に負けたくない」
という思いを持っている。
露骨に、アイドルを振りかざし、
「自分が自分が」
と表に出ようとしている人は、それほど怖くはない。
控えめで、自分から表に出ようとしない人の方が、
「一体何を考えているんだろう?」
と思い、不気味に感じられるのだった。
今から思えば、この寮に来てすぐの頃の、ちあきは、そんな感じだった。
別にちあきが、根暗で、五月病にでも罹っていたというわけではなかった。
確かに、五月病にでも罹ったかのように、憂鬱な目をしていて、絶えず視線は下に下がりっぱなしだった。
「こんな状態でアイドルになんかなれるんだろうか?」
と、さぞかし、他の人は思ったことだろう。
ただ、彼女がここに入ってきた時は、やる気に溢れていた。
誰かに何かを言われたのだろうか? そんな様子はなく、ちあきも、そのことについては頑なに口を閉ざし、何もいおうとはしなかった。
養成学校の先生も気になっていて、
「あの子はどうしたんだい? やる気がないという感じではないんだけど、いつもどこか上の空で、何を考えているのか分からない。あれじゃあ、誰かと接触したりして、自分だけじゃなく、誰かをケガさせてしまうことにならないだろうか?」
という心配をしている人もいた、
ただ、
「なぜ、彼女があんなになってしまったのか?」
ということを知ってる人が一人いた。
それが、彼女を監督する直属の、クラス主任のような先生だった。
クラス主任が学校と同じように、生徒の精神的なフォローを中心に活動している。
今年の夏は、
「私の親戚がやっている温泉宿があるので、そこに行こうと思っています。昔ながらの温泉ですが、料理はおいしいし、温泉も天然温泉で、露天風呂もあります。少し、女の子には、少し古いと思われるかも知れませんが、それはそれで、情緒があっていいと思います」
というではないか。
「それは、却って面白いかも知れませんね」
と一人がいうと、
「ええ、確かにそうですね。ホテルに泊まって、観光したりお買い物だけだと、家族で旅行に行ってるのと同じですもんね。せっかく皆で出かけるんだったら、普段できないことができるというのも面白いかも知れないですね」
という話まで跳び出した。
ひょっとすると、その人は、
「肝試し」
ということを言いたかったのかも知れないが、さすがにそこまで言ってしまうと取り返しがつかない。
自分が言い出しっぺになるのを恐れたのだろう。それを思うと、最初こそ、舌好調だったが、次第にテンションが落ちていって、途中から、完全に勢いがしぼんでくるのを感じたほどだった。
とにかく、最初に賛成した人が、リーダーに決まった。
ちあきはというと、まだ、少し気持ちがほぐれるところまで行っていなかったが、完全に鬱状態のピークは、去ったような感じだった。
それを、クラス主任の先生は分かっていて、だいぶ安心したようだった。
「今度の旅行で、元に戻ってくれればいいんだが」
と思ったのは、今までにも似たような、鬱状態に陥る生徒が、毎年一人くらいはいて、今までの経験から、そういう生徒は、いつも、
「旅行の時に、元気になる」
というのが、恒例のようになっていた。
「私は、今年も同じような感じになると思っていますよ」
と、他の先生に安心したように話をして、他の先生も、
「クラス主任がいうんだから」
と、他の先生も、信じて疑わない感覚だった。
確かに普通の学校とは違う。皆一つの目標に向かって、進んでいるのだが、皆まわりは敵であり、味方は自分一人と言ってもいいだろう。
そんな状態を少しでも和らげて、自分たちの最高のパフォーマンスができるような、そんなチームにしたいと思っていた。
皆がライバルだと言っても、一人でデビューっするわけではない。適性などを見極めて数人で一つのユニットを組んで、そこでやっていくわけである。
センターもいれば、引き立て役もいる。
皆が皆、きっと、センターを目指していることだろう。
しかし、全員がセンターになれるわけではない。メンバーがそれほど差がなくて、
「どんぐりの背比べ」
くらいであれば、
「センターの持ち回り制」
というのもいいかも知れない。
あるいは、楽曲によって、誰が、その曲にふさわしいかということが決まってくるだろうから、
「同じ人のセンターが続く」
ということもあることだろう。
しかし、それも致し方のないことで、センターの重圧を知らなければ、ただ、ひがんでいるだけで、嫉妬の塊になってしまうと、その人が一人浮いてしまい、ユニットとしての、機能を果たさないということになるであろう。
それを思うと、ユニットの組み方も難しく、ある意味、この温泉旅行で、普段とは違う。いや、普段の見せない、本当の姿を見ることができるかも知れないということで、この機に、ユニットを編成するということになっていた。
そこまでは、彼女たちに学校側が教えることはしない。
下手に教えてしまうと、かしこまってしまい、普段の姿が見せられなくなってしまうだろう。
それを考えると、温泉旅行というのは、ある意味、
「適性検査」
の様相を呈していたのだ。
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