第十一話 恋敵

「やっぱりシル君なんだね……」


 シューネとの再会を喜び、抱き着こうと宙に舞ったシルの姿を目にし、シューネもまた目の前の飛翔体がかつての恋人であると確信した。


「シューネ!」


「シル君……変わらないね」


 どうやら八年もの長い年月ですら、シルの燃え続ける恋心を冷ます事はできなかったらしい。

 成長したシルの姿にはやや困惑したが、その本質は変わっていない事をシューネは純粋に喜んだ。


「また会えて私も嬉しい。でもね……」


 浮かれる理由は痛いほどわかる。だが、まず初めに言わなければならない事がシューネにはある。

「良かった! 俺も会いたかっ」


「いきなり人前で抱き着くのはダメでしょうが‼」


 シューネの眼前に迫ったシルの左頬に、目にも止まらぬシューネのビンタが炸裂した。


「あばふっ‼」


 一時間前に破竜の攻撃ですら簡単には通さなかったシルの体は、たった一撃のビンタによっていともたやすく地に沈んだのだった。


「団長!」


 華麗に空中で横一回転半した後、頭から落下したシルの下へといの一番に駆け付けたのは、リナであった。


「リナ、心配するな。大したダメージは無……」


「団長の……浮気者ぉぉ!」


「痛ぁぁ!」


 横たわったシルに馬乗りになったリナからは一切の労いの言葉は無く、むしろ爆速の往復ビンタが繰り出された。

 リナの魔力量は人間の平均をやや上回る。とは言え、シルが全力で防御すれば、リナのビンタなど頬を撫でるようなものだ。

 しかし、シルが全力でリナのビンタを防御出来ない理由が、しっかりとリナの怒りを受け止めようというシルの気遣い以外にもあった。


「――見事だね」


「ね、あそこまで速い往復ビンタ、私でも無理だわ」


「そうじゃないよ。速度もそうだけど、僕が感心したのはリナが纏っている魔力の方さ」


「んー?」


 レイに指摘された通り、リナの纏う魔力へとノルノは注意を向けた。


「……あらほんと。確かにあれはすごい成長ね」


 注視すること数秒、シルがビンタをほぼ無防備で受けなければならない状況を作り出しているリナの工夫にノルノも気がついた。

 タネを明かせば大したことではない。ただリナは、毎回ビンタをする寸前に纏う魔力の量を激しく乱高下させていた。

 纏う魔力の量でビンタの威力は当然変化し、リナのビンタは時に石を砕く威力に、時に年相応の少女が繰り出す貧弱な威力にもなる。


「本気のビンタならシルも全力で防御して問題無い。でも、もし一切魔力を纏っていない状態のビンタをシルが全力で防御すれば、最悪リナの手の骨は粉々になる」


「女の子が大岩以上の硬さのシルの身体を、本気で殴ったらそりゃそうなるわね。結果シルはリナが素のビンタでも自傷しない程度の防御しかできないってことね」


「その通りさ。とても繊細な魔力操作だ。日々の修行の成果だね」


 リナの日々の努力を数年直接見てきた二人には、何よりリナの目覚ましい成長が嬉しかった。思わず二人が話している間にもシルが殴られ続けている事を忘れてしまう程に。


「君達、そろそろ彼女を止めた方が良くは無いか? 君達の団長が虫の息の様だが……」


「「あ……」」


 これまで幾度となく凄惨な光景を目にしてきたローランにも、シルが少女に殴られている光景を長時間目にするのはいささか辛いものがあった。


「リナ、そのあたりにしておきなさい」


「レイさん……わかりました」


 レイが声をかけると、すぐにリナは手を止め、ビンタの嵐からシルを解放した。


「気は済んだ?」


「少しはすっきりしました。今回はこれくらいにしておいてあげます」


 膝に付いた砂を払い、リナは普段通りの冷静を装いながら立ち上がる。


(落ち着いて考えてみれば、いくら美人だからって団長がいきなり抱き着くなんて狼藉を働くわけが無いですよね。レイさんが止めてくれてよかった……)


 初めは感情のままに手を出してしまったが、実はレイが仲裁に入るよりはるか前からリナは冷静さを取り戻していた。

 しかし一度振り上げた拳を振り下ろす場所が見つからず、途中からは魔力操作の修行のつもりでシルに暴力を振るっていたのだった。


「ほりゃあこれだけ人をボコボコにすれば、しゅっきりもしゅるだろうよ」


 やや腫れあがった頬をさすりながら立ち上がったシルは、恨めしい視線をレイとノルノへと向ける。


「あっはーごめんごめん!」


「でも元はと言えば君が悪いんだよ」


「そ、そうですよ! そもそも団長が人様に卑猥な事をしようとしたから、私が止めたんです! 私は性犯罪者に鉄槌を下したに過ぎません!」


 この世に他者を傷つけてもいい理由など存在しない。少なくとも一方的に他者を傷つけたいと願う者の意思が尊重される事などあってはならない。

 他者を害する権利を持つ者とは、自身も同じように傷つく覚悟をした者のみ。

 たとえ相手が性犯罪者であろうとも、暴力による一方的な粛清を許してはならないのだ。


「リナ、お前の言ってる事は一見正しく聞こえるがな……」


 同年代の子供と比べてリナは多角的に物事を見る事ができるが、まだまだ自身の価値観を絶対視した判断が多く見られる。

 自身が見ている世界だけが全てでは無いのだと教えるため、シルはリナ教育モードへと意識をシフトさせた。


「なんですか? 私は何か間違いを口にしましたか? 反論があるなら聞きましょう。見ず知らずの女性に突然飛びつく正当な理由があるのならですが」


「とんでもございません。何も間違っておりません。私が卑劣で生きる価値の無い性犯罪者になる前に止めていただき誠にありがとうございます」


 挑発的なリナに対し、シルは即座に反省の念をたっぷり込めた謝罪で返した。

性犯罪に手を染める者など全員クズだ。暴力以上に性犯罪が肯定されていいはずがない。むしろ連続ビンタで許されただけ御の字というものだろう。

 むしろリナの倫理観がしっかり成長していることを、シルは嬉しく思ったのだった。


「それでいいんですよ。それで? なぜこのような行動に及んだんですか?」


 竜と猫の団員の中でもリナとシルは最も付き合いが長い。たとえ傾国の美女であろうとも、シルが欲望のままに女性に抱きつく人間でないことを、リナは十分理解している。

 もしシルがそのような蛮行に及ぶ事があるとすれば、思い当たる理由はごく僅かだ。


「ふ、よくぞ聞いてくれた。お前らに紹介しよう」


 ようやく説教が終了した事を察し、待ってましたとばかりに、シルは静観を貫いていたシユーネへと向き直った。


「お前らには何度も話してるが、この子が俺が長年探し続けていた恋人のシューネだ」


 シルの回答はリナの予想通りだった。シルが八年間、傭兵として各地を旅してきた目的。

 その悲願はついに果たされたのだった。


「えー! この人が!? すっごい綺麗な人だねー」


「散々シルから聞かされていたけれど、これは確かに絶世の美女だね」


 幾度となくシルからシューネとの思い出や人柄を聞かされていた団員達は、各々の反応を返す。

 ただ一人、やや渋い顔をしたリナを除いては。


(やっぱりこの人が……それなら!)


「リナ? どうかしたか? 俺を殴った事なら気にしなくてもいいぞ」


 押し黙ったリナに気づき、罪悪感が湧いてきたのかと推測したシルは、さりげないフォローをする。多少やり過ぎとはいえど、非の大半はシルにあるのだから。


「元から気にしてないので大丈夫です」


「あ、そう……」


「そんなことより、こちらも自己紹介しなければ失礼というものです。はじめまして、シューネさん。私はリナ・フィーシヲと申します」


 どこか悲しげなシルを気に留めず、リナは仰々しく頭を下げた。


「わぁすごい。まだ若いのに礼儀正しい子なんだね。それじゃあ私も改めて」


 見た目からは十代前半にしか見えず、事実十五歳のリナの丁寧な所作を純粋に賞賛し、シューネもまたそれに相応しい対応で応じる。


「アルカス騎士団ローラン隊で副隊長を務めています。シューネ・ターキシュです」


 シルのから聞いていた話によると、シューネの年齢はシルの一つ上の十九歳あたり。その若さで騎士団の副隊長を務めているのも驚きだが、それ以上にリナの興味を引いたのは、シューネが名乗った性だった。


「――ターキシュというのは、まさかあのアルカス王国建国時から国に貢献し続けてきたという貴族の?」


「まあ……はい」


 この世界で三本の指に入る大国であるアルカス王国、その建国は数百年前まで遡る。ターキシュ家は建国前から現在の王家を支え、建国後も常に国の繁栄に尽力してきた由緒正しき名家だ。


「ふ、ふぅーん……家柄はとりあえず合格ですか。ですが、家柄だけで人の価値は決まりませんよ!」


「そ、そうだね?」


 身に覚えのない対抗心をリナから向けられ、身に覚えのないシューネは困惑の表情を浮かべる。


「リナったら、恋敵に対抗心燃やしちゃって」


「本人からすれば笑い事じゃないんだろうけれどね。それにしてもこれは思わぬ幸運だ」


シューネを見定めようとするリナの様子を、ノルノとレイは微笑ましく見守っていた。


「そうね。まさかこんな所でシルの目的が果たされるなんてね」


「ん? ああ、それも確かに幸運だね」


「レイ……まさかあんたの言う幸運って、決闘の相手がシルの元恋人だから、有利に決闘が進めてもらえるんじゃないかって事?」


 ノルノの推測は当たっていたようで、レイは沈黙で答えた。

 レイは副団長として人をうまく動かす才や、戦場に限らず常に二手三手先を読む高い能力を有しているが、稀に人心よりも損得を考えてしまうのが玉に瑕だ。


「さて、シューネ」


「何?」


「久しぶりの再会で積もる話はあるが、そろそろ戦ろうか」


「そうだね。手加減は無しだよ?」


「当然。本気で戦ろう」


 レイの思惑は一瞬で辛くも破られたのだった。

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竜の傭兵と猫の騎士 たぬぐん @muru

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