人形と恋1

淡緑たんりょくが萌え、ひばりがさえずる雪解けの季節、水汲みに来た農夫のエミール=ボッスはピティエ=ランタイオを見つけた。


「おはよう、ピティエ」

「おはようございます、エミールさん」


井戸のそばにたたずむ少女。

少年のしなやかさと女性の豊かな丸み、その両方を感じさせるピティエの容姿は美しく、寸分すんぶんの狂いもなく整っていた。そして朝日に照らされた彼女はどこかはかなげだった。


「今日は暖かいね」

「はい、気持ちがいいですね。わたしはこの季節が一番好きなんです」


静かで柔らかな声色にエミールの心はときめいた。

彼はピティエに恋をしていた。日々土にまみれ畑仕事をする自分と比べると、彼女はまるで雲の上の天使のようだった。


「この時期になると野うさぎが顔を出すんだ。弟たちはもう狩りの準備をしている」

「エミールさんは狩りをするんですか?」

「苦手だけどね」


ピティエの表情が少しくもったことに気づいたエミールは話題を変えた。少女の耳元に生えた小さな翼。彼が彼女を天使だと感じる理由の一つだった。


「耳の羽はかざりかい?」

「これは生まれつきで、動くんですよ」


ピティエは瞳を閉じて翼を広げる。羽の動きにそってあわ金色きんいろの髪がゆっくりと揺れる。白い風切り羽の一本一本が日の光によって形作られ、美しく透ける。


「触ってもいいかな?」

「ええ」


あかぎれが目立つ浅黒いエミールの手の中に収まる握れば折れてしまいそうなピティエの純白の翼。


「あの、少し……恥ずかしいです」

「ごめん」


それでもピティエはエミールの手をこばまなかった。


「もし、君が良ければ、次の休息日に近くの丘に二人で行かないか? ちょうど菜の花が咲いてとても綺麗なんだ」

「ありがとうございます、嬉しいです」


彼女は翼に触れる彼の手を握り返す。その袖の隙間から見える少女の腕に青いあざがあることにエミールは気づいた。彼の胸は苦しくなる。


「すみません。まだ仕事があるので……」

石使いしつかいめ、水汲みぐらい自分でしたらいいもんだ」


ピティエは石使いの使用人だった。村の外れにある工房アトリエに住む大男が彼女の主人だった。彫刻のモデルのため彼女を雇っているなど、村では様々な噂が流れていた。エミールは石使いを村の祭事さいじに関わらない胡乱うろんで怪しい奴だと思っていた。


「いえ、仕事を頂けるだけで感謝しています」


ピティエは頭を下げ、水の入ったかめを持ってエミールの元から去る。


その時、足首がきらりと光った。

金色こんじきの足輪。飼われた鳥のしるし。それを使用人――奴隷の証だとエミールは考えていた。捕らわれた少女を自由にする。エミールはその童話のような正しさとピティエと触れ合ったぬくもりに陶酔とうすいしていた。


しかし、彼の想像は耳を引っ張る鋭い痛みで中断された。


「朝からなにやってんのよ!」

「なんだアンネッタか」


振り返るとくりくりとはねる赤毛を三つ編みでまとめた少女が立っていた。


エミールの幼馴染であるアンネッタ=ドゥースブルは、そばかすが散る頬を少し赤く染め、どこか不機嫌そうな目つきをしていた。


「彼女、翼人との混血でしょ」

「たぶんね」


「混血は色々大変なんだって」

「何で君がそれを心配するんだ?」

「それは……」


アンネッタは思わず言いよどんだ。少女の顔が真っ赤になる。


同じく農家の生まれである彼女は年の近いエミールと結ばれることが当たり前だと思っていた。エミールのピティエへの恋心に気づいたとき、彼女は仰天した。


ピティエのたおやかな体つきと農作業で鍛えられた自分のそれと比べ落ち込む日もあったが、それでもアンネッタはあきらめてはいなかった。


「とにかく! きっと、上手くいかないわ」


そう言い捨てたアンネッタはさっさと水を汲み、彼の元から去っていく。一人取り残されたエミールも用事を済ませる。


桶を持つエミールは雪解けが終わり、忙しい日々が始まっていくことを感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人形と恋 かにミサイル @kanatawashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ