第2話

二十八歳の多聞は、精密機械の部品の営業をしている。ネジなんかがとても好きみたいだ。波結には判らない部品のよしなし事を教えてくれるが、波結には、やっぱりよく判らなかった。それでも、熱っぽく飛行機の部品になるとかコピー機の部品になるとか、ネジ一本で世界を変えると話す多聞が、波結はかっこうよかった。

「へーしか言えないけど」

「いいよ。へーで」

「物足んない」

「いいんだよ。へーで。相槌ごちそうさまでした」

「ハンバーグ美味しかった?」

「俺、波結のハンバーグが世界一好き」

「デミグラスソースが好きなんでしょ?次はトマトソースにしよっか?」

「煮込みのハンバーグって食ったことなかった。うまい」

「うれしい」

「おろしポン酢で食べるのも好き。ハンバーグってこんなに食い方あるのな。知らなかった」

「へへーっ。ハンバーグにチーズ乗せるの何故かわかる?」

「え?なんで?うまいから?」

「ぶぶーっ。割れても誤魔化せるからでしたー」

「何、ハンバーグって、割れんの?」

「そいうこともある」

「何それ騙された!」

出張、出張だけど、たまに一緒に食べる夕食。波結は一生懸命、料理をした。この人を愛したい、という希望にも似た欲求だった。恋でも愛でもない?希望?望みであり、希望するの希望。湧いてくる願いみたいな。この人を愛したい。

「長くもがなとおもいけるかな」

長くなれ、長くなれ、命長くなれ。初めて、生きたいと思ったのかもしれなかった。この人と生きてみたい。病気があってもいいと言ってくれた。わたしの過去を認めてくれた、この人と生きてみたい。長く生きたい。

事の次第を話すと、多聞は黙った。それから、口の端をゆがめると、目を隠して泣いていた。ただ黙って、涙を流す多聞は、饒舌に何かを話そうとする人より、波結を愛していた。理解とは愛だった。波結は、愛が沁み込んでくるのを感じていた。心の傷に、沁み込んで、どんどん再生する。細胞が再生して、治っていくのだった。温かい、多聞の涙だった。愛だった。

六月十四日に見合いをしてから、一か月たったころ、七月七日に結納をした。波結は、結納の二週間前、ネットの着物レンタル処で訪問着を見ていた。母は、しきりにピンクを勧めたが、波結は自分の名前に波がついていることに誇りを持っていた。なので、どうしても、水色の訪問着が良かった。以前、女性雑誌のグラビアで、女の子が茶の湯のお茶碗に口に付けるシーンを見たことがある。かわいい子で、その子の着ている着物が水色だった。それを見て、波結は女の子の着物が水色でも可愛いのだと知ったのだ。水色の辻が花が目に留まった。裾の部分に綺麗な花模様が色彩されている。

「お母さん、これがいい」

それには、母も一発で参った。多聞に知らせるかは、ぎりぎりまで迷った。多聞は紋付き袴だが、波結はもちろん着物だ。何色なのか、どんな着物か、多聞は気になったが、訊けないでいた。

「波結は、着物どんなん?」

多聞は、つい京訛りになってしまった。いけない。東京で仕事する多聞は、殊の外、訛りが出ないように気を付けていた。それなのに、嗚呼、それなのに。波結の着物が気になって、つい、つい、京訛りが出てしまったのだ。

「…えと、答えた方がいいのかな?」

「…うん」

「水色の辻が花」

「だから、どんなん?あ…」

「なに?」

「いや、訛り…気になる?」

「訛り?」

「いや、何でもない」

「視てからのお楽しみ」

「なんやねん。もったいぶって。あ…」

「京訛りってそれ?」

多聞は、赤くなった。恥ずかしい。多聞は、京訛りが恥ずかしかった。日本語ではない気がしていたからだった。もちろん、戦と言えば、応仁の乱、京都であった戦だと自負しているのだが…。どうも標準語でないのが気になっていた。昔は標準語だったはずなのだが…。

「京訛りかわいい」

「え?」

「京訛りかわいいよ。多聞もかわいい」

「え?え?」

「かわいい」

多聞は、ぐいっと、波結の肩を掴んだ。

「きゃっ、何?」

「キスしたい」

「えええ?」

「キス、いやか?」

「京訛りずるい」

波結も赤くなる。ちゅっ。多聞は、波結のほっぺにキスをした。

「ファーストキスや」

「ふつう、口でしょ」

「なんや、期待したんか?」

「多聞のいぢ悪!」

ふ、ふふん。俺ってサイコー。恥ずかしかった…。

七月七日、結納の日、波結は、七時起きで銀座に向かった。水色の辻が花を着付けてもらうためだ。丸の内線を降りると、出口を探して、母と一緒にオンディーヌに向かう。オンディーヌは成人式で使ったレンタルきもの屋さんだ。あらかじめ予約してあったので、八時から着付けを開始した。母もだ。母も礼服をレンタルする。黒留袖だった。

「かささぎの渡せる橋の置く霜の白きをみれば夜ぞふけにける」

多聞からメールが来た。

「何?多聞くんからのメール?顔がにやけてるわよ」

かささぎの渡す橋のような白い霜を見ると夜が更けている。あなたが恋しい。かささぎ橋とは牽牛織女のために、天帝が掛けてやった橋である。夜ではないけれど、七月は旧暦では秋なので、七月七日の星合の祭りにはこの歌だろう。もちろん、旧暦七月七日は、八月で、秋だ。現在は、雨になることが多いが、旧暦の七月七日は、秋で、秋晴れの空に天の川が掛かり、ベガとアルタイルもよく見えた。

「みかのはら湧きて流る泉川いつみきとてか恋しかるらむ」

三ヶ野原の泉川ではないが、湧いている泉のように、いつみたというわけでもないのに、恋しいあなた。まだ、えっちをしていないので、いつ会った、いつ逢った、いつ愛し合ったというわけでもないのに、恋しいあなた、と、これから愛し合うことを期待する一首である。

多聞は、いつも手痛くやられているので、この一首が送られてくると、跳び上がって喜んだ。

「やった」

そして、すぐに、返歌を送った。

「陸奥(みちのく)のしのぶ文字摺りたれゆえに乱れ染めにし我ならなくに」

陸奥のしのぶ染めではないけれども耐え忍んで、乱れている文字を見てわかるように、あなたを想って乱れる私の心です。何を耐えているのかと言えば、今すぐ波結を、抱きたい気持ちである。それから、水色の辻が花姿の波結をはやく視たいという逸る気持ちも。

すると、

「しのぶれど色に出でにけり我が恋はものや思ふと人の問うまで」

と、返事が来た。忍んでいたけれど、顔に出てしまったわたしの恋は物思いしているのと母に問われるまでと書かれてあった。

「お母さんにバレたな」

多聞は、きししと笑って、喜んだ。多聞は、家から着付けていく。お母さんとお父さんは、着物を持って多聞宅に来るのだ。昨日は、多聞は二人の家に、波結は、実家に帰って来ていた。別々の朝だから、少し寂しかったのである。この日は快晴だ。朝を迎えても、傍に彼が、彼女がいないのが、何となく寂しいのは、一緒に暮らすようになって、お互いに夫婦だと自覚し始めている兆しだった。

着付けてもらうと、馬子にも衣裳…ではない、波結にも衣裳。波結は普段は可愛い印象だが、見違えるほど美しくなった。

溜池山王の駅までは、さしてかからない。結納は、溜池山王の山王様、日枝神社で行うことになっていた。日枝神社の祭神は、山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)である。木花咲耶姫のお父さんだ。日枝神社は比叡神社で、最澄が開祖だ。葵の葉っぱにも縁があるので、縁結びの神である。会う日、逢う日、葵である。二葉葵は、つがいの葵の葉っぱである。毎年、波結はここのお守りを多聞に渡していた。逢う日を待っていた。えっちする日を、大事に待っていたし、遠距離恋愛のような二人だったので、波結は、会う日を待っていたからだった。

「つつがなく執り行いました」

神主さんが言うと、二人は息をついた。両家の顔合わせで、これからホテルで会食だ。

会食は、〇〇〇ホテルで、行った。以前に二人で日枝神社にお邪魔した時に、寄ったので、雰囲気は知っていた。ロビーでは、日枝神社の御祭神が祀られていて、豪華な花が活けてある。女性が座っていて、琴を披露していた。知らない曲だが美しい調べだ。ここの〇階にある折り鶴というラウンジバーで会食だ。二人は、日枝神社にお邪魔した時に頼んだカリカリパンケ―キを波結の母と多聞の両親たちに勧めた。と、いうか、コーラでさえ五百円するので、何もかもが高額で、カリカリパンケーキくらいしか頼めないのだ。多聞のお給料では。それでも、素敵な場所で会食がしたいと、〇〇〇ホテルを選んだ。ガラス張りの店内に、外には庭園があり、水が流れている。

「波結さんは、多聞のどこが気に入ったんですか?」

多聞のお父さんが訊いた。

「小倉出身というところです」

「京都がお好きなんですか?」

「小倉百人一首が好きなんです」

「それまたどうして」

「簡単なようでいて、古今東西の歌が収められており、藤原定家の押し込めていた歌心が沁みます」

藤原定家は、上皇と喧嘩している。勅撰和歌集を編んで欲しいと頼む上皇に反発して、小倉の山荘に籠り、そこの坊主さんに襖を好きに歌で飾っていいと言われて編んだのが、小倉百人一首なのだ。

「それは、また興味深い」

多聞のお父さんは感心したようだった。

「うちの多聞も歌を詠むんですよ」

「そうだったのか」

「それで、こちらお嬢さんと意気投合して」

多聞の母が話す。

「多聞さんは波結のどんなところがお気に召したんですか?」

「それは、波結さんの名前が魅力的だったので」

「名前?」

波結は、初めて聞いたという風に聞き返した。

「そうだよ、名前。波結って、変わった名前だけど、誰が付けたの?」

「それは、ここにいないお父さん」

「お父さんとは、どうして別れられたんですか?」

「話しづらいんですけど、波結の教育方針で揉めてしまって…」

「それ、初めて聞いた」

「お母さんは、波結を好きに進学させてあげたかったんだけど、お父さんは、反対で、女に教育は必要ないって」

「そうだったんですか」

「波結は、絶対に、勉強が好きだと思って」

「病気で、中退しちゃったけど、大学に行けたのは、いい経験だったな」

「小倉百人一首も専攻したしね」

多聞が、遊戯っぽく笑う。

「僕たちの出会いは百人一首で、崇徳院さんの和歌で意気投合したんだ」

「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の割れても末に逢わんとぞ思ふ」

お父さんはさすがに知っていた。

「割れても末に逢わんとぞ思ふというのは」

「絶対にあきらめない」

二人の声がユニゾンしてホール内に大きくこだましたので、二人は、

お互いの顔を見合わせて、赤くなった。

多聞は八月の八日に、プロポーズしようと考えていた。なんてプロポーズした方がいいのか、どんな演出が喜ばれるのか、多聞は悩んでいた。そこで思いついたのが、いつものキャバクラでキャバ嬢に相談することだった。

「希ちゃんさ」

「はい」

「理想のプロポーズって、どんなの?」

「理想のプロポーズですかあ」

「女の子はどんなの喜ぶ?」

「そうですねえ、愛があればいいですけど」

「愛かあ」

「あ、あれはやめた方がいいですよ」

「なに?」

「食後のデザート指輪」

「なんで?女の子は喜ぶ演出じゃないの?」

「あれ、ガキッてなって、歯直した友達います」

「そうなんだ」

「悲惨ですよ」

「わかんないもんかな」

「わかんないらしいです。マカロン噛んだら、ガキッて音したって」

「そうかあ」

「はい」

「ごめん、チェンジ」

ナンバーワンの意見を聞こう。

「椿さんはさあ、どんなプロポーズが好み?っていうか、プロポーズされたことある?」

「プロポーズされたことはありますけど、お客さんと結婚する気はないです」

「何処で出会うの?」

「普通に婚活します」

「婚活?」

「接客業してるって言って」

「そうなんだあ」

「プロポーズなら、泡ぶろに二人で入ってるときに、シャンパンの中に指輪がいいですね」

「おしゃれだ」

「でしょ」

「でも、それ俺やってもな」

「いいじゃないですか。お客様は男前だし。決まりますよ」

「そうかなあ。俺の柄ではないんだよなあ」

参考にならない。これは、本人に直接聞いた方がいいかな。

「波結は、なんてプロポーズされたいの?」

「え。膝ついて結婚してください?」

「そうか!膝ついて!」

「なんで?」

「いや、なんでもない」

「蟹チャーハン冷めるよ?」

「あ、うん」

「そういえばさあ、」

「はふ、うん、なに?」

「わたし、男の人にお料理ってしてもらったことないから、」

「うん、これうまい!」

「多聞にお料理プロポーズされたい」

「お料理プロポーズ?」

「お料理してほしいってこと。なんか作ってほしい」

「俺でも作れるものってある?」

俺はれんげを置きながら、真面目な顔で訊いた。

「ハンバーグか、オムライスは?」

「俺、ハンバーグがいい」

「え?うん」

「俺、波結のハンバーグが世界一好きなんだ。だから、波結にも俺のハンバーグ、世界一好きになって欲しい」

「うわあ!うん!」

俺と波結はにっこりして、蟹チャーハンをほおばった。

「あ、チャーシュー麵、たべごろかも」

「やばい。伸びる」

「チャーシュー手作りだよ」

「まぢで」

「レンジで簡単。次はローストビーフ作る」

「クリスマスに作ってほしいかも」

「いいよー」

「やばい。まぢで伸びる」

「わたし、伸びたラーメンも愛せますから」

「あ、俺も」

「カップめんはさあ」

「伸びてからが」

「おいしいよね?」

声がユニゾンして、微笑み合う。二人のラブタイムは、お食事じかんだ。

八月八日、俺は波結と、スーパーにいた。

「なにハンバーグにするの?」

「デミ。赤ワインとキノコ入れる」

「そうかー」

波結がにこにこしている。俺だってちゃんと考えている。ふ、ふふん。クックパッドさんで、下調べ済みだ。

「お肉どんくらい食べるー?」

「でっかいの二個」

「八百グラムくらいかなーでも、一キロ買っとくか。明日の夕飯、ミートボールスパゲッティね」

「やった!」

波結は、牛豚合い挽きのお徳用をカートに入れた。

「付け合わせは?」

「じゃがいも、人参、ホウレンソウ」

「おっけー。じゃあ、野菜を買いに行こう」

「おう」

「じゃがいもとベーコンとか、ウインナーとか入れなくていい?」

「あ、入れる」

「わかったー。じゃあ、ウインナーね。ミネストローネ作る。明日の朝」

「あ、俺ミネストローネ好き」

「あと、ホットケーキね。チーズ入れるからチーズも買おう。ホットケーキミックス、まだあったっけ?」

「一袋残ってるんじゃないか?」

「あ、そだった。じゃあ、野菜を買って、チーズと牛乳を買いましょう」

「玉子ないんじゃない」

「あ、そだった。ありがとう多聞―。多聞はしっかり者の旦那さんになるね」

「善いことしたから、ポテトチップス作って」

「映画観ながら食べたやつかー。いいよー」

「あと、ミネストローネスープのポテトマシマシ」

「わかったー。デミのしめじ、ホウレンソウに入れる?」

「うん。赤ワインは?」

「防腐剤不使用で、安いの。」

「ほい。リカーコーナー行くよ」

会計すると、三千円以内に収まった。安かった。チーズはキャンディーチーズにして節約した。うちに帰ると、波結がお昼ご飯を作ってくれた。

「お昼何がいいー?」

「中華」

「回鍋肉なら、作れるけど」

「素、買って来ればよかったね」

「いやー、オイスターソースで作れるから平気」

「冷凍エビでエビチリ作って」

「スイートチリソースあったかなー」

「素あるよ」

「あ、ほんとだ」

「あと、春巻き」

「お腹いっぱいになっちゃうよ。夕飯が遅くなるー」

「いいぢゃん。腹減った!」

「しょうがないなー」

波結が料理している間、俺はクックパッドさんを見た。お浚いだ。牛豚合い挽き肉に、パン粉とナツメグと玉ねぎみじん切りと、玉子を入れて、混ぜる。粘りが出るまでこねて、真ん中をへこませて焼く。付け合わせは、人参乱切り、じゃがいもはゆでる、ウィンナーと炒めて、ブラックペッパー、コンソメで味付け。ホウレンソウ、しめじをバターでソテー。ブラックペッパ―、味付けはなし。ご飯を炊かないとな。あ、スジャータのコーンスープ買うの忘れた。

「波結、ごめん。スジャータのコーンスープ買うの忘れた」

「そっかー?買ってくるー?」

「ああ」

俺は、波結に料理させながら、家を出た。指輪を取って来るのだ。万が一、波結に指輪を見つけられないように今日まで取りに行かなかった。電車に乗って、新宿の伊勢丹まで行く。ティファニーで、予約した指輪を受け取る。

「こちらでございますね」

ティファニーのお姉さんが感じよく、指輪を見せてくれた。婚約指輪は、シンプルなダイヤモンドにプラチナにした。カットはダイヤモンドカット。ティファニーブルーの手提げに入れてもらって、俺はもう居ても立ってもいられなかった。ついにこの日が来た。プロポーズだ。波結は、ティファニーが好きだ。何故って、二番目に好きな映画がオードリー・ヘップバーンの「ティファニーで朝食を」なのだ。一番は、アン王女の「ローマの休日」だ。オードリー・ヘップバーンが好きな波結に、ティファニーをプレゼントする。

「お料理冷めちゃうよ」

「ただいま」

「何処まで行ってたの」

「さびしかったんでしょ」

「さびしかったよ。待っててくれる人いないんだもん」

「ごめん」

「もう知らない」

波結は、ごきげんななめだ。回鍋肉とエビチリと春巻きは、テーブルの上で、小分けにしてラップが掛けられていた。波結は、先に食べたのかな。冷蔵庫を開けると、小分けにした皿が並んでいる。食べてないんだ。回鍋肉とエビチリと春巻きだ。ラップが汗掻いているところを見ると、できてからすぐに小分けにして仕舞ったらしい。ポテトチップスがクレイジーソルトで作られている。

「波結…ねちゃった?」

波結はふて寝をしている。

「波結…」

髪にキスした。ふわっとシャンプーと、波結独特の甘い香りがする。

「キスしたい」

「やだ」

「キスしたい」

「やーだ」

「まだ、ほっぺにしかしてない」

「やーだ」

「……」

俺はリビングに戻って、料理をレンジで温めると、美味しい回鍋肉と、ちょっと味の濃いエビチリと、キャンディーチーズと味のついた合い挽き肉とをまいた春巻きを食べた。なみだの味がした。内緒にするって苦しい。

俺はハンバーグを作ることにした。先にご飯を炊く。米を洗って、分量の水を入れ、スイッチオン!そして、まずは玉ねぎをみじん切りにする。目が痛い。なみだが出た。金魚姫もいつも泣きながら作ってるのかな。ごめんな、金魚姫。気が付かなかった。お料理って大変なんだ。みじん切りはまばらだったので、一生懸命刻んだ。合い挽き肉を八百グラム計って銀のボールに入れる。パン粉はつなぎなので適量入れた。玉子は一個おとす。ナツメグと刻んだ玉ねぎを入れて、手捏ねするのに腕まくりをする。全体が良く混ざるように、掴むように混ぜ合わせる。分量を取って、成形する。空気を抜くために両手でキャッチボールするように、タネを行き来させる。真ん中をへこませて、三つ成形した。付け合わせを作る。人参を乱切りにして、茹でる。乱切りはどうするかわからないので回しながら切った。皮剥くの忘れた。あとから剥いた。ちょっと茹ですぎたが、まあいいか。じゃがいもも切った。大きめに切ろう。大きい方がうまいから。ポテトチップスもあるしな。俺は、ポテトチップスをつまみ食いした。今夜、「ティファニーで朝食を」を観ながら、食べる予定なので、三、四枚味見した。美味しかったのでやめられなかった。罪な味だ。金魚姫のポテトチップス。クレイジーソルトが効いてた。眠っている金魚姫を想うと涙が出た。玉ねぎのせいかな。成形すると、フライパンを熱した。火をつける。手のひらを翳して、熱を感じると、油を引いて、タネをフライパンに乗せる。ぱちぱちといい音がして肉が焼ける。いい匂いがしてきた。ひっくり返すと波結のハンバーグは綺麗に焼き色がついた。じゅうじゅう言ってる。泡が出た。肉汁が出てきたからだ。俺のハンバーグは、波結のハンバーグを焼いているうちに、黒く焼き色がついてしまった。あちゃー。大きすぎてひっくり返しづらい。三つ目は真っ黒だ。デミで誤魔化そう。ピーっと電子音のメロディが鳴って、ご飯が炊けた。デミを作る前に、ホウレンソウをソテーする。バターを溶かして、しめじを炒めて、ホウレンソウをざく切りにして炒める。バターが回ったら、出来上がりだ。デミを作る。ソースにケチャップを水を少量いれて、くつくつさせる。赤ワインを忘れずに。照りが出て美味そう。ハンバーグを入れる。沁みしみにしよう。うまいぞー。

波結を起こそう。

「波結ー」

「んー?」

「ハンバーグできた」

「ハンバーグぅ?」

「波結にプロポーズする」

「プロポーズ!」

「ハンバーグ盛り付けるから、座って?」

「わたし、ナイフとフォーク出す」

「いいよ、座ってて」

「いいの。一緒するの」

波結は、ナイフとフォークを出し始めた。俺は、皿を出して、付け合わせとハンバーグを盛る。デミをたっぷりかけて、しめじをハンバーグの上に乗せた。デミグラスソースのいい匂いがする。波結のハンバーグ、上手くできた。盛り付けも完璧だ。自分のも盛り付けた。じゃがいもは多めにした。ふっふっふっ。

ご飯をよそう。お茶碗ではなく、小皿にした。俺はおかわりしようかな。

「ご飯にお塩はお掛けしますか?」

「は、か、た、の、しお」

「それ、どっかで聞いたな」

「どこ?」

「伯方」

「伯方ぁ?」

「うそぴょん」

「どこ?」

「キャバクラ」

「キャバクラぁ?」

「キャバクラ通うの趣味」

「趣味ぃ?女嫌いじゃなかったの?」

「女性は苦手。でも、キャバクラの女は平気」

「なにそれ!」

波結は、混乱しているようだった。女性が苦手なのに、キャバクラの女は平気.。一見、矛盾しまくりに見える。

「キャバクラの女は女だ。だけど、女じゃない」

「どういう意味?」

「女は女だ。だけど、恋愛対象じゃないし、抱いたりもしたことはないよ。抱きたいと思ったこともない」

「なにそれ」

波結は、怪訝な顔をしている。

「会話を売る仕事だ。身体は売らないよ」

「だって、女性苦手って…」

「だから、女性は苦手だよ」

「だって、キャバクラ…」

「女性だって行くよ。今度連れて行く」

「…うん」

「如何わしい店じゃないよ。俺ちゃんとしたかった。波結にちゃんと理解って欲しかったんだ」

「…わかった」

「波結、ワイン飲む?」

「…うん」

多聞は、冷蔵庫から冷やしたグラスを出すと、料理で使った赤ワインを注(つ)いだ。柘榴石(ガーネット)色の赤ワインが、グラスの中でキラキラ光る。波結の顔は曇っていたが、乾杯した。

「波結、愛してる。乾杯!」

「かんぱい」

グラスがかちんと鳴って、俺たちは赤ワインを飲んだ。波結は、こくこくこくーっと赤ワインを飲むと、ふーっと息を吐いた。波結の顔が柔らかくなる。

「多聞、私も愛してる」

「うん、知ってる」

「結婚して、多聞」

多聞は、水色のつつみを取り出すと、波結に渡した。

「波結、これ」

「え、ティファニー?」

「うん、波結、ティファニーで朝食をが好きでしょ?」

「うん」

「だから、ティファニー」

「ありがとう」

「自分で開ける?」

「開けてほしい」

「わかった」

波結からつつみを受け取ると、ラッピングを開いて指輪のケースを出した。結婚してくださいっていつ言おう?ちょっと緊張してきたぞ。俺は、リングケースから指輪を取り出すと波結の右手を執った。

「波結、愛してる。結婚してください」

「…はい」

波結のゆびに、ダイヤモンドの婚約指輪をはめる。プロポーズ成功だ。やった。

「多聞ー」

波結が抱き着いてきた。

「おわっ」

後ろにつんのめって尻餅をついた。

「どうしたの」

「大好き、だいすき。愛してるー」

「俺もだよ」

俺は、波結を抱きしめた。波結の匂いがする。波結の顔をさわると、涙で濡れている。瞳(め)をそっと拭ってやる。

「泣いてるの」

「だって、うれしくて」

「うれし泣きだ」

キスした。

「んっ」

無味無臭?でも、赤ワイン…。それに、何となく、あまい。女の子の口の中って、あまいんだな。やめたくない。

「ん…」

ちゅう。音を立てて、一度口を離す。

「初めて口にキス…」

話したくない。ちゅ…。

「んんぅ…あ」

二度目のキスだ。

「波結…」

ぐーっ、きゅるるる。はっ。波結のお腹が鳴った。あ、ハンバーグ。

「ハンバーグ、食べよっか」

「…うん」

俺は立ち上がると、波結を引っ張り立たせた。ハンバーグは、すっかり冷めている。椅子を引きながら、波結が言った。

「冷めちゃったね」

「レンジでチンする?」

「このまま食べる」

二人で食卓に着くと、

「いただきまーす」

二人で声を合わせて、いただきますを言った。

「作るの大変だったでしょ」

「大変だった。みじん切り、目が痛い」

「だよねー。また、何か作ってくれる?」

「じゃあ、拉麺」

「らーめん?難しいよー」

「じゃあ、一緒に作る」

「一緒に作る?じゃあ、お料理デートするか」

「お料理デートしたい」

波結は、ハンバーグをナイフで切ると、フォークで刺して、こちらを見た。

「食べるよ」

「うん」

「いただきます」

あーん。ぱく。

「おいしーい!デミが特に美味しい。赤ワイン入るとこんなに美味しいんだ。照りが出て甘くてまろやかー」

「お褒めにあずかり光栄です」

「また作って、これ。わたし、多聞のハンバーグが世界一好き!」

「ほんとう?嬉しい」

結婚ていいものだ。男と女は分かり合えないっていうけど噓だな。こんなに嬉しくって、楽しい気持ちになるなんて。結婚って素晴らしい。

「波結、」

「ん?」

付け合わせのホウレンソウを食べて、赤ワインをもう一口と飲んでいた波結は、こちらを向いた。

「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」

「割れても末に」

「逢わんとぞ思ふ」

声がユニゾンして、俺たちは笑い合った。プロポーズの夜だった。波結が、お風呂に入っている間、俺は洗い物をした。口にキスした。初めてのキス。甘かったな。女の子の唾液って、甘いのかな。もう一回、キスしたい。

「出たよー」

波結が、パジャマでやって来た。

「ワインもう一本買えばよかったね」

「発泡酒ならあるよ」

「発泡酒かぁ」

「カクテル作りましょうか?お姫様」

「え、え、どんなカクテル」

「ないしょ」

風呂に入りながら、俺は、下の自販機にキリンレモンあったよなと考えていた。風呂から出ると、下の自販機にレモンの炭酸を買いに行く。キリンレモンがなくて強炭酸のレモン味があったのでそれにした。グラスに、氷を入れて、白ワインを注ぐ。そして、レモンの強炭酸を注げば、スプリッツァーの完成だ。これから、映画を観るので、大きめのグラスに多めに作っておいた。波結は、眠そうだ。

「ティファニーで朝食を、観ないの」

「みるー」

「つけるよ」

始まると、オードリー・ヘップバーンがティファニーの前でクロワッサンを頬張った。

「波結、スプリッツァー」

「うんー。ありがと」

「ポテトチップス持ってくる」

「うんー」

俺は、ポテトチップスを口に放りながら、ぱりぱりやった。クレイジーソルトが癖になる。

「飲んでるの」

「のんでるー。これ、おいしい」

「ありがとうございます、姫」

「騎士(ナイト)…うん、ふぁあ。あくぅ」

出だし二十分で、あくびをする波結。酒が効いてきたみたいだ。

「ねる?」

「うんー」

「じゃー、ねるか」

ポテトチップスに手を伸ばし、齧りながら、話す。

「あーんして?」

「あーん」

波結の口に、ポテトチップスを放り込みながら、俺は、もう一回キスしたいと思っていた。甘いキスをしたから、今度はしょっぱいキス。波結、お手製の金魚姫のポテトチップス味だ。

「もう一枚」

「あーん」

「咥えて」

「ん」

ぷらーんと、ポテトチップスが、垂れる。時間が経って湿っぽくなったみたいだ。

「はーむっ」

俺は、その端っこを、噛むと、波結とキスした。

「んっ」

多聞?だんだんと距離を詰めて、くちびるに到達する。

「んんっ」

待って待って、待ってぇ!

「多聞?」

くちびるを一旦離すと、波結の髪を耳にかけながら、怖々聞いてみる。

「キスしたい」

ちゅ。

「んぅっ」

そう言って、答えを待たずに、くちびるを合わせると、今度は舌を差し入れてみた。ゆっくり、波結の舌の輪郭をなぞるように、舌を動かす。

「んっ、あ」

「気持ちい?」

「ん、気持ちい」

「も一回」

「ん」

ちゅう。れろれろ、れろ。

「波結も、うごかして?」

「んぅ?うん」

れれ、れろ。

「こう?」

れれ、れろ、れろ…舌が合わさると、俺も気持ちがいい。もっと、してたい。ゆっくりしたり、早めてみたり、これがキスなんだ。俺は、感慨に浸っていた。波結と、やっと、恋人になって来ている感じがした。俺たち愛し合ってるんだ。嬉しい。

「キスなんて初めてした」

「わたしも」

「波結、こっちきて」

「うん、目、醒めちゃった」

波結を、後ろから抱きしめると、ほのかにスプリッツァーの爽やかな香りがした。

「波結は、俺のどんなとこが好き?」

俺は、波結の飲んでいる残りのスプリッツァーに口をつけながら、訊いた。ごく、ごく。ぷはっ。

「多聞の…やさしいとこ」

「やさしいとこ?」

「ハンバーグ作ってくれるし…」

「ハンバーグ?」

「あとあと、ティファニーなんてもらったことないもん」

「すごい?」

「すごい、すごい」

波結が慌てている。なんでだ、波結。なんで慌てるんだ?恥ずかしいのかな?

「どこって言われると、困る」

「困る?」

「全部好き」

「全部かあ」

「参った?」

「参った」

「しばらくこのまま…」

「ぎゅうー」

「きゃあ」

なんか、幸せだ。その日は、はじめて、後ろから抱きしめながら、キスをした。キス記念日。

九月九日に入籍した。九月九日に入籍するまで、三か月間は付き合った。地方に営業出張が多い多聞だが、週末は必ず一緒に過ごした。九月九日に入籍したのは、重陽の節句だからだった。

菊の節句だ。陽が重なるからいいとして、この日にした。奇数を陽として偶数を陰とする考えは広くある。三月、五月は桃や菖蒲の節句があるし、七月は星合の祭り、つまり七夕がある。その中で、九月九日を重陽と呼ぶのには理由がある。九という数字は十に満ちる一歩手前の数として伸びしろを残しているので目出度く、菊の盛りに事寄せて不老長寿を祈る節句となったのだ。重陽の思想も中国から来たものだが、菊は神仙の住む山の谷水が菊の露を受けて不老不死の薬酒になったという伝説があり、重陽には菊酒で祝う風習も生まれた。

「秋風の吹上に立てる白菊は花やあらぬか波の寄するか」

これは、宇多天皇が主催した重陽の節句に菅原道真が詠んだ歌である。菊を飾った州浜台の景を吹上浜と見立て、浜に打ち上げる波を模して、白菊と謡っている。

「垣根なる菊のきせ綿今朝見ればまだ盛りの花咲きにけり」

垣根の元に植えた菊にきせ綿を置いたのを、朝になって綿を摘み取ってみると、元気な菊の花が咲いていたという歌だ。きせ綿は、夜のうちに菊の花に綿を置いておくと、露が降(お)り、菊の露がしみて翌朝には菊の香りのしみたアンチエイジング美容液が出来上がっているという。老化を防げる作用のある露のしみ込んだ綿が出来上がり、それを藤原道長の北の方・倫子が、紫式部に贈ったという一節もあるくらいだ。

九月九日に入籍するのは、一日がかりだった。出張先から、東京に戻る途中で、市役所に寄り、婚姻届けをもらう。もしも書き損じた時のことも考慮して、数枚もらう。新幹線の中で、婚姻届けを書いた。家に帰ると、波結が夕食の用意をしている。

「時間内に出せるかなぁ?」

「夜間用の窓口があるから大丈夫」

「離婚も結婚も二十四時間可能ってわけね」

「今日、何?」

俺は着替えながら訊いた。

「今日は、チェコビール入りビーフシチュー。お肉柔らかくなるよ」

「飯ある?」

「ご飯、炊いたー」

「さすが」

「今日は、チェコビールで乾杯ね」

「婚姻届け書いてある」

俺はボールペンで、名前や本籍、住所、両親の名前を書いておいた。同意の署名が必要なので、貰いに行かないといけない。俺の両親は、京都だから、波結のお母さんと、俺の上司にもらう。上司には、すでに署名をもらってある。成人していれば、誰でも、同意署名ができるが、俺はお世話になっている、上司を選んだ。波結のお母さんに会いに行く。

「波結、用意して」

「はーい」

「その前に、ここに署名」

婚姻届けの氏名欄は、自筆でなければならない。

「蓮、経、波結」

波結の文字が躍っている。俺はちょっと笑ってしまった。でも、ちゃんと、自筆なので承認されるはずだ。いや、承認される。お母さんに会いに行って、折角なので、自宅近くの市役所に出そうと思う。夜間でもこの際いい。

波結と出掛ける。バスに乗って、駅まで行く。多聞はバスが好きだ。普段はおおむねタクシーに乗ってしまうが、バスの中の、のんびりとした空気感が好きだった。波結は、バスが大好き。バスの中で雨を視るのが特に好きだ。信号の赤や緑が反射して、雨粒の色を変えるのが特に好きなようだった。波結は、そのドロップスのような雨粒を見るたびに、子供が舐めます、ちゅるんちゅるん、と、神様のドロップスの歌を歌うのだった。


むかし、泣き虫神様が、

朝焼け見て泣いて

夕焼け見て泣いて

真っ赤な涙がポロンポロン

黄色い涙がポロンポロン

それが世界中に広がって

今ではドロップス

子供が舐めますちゅるんちゅるん

大人が舐めますちゅるんちゅるん


一通り歌うと、気が済んで、信号を

「GO!」

と、思えるのだった。この日は雨が降っていなかったので、波結は、ちょっとがっかりした。雨の日は傘がかさばって大変だが、趣きがあると思っていた。雨降らないかな、そんなことを考えながら、バスの窓際に通されてウキウキした。

「俺も窓際が良かった…」

多聞が恨めしそうにそう言うと、波結が、

「じゃあ、多聞は、帰り窓際ね」

と、にこにこしたので、多聞は機嫌を直した。

「しょうがないな、うん」

多聞は、波結が笑うと、何でも赦せてしまう。機嫌が悪くならないわけではないが、独りでいる時よりも、ずっと楽しくて、ずっと機嫌がいい。

「次降りるよ」

「駅つくね」

膝に置いていたショルダーバッグを肩にかけて、波結が降りる準備をする。男は財布だけだから、身軽だ。駅から電車に乗る。池袋で乗り換えると、二つ目の駅が、お母さんの家だ。駅から少し歩く。

「こんにちは」

インターホンを鳴らすと、お母さんが、

「いらっしゃい」

と、二人を迎えてくれた。お母さんは、エプロンで手を拭いて出てきたので、お勝手仕事でもしていたのだろう。夕飯の準備にしては早いので、お昼の洗い物かな。

「婚姻届けの署名をしてほしくて」

波結が切り出す。

「ああ、はいはい、昨日の電話のね」

「昨日は、ありがとうございました」

「電話に出たぐらいで大げさね」

波結のお母さんは、老眼鏡を取り出すと、署名をしてくれた。

「すぐ帰っちゃうんでしょ?寂しいわ」

「また、今度ゆっくり来るよ。お茶しに行こうね」

「いつ~?お母さん待ちきれない。多聞くんも一緒よね?」

多聞は、ぎくりとしながら、まさか、この間のキスのこと、根掘り葉掘り聞かれるんじゃないだろうな…。と、どきどきしていた。

「多聞くんともうキスしたの?」

「し、してないよ」

「その顔はしたわね?」

早速か!す、するどい…。

「お母さん、今日は急いでいるので!役所が閉まってしまいます」

「そうだよ。九月九日のうちに入籍するんだからね」

「はいはい、わかったわよ。じゃあ、そのうちね」

俺たちは、お母さんの魔の手から逃げ延びた。さすが、ラスボスだぜ。お母さんよ…。役所に出しに行くために、多聞たちは、自宅の駅まで戻った。歩いてもよかったが、時間が昼間の窓口で間に合いそうだったので、バスで行くことにした。バスに乗って、しばらく停車時間があったので、二人だけで婚姻届けを眺めた。一番後ろの席で、二人で並んで座った。

「俺たち、結婚するんだね」

「そうだね」

「長かった?ここまで」

「あっという間だったなー」

「俺は長かったな。早く結婚したかった」

「同棲してたじゃん」

「結婚がしたかったの」

「じゃあ、願い叶うんだ」

「今日、叶う」

俺は、運転手が観ていないのをいいことに、波結の頬にキスした。

「わっ」

「おまけ」

駅から市役所はすぐなので、バスが出ると、あっという間に市役所についた。市役所の停留所から、向こう側に手をつないで渡った。車が来ないうちに,、ぱーっと走って渡った。そんなことも楽しかった。ずっと覚えておきたい。市役所の窓口で婚姻届けを提出すると、無事受理された。今更ながらに、夫婦になった喜びが湧いてきて、波結を抱きしめる。

「なぁに?」

「嬉しくてさ」

家に帰ると、腹が鳴った。

「波結、腹減ったぁ~」

「ビーフシチューできてるよ。ポテトマシマシ」

「うわ、ありがとう」

「えへへ~。チェコビールで、乾杯ね」

波結は、ビーフシチューを鍋で、温めた。くつくつして、いい香りがする。

「私もお腹すいたなー」

「すぐ食べよ」

多聞にビール先に飲むかを聞かなければ。

「多聞、ビールは?」

「今飲む」

「ご飯どうする?」

「今食べる」

「じゃ、よそっちゃうよ?」

ビールと、ご飯を両方、出すことになった。ビール先じゃないらしい。お母さんは、働いていたので、ビールを先で、ご飯は後だった。多聞は、両方、イケる派らしい。お母さんは、看護婦だった。夜勤もあるので、忙しかったが、ご飯はいつも用意してくれていた。ただ、ビールだけは、波結が買って、波結が用意した。それが、学費を出してもらっている波結の、できるだけの心遣いだった。

「おビールちょうだい」

「はーい」

洗い物と洗濯、おビールは、波結の役目だった。波結は、多聞と一緒に乾杯すると、チェコビールに口を付けた。

「チェコビール、美味しいね」

「泡がきめ細やかで、美味いよ」

「のど越し良いね」

赤い星が目印のビールは、向こうでは有名らしかった。ビーフシチューを一口食べる。レストランで食べる味だ。フォンド・ボーを使っているらしい。美味しいな。人参が円い。角を取ってあるのだ。それから、玉ねぎとブロッコリーと、大きめに切ったじゃがいも。これが、ほろっと口の中でとろけて美味い。ブロッコリーは下茹でしてないみたいだ。温め直す手間を考慮してるんだな。偉いな。波結。

「ビーフシチュー美味しい?」

「うまい、うまい。お代わりしたい」

「いいよー。よそってあげるね」

「ありがとう」

波結は、ちょっと多めにビーフシチューのお代わりをよそった。

「はい」

「さんきゅ」

「美味しく食べてもらえると嬉しい」

「波結の料理っていつもすごく美味しい」

「ありがとう」

俺は、ビーフシチューの肉だけ残していたので、最後の肉に取り掛かった。大きめに切ってある肉を、口に運ぶ。ギュっっと嚙み締めると、肉汁が出た。

「うま~」

これが、限りなく続くかと思うと、俺は幸せを噛み締めている気がした。

「波結、俺、幸せだ~」

「そっか、よかった~」

そうだ。俺は、ポテトマシマシも残していた。フォンド・ボーのルーに付けて、じゃがいもを食べる。ほろっ、うま~。ポテトマシマシ最高。

「波結、ポテトマシマシもうまい」

「そかそか~うれしい」

食べ終わると、俺は洗い物をした。作ってもらったら、洗う。礼儀だ。洗い物をしながら考えた。波結は、俺といない時、何してるのかな?何を思ってる?俺は幸せだけど、波結は、幸せなのか?カチャカチャ音を立てて、洗い物を終えると、俺は波結を見た。横になってる。食後の薬飲んだのかな。疲れてるのか?

「波結、頓服のむ?」

「ん~、いい」

波結は、うつ病があるが、だいぶマシになって来ていた。ただ、やっぱり疲れやすい。家にいる時、ずっと寝てるのかな。何考えてるんだろ。頭の中を覗いてみたい。

「お風呂入らないの」

「今日はいい」

「疲れた?」

「だるい~」

なんか、心配になって、傍に行く。

「波結~?」

「…うん」

後ろからぎゅーすると、波結が、眠そうだ。なんか様子が変だ。

「波結?」

「…多聞~」

波結が、甘えてくる。気の所為かな?いつもよりなんか…。

「多聞~もっとぎゅーしてぇ?」

大胆なような。

「えっちなことしたい」

「え?」

「多聞、抱いて?」

「え、え、?」

「気持ちいいことしたい」

「ど、どうして欲しい?」

「胸揉んで欲しい。先っぽキューってして。キスしながら」

俺は、Hカップなんて揉んだことはない。もちろん、女性の胸にも触ったことはない。痛くないのかな?そーっと、波結の胸に手を伸ばし、形のいい胸を、おそるおそる揉んでみる。

「こう?」

「んっ…あんー」

「気持ちいい?」

「先っぽ、摘まんで」

さ、先っぽ。摘まんでいいのかな?痛くないのかな?キュッと、親指と人差し指で摘まむと、丸い先端が、形を変えた。

「あん」

波結がもじもじする。少し震えてて、とっても可愛い。だんだん、蕩けてくるみたいだ。俺も、興奮してくる。ジーパンがきつい。波結の腰が、誘うように上下するので、俺は生唾を飲み込んだ。今日、俺、童貞喪失するのか。

「もっと、激しくくりくりして?」

「キスしよう」

キスしながら、波結の胸の先端をくりくり揉みしだく。

「んっ、んー♡」

子宮が欲しがってる。多聞を。多聞のおっきくなったの、ここに欲しい。中に入れて、赤ちゃん作りたい。気持ちいいことしたい。ひとつになりたい。

キスすると、この間みたいに、れろれろ、ちゅぱちゅぱ、お互いの口内をまさぐり合った。気持ちいい。波結の膣内(なか)に入れたい。波結のパンティの中に指を入れると、もう、膣内(なか)はぬめっている。でも、どれくらい愛液が出ているのか、確かめようと、指を引き抜いたその時、驚いた。

「あっ」

血が出ている。俺は茫然として、波結に指を見せながら、

「波結、血が出てる」

と言った。

「あ、生理!」

波結は、勢いよく立ち上がると、生理用の下着とナプキンを充てに、箪笥に行ったり、トイレに行ったり忙しかった。また俺たちの初夜はお預けになった。がっくり。

十月は出張が重なって、俺は忙しかった。メールのやり取りのみなので、俺も寂しかった。でも、金魚姫は元気だろうと考えて、今夜も波結にメールを送る。

「契りきなかたみに袖を絞りつつ末の松山波こさじとは」清原元輔

お互いに涙を流しながら、プロポーズの夜を過ごしたのだから、私たちの絆は末の松山を波が越すことがないように、二人の愛は永遠だよね、と送った。

これは「古今集」の古歌を踏まえている。

「君をおきて徒し心を我が持たば末の松山浪も越えなむ」詠み人知らず

「大日本地名辞書」によると、末の松山は二か所あり、多賀城の近くの八幡と一戸と福岡の間の浪打峠とも言われている。吉田東伍氏は八幡の方を正しいとし、そこには「末松山神社という古い社もある。「歌枕」は、名前と景色が美しいだけではなく、その地方の歴史と結びついて、初めて成立するのであろう。たぶんこのみちのくの歌も、変わらぬ心を末の松山神社に誓ったので、神のおわすところは波も越さないと思ったのだろう。

すると、波結から、

「逢ひみての後の心にくらぶれば昔は物を思わざりけり」

と、送られてきた。おっと、肩透かしだ。もっと、情熱的な歌が送られてきて、盛り上がることを期待した俺は、ちょっとがっかりした。

 この歌は、権中納言篤忠の歌だ。逢ひみての後の心というのだから、えっちのことだが、俺たちはまだえっちしていない。と、いうことは、今は、キスだけでも、離れこんなにつらいのに、えっちしちゃったら、この先どんなにつらくなるかな?という解釈だ。う~ん、波結、堕ちているのか、病気がつらいのかなあ。秋雨前線は去ったと思ったけど、台風かな?俺は、

「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」

と送った。大納言藤原公任の歌だ。滝の音が絶えて久しくなっても、セックスしなくなっても愛は消えないとか、えっちがなくても、愛は消えない、みたいな意味だ。

 すると、

「大江山いくのの道の遠ければまだ文も見ず天橋立」

と、詠んできた。小式部内侍だ。和泉式部の娘である。文も見ずと言いながら、話をつなげてくるところが憎い。天橋立というのだから、繋がっているのに、まぼろしの橋というわけだ。お見事!波結、やっぱり不安みたいだ。早く帰ってあげたいが、仕事があるで、ムリなのだ。ごめんな、波結。

「ただいま」

俺は、十六時ごろ出張から帰ってきたのだが、波結の声がない。出迎えに来てくれないのか!ちょっとショックだ。しかし、波結は、寝ているのか、室内は薄暗く、ちょっと湿っぽい。

「波結~?」

俺は、怖る怖る寝室をチェックした。波結、寝てるのかな?すると、枕元に、大量の薬の殻が見つかった。おわっ。波結、飲みすぎだよ!大丈夫なのか?身体は?

「波結…?」

「ん…多聞?」

 あ、目腫れてる!泣き腫らした瞳(め)だ!

「波結、お前、大丈夫か?」

「ん…だいじょうぶ。たもん…たもーん」

波結が、抱きついてきたので、俺は、スーツ姿のままつんのめった。おわっ。全体重はきつぞ、波結!はゆわ~!

 俺は、スーツ姿のまま、ベッドの縁に腰かけると、波結の話を聞いた。

「不安だったの…?」

「ふあんだった」

「大丈夫なの?」

「だいじょうぶ…じゃない」

「だよね」

「お医者さん行った」

「行ったの?」

「うん…薬、ふえた」

「なんで、不安なの?」

「結婚式まだだから」

「結婚式は、するよ」

「お嫁さんなれる?」

「なれるよ。なれる」

「やじゃない?」

「やじゃないよ」

「だって、多聞帰って来ない」

「それは仕事だから…」

俺は、あちゃーという気持ちになっていた。波結の精神不安定、うつ病が悪化していたのだ。気が付かなかった。夫失格だ。

「やりたいことある?」

「んー」

「ん?」

「多聞とお風呂。さむい」

「さむいの?」

「うん」

「じゃ、俺、風呂入れてくる」

俺は、立ち上がると、しゅっとネクタイを外した。すると、波結が起き上がって、

「それかたす」

と、言った。俺は何とも言えなかった。いじらしかった。風呂は洗ってあったので、そのまま、お湯を貯める。波結とお風呂か。一緒に入るなんて、初めてだ。この状況下でえっちはないので、安心はしていたが、波結の身体見て勃ったらどうしよう?まあいいか。タオルでごまかそう。そうだ、それがいい。

「波結~?」

「ん?」

「飯喰ったの?」

「まだ、お腹すかない」

「お腹すかないの?」

「うん」

「何か食べたいものある?」

「いちご」

「へ?」

「苺のタルト食べたい」

「買ってきたらいい?」

「つくる」

「へ?」

急に波結は、元気になってくる。

「冷蔵庫みて?」

俺は、冷蔵庫を開けた。苺だ。温室苺らしい。クリスマスケーキを前に、苺が売り出されていたのだ。ちょっと高かったろ、波結?こらっ。くすくす。

「苺買ったー」

波結が、後ろから抱きついてくる。よしよし、波結。俺は、左手で冷蔵庫のドアを閉めると、右手で波結の頭を撫でた。

「なでて、なでて」

なでなで。

「もっと~」

なでなで。

「あっふん」

「あっふんじゃねえ」

「ぎゃっふん!めそめそ」

波結が泣いてしまった。(笑)それもかわゆし。

「お風呂入る?」

「うんー♪」

波結が寄ってきた。脱衣所で、一緒に服を脱ぐ。俺は、ワイシャツだったので、クリーニングに出さないと。洗濯機には入れられない。ズボンも、そうだな。パンツ一丁になると、脱いでいいのか考えた。波結は、すでに下着姿になっている。おわっ。ピンクのブラにショーツ。胸の谷間には編み編みがある。で、ショーツの後ろは透けていて、ふむふむ、お尻の上のとこが編み編みだ。なるほど。あっ。俺は…無意識に勃起する。男の無常を感じた。

「多聞?」

「ごめん、波結、おっきくなった」

「え?なんで?」

「いや、だって、波結の下着姿みたから…」

「私で勃起するの?」

「するよ」

「うわーすごい!」

「へ?」

「すごいねー」

 波結は、ふんふんしている。なぜ、なんだ、波結、なぜ、ふんふんするんだー?

「なんか、理由はわからないけど、すんごい」

「へー?やじゃないの?」

「なんでっ!?」

「いや、だから、なんでー?」

 俺たちははてなマークが飛んだまま風呂に入った。波結の身体は、グラマー。肌はすべすべしている。しろい。すごく。お尻もぽわんとしている。ふるえるのが印象的だ。おっぱいは、先っぽがさくらんぼみたい。色も。なんとなく。はずかしい。

「洗った方がいいの?」

「洗ってくれるの?やったー」

 俺は急に緊張した。女の子洗うって、どうすればいいんだ?

「あわあわにして」

「あ、あわあわ?」

俺は取り敢えず、タオルにボディソープを取って、泡立ててみた。こうかな?ホイップクリームみたいに泡立ってきたので、それで、波結の背中を洗ってみた。

「気持ちいいー」

「気持ちいい?」

「うん、嬉しい!」

「嬉しいのか。なら、よし」

俺は、二の腕、腕、手の甲、脚、おしり、脚の甲を洗ってあげた。

「あのさー」

「んー?」

「あのー波結の大事なとこは、自分で洗える?」

「洗えるよー」

俺は、心底、ほっとした。波結に洗って欲しい気もしたのだが、それやると、俺が持たないので、今回はやめておいた。ほう。

自分で洗って、波結と一緒の湯船に入る。あったかいなー。

後ろから波結を抱きしめるみたいに抱っこして入る。

「のぼせない?」

「んー、へーき」

「おっぱい揉んでいい?」

「いいよー」

 俺は、Hカップを揉んだ。水風船みたいだ。でも、もっと、Hカップって、ぼいんぼいんしていると思っていたのだが、割と、すっぽり手に包み込まれて、これはこれで、収まりいい。物足りない気もするというのが本音。これがHカップかー。

 波結の顔を見ると、なんだか気持ちよさそうだ。あ、そういう気持ちいいではなくて、マッサージされているカピバラみたいな顔をしている。かわいい。俺は和んだ。

「なんか、暑い」

「あ、出る?」

「でるー」

「よしよし」

俺は、先に出ると、自分の体を拭いて、波結の身体を拭いた。

「服着るの?」

「パジャマになっちゃうー」

「よしよし」

今日の夕飯は苺のタルトか。それもいいな。ワイン買ってこようかな。コンビニで、赤ワイン。

 波結は、パジャマになると、お水を飲んだ。こくこく喉を鳴らしながら飲むお水は、月山の水にも負けない。お風呂上りってサイコ―だ。冷凍庫から冷凍パイシートを取り出すと、解凍のために、常温にしておいた。苺を取り出し、ホイップクリームを取り出し、カスタードクリームを作る。

「苺切っといてぇ」

「うんー、波結、俺、苺切ったら、コンビニ行ってくる」

「え?なんで?」

「コンビニで、赤ワイン買ってくるよ」

「おおー。多聞は、気が利くー」

 波結は、片手鍋の行平鍋を出しながら、言った。多聞は苺を半分に切りながら、パイシートを堤から出した。波結は、牛乳を温めながら、お砂糖を足し、バニラエッセンスを垂らして、小麦粉を入れる。卵を落として、かき混ぜると、カスタードクリームの完成だ。タルトに入れてしまうから、漉さなくてもいいかな、などと考えていると、多聞が苺を切り終わった。

「ゼライスあるから水で溶いとく」

「じゃ、俺コンビニ行ってくるね」

「うんー気をつけてね」

バタンと、扉が閉まると、一人きりだ。ちょっと寂しい。波結は、パイシートをお皿に敷くと、形を変えて、ナイフで周りを切り取る。まだ熱いカスタードクリームを入れて、イチゴジャムを上から垂らすと、苺を飾って、一八〇度のオーブンで焼いて、四十五分もすれば、苺のタルトの完成だ。

「まだかなー」

 苺のタルトを、オーブンで見ながら、携帯を出すと、多聞に、LINEでスタンプを送る。

「きをつけて、ね。はやく、かえって、きて、よしと」

クマのマークとウサギのマークのスタンプを2個ばかり送る。

オーブンで焼き上がるまで、あと、三十五分はあるので、波結は、ベッドに横になることにした。

「くぅ…」

薬が効いてきたのか、眠くなってしまったのだ。目が覚めると、多聞がボサノヴァを聴いていた。

「おはよう、波結」

「あさー?」

「まだ夜だよ」

「よかったぁ」

「ゼライス塗っておいたよ」

「ありがとお」

苺のタルトが出来上がっている。見ると、苺タルトに、ミントが乗っている。

「あ、ミント」

「スーパーで買ってきた」

「だから遅かったんだ」

「波結、寝ちゃうんだもん」

「だって、薬効いてきたから」

「ゼライス固まってるでしょ?」

「うんーきらきら」

「先やってるよ」

「あ、多聞ずるい」

 多聞は先に、赤ワインを開けていた。安いワインだが、気分は良くなる。ボサノヴァを肴に、ちびちびやっていたのだ。波結が起きるのを待って。

「じゃあ、ケーキ入刀しますか?」

「するするー」

波結と、多聞は、ナイフを握ると、共同作業した。

「ケーキ、入刀です!ふんふん」

「ふんふんじゃないでしょ?まったく、波結は」

「あと、やって?」

「甘えん坊!」

タルトを切り分けると、お皿に盛りつける。

「俺、4分の一喰える」

「しゅごいねー」

「波結は?」

「ちょこっと」

「8分の一ねー」

ワインを飲みながら、苺のタルトを食べる。夫婦って感じだ。お料理するのも、多聞は慣れて来ていた。

ボサノヴァが優しく響く中で、二人でいい時間を共有する。豊かってこういうことを言うんだな。なんて、多聞は悦に入った。はもはも食べている波結の口元をみると、イチゴジャムが付いている。

「波結、苺ジャム付いてる」

「ん?どこ?」

「だから、擦らないで?こ、こ」

「んっ」

 親指で、拭い取ると、多聞は親指を舐めた。

「おいし。ご馳走様。波結」

「ありがとう、多聞❤」

 十一月になった。クリスマスが近づくと、街はイルミネーション一色になる。コートを着たり、肉まんを食べたり、波結も、冬を満喫している。今年は、ペールブルーのコートを着るのだと張り切っている。空色のコートだ。俺は、キャバ嬢に、クリスマスの相談。波結と初めて過ごすクリスマス。何をプレゼントしよう?

「みなみちゃんは、クリスマス何が欲しい?」

「そうですね、ブランドバッグ。買ってくれるんですか?」

「いや、彼氏から欲しいものとかないの?」

「結婚指輪」

「いや…チェンジ」

「奥さんにですか?やっぱり、ネックレスじゃないかな」

「ネックレス?どんな?」

「女の子はピンクの石に弱いですよ。ルビーとか、ピンクサファイアとか」

「ピンクサファイア…」

「ピンキーリングは?」

「恋人募集されるからいや」

「いや、恋人募集しなくてもピンキーリングしますよ」

「今婚約指輪してるから、邪魔」

「ご馳走様でーす」

「でも、ピンクサファイアいいな」

「やっぱり、ハートかなぁ。お花とか。ダリアは?」

「ダリア?いや、ダリアって感じでは」

「ダリアの形とか可愛いじゃないですか。まるっとしてて」

「まるっ?」

「そうですよ。円くて可愛いじゃないですか」

「まるくてかわいい。そうか。ありがと」

 俺は、ピンクサファイアのネックレスを探すことにした。ダリアか。あるかな、そんなの。3~5万くらいなら買ってやれるけど。ネットかな?

「ピンクサファイア、ダリア、ネックレス」

呟くと、バーッと可愛い装飾品が出る。でも、ガーネットだ。う~ん。そういえば、ルビーとも言ってたな。

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小倉金魚姫一首 錦戸彩 @aisha4200

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