令和を生きる老舗和菓子屋の看板娘は豆かん王子に恋をするか

平賀・仲田・香菜

令和を生きる老舗和菓子屋の看板娘は豆かん王子に恋をするか

「姉ちゃんが水を溢すからよう、濡れちまったじゃねえか」

「だから何度も謝ってるじゃないですか」


 ああもう。だからこんな格好での接客と給仕ほ危険だというのに。

 実家の甘味処。制服は袴だ。二尺袖というらしいヒラヒラとした袖がよくなかった。袖がお冷を引っ掛けて、冷水で客をちょっぴり濡らしてしまったのである。


「もうええ。よう見たら姉ちゃん、けっこう可愛いやんけ。クリーニング代としてちょっくら付き合えや」

「ちょっと……やめて……!」


 油断した。こんな格好をしているものだから柄の悪い客に絡まれることにも慣れたつもりでいた。

 腕を掴まれ無理矢理横に侍らせられると、強烈な香水の匂いが鼻についてあまりに不愉快。肩まで抱かれて身動きもとれず。家族に父を求めようとするも不幸にも席は死角であった。

 ベタベタと触れられた肌からは鳥肌が広がる。不快感は身体の自由を奪うようで。どこを触れられるか、何をされるかと考えるほどにも鳥肌は広く、広く。

 恐怖に俯くしかできず、人の接近にも全く私は気が付いていなかった。


「なんか文句でもあるんか? 兄ちゃん」


 チンピラの声に思わず顔を上げると、学ラン姿の青年が私たちの前に立っていた。第一ボタンまで留めた学ラン、伸びた背筋は彼の実直さが滲み出ているようだった。

 学ランの彼は無言で、チンピラの頭の上からコップいっぱいの冷水を浴びせかける。


「嫌がっているじゃないですか」


 突然の出来事。しかし私の恐怖感はだんだんと別の感情に支配され始めるように感じ始めた。


「なにしやがる!」

「ああ。クリーニング代ですね。どうぞ僕を隣に侍らせてください」

「舐めてんじゃねえぞ!」


 ずいぶんと口が達者なことだなあ、などと私も冷静さを取り戻しつつあるそのとき、激昂したチンピラは正面の学ランの彼を殴りつけた。彼は微動だにせず、口の中を切ったのか端から血を流しながらチンピラを見下す。

 殴り付けた拳を頬で受け止められたチンピラは一瞬怯んだよう。拳をそのまま捻られて情けない声をあげだした。


「痛え……くそっ! クリーニング代は勘弁してやる!」


 そそくさと逃げ出したチンピラの姿に私の溜飲はちょっぴり下がるのであるが、それよりも学ランの彼である。彼は何事もなかったかのように席へ戻り、仏頂面で黙々と豆かんを食べ始めていた。


「あの、ありがとうございました。よければ手当を」

「問題ありません。それよりも水をこぼしてしまいました。新しいものをいただければ」


 ぴしゃりと、はっきりと拒絶されてしまった。

 私もそれ以上は無理を通せず、すごすごと引っ込まざるを得ず。


 だって、こんなにも心臓が早く打っている。


 水と、気持ちばかりの湿布を添えて。学ランの席へ向かう。

 彼は軽く頭を下げ、水を一気に飲み干すと湿布の存在にも気が付いたようだ。少し驚いた顔の後、元の仏頂面に戻ると。


「ありがたく」


 小さく低い声で、それだけ告げると去っていった。

 そのとき私は唐突に理解した。


 私は恋をしてしまった。


 ーーー


 ほんの数日前に悪漢に絡まれ、そのほんの数分後に恋を知ったばかりの今日とて家業の手伝いに精を出す私はまさに勤労少女の最たる人物であろう。

 とはいっても心ここに無い瞬間も大いにあるのだが。さすがにまた水を溢さぬよう細心の注意を払ってはいるが。

 そもそもどうしてこんなにも動き辛い格好で給仕をしなければならないのか。

 薄紅色で矢絣柄父の二尺袖はお冷を溢した。桔梗色の袴は膝下数センチ、踝まであった丈が衣替えをする度短くなることに私が気付いていないとでも思っているのか。フリル付きエプロン、は、可愛いからいいかな。

 そりゃあこの格好が可愛らしいのはわかる。私とてアップにした髪を大きめのリボンでまとめたり、編み上げのブーツを合わせてハイカラさんを意識したりと楽しんでいる側面があることも事実だ。

 制服について父を問いただせばこう答えた。


「うちが老舗の和菓子屋だからだ。給仕服も伝統的であるべきだ」


 老舗の和菓子屋をアピールするのならばタピオカミルクティーとカヌレ、マリトッツォの提供を今すぐにやめろ。


「お前が店先に立つと売り上げが伸びる」


 悪い気はしない。


「賄いで毎日好きな菓子を食べていいから」


 日々の勤労契約はこうして結ばれているのである。




「豆かん一つ」


 件の学ランの彼である。元々より結構な頻度で見かけていた気がするが、意識を始めてから気が付いたことは、彼は毎週の水曜日と金曜日の夕方に来店していることである。

 注文は決まって豆かんが一つ。甘味に拘りがあるのかないのかはわからない。私個人としてはフルーツや生クリームを足したい気持ちも大きいが、あえて基本の豆かんというのもツウにも思える。


「お待たせしましたー」

「ありがとう」


 最低限の会話の後、彼はゆっくりと豆かんを口に運びはじめる。それは本当にゆっくりだ。豆かん一つを一時間かけて食べる。

 私もたまに賄いで食べているが、正味五分もかからない。接客の合間に食べているから急いでいるのもあるけれどとても一時間はかからない思う。

 大事に大切に食してくれているのだと思えば印象もよくなるというもの。ただでさえ恋を自覚した私、些細な仕草も素敵に見えてしまうのは仕方がないことだろう。


 ーーー


 豆かん、みつ豆、あんみつ、フルーツあんみつ。豆かんといえばトッピングをカスタマイズして進化できる和菓子界のスタバと私が呼んで久しい。

 私も賄いに豆かんを食べるときはトッピングを楽しむことが多い。もちろんプレーンはプレーンで好んで食べる。

 だというのに、学ランの彼は来る日も来る日も豆かんである。『あんみつ姫』ならぬ『豆かん王子』とでも呼称してやろうかと思うほどだった。

 というか心の中で彼をそう呼び始めた初秋の頃。すっかり秋めいた風に身体を冷やされた父が風邪で寝込んでしまったようだ。

 放課後に連絡を受け、本日の営業は見送り。私の手伝いも不要とのことである。

 それならば学友との交流に精を出すこともやぶさかではなかったのだが、頭の片隅には一つの懸念があった。

 豆かん王子である。

 幸か不幸か本日は金曜日。彼の人物が来店するルーティン。来店した彼は閉まった店を見てどう思うだろうか。


 私は走った。友人とのカラオケやスタバの誘惑を振り切って。


 私は走った。数学テスト補修の怒号を振り切って。


 私は歩いた。生活指導の教師が睨みをきかせていたからである。


 私は歩いた。疲れてしまったし、豆かん王子が来る時間はよく考えたらまだ先だったからである。


 私はちょっと早歩きを始めた。信号に多く捕まり、時間が危うくなったからである。


 ーーー

 ーー

 ー


 私が家に着いたのと、豆かん王子が店の前から踵を返し始めたのは殆ど同時であった。

 彼にとっても私は知らない人間ではないらしく、目配せと会釈を残して立ち去ろうとする。私は思わず彼の袖を掴み。


「あの。ええと」


 言葉に詰まった末に出た言葉はやはり。


「豆かん。食べますか?」


 これは彼にも意外な展開らしく、少し怯んだ様子を見せたが咳払いの後に頷いて了承を示した。


 賄いで勝手に店のものを食べている私だ。簡単なものならば提供することができる。といっても父が下拵えした材料を組み合わせることくらいしかできないのだが。

 赤えんどう豆に寒天、そして黒蜜。綺麗な器に盛り付ければ豆かんの完成である。

 私は盆に商品を乗せて座席で待つ彼の元へ向かう。


「お待たせしましたー」


 配膳を終えると目を丸くした彼。

 私がセーラー服だからか。

 それともテーブルに置かれた豆かんが二つだからか。

 はたまた私が向かいの席に腰をおろしたからか。


「今日はお店休みなんです。今日の私はオフなのだから、制服にも着替えずご相伴に預かってもよろしくて?」

「よろしい、です」


 思いもよらない展開になってきたと彼は感じているのだろう。いつにもまして食べる速度はゆっくりだ。

 そして思いもよらない展開に混乱しているのは彼だけにあらず。私もである。

 ぐいぐいと見せる私の積極性はどこから来たものか。またと来ないかもしれないこの機会、油でも塗ってあるのかと錯覚するほどに回り始めた口に動揺もしている。


「先日はありがとうございました」

「え? ああ、はい。その節は出過ぎた真似をしました」

「何を言っているんですか! ちゃんとお礼もできていなくて申し訳ないです。お礼になるかわからないですが、今日のお代は私が持ちます」

「そんなわけには……いや、ありがたく」


 遠慮がすぐに隠れたところに彼の優しさと近付いた距離が見えた気がした。お礼を拒否せず受け入れることは、ある意味で懐の深さであった。


「ところで、豆かんお好きですよね」

「……ううん。いつも注文しますからね。いや、うん」


 いやに歯切れの悪い返答だった。目の泳ぎ様はもはやバタフライの如き激しさだ。

 俯いて『嘘はよくない』などと呟き、私の目をみて、彼はいった。


「僕は和菓子が苦手です」


 常連の恩人の口から飛び出した言葉は驚くべき内容であった。

 週二で通う常連が。恩人が。私の想い人が。豆かん王子が。和菓子を、豆かんが苦手と申すか!


「ええと、それではどうしてうちに通っていただいているのでしょうか?」

「貴方がいるからです」


 真っ直ぐな言葉。


「私、が?」

「たまたま店の前を通ったとき、随分とアバンギャルドな店員がいるなと目を向けました。それが貴方です」


 店の制服のことであろう。令和の甘味処、確かに袴とブーツは少しばかり前衛的に感じるところもあるかもしれない。


「休憩時間だったのでしょうか。貴方は店先で豆かんを食べていました」

「変なところをみられていたのですね……」

「いえ。その姿が、その表情が、ええと。とても可愛らしくて」


 可愛らしい、とな。想い人から発せられた突然の言葉に私は顔が熱を持つのを感じた。


「この人はどんな人なのだろう。どうしてこんな格好をしているのだろう。彼女が食べているものはなんだろう。そして、この気持ちはなんだろう。あまりにもわからないことが多すぎて、訳もわからぬうちに僕はあなたと同じ食べ物を食べてみることにしたのです」

「それで豆かんを……でもどうしてずっと食べ続けているのですか?」

「それが、どうにも僕は和菓子が苦手だということにそこで初めて気が付きました。しかしあんなにも幸せそうに食べる人がいるのならば、きっと僕は魅力に気が付けていないだけなのだと結論付けたのです」

「なるほど?」

「不器用なもので、わからないことを放っておくことも諦めることも未だできません」


 いつも食べるのに時間がかかっていて申し訳ない。そういって彼は自嘲気味に微笑んだ。私といえばそんな彼の生真面目なところが可笑しくて。


「豆かんが苦手ですか。たぶん、豆の風味が嫌いなのでは? こうしてみつ豆にしては……」

「フルーツと求肥を!? 香りが爽やかに変わって食べやすい……」

「あんこを出せばあんみつですよ?」

「馬鹿な……まだ進化するのか」

「さらにとっておき。アイスを乗せればクリームあんみつ!」

「これは、美味しいに決まっている……」


 目の前で繰り広げられる三段進化に彼は目を輝かせている。不器用ね生真面目で、嘘がつけない堅物の彼からは考えられない表情だ。


「苦手なものを苦手なままにしようとしない。とても素晴らしいことです。でもちょっと不器用過ぎですよ」


 私がそう言うと、彼もちょっとはにかんだ。


「だけどやっぱり。私は好きなものを好きと言いたいと思う。和菓子が好き。お店の制服も……可愛いから好きかな。そして」


 私が指差す先は。学ランの彼、すなわち豆かん王子。今やクリームあんみつを舌鼓む彼だ。


「好きなものを好きと言うその姿勢。見習わざるを得ません」


 どこまでも真面目な人でもあった。


「美味しそうに和菓子を食べる貴方が好きだ。アバンギャルドな制服を着こなす貴方が好きだ。好きなものを好きと言える貴方が好きだ。僕とーー」


 それ以上の言葉はもはや必要がなかった。だって彼がこんなにもわかりやすい人間だと私は既に知っているのだから。

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