拉麺鐵道柒壱壱

そうざ

Nudle Train 711

 ついさっきまで梅雨明け宣言がどうのこうのと話題にしていたのに、みぞれが雪に変わろうとしている。

 葬列のような人影が闇の向こうへと続く。街が大混乱を来たし、線路沿いをとぼとぼと歩いて還るしかなくなったのだ。

 その道中、馬鹿げた都市伝説を耳にした。

 それ・・は草木も眠る丑三つ時に現れる。が、その姿をはっきりと認めた者は居ない――ならば誰がそれの存在を知り得たのかとの疑問が湧くが、それでも酔狂に淡い期待のようなものを抱いてしまったのは、有りと有らゆる物が大きく揺らされ、自分の気分もその例外ではなかったからかも知れない。

 硝子の破片に似た無数の雪片が止め処なく肌に突き立つ。無明むみょうの歩みが死出しでの旅を連想させた、その時だった。

 汽笛というものを生で聴いた記憶がない自分にも、夜半よわを貫いて届くその響きは、これが汽笛か、と信じさせるだけの緊迫性があった。

 白息しらいき越しに闇を振り返ると、カーブする二本のレールが光跡を描きながら純黒じゅんこくの塊を連れて来る様子がはっきりと見えた。

 塊は眩い光源をその額に掲げ、汽笛のまにまに迫って来る。

 轟音が咆哮となり、大地を揺るがす。

 余震のような衝撃に五感が奪われる。


 ――どれだけ経過したのか、途方もないようにも、ほんの一瞬のようにも思えた。

 奪われた五感がおもむろに蘇り始める。霙は雪に変わっていたが、夜陰は何故か煖気だんきを帯びていた。

 眼前に停まっていたのは、黒光りする無骨な汽罐車だった。

 牽引しているのは客車ではない。屋台の連なりだ。それぞれに意匠を凝らした暖簾から、薄明りと湯気と香ばしい匂いとが止め処なく溢れ出ている。

 全てが拉麺の屋台だった。

 選り取り見取りの名物拉麺が競うように軒を並べているのだ。この国は北から南、東から西まで実に様々なご当地拉麺が存在する。その壮観な眺めと圧巻の事実とに思わず胸が踊った。


 汽罐車は云う――停車時間は柒分しちぶん拾壱ぢゅういち秒、柒分拾壱秒――。


 これは忙しい事になった。たった七分ぽっちでどれだけの拉麺をしょくせるのか。

 考えている暇はない。それは誰にとっても同じで、人の波が我先にと思い思いの屋台へ散らばって行く。

 どの拉麺にも価格がなかった。待ち時間すらなかった。暖簾を潜るや否や立ち所にお目見えした熱々の丼の中に、渾然一体とした宇宙が広がっていた。

 一心に息を吹き掛け、嬉々として麺を啜り、咀嚼するが早いかスープを口にし、具材の吟味も怠らない。

 誰の面差しも一途な多幸感に充ち充ちている。そこにあるのは、単純明快な食の快楽だった。

 火照ほてった鼻水を擦り、夜にまた食べ過ぎちゃったと軽い罪悪感さえも醍醐味とし、おごそかに丼を抱え上げ、スープの一滴まで我が物とする達成感に酔い痴れる自分が居た。


 ――汽笛が轟く。


 再び息衝いた汽罐車は、満悦の人々に温もりを残し、何処いずこへと走り去った。きっと次の被災地もくてきちが待っているのだ。

 たった七分ばかりの至福。体感はそれ以上、心も体も芯から寒さを忘れている。

 都市伝説はつまびらかな真実を語りはしない。この日常が何かしらの不条理な鉄槌を食らった時、またあの汽罐車にまみえる事になるのだろう。しかし、それを心待ちに出来る程、まだ何事にも希望を捨て切れそうにない自分が居る。

 雪が降り積む。

 本当に雪だろうか。

 瓦解した全てが銀世界に変わろうとしている。

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