西へ 第九節

 言っている意味が分からなかった。

 だって、私は高校の時に何度も吉乃から遊びに誘われている。

 吉乃の言葉があからさまな嘘である事なんて、明確だった。


「でも、私……吉乃と何回も遊んで____」


 言葉の途中で、ハッとした。そういえば、他の子ともそうだけれど、吉乃とだって二人きりで遊んだことは無かったのだと、その事実に気付いてしまったから。


「うん。みんなで遊ぶときに何度もミツキちゃんを誘ったよ。だって、私はミツキちゃんと居る時間が好きだったもん。けど、みんなで遊ぶときだって、私からみんなに声をかけた事は一度もない。私は遊びに誘われたから、みんなと遊んだ。ミツキちゃんも呼ぼうって話になったから、ミツキちゃんに声をかけた。本当に、それだけなんだ」


「そう……なんだ」


 吉乃の言葉を聞いて、意味を考えて、その結果として私は意味のない相槌を打つしか出来ない。

 だって、吉乃はたったいま言葉にしたのだ。

 吉乃にとって、私は親しい存在ではなかったのだと。


 他者に指摘されて初めて、遊びに誘うという選択肢が姿を現す、知人の知人といったような存在であるのだと。

 まさか……まさか、吉乃がそんな風に私を見ていただなんて思わなくて、正直な所、私はショックを受けた。


 だって……だってだってだって…………


「多分、この気持ちはミツキちゃんなら分かってくれると思うの」


 分かるワケが無い。

 私とミツキは同じ人間ではないのだから。


 どこまで行っても、どれだけ高校時代に楽しい時間を共にしていたのだとしても、私と吉乃は他人なのだから。

 ましてや、吉乃は私のことなんて知人の知人程度にしか思っていないのだから。


 そんな吉乃の気持ちが、私にわかるハズがない。

 そんなに簡単に他人の気持ちが分かるのなら、私は今ここで芸術品のようなカップで珈琲を飲んではいない。


「私、怖いんだ。皆が私をどう思ってるんだろうって、そればかり気になっちゃう。皆と遊んでいて凄く楽しいって思っても、ふとした瞬間に急に怖くなる。この楽しいって感覚は、私だけが感じてるものなんじゃないかって」


 私の中で、吉乃という人間は善性の象徴だった。

 花にたとえるなら向日葵。いつも笑顔で、いつも元気で、吉乃を見ていると自分まで良い人間になれたような、そんな錯覚をしてしまうような。


 だから、そんなことは無いという大前提を私は見落としてしまっていた。


 きっと私だけではない。

 皆、そうだったはずだ。


 朝日吉乃は暗い感情を抱くことなんてないのだと、人として生きている以上はあり得ない事なのに、あり得ないという部分に私は今の今まで気づくことができなかった。


「きっと、ミツキちゃんもあると思うんだ。皆で話している時に、自分だけが輪に入れていないみたいな、疎外感みたいな、そんな感覚に襲われること」


 吉乃は、いつも笑っている女の子だった。

 皆の話を楽しそうに聞いて、皆に楽しそうに話をして、吉乃がそうだから、吉乃の周りはいつも笑顔で満ちていた。


「私、その疎外感が怖かった。みんな笑って私と話をしてくれるけど、本当は何を考えているんだろうって、そればかりが気になってた。皆が私の前で私のいないまま話をしていると苦しくて仕方が無かったし、私のいない所で遊んだって話を聞くと不安で夜も眠れなかった」


 今だって吉乃は笑顔だ。話している内容とは裏腹に。

 どこまでも、いつも通りの吉乃だ。


「私抜きで遊んだって話を聞くのが嫌だったのに、私から遊びに誘うって選択肢は無かったの。だって、私から誘って誰も遊んでくれなかったら、その時は答え合わせをされちゃうじゃん。この疎外感がなんとなくの感覚ではなくて、確かな事実なんだって」


 それがどうしても怖かったのだと。だから自分から誰かを遊びに誘うことは無かったのだと、吉乃は笑う。その笑顔はやっぱりいつも通りだ。他愛ない話をしている時と全く変わらない表情だ。


「…………急にどうしたの、吉乃」


 なんか変だよとは言えなかった。

 吉乃に対して、そんな酷い事は言えなかった。


 吉乃は変わってしまったのだと、もう私の知る吉乃ではないのだと、確かに分かっていた筈だ。

 それでも、私には言えなかった。吉乃を傷つけてしまうかもしれない言葉なんて、私は口にする事が出来なかった。


 相変わらず、吉乃は笑っている。楽しそうに。いつも通りに。


「最初から言ってるじゃん。私は言っておきたかったんだよ。私もミツキちゃんと同じだよって」


 それ以上でもそれ以下でもないと、吉乃は言う。

 いや、確かに最初にそう言っていたけれど、なんといえばいいのか……そう、意図が分からない。

 吉乃がなぜこんな話を私に聞かせたのか、その意図が私には分からない。


 だって、こんな腹の底を曝け出すような話をするなんて…………そんな、自分の弱みを、醜い部分を曝け出すなんて、怖くてそうそうできるモノではないはずだ。

 なのに、吉乃はどうして…………


「あはは。ミツキちゃん、どうしてって顔してる」


 言われて、私は慌ててカップから手を離して口元を隠した。

 慌てたのも口元を隠したのも、どちらも無意識。

 後になって慌てた事にも口元を隠したことにも気が付いた。


「急にこんな話をしたのはね、大人になって、いろいろと考えられるようになって、自分の感情と向き合うことができるようになって、言語化できていなかった昔のあれこれをちゃんと説明できるようになって、それでね…………それで、ミツキちゃんも私と同じなんじゃないかって気づいたからだよ」


 大人になったから、自分の腹の底を曝け出すような話をした。

 吉乃の話をざっくりとまとめると、そんな意味合いに聞こえた。

 けれど、私はまだ吉乃の意図が分からない。だって、私だから。


「でも…………でも!」


 思っていたよりも大きな声が口から飛び出て、自分でびっくりした。


「でも?」


 そんな私の様子を見て、吉乃はいつもの笑顔で首を傾げる。私の言葉を待つみたいに、いつもの笑顔で。


「でも…………同じかもって気づいたからって、どうしてそんな……」


 上手く言葉を見繕うことができなくて、声が喉に詰まる。

 どう言えばいいのだろう。どうやって言うのが正しいのだろう。


「どうしてって、私はミツキちゃんと同じだよって言いたかったんだ」


 私の言葉の意図を汲み取ったのか、吉乃は途中で投げ出された私の言葉に応える。

 私自身ですら、私の言葉の意図を汲み取れないのに。


「私はミツキちゃんの感じてる孤独感が分かる。恐怖心が分かる。だって、私もそうだから。だから、ミツキちゃんは一人じゃないよって、それを伝えたかったの。きっとミツキちゃんは私と同じで、人に嫌われるのが怖いんだと思う。でも、少なくとも私に対しては、そんな事は考えなくていいんだよって、私は今日、それを伝えたかったの」


 言ってすぐ、吉乃は自らの言葉を否定するように「ううん」と首を横に振る。


「本当はずっと、ずっとずっと伝えたかった。高校を卒業して疎遠になっちゃってから、私がちゃんと考えられるようになるまで時間がかかったけど、上手く言葉にできるようになるのが遅かったけど、それでも、今日こうして偶然会う事が出来て、私は絶対に今日、ミツキちゃんに伝えたかったんだ。私はミツキちゃんの味方だよって。だって……だって私はずっと、昔も今も、変わらずにミツキちゃんが大好きなんだもん」


 そこまで言って、吉乃は「ハッ!!!」と今まで聞いたことが無いような声を上げて固まった。

 あまりにも唐突な出来事だったから、私もびっくりして固まってしまう。


 どうしたのだろうと思っていると、吉乃は急に両手で顔を覆って、「あぁ~」と変な声を上げた。


「待って待って待って? 私いま、なんかすごく恥ずかしい事言ったよね!?」


 両手で顔を覆ってるから、吉乃の声はくぐもって聞こえる。

 顔は見えないけれど、見れば耳は真っ赤だった。


 昔の吉乃とは少し違うけれど、私には昔の通りに表情豊かに見えた。

 大人になったけれど、吉乃はもう私が知る吉乃ではなくなってしまっているけれど。

 以前と違ってもう純粋なイメージを持つことはできないけれど、それでもやっぱり、吉乃は吉乃だった。


「やっぱり吉乃にはかなわないや」


 なんだか頭が少しだけスッキリとして、今度はちゃんと言葉にして聞くことができた。


「少しだけ、私の話をしていい?」


 念のために聞くと、吉乃は両手で顔を覆うのを辞めて、耳だけではなく顔まで真っ赤にしたまま私を真っすぐに見て、頷いた。


「聞きたい。私、ミツキちゃんの事、もっと知りたい。だって私…………私、今度こそちゃんと、ミツキちゃんと友達になりたいもん」


 友達という言葉はあまり好きではない。

 いや、その言葉自体と言うよりは、その言葉を面と向かって言う事、面と向かって言われる事が好きではない。


 理由を正しく述べる事はきっとできないだろうけれど、それでも理由を説明するとしたら、それは呪いの言葉だからだ。

 互いの関係を縛り付ける、互いの思考を蝕む呪いの言葉だからだ。


 私は、友達と言う言葉が好きではない。

 遊ぼうと言われて遊ぶのは、遊ぼうと言ってくれたその人とただ遊びたいと思ったからで、助けてと言われて助けるのは、ただ私に助けを求めてくれたその人の力になりたいと思ったからで、その感情に友達だからと言う理由は介在しない。


 けれど、友達と言う言葉を面と向かって言ってしまったら、友達と言う言葉を面と向かって言われてしまったら、すべての感情は友達と言うただ一つの単語に括られてしまう。


 どのような背景があるか、どのような感情が込められているか、そういった大切な全てが破り捨てられ、友達と言う空箱に置き換えられてしまう。


 果たしてそれは、感情を空箱に置き換えた末の行動……選択は、相手を思い遣っていると言えるのだろうか。

 私は、とてもそうは思えない。


 だから、私は友達と言う言葉が好きではない。


「……ありがとう」


 なのに、吉乃から友達になりたいと言われて悪い気はしなかった。 むしろ嬉しいとさえ思えた。

 相手が吉乃だからなのだろうか。それとも、吉乃の「友達になりたい」という言葉選びが良かったのだろうか。


 もしかしたら、他に何か理由があるのかもしれない。けれど、今は理由なんてどうでもよかった。今の私の感情には、吉乃の言葉に応えたいという気持ちが確かにあるのだから。


 きっと、吉乃は私を正しく理解してなんかいない。吉乃の言う孤独感と私の感じている世界から弾き出されてしまっているような感覚は、イコールなんかではないハズだ。


 けれど、それでも良いと今の私は思っている。


 私は友達と言う言葉が好きではない。きっと、これから先も好きになることは無い。

 それは綺麗で大切な感情の全てを、陳腐で簡素な空箱に置き換えてしまうような言葉だから。



 でも、その言葉で吉乃の言う孤独感と私の感じてる世界から仲間外れにされているような感覚が、少しでもイコールに近づいてくれたら良いなと思いながら、私は私の話をした。

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