安楽死スイッチ
月ノみんと@成長革命3巻発売
安楽死スイッチ
この世の中に、ろくでもない人間がいる。
俺である。
人生がどうしようもなく行き詰まっていた。
もうこんな人生、生きていてもしょうがない。
俺のような人間は、死んだほうがましだ。
まわりの人間だって、俺なんか、死んでしまえと思っているに違いない。
だが、かといって、自殺しようという気にもなれない。
飛び降りるにしたって、地面に頭からぶつかるなんて痛そうだし、もし下にいた通行人にぶち当たって、罪のない人を巻き込んでしまったらと思うと、気が気でない。
首を吊るなんて、もってのほかだ。そんな勇気――いや、それを勇気なんて煌びやかな言葉で呼んでいいかはわからんが――俺にはなかった。
自殺できるような人間は、やはりどこかぶっ飛んでいるのだろう。脳内麻薬とかで、少なくとも正気ではないはずだ。
どこかやっぱり、正気を失って初めて、それを実行に移せるのだと思う。
もし正気のまま自殺できた人間がいたとしたら、それこそ勇気と呼べよう。称賛に値する。
正気を失うことができればなと思い、酒を浴びるほど飲んだりもしたが、やはりいざとなると、足がすくむ。屋上から飛び降りようとして、ギリギリまで歩いていったことがあったが、いくら酔っていようとも、寸前で、やはり正気に戻る。
俺はやはりどこまでいっても正気であった。
小さなころから、真面目だけが取り柄で、まっすぐに生きてきた。だがその結果がこれだった。
真面目に生きてきた俺は、今死にたい思いでうずくまっているのに対して、ずるばかりしてきた、乱暴な連中は、今頃うまい汁を吸っている。
真面目だから苦しいし、真面目だから狂えない。
あまりに真面目すぎるもので、俺は生きていても楽しいことなどこれっぽちもなかった。
世の中では、はめをはずしたり、暴れ狂って酒を飲み散らかして酒池肉林の限りを尽くすようなどんちゃん騒ぎこそが「楽しい」ということだとされているそうだが、俺にはそういった世界はとんとわからない。
死のうと思っても、死ねなくて苦しいし、自己嫌悪の繰り返しで、さらに死にたくなる。
かといって、生きていてもなにも生まない。
俺は、死ぬのが怖いのだ。
どうしようもなく、死にたくなるのに、どうしようもなく、死ぬのが怖かった。
自分という存在がなくなるのが怖い。
俺には子供もいないし、自分の生きた証が、まるっきりこの世から消滅してしまう。
かといって、子供を作れるような金銭的余裕もなければ、ましてこの俺を好いてくれるような異性もいない。
まあもし仮に、綺麗な嫁さんがいたとしても、俺には子供を作る気なんてさらさらない。
だって、もし俺に子供がいたらどんなだ?
そいつはきっと、俺のように鬱屈とした人間で、なんのとりえもない、つまらない人間に育つだろう。
なにせ、俺の遺伝子を受け継いでいるのだから。折り紙つきだ。
そいつは俺と同じように、判子で押したつまらない人生を歩み、そして30かそこいらで、とうとう死にたくなる。
そして今の俺みたいに、絶望に効く薬を探し始める。
絶望の再生産に、なんの意味があるのだろう。
自分の可愛い子供に、俺と同じ思いをしてほしいとは思えない。俺はそこまで残酷な人間じゃない。
血をわけた息子が、俺と同じように、生きることに苦しみ、あまつさえ死にたいなどと思うのなら、そんなの、はじめから産もうとは思わない。
それに、もし子供を産んだとしても、そしてそいつが、仮になにかの間違いで、俺とは違い、幸せに生きたとする。だけど、そいつは100歳にでもなれば、しわくちゃのジジイになって、そして、やがて死ぬ。
人は歳をとれば、例外なく死ぬ。
それはどんな億万長者でも、どんな聖人でも、賢者でも、仙人でも、みな平等に死ぬ。
俺は、それが怖いのだ。
どれだけ幸せに生きても、最後は死んでしまう。
赤子というのは、産まれた瞬間から、100年後には死が確定しているのだ。
だとしたら、その赤子に死を与えたのは、それを生んだこの俺自身だということになる。
そう、初めから産まないという決断をしてさえいれば、その赤子は死ぬこともない――なぜならそもそも生まれていないのだから。
俺は、生まれてきたくなどなかった。
産まれなければ、死ぬこともない。
俺はどうしようもなく、死ぬことが怖い。だけれども、生きていたくもない。かといって、死にたくもない。だけど、生きているのもごめんだね。
だったら、初めから産まれてきたくなどなかった。
なぜ俺をこんな世に産んでしまったのだろう。
俺はそもそも、産まれることを許諾した覚えはない。
もし俺に、産まれるか産まれないか選ぶ権利があれば、俺は迷わず拒否したであろう。だけど、そんな機会は訪れなかった。なぜなら、そもそも産まれていないのだから、産まれていない存在に、拒否権などあろうはずもない。
産まれてきたくなどなかった、と声高に叫んでも、もう俺は既に生まれてしまっている。それどころか、産まれてから、無駄な人生を30年あまりも過ごしてしまった。途方もなく手遅れだ。
俺は死の痛みが怖いのだろうか。それとも、死後を怖がっているのか。死という現象そのものを怖がっているのか。わからない。
とにかく、消えてなくなりたい。はじめからなかったことになりたい。
せめて、死ぬときに痛いのや、苦しいのは嫌だ。
老いて死ぬときは、どんな感じだろうか。やはり衰弱死でも、苦しいのだろうか。
安らかに年老いて死ねるとも限らない。長く生きていれば、途中で事故にあったり、とんでもない苦しみ方をして死ぬことになるかもしれない。
運よく老人になっても、喉に餅を詰まらせて死んだら、かなり苦しそうだ。
そもそも、こんな干上がった人生を、老人になるまで、あと何十年も続けたくなどない。
死ぬなら、とことん楽に、安楽死がしたいものだ。
そういえば、海外だと安楽死が認められている国もあるという。
だけどほとんどの場合、安楽死が認められるのは、重い病気などの場合のみだ。
俺のように、ただ人生がつらいからといって、安楽死が認められるということはない。
もっと簡単に、自分の意思で自由に死ねればいいのに。
国を治める立場からすれば、まあそう簡単に、奴隷に死なれては困るのだろう。
なにせ、この国は病んでいるから、死にたい連中にはいまや事欠かない。
ひとたび自由に死んでいいとなれば、あっというまに人々はいなくなるだろう。
安楽死の権利がないなんて、おかしくはないだろうか?
だって、この命は俺のもので、俺に決定権があるはずだろう?
産まれるときに拒否する権利もないのに、安楽死の権利もないときた。自分の命、自分で始める権利もなければ、自分で終わらせる権利もない。結局自分の命は社会のものだし家族のもので、最初から、自分の命など自分で所有してはいないのだ。
安楽死さえできれば、俺はいますぐにでも死んでやるのに――。
俺がそうつぶやいた瞬間だった。
目の間に、怪しげなスーツの男が現れて、言った。
「でしたら、この安楽死スイッチをお試しください」
「はい……?」
「このボタンを押すと、あなたは眠るように死ねるでしょう」
「こりゃあいい。てか、あんたは誰だ?まあ、そんなことはどうでもいいか。その話、本当なんだろうな?」
「もちろんです。今なら特別に、これをあなたにお譲りしますよ」
「よし」
俺は男から安楽死スイッチを受け取った。
いかにも怪しい男だと思うが、この際どうでもいい。もしこのスイッチが偽物でも、俺にはなんのデメリットもないのだ。
俺は、勢いよくスイッチを押した。なんのためらいもない。俺はようやく死ねるのだ。
「えい!」
スイッチを押すと、俺はまさしく、眠るように死んだ。
ほう、死ぬというのはこういう感じか。
あっけないな。
安楽死とはよくいったものだ。まるでなんの痛みも、恐怖も感じない。
ただそこには、心地のいい暗がりがあった。
こりゃあ、楽でいい。
俺は安楽死できたことに心から感謝した。
楽に死ねて本当によかった。
今はただ心地のいいぬくもりだけが俺を包んでいる。
これなら死ぬというのも悪くない。
俺はこのまま無に帰り、産まれる前に戻るのだ。
これに懲りたら、もう二度と産まれてやるものか。
次に目が覚めると、そこは地獄だった。
目の前にはエンマ大王がいる。
「は……?なんで?俺は死んだんじゃないのか?」
なんで俺は死んだはずなのに、まだ意識があるんだ?
死んだのに、目が覚めるなんて。
そして、ここは見るからに地獄だ。
あんなに心地よく死ねたのに、これじゃあ天国と地獄だ。
エンマ大王は口を開いた。
「お前、死ぬときは楽だったか?」
「もちろんだ」
「それはいけない。死というものは、本来は苦しいものだ」
「はぁ?」
「お前はこれから、この死後の世界で、死ぬほど苦しい目にあってもらう!」
「そんな馬鹿な!」
「馬鹿はお前だ!本来なら、人間は苦しんで死ぬことで、天国へと行くことができる。しかしお前は楽な道に逃げたのだ!恥を知れ!」
人生において、どんな人間も、苦しみの数は均等だという。
幸せな人間も、いずれどこかでしわ寄せがきて、不幸に陥ることがある。
幸せの数と苦しみの数は均等で、それは死後の世界でのことも含んでのことらしい。
俺は、死の苦しみから逃げたせいで、死後苦しむことになった。
ああ、こんなことなら、死ななければよかった。
せめて、安楽死ではなく、飛び降り自殺とかなら、苦しんで死ねたのに!
そうすれば、いまごろは天国にいたに違いない。
ろくでもない人間がいる。
この俺である。
安楽死スイッチ 月ノみんと@成長革命3巻発売 @MintoTsukino
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