深い深い碧~或るパイロットの話~
死神の列に、また一人加わった。
戦争だから仕方がない。そう言われてしまえばそうかもしれない。
でも…………。
変な子だった。
自分は誰よりも空を愛し、空に愛される女だと口外して憚らない。実技の時は学生はおろか、教官でも気の引ける実戦的な空戦機動を平然とやって……は降りてきた時に吐瀉物をぶちまける。アニメのセリフを真似して「魅せてあげるわ、女神の技を!」と言っては皆を呆れさせていた、燃えるような赤い髪の女の子。
そんな彼女と親しくなったきっかけといえば、全て私の成績不振によるものだった。彼女は変人でありながら、座学も実技も成績は常にトップだった。
他の人間とそこまで親しくなかった私は、自動的に―――私と同じで他人とあまり親しくない―――彼女に声を掛けることとなった。
「……ねぇ、アンタ」
「…………」
「ねぇちょっと」
「うひゃあ!?」
肩を軽く叩くと可愛らしい声を出して飛び上がった。耳の辺りをよく見るとイヤホンがあり、そのコードが彼女の手元のポータブルプレイヤーまで伸びている
「え、あ、え……誰?」
彼女は慌ててイヤホンを外すと、私を見て開口一番にそう言い放った。
「同期の泉……ねぇ、一つ聞きたいんだけど……」
私は少し躊躇って、一息に言い切った。
「なんでそんなに綺麗に飛べるの?」
ん?綺麗?
何を言っているんだ私は。
「…………ブッハハハハハハ!!」
彼女は大きな声を出して笑った。大輪の向日葵のような笑顔に虚を突かれた。
「なんだそんなこと!!いいわ!教えてあげる!」
十分に溜めた後、彼女の口から衝撃的な言葉が放たれた。
「風の声を聞くのよ」
「風の……声……?」
「そう、風の声。機体の表面を流れる空気を感じて、空に渦巻く風を読むの」
まぁ風の声っていうのは私が勝手に着けたものなんだけど、と彼女は少しはにかみながら付け足す。
風の声とは。正直意味が分からない。
「大丈夫。あなたなら聞こえる。そんな気がする」
「…………ありがと」
その日は、それで終わりだった。
そして翌日。
「次、泉候補生」
私の実技訓練が来た。
「よろしくお願いします……!」
「候補生、気持ちは分かるがあまり力むな」
「っ!?は、はい!」
そうだ……落ち着け……落ち着け……。
プリフライトチェック、問題なし。
『1523番、誘導路進入許可』
『1523番、離陸許可』
離陸には慣れたものだ。機首のプロペラが機体に推力を伝え、滑走を始める。
一瞬の浮遊感の後、脚が地面から離れる。
フライト自体は安定して進んでいった……訳ではなかった。
左右にふらつき、上下に揺れる練習機。今回もダメかと思った。
その時、無線から高い声が響いた。
『わっ、ちょっ、やめっ風の声を聞きなさいッ!!』
「っ!?」
あの子だ。
「泉候補生、集中しなさい」
風の声、そうだ風の声。
機体の表面を流れる空気を感じて、空に渦巻く風を読む。
まるでオカルト。
〈ヒュォォォォォォッ……!〉
「ほんとに聞こえた……」
それからは、これまでとは考えられない程に安定した飛行だった。
どこまでも快調なエンジンは軽やかに動力を生み出し、翼も完璧に空気を捉えていた。
「はぁ……!はぁ……!」
「泉候補生、先程の飛行素晴らしかったぞ」
「あ、ありがとうございます……!」
「……楽しかったか?」
「……はいっ!」
その後、あの女の子は管制塔に侵入し設備の無断使用の罪状で一週間の営倉入りとなった。
一週間後、営倉から出て来た彼女は一週間飛べなかったことから顔がやつれ目の下には酷い隈が出来ていた。
その翌日の彼女は練習機で暴れに暴れ、限界を超えた高負荷運用に耐えかねたエンジンからどす黒いオイルを撒き散らしながら墜落するように降りてきた。もちろん、教官と整備班長によって二つのたんこぶをこさえたのは言うまでもない。
その後の練習課程は問題なく、全くの問題なく過ごすことが出来た。変わったことと言えば、私の練習機がプロペラ機から亜音速ジェット、そして双発ファンジェットの練習機になったこと、炎髪の女の子は亜音速機を一瞬で通り越して超音速機に乗り出したこと、そして彼女との交流が生まれ、もっと知りたいと思うようになったことだろうか。
「ねぇ、泉はなんでここに来たの?」
いつもと同じように屋上で二人でいると、いきなりこんなことを聞いてきた。
「……うち、妹が多くて。少しでも良い稼ぎを貰わないと」
「他にも色々あったじゃん。何も空軍じゃなくても……えーと……民間エアラインのパイロットとか。そっちの方が軍人よりは稼げるんじゃない?」
「その手もあったんだけどここなら勉強しながらお金貰えるし……民間は……その……安定性が……」
「あー……」
民間というのは、総じて世界情勢の影響が強い。特に航空分野ともなれば石油をはじめとする燃料価格に領空通過、その他諸々のしがらみに囚われ安定性という意味では非常によろしくない。
「そういうアンタは?」
「んー……ヒ・ミ・ツ☆」
「……ずる」
ニシシと笑う彼女の顔は、最初に会話した時に見せた向日葵と同じで、私の顔はバラのように紅く染まるのが自分でも分かった。
「なーに?泉ぃ、私のこと好きなのぉ?」
「……茶化さないで」
「…………マジ?」
彼女の声は困惑の色を示していた。それもそうだろう。
「嫌でしょ……同性が好きな奴なんて……」
「そんなことない!」
彼女が珍しく声を荒げた。
「…………」
「だって……泉は……初めて私と同じ世界を見てるから……」
あの訓練飛行以来、実技についての成績は右肩上がり。私の感覚は彼女と同じように風を捉えていた。
「あ、ありがと……」
このやり取り以降、私たちの交流はより密なものとなった。
脱線はするが、彼女が軍の扉を叩いた理由は彼女の親類に由縁するらしい。70年程前にその人はこの国の陸軍士官で、戦車に乗っていたことなどを聞いた。元々空が好きで、速く飛びたいと思っていたのもあって軍人になる道を選んだと。
その後全課程の履修を完了し、私たちは、なんとか無事に飛行学校を卒業した。私は軍用輸送機の、彼女は戦闘機のパイロットになった。
部隊が違う都合上、これまで通りの交流を維持することは不可能だった。
それでも、暇を見つけては積極的に連絡を取り、休暇が合えば一緒に食事や買い物に行く。思い出は全て、携帯端末の無駄に高性能なカメラによって、隠しきれなかった毛穴までくっきりと残される。そのくらいの時間は、軍人でありながらも取ることができた。
ある時、ライブに誘われた。彼女の好きなバンドのライブだった。
そこまで有名という訳ではないが、かといって認知度が極端に低いという訳ではない。まさに知る人ぞ知るといった感じの規模感のバンドである。
「これ来たかったんだ!」
「……私、このバンドの曲知らないんだけど……」
音楽と言えば高校で受けた授業のそれが最後である。そもそも、彼女と違って普段から聞く趣味は無い。
「ダイジョブダイジョブ!私もライブで初めて知ったんだし!」
そして私は新たなる世界への一歩を(半ば無理やり)踏み出した。
ライブは2時間で終わった。
あっという間だった。
電子的で本来ならただただやかましいはずのその音が、意味があるのかどうかすら分からないその詞が、一つ一つの波形と電気信号となって私の中に残っている。
高揚が抜けない。
「どうだったどうだった?…………おーい?」
普段なら少し照れてしまいそうな、彼女のニヤニヤとした顔すら眼中にない。
「……音楽ってすごいね」
「でしょー?」
いや、それだけではない。彼女は私の知らないことを知っている。そしてそれをもたらしてくれる。
まるで、無邪気な子どもが「こっちに来て僕と遊ぼう!もっと楽しいよ!」と腕を引くような。
その力は強く、そして優しい。まるで真夏の濃紺の青空のような清々しさを以て、私を導く。
そんな力が、私のそばにずっとある。
そう思っていた。
卒業から4年と半年が経った時期、戦争が始まった。
私は避難民と前線への人員物資補充に東奔西走し、彼女は前線の航空基地を転々としながらスクランブル任務をこなしているらしい。
「らしい」というのは、どこに間諜がいるかわからないから、電波を用いた連絡の類は一切が禁じられているからだ。彼女について知るための伝手は、前線から後方に運ぶ兵隊たちの噂話程度しかない。
それによれば、
・初日で敵機を撃墜した。
・いつも不思議な事を言ってる割にはめちゃくちゃに強い。
というめでたい物もあれば、
・彼女が出撃すると必ず所属部隊の誰かが撃墜される死神。
・僚機の血を吸って生きている吸血鬼。
という嘘か実かわからない暗い物まで。
事実を確かめたい所ではあったが、如何せん彼女の場所が分からないと聞きようがない。
悶々とした日々を過ごしながら、開戦から4か月経った頃。偶然彼女と会うことができた。ある前線の基地で、積み荷の食料弾薬を下ろしている間に、少しの休息中に。
「あれ?泉?」
「……いき……てる……?」
「私がそんな簡単に死ぬと思っておっふ!?」
気づけば体が勝手に動いていた。
渾身の力で抱きしめる。
「ちょっと泉……苦しいし……恥ずかしいんだけど……」
「ごっ、ごめん!」
慌てて手を放し、少し周囲を見ると、何人かが奇特な物を見るようにこちらを見ていた。
「今空いてるから、積もる話もあるだろうしさ。泉は?」
「あと1時間くらいなら」
「十分!」
そう言って、彼女が連れてきたのは、基地の屋上。
当たり障りのない、ぎこちない会話が続く。
あの頃は、もっと、奥まった所まで話せていたはずなのに。
その空気が嫌で、私は切り込んだ。
「ねぇ……」
「ん~?」
「……聞いたよ。死神って言われてるって」
「…………聞いちゃった、か」
諦めたように、明るかったその顔に闇が混じる。
「あれね、だいたいあってる」
つらつらと、ぽつぽつと。溢すように語りだす。
「私が敵を落とす度、誰かを殺す度、僚機が一人死ぬの……」
「…………」
「もう……嫌だ……」
ここまで追い詰められている彼女を、弱っている彼女を見るのは初めてで、少しぞくぞくしたのは秘密だ。
「……なら私が隣にいる。一緒になろう」
「へ……?」
「好きな人が苦しんでるのは嫌だ。それを知ることができないのはもっと嫌だ」
幸いにして、この国には同姓カップルであっても婚姻と同等の権利を有することのできる制度がある。それであれば、内容に制限こそあるものの常に連絡は取れる。
「私の女神サマが死神だなんてふざけたことを言う奴がいたら
勢いに任せて言いたいことを全部言い放つ。
「……ふふっ、アハハハハハハハハ!」
彼女が笑う。あの時と同じように。
「ひっどいプロポーズ……!でも……ありがと……!」
「あ、えと……その……」
「いいよ!一緒になろう!」
私たちは軍人としては初めての、女性同士のペアとなったのだ。
その「結婚」生活(正確には結婚ではないが、同姓ペアでも結婚という言葉を用いるのはある意味慣習である)は戦争という地獄の潮流の中で、私たち二人の着陸用灯火であった。彼女の方が忙しすぎるので長く触れ合える時間は多くなかったが、それでも幸せだった。
彼女は女神であり、私にとっての、雲一つない夏の青空、眩しい程の深い藍なのだから。
そんな彼女はもういない。
目の前には空の棺。
燃やしても何も残らない。
あの女神が墜とされた。
その報せが届いたのは結婚から1年と経たない時期だった。
撃墜したのは、エースパイロットのガンでも、大量に放たれるレーダー誘導ミサイルでもなく、死にかけの機体が放った、たった一発のIRミサイル。我らが空軍のエース様である彼女なら絶対に当たらないような、苦し紛れの一撃。
そのミサイルでさえ、本来は彼女に刺さるはずの物ではなかった。
彼女は、僚機を捉えたミサイルシーカーの目の前を、敢えて横切るように飛んだ。
そう、前線のパイロットから聞いた。
葬式に来た人間は少ない。偶然非番だった軍人仲間、僚機のパイロットくらいで、両家の人間はうちの妹が一人来ただけ。
僚機のパイロットの彼は、ずっと謝り通していた。
そんなに謝ることではない。
彼女は……彼女の好きな空で死ねたのだから。
数日後、ある軍人が輸送任務上がりの私の元を訪れた。
曰く、彼女が墜ちた空戦で空中管制を担当していたAWACSに乗っていたという。
彼は
「少佐の最期の言葉です」
と言って、一つのUSBメモリを渡してきた。
「聞いたら物理破壊で処分してください。本来なら機密の物です」
「は、はぁ……」
呆気に取られる私にUSBを押し付け、彼は踵を返していった。
彼女の遺言らしい遺言なんてものは残っていない。遺品らしい遺品と言えば、遺影にも使った余りある程の写真と、彼女の好きなバンドのCDと、ほんのちょっとの私物だけ。
気にならないと言えば嘘になるが、これを聞いてしまうと、本当に彼女がいなくなったような気がして。
重い手を動かしてパソコンにメモリを挿し、ヘッドホンを着ける。
ファイルはひとつ。録音された年月日と時刻の味気ない名前で、データ量もとても少ない、1分程度の音声。
『ミラージュ2,エンゲージ!見せてあげるわ、女神の技を!』
そこにいたには、いつも通りの彼女だった。
戦闘は終始こちらの優勢に進んだようだ。
『テンペスト、後ろだ!』
『振り切れません!助けて!』
テンペストと言うのは僚機のことだろう。
『なっ、ミューズ!?』
割り込んだ彼女が被弾した。
『何やってんだ馬鹿野郎!ベイルアウト!早く!』
『私の……お姫様に……伝えてほしい……!』
ノイズまみれでガビガビの音声。それでもわかる。彼女の声だと。
『あなたと出会えて……一緒に過ごして……とっても……』
…………。
『たのしがっだ……!』
…………………。
『……………………』
無性に走りたくなって、部屋を飛び出た。
走って、走って、走り続けて。
星空の元、ようやく落ち着いた。
これからの私がすべきことを。
私は迷いなく転属願を出した。
転属先はもちろん戦闘機部隊。
私のような人間をこの国に増やしてはいけない。
風の声はまだ響く。
声が聞こえているなら、私になら、やれる。
死亡通知書
氏名:泉 美月
TACネーム:Widow
最終階級:大尉(一階級特進・少佐)
海峡上での不意遭遇空戦で戦死。24歳
生涯戦績:戦闘機4機撃墜・1機撃破
付:死亡通知書
氏名:境 碧一
TACネーム:Muse
最終階級:少佐
23歳
生涯戦績:戦闘機6機撃墜・爆撃機1機撃墜
茜さす~或る戦車兵の話~ 磯風とユキカゼ @isokaze
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