第2章 見えないキャッチボール
1年前にSNSで知り合った人と恋をした。あれは恋と呼べるものだったのか今だによくわからない。
愛とまで呼べるものだったような気もする。実際、やり取りの中で「愛している」という言葉はよく出てきた。
けれども、その言葉は私の中で、いつも曖昧に響いた。
「愛」とてもわかりにくい感情。
彼はおそらく日本人、けれども、外国人という「設定」だった。
思えば嘘だらけの恋だった、私はそれでも、なぜだか満ち足りた思いがした。
それまで、SNSを積極的には利用したことが無く、新鮮な人間関係だと思えた。1年前までは、共感の為に、リアルでの感情を重視しており、SNSでのやり取りは「偽物」のような気がした。だから魅力は感じて来なかった。SNS上では簡単に嘘がつけてしまう。
やろうと思えば、性別も年齢も肩書も何もかも嘘で固められる。しかし、一方で、こんなに自由な事ってあるだろうか。
何からも自由。言葉も嘘かもしれない。彼との言葉のキャッチボールから、何が嘘で、何が真実か吟味しながら会話することに、私はある種のスリルを感じていた。
彼の会話は嘘ばかりだったが、自身の感情に関しては、驚くほどリアルに受け答えする人だった。正確には、そのように、私は捉えていた。
こんなに会話が楽しいことは無かった。嘘だらけだからこその、気軽さがあった。私はあまり嘘をつかなかったが、言いたくないことは伏せて話した。真実の自分を共有していない訳で、ものすごく遠い存在なはずが、SNSという世界の中でだけ恋人同士のように接することができた。
結局彼とは1度もリアルで会わずじまいだったが、私は確かに幸せを感じていた。
1年前だから、出会ったのは丁度桜の花咲く頃だった。
「出会った」というのも、ダイレクトメールで繋がる仲になった。
「愛」という言葉は飛び交っていたけれど、実際にお互いが「愛」を感じていたかどうかはわからない。双方感じているんじゃないか?と私は踏んでいた。
29歳という年齢も関係あるのか、職場などで、よく「サクラさんは、結婚の予定は?」と聞かれることが多かった。「いえ…ありませんけど…」と、戸惑った表情で答えると「彼氏はいるの?」と、たいてい続く。
SNS上の彼も「彼氏」と言えるのだろうか?と、心の中で首を傾げつつも、「いない」と言うと、また面倒なことになりそうなので、「はあ…まあ…」と曖昧に答えるのが常だった。その後も、質問は続くが、適当に合わせておくのも、いつも通りだ。
私は従業員40人程の工場で事務をしている派遣社員だ。事務職は私の他に女性2人。明るくて話好きな34歳の先輩と、物静かな26歳の先輩。2人とも正社員。私は産休の人の代わりに派遣されて来たので、1年前は、勤め始めて半年が経った頃だった。会社内で派遣社員は私1人だ。
下からライトアップされた夜桜を、会社帰りの中年男性や、犬の散歩をしている御婦人が見上げている。本格的なカメラや、スマホで写真を撮っているいる人もいる。
桜。私の名前の由来となる花だが、私は勝手に名前負けしている気がしていた。
4月の前半生まれなので、「サクラ」なのだが、私自身は全く誰にも注目される人間ではなく、空気みたいな立ち位置だった。
会社の朝礼時に電話が鳴れば、私は1番後ろ、電話の側にいるため、ワンコール終わらない内に電話を取る。私の仕事はどれも感謝される類のものではなかった。それをただ淡々とこなしていく。
桜の木なら、どちらかと言えば、花よりは幹の方。皆が見上げているようで、実際は焦点が合ってはいない。自分はそんな存在に思える。
漆黒の闇の中、ライトアップされ美しく浮かび上がる桜は、私にはあまりにも眩し過ぎた。
他の事務員2人は姉と妹のように、とても仲が良い。1年前は尚更に私はまだまだ余所者感があった。他人との間に知らず知らずの内に見えない壁を拵えてしまう性格なため、なかなか打ち解ける事はできなかった。けれども、その分、プライベートでの付き合いも無く、それはそれで良い距離感だと思っていた。
自分の話をすることは苦手だが、他人の話を聞くのは好きだった。自分は持っていないポイントがたくさん有ったし、自分には成し得ない経験談がたくさん有る。
人間の感情は心を動かすものの存在が重要で、それは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を刺激する物の違いで、だいぶ変わってくる。
そして、「誰が」というのが、感情の個性に関わってくるので、どの人物の話も興味深かった。私と異なる人間が、異なる経験を通して持った感情はどれも「特別」だった。
その愛、傾斜す Aki @aki-----3
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