電車を切り離すとき

増田朋美

電車を切り離すとき

その日は、秋らしく寒い日で、やっと秋の到来だと言って喜ぶ人もいたけれど、逆を言えばいつまで経っても暑いまま大変だったということであった。杉ちゃんたちがいつも通り製鉄所と呼ばれている福祉施設の四畳半でお昼ごはんを食べていたその時。

「すみません。ちょっと隠れさせてください。」

と言って、右手しか肩についていないフックさんこと、植松淳さんが製鉄所の玄関から食堂に飛び込んで来た。

「どうしたの?」

と、杉ちゃんが言うと、

「実は、広上先生にしつこく追いかけられておりまして。」

とフックさんは申し訳無さそうに言った。

「広上さんが、他人を追いかけ回すような事するのか?」

「わからないですけど、あの人ならやりかねないですね。」

杉ちゃんと水穂さんは顔を見合わせた。それと同時に、

「ここにいたのかジェイムズ・フック!悪いことでは無いのだから、ぜひ引き受けてくれよな、頼む!」

でかい声で玄関の引き戸を開けて、広上麟太郎がやってきた。どうもこの人は有名な指揮者であることは確かだが、何でもやることが強引で、それが他の人には理解できないようなのだ。杉ちゃんも水穂さんもびっくりした。

「だから広上先生。僕はそのような大曲は書くことができません。書いてほしいなら、僕ではなくて他の作曲家を当たってください!」

フックさんはそう言うが、

「いや、お前でなければかけない物がある。どうか頼むよ。こんな申し付けはめったに無いんだから。ぜひ、お前の技術で合唱交響曲を書いてくれ!」

と、麟太郎はフックさんに言った。

「一体どういうことですか?まず初めに僕たちにもわかるように、はじめからしっかり話してください。」

と、水穂さんがそう言うと、

「そうだ、終わりまで聞かせてもらおうぜ。」

と、杉ちゃんが言った。

「実はなあ。良庵高校が今年で創立50年になるんだよ。」

麟太郎は話し始めた。

「そんな高校名前も知らない。富士市内にある高校じゃないな。どこにあるんだ?」

杉ちゃんが言うと、

「焼津市にある、通信制の高校ですね。早くから、不登校等の生徒さんを受け入れてきた、救済機関です。」

と、水穂さんが言った。

「はあ、それでそのりょうかん高校が、フック船長になにかようなの?」

杉ちゃんがまた聞くと、

「はい、そこのオーケストラ部が、50周年記念演奏会を開くそうで、そのときに演奏する交響曲を広上先生が僕に言うんですよ。」

フックさんは、申し訳無さそうに言った。

「そうだ!ベートーベンの第九にまさるような交響曲をぜひ書いてもらいたい。合唱は、その良庵高校の生徒さんで行うことになった。だから、演奏効果もあり、なおかつ荘厳で難しくない曲を書いてもらいたいんだ!よろしく頼む!」

と、麟太郎が言うと、

「だから演奏効果があって、難しくない曲なんて、存在しないって何回も言ってるじゃないですか。それに合唱の生徒さんたちは、クラシック音楽をほとんど知らないんでしょう?そんな人達にベートーベンの第九のような曲を合唱させるなんてむちゃしすぎです。もう少し難易度を下げて、工夫したらどうなんですか、広上先生!」

と、フックさんも負けじと言った。

「そうですか。お話はわかりました。つまり良庵高校のオーケストラ部の演奏会で演奏する、合唱交響曲を書いてほしいというわけですね。それで広上さんは、ぜひ、ベートーベンの第九にまさるような曲を作ってほしいと。まあでも少なくとも良庵高校と言いますのは普通の生徒さんが行くようなところでは無いのだし、なにかワケアリの生徒さんばかりが行くところですから、少なくとも一生懸命練習に励むことはするでしょうし、そういう点では多少難易度が高くてもいいのではないかと思いますけどね。」

水穂さんが静かに言った。

「でもクラシック音楽に、親しんだことのない人達なのでしょう?」

フックさんが言うと、

「いや、そういうことこそ、偏見だよ。確かに譜面は読めないかもしれないけど、きっと一生懸命やれると思うよ。日頃から馬鹿にされやすい人達だし、そういうイベントには力を入れると思う。多少難しくてもいいじゃないか。そういう生徒さんたちを、音楽でなんとかするってのは、作曲家の大事な仕事だと思うけどな。」

と、杉ちゃんが言った。

「お望みなら、一度良庵高校を見学させて頂いたらいかがですか?ああいうところは比較的オープンなところがありますからね。」

水穂さんがにこやかに言うと、

「そうなんだ!じゃあ、僕も見学に行くよ。一緒に行こうぜ。」

杉ちゃんに言われて、フックさんは仕方なく、

「わかりました。」

と小さな声で言った。

それから数日後。麟太郎を通して良庵高校に見学を申し込んだところ、良庵高校側は、いつでも見学に来てくれと快く引き受けてくれたので、杉ちゃんとフックさんは見学に行くことにした。焼津にあるということだけど、富士駅から静岡駅まで40分程度。そこから焼津駅は、安倍川、用宗を経て焼津駅に到着して、50分程度であった。杉ちゃんたちは、駅員に手伝ってもらって、焼津駅を出た。そこからは、ワゴンタイプのタクシーで、320分から30分程度乗る。途中の大通りが時間によっては非常に混雑するので、普段は20分で行けても、30分以上かかってしまうこともあるという。杉ちゃんたちは、予定通り、タクシーに乗ったのであるが、やはり大通りは車でいっぱいであり、運転手は、30分近くかかってしまうがそれでもいいかと二人に聞いてきた。

「ええ、構いませんよ、どっちにしろ僕たちは、これしか行く手段が無いのですからね。バスも一時間に一本しか無いのだし、仕方ないじゃありませんか。」

と、フックさんが言うと、

「そうですか。子供さんでも良庵高校に行かせる予定ですか?」

運転手は二人に聞いた。

「嫌だなあ。僕はまだ結婚してないし、こっちはまだ結婚したばかりだし。」

と、杉ちゃんが答えると、

「失礼失礼。大体ね、この時間に、良庵高校へ走るのは、大体、学校を見学に行く子供さんやその保護者の方が多いんですよ。みんな行く前には、自信がなさそうな顔をしているんですけどね。帰ってくるときは、とても良かったねえという顔をして帰ってくるんです。」

と運転手はにこやかに言った。

「それなら実際に良庵高校に通っている生徒さんを乗せたこともある?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい。良庵高校に通う生徒さんは、皆投稿時間がバラバラなので、この時間に来る生徒さんもおられますよ。その逆もおられます。あの学校はまず初めに学校へ来ることを目標にしますからね。中にはですね、顔をスカーフみたいなもので覆い隠したりする生徒さんもいました。」

運転手はにこやかに言った。

「つまりイスラム教とか?」

杉ちゃんが聞くと、

「そういうことじゃないですけどね。なんでも対人恐怖が酷くて、そういう格好をしているんだそうです。中にはバスに乗れないので、タクシーを利用して通学して居る生徒さんもいます。そういう生徒さんには、ちょっとお金を払わせるのもなんだかなという気がするんです。月に一度とか二度しか学校に行かないので、いいって言うんですけどね。彼女たちは、車の運転免許を取ることもできないし、バスに乗ることもできないわけですしね。正しく交通弱者ですよね。そういう女性たちに対して、もっと交通手段があったらいいのになあ?」

運転手は、間延びした声で言った。

「そうなんですか。確かに都会と違ってこちらは本当に少ししかバスも走ってないし、不便ですよね。」

フックさんがそう言うと、

「はい。生徒さんは、一生懸命勉強しているようなので、こっちも感心するんすよ。まるで、他の学校の生徒さんに、見習いなさいといいたいくらいですよ。なんでも、静岡県以外のところからも来るそうです。来るのは月に一度か二度だし、普段はオンライン授業で勉強するので、通学する必要が無いからって。」

と、運転手は言った。

「そうなんですか。いろんなところから来ているんですね。なんだか、有名になってほしくない高校なのかな。」

「はい。そういうことですねえ。なんだか有名になったら、あんな面倒見のいい高校がなくなっちゃうような気がして、つらいところですよ。はい、こちらが良庵高校の正門です。帰りは、領収書に書いてある電話番号に電話してくれればすぐに行きますので。」

運転手は、四角い建物の前にタクシーを止めた。そして、後ろのドアを開けて、杉ちゃんを車いすごと降ろしてくれた。フックさんが、とりあえずお金を払うと、毎度ありと言って運転手はそれを受け取った。杉ちゃんたちは、その建物の入口へ行った。

「へえ、これが学校か。なんかよくある学校とは違うような気がする。上に長い高層ビルじゃないか。学校って言うと、横に長くて上に時計がついてる建物のはずなんだがな。」

杉ちゃんがでかい声でいうと、

「お二方、どちらからいらっしゃいましたか?」

と、白髪頭のおばあさんが、二人の前にやってきた。

「あああの、僕たちは富士市から参りました、植松と、」

「影山杉三で名前は杉ちゃんだ。」

二人が急いでそう言うと、

「見学に来られた方ですね。入学を希望ですか?それともお子様が入学したいとでも?ちなみに私は、こちらの副校長の羽鳥と申します。」

おばあさんはそういった。杉ちゃんが校長先生は居ないの?と聞くと、授業へ出ていると副校長は答えた。

「どちらでも無いんですけどね。こいつが、オーケストラ部の曲を書くことになったんで、ちょっと参考に学校の中を見せてもらいたいと思ったんです。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ああ、さようでございますか。それでは、ぜひ校内へお入りください。ちょうど、練習をしているはずです。どうぞ。」

と副校長は、杉ちゃんの車椅子を押しながら、二人を学校の中へ案内した。学校はエレベーターで移動できるようになっていて、無理やり階段を使わせるような張り紙もされていなかった。よく教育機関では、体調が悪い人でないと、エレベーターを使っては行けないとかうるさく言うところも多いが。副校長は、二人を三階の部屋へ案内する。さあどうぞと言って、部屋の前に二人が立つと、ドアは自動ドアになっていて、すぐに開くようになっていた。中に入ると聞こえてきたのはキーキーという汚い音だった。でもその汚い音であっても、生徒たちはそれぞれの楽器を一生懸命練習しているのが見て取れた。随分汚い音だと杉ちゃんがつぶやくと、

「すみません。私達は、この学校に来てから、楽器を始めた人が多いものですから。」

と、近くでバイオリンを弾いていた女性が言った。

「そうなんだね。ということは、お前さんたち何歳から楽器を始めたんだよ。」

杉ちゃんが聞くと、フルートを吹いていた男性が、

「僕がこの学校にはいったのが会社をやめてからだから、60過ぎた頃からですかね?」

と言った。確かに、他の生徒さんを観察してみると皆通信制高校らしく、セーラー服によくにた服装をしている女性や、学ランによくにたマオカラーを着ている男性も居るが、皆、10代とか20代の人物は非常に少なくて、60代とか、70を過ぎているお年寄りばかりだった。

「そうなんだねえ。みんなどうしてこの学校に入ろうと思ったの?」

杉ちゃんがそうきくと、

「はい。若い頃、高校に行く余裕がなくて、働かなければならなかったのです。それで会社が終わってやっと自由な時間ができて、それでもうちょっと勉強したいと思ったんですよ。」

と、先程のフルートの男性が言った。

「あたしは、子育てが終了したから、ここで勉強させてもらおうと思ったんですよ。皆そういう人ばっかりですよ。他には、持病などで学校に行けなかったけど、今は回復したとか。あるいは、ああそうだ、戦争に行かされて、学校に行けなかったので、それでこちらに来てるっていう生徒さんもいますよ。そうだよねえ、佐々木さん。」

バイオリンの女性が、教室の隅でチェロを弾いている男性を顎で示した。男性は、ところどころ音を外したりしていながら、それでも頑張ってチェロを練習している。

「佐々木さん。学校を見学に来た二人になにか言ってやってください。佐々木さん、もう96歳にもなるんですよ。」

フルートの男性に言われて佐々木さんはやっと二人が来ているのに気が付き、弓を動かすのをやめて、

「どうもはじめまして佐々木です。」

とにこやかに挨拶した。

「とても96歳には見えない元気さだな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「ああ、良くそう言われますよ。ですが、どれだけ嬉しいですかね。私は、戦争で学校にいけなくなって、もう無理かなと思っていましたが、孫がこちらを紹介してくれたお陰で、念願の学校に行けて、こうして部活もやれるんですからな、はははは。」

佐々木さんはにこやかに言った。そして、バッハの無伴奏チェロ組曲から一節を弾き始めた。決してうまいとは言えない演奏だったけれど、でも頑張って楽器をやっているのが見て取れた。

「今日は、個人活動なんですけどね。合奏練習はまた別の日にやるんです。その時は、広上先生も来てくれます。あんなすごい先生に来てもらえるなんて、あたしたちは幸せですよ。」

バイオリンの女性がそういった。皆思い思いに楽器の練習をしている。なんだか一つの部屋しかあてがわれないのがちょっとかわいそうだなと杉ちゃんもフックさんも思った。もう少し広い部屋があてがわれたらいいのにと思った。佐々木さんと、フルートの男性が一緒に合わせて一曲演奏してくれたけど、なんだか手付きもちゃんとしていないし、本当にできるのかと思われるくらいのレベルだったが、でも、佐々木さんたちは、とても楽しそうだった。

「お望みであれば、授業も見てみますか?」

副校長が二人にそう言うが、

「いえ、僕らはこの部活を見せていただければそれで大丈夫です。」

と、フックさんは断った。その部活の様子を見ていれば、その学校の校風というか、授業態度などがわかるような気がした。杉ちゃんは、生徒さんに声をかけようとしたが、フックさんがそれを止めた。それくらい、生徒さんたちは一生懸命やっていたのである。二人は、一時間ほど部活を見学して、またタクシーに乗って、焼津駅に戻った。焼津駅に戻ると、セーラーカラーのワンピースを着用した、20代くらいの女性がいたので、多分、良庵高校の生徒ではないかと感づいた。それと同時に、

「まもなく、普通列車三島行が、六両編成で到着いたします。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください。なお、この電車は、途中静岡駅で、後ろより三両を切り離します。」

とアナウンスが流れて、ガタゴト電車が、焼津駅のホームに到着した。杉ちゃんたちは駅員に手伝ってもらって電車に乗った。あの若い女性もそれに乗った。電車は、すぐに走り出した。

「ご乗車ありがとうございます。東海道線、普通列車の三島行です。列車は六両編成です。なお、この電車は、途中静岡駅で、後ろより三両を切り離します。静岡より先の、清水、富士方面へお越しのお客様は、ボックスシートの車両にご乗車ください。」

と、車掌のアナウンスが聞こえてきて、女性は大層びっくりした顔をした。思わず、

「えっどうしよう!あたし富士なのに!」

と叫んでしまったほどである。

「大丈夫だよ。向かい合って座るタイプの座席になってれば、ちゃんと富士駅まで乗っけてくれるさ。お前さんも富士で降りるんだね。僕らも同じなんだよ。」

と、杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「そうですか。ごめんなさい。私、不安障害がありまして、すぐに不安になってしまうものですから、思わず声を出してしまいました。」

と、彼女は申し訳無さそうに言った。

「ああそうなんだね。不安障害か。それなら、そうなっても仕方ないや。お前さん焼津駅から乗ってたけど、もしかして良庵高校の?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「はい。そうです。と言っても、今年の四月に入学したばかりで、まだ、なれてないんですけど。」

と彼女は答えた。

「そうか。じゃあピカピカの一年生か。それでは、やることなすことが、一年生で楽しいだろう?まわりの生徒さんは、じいちゃんばあちゃんばっかりだけど。」

杉ちゃんが聞くと、

「そうですね。私、トラウマがあって、今治療中なんですよ。学校へ行くって親に言われたときは、正直、死んでしまおうかって思ったくらいです。でも、他の皆さんは、私の母くらいの年齢の人から、中にはおばあちゃんだなって思う人もいて、私は、ああいう優しい人達がいるところにいけて幸せだと思いました。私が行っていた全日制の高校は、まるで刑務所みたいで、点数が悪い生徒さんに対しては、ゴミ箱行だとか、死んでしまえとか平気で行っていたけれど、良庵高校の生徒さんは絶対そんな事しないですよね。だから、私は、救われたんです。だから、頑張って病気を直して、

いつかは、まわりの人を助けられるような仕事をしたいと思います。」

と女性は言った。

「今はまだ、こうして電車を切り離してしまうと、不安になってしまうんですけど、、、。」

そういう女性に、

「そうかそうか。確かに心というか精神疾患は治すのが大変だからな。でも、いいところに通えていてお前さんの居場所があるのなら、きっとお前さんも治ると思うよ。だから、ゆっくりのんびりのつもりでさ、治して行くといいよ。不安になってしまうときは、ああまたやってしまったくらいに、軽く考えておけばいいのさ。大丈夫だよ。頑張りや。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「ありがとうございます。なんか、良庵高校の校長先生にも同じことを言われました。不思議ですね。教育機関が、焦らずのんびりというなんて。私は、教育機関はどこもかしこも進学進学としか見ていないと思っていましたが、そうでもないってことを最近わかるようになったんです。」

「そうだよ。それに進学のことしか頭にない教育機関は、学校のことしか考えて生徒さんのことは何も考えてないんだよ。それがわかったらもう勝利。そう思えや。」

杉ちゃんはにこやかに言って、女性の背中を叩いた。それと同時に何か考え込んでいたフックさんが、

「やっぱり、この学校のために書こうかな。そんな気がしてきました。」

と小さい声で言った。



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電車を切り離すとき 増田朋美 @masubuchi4996

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