第12話 譲葉・ブルーリッシュ
譲葉はカツカツと、堂々たる足取りで王宮の廊下を闊歩する。
女学院の最寄りから列車を乗り継いで二日半。満足に休息も取れない長距離移動の直後でも、譲葉の表情に疲れは見えない。
「こちらです」
「ええ。ありがとう」
先導の侍女が扉を開ける。扉の向こうにあるのは、五つの席が用意された半月型の卓。
「来たか、譲葉」
五十代ほどの男性が、譲葉に声をかける。厳しい顔つきをした男性──譲葉の父、
対する譲葉は普段と同じくにこやかに、父親へ微笑みを向ける。
「はい。お久しぶりです、お父さま」
ブルーリッシュとエルダーガーデンの癒着。その責任を問う審問の準備が整ったと連絡が入ったのは、澪による追撃戦が行われた翌日のことだった。
「……姫、本当に一人でいいのか?」
「大丈夫。気持ちは嬉しいけれど、澪と一緒だと話がもっと拗れるから」
トランクに旅装を詰め込みながら声を交わす。サブマシンガンの手入れをする澪は不承不承といった様子ながら頷いた。
「そんなに心配しないで。ちょっと話をしてくるだけなんだから」
「姫の強さは理解しているが、心配くらい許してほしい」
常に鋭く研がれている真紅の瞳が、今はかすかに陰りを帯びている。
それだけの心労を与えていることが申し訳なくて、けれど無視しきれない喜びもあった。澪の心の中に、己が確かに存在していることが目に見えるようで。
そう思うと、ついつい問い詰めたくなってしまうことがひとつ。
「ねえ、澪。いつになったらまた譲葉って呼んでくれるの?」
「女学院にいる間は、私は狩人ではなくあなたの従者だ」
澪の返答はつれない。譲葉はむうと、わざとらしく頬を膨らませるが、澪の生真面目さはやはり好きだった。
澪は一時だけ愛銃の整備の手を止めて、真っ直ぐに譲葉の目を見つめる。
「姫の従者であるのはこの一時だけだ。せっかくなのだから今の立場をもう少し味わいたい」
――だから、勝利を収めろ。
そう激励されていることを理解して、譲葉は笑んだ。
王宮の一角。譲葉は楚々とした歩調を崩すことなく、己のための弾劾場へ歩み出る。
座するのは五つの種族を代表する五人。
王族ブルーリッシュと四公家。前代未聞の暴挙を取り扱うとなれば当主が出張るのは暗黙の了解のようなもの。
けれど、渦中のエルダーガーデンだけは様子が違った。
「こんにちは、森羅。ご当主様の容体はいかが?」
「悪くはない。が、良いとも言い切れない。ゆえに今回も私が名代を務めさせてもらう」
森羅がこの場にいるのは因縁が理由ではない。
エルダーガーデンの現当主はこのごろ体調を崩し、床に伏せる時間が長くなっている。
そのため、四公家が招集される場では、後継者である森羅が名代として動く機会が増えていた。今回もその例に漏れなかったというだけだ。
譲葉と森羅が会話を終えると、志導はギロリとした目で娘を睨め付ける。
「分かっているな、譲葉。お前がしでかした事の重さは」
「はい」
「言い訳はあるか?」
「いいえ。すべてを理解した上でわたしは禁を犯しました。罰は如何様にでも」
粛々とした譲葉の態度を目の当たりにして、森羅は不可解そうに眉根を動かした。
譲葉は視界の端でその様子を確認して、再確認する。
聡い人。彼が天才と称されるに恥じない才覚を持っていることは事実。けれど、この場では上回る。
「譲葉姫、一つ問いたいのだが」
耳の尖った男性、妖精族セーナクルシェが手を挙げる。
「今回の件、ペラギア院はどこまで知っているのだ?」
「すべて。ですが、ご心配せずともセーナクルシェの彼女は他の狩人たちと同じように知っていただけです」
「……そうか」
苦い顔は解かないまま、セーナクルシェは頷く。
ペラギア修道院に所属する四公家関係者は澪だけではない。
もう一人、セーナクルシェの令嬢が悪魔狩りのために入っているのだ。
能動的に止めたわけではないが、積極的に関与していたわけでもない。
今回の件は、国を離れて狩人になった今なら糾弾されることはない程度の関わりだ。その言質を得たかっただけだったようで、問いは続けられなかった。
志導は場を見渡して、カデナを見やると少々の思案の末に声を発する。
「おそらく、一切関係ないと断言できるのはロンダークだけのようだな」
「あら、私ですか。ええ、女学院も絡んでいる以上、分かってはおりましたけれど」
竜の翼を腰から生やした女性。翼人ロンダークが志導の促しに応える。
「前例がない以上、譲葉姫の処遇はこの場の議論で決めるしかありませんね。謹慎では軽いけれど、廃嫡というのも都合が悪いでしょうし」
声が途切れ、逡巡が見える。ロンダークが譲葉を見つめる目には、同情こそあれ容赦はない。
「ええ、昔と同じに戻すのがよろしいでしょう。女学院は除籍。あの離宮で、今後は狩人との接触は許さずに黒科学の研究を行わせる。落とし所としては妥当かと」
つまりは幽閉。
これだけの騒動を起こしたのだから、今まで望まれていたようなプロパガンダの効果は望めない。ならば狩人ではなく科学者とする。
その判断に対して真っ先に同意の声を上げたのは、譲葉だった。
「はい、承知いたしました。譲葉・ブルーリッシュ、喜んでその処分を受け入れましょう」
「……譲葉? お前は──」
あまりにも唯々諾々とした、譲葉本来の気質からすれば考えにくい態度。
流石に訝しんだのか、志導がその意図を尋ねようとした直前。
呪い姫と呼ばれていた少女は、その名に恥じない情念を含んだ笑みを浮かべて、言った。
「感謝いたします。澪のエルダーガーデン復帰を認めてくださって」
──瞬間、風向きが変わる。
名指しされたも同然の森羅ですら、衝撃の大きさにすぐには動けない。
小さく、ほんの少しだけ譲葉は深呼吸をしてまぶたを閉じる。
思い浮かべるのはペラギアの狩人たち。わたしは狩人ではないけれど、今だけは彼女たちに倣おう。
これから先は、己の楽園証明の始まりなのだから。
「……なるほど。そういうことですか」
ロンダークの翼が小さくはためく。興味深げな目が、譲葉と森羅に向けられていた。
「エルダーガーデンとしてはどのように?」
「っ……認め、られない」
誰もが見落としていた失点を知った森羅は、苦しげに意思を表明する。
「ゼロの復帰は、あり得ない」
「どうして? 澪の素性はもう広まっているし、彼女は英雄なのに」
「事実と現実は違う。譲葉姫、あなたも四公家が古代種を抱えるリスクは理解しているはずだ」
「ええ、そうね」
澪は古代種として生まれたがためにエルダーガーデンから放逐された。
その判断に、渇望されていた真祖ではなかったことへの失望は確かに関与しているが、それ以上に。
直系の子が古代種として生まれたこと。その事実がエルダーガーデン、ひいては現体制への大きなリスクだったのだ。
それぞれの種族の代表である四公家にとって、自らの形質を保つことは非常に重要なことだ。そのために、四公家は決して姻族関係となり得ない。
その一方で古代種は亜人の形質をひとかけらも持っていない。
つまり、混血を伴わない亜人との婚姻が出来てしまう。四公家のパワーバランスが崩れるリスクを潜在的に孕んでいる。だからこそ、澪は修道院に送られたのだ。
森羅が言うように、譲葉もその程度のことは承知している。その上で、言い放つ。
「けれど、わたしにとってそんなことはどうでもいいの」
「っ――譲葉!」
娘の暴論に志導は立ち上がり、声を荒らげる。それでも譲葉は父の叱責を意に介することなく言葉を続けた。
「わたしはこの人生を使って、澪という英雄の価値を世界に知らしめる。政治、パワーバランス。そんなもののために澪の覇道の邪魔はさせない」
静かに、滔々と語る。心からの思いを告げる。
目的のためならばどんなエゴも押し通す。あなたたちが人生を賭けて守るものは、わたしからすれば価値を見いだせるものではないのだ、と。
譲葉の言葉を前にして、志導も当主たちもすぐには口を開かなかった。
国へ尽くすべく生まれた王女は、心の底から国という形をどうでもいいと思っているのだと理解させられたから。
即座に反応を返したのはただ一人。怒りのあまり、卓を殴りつけた森羅だけだった。
「……話にならない。子供のような我儘が本気で通ると思っているのか!」
「いいえ。だから無理矢理にでも押し通すの」
たとえば、と譲葉は紡ぐ。
「澪の素性が虚言だと言うのなら、真祖と瓜二つの姿を見せる。古代種が狩人になれるはずがないと言うのなら、交流試合でその力を見せつける。私の呪いが障害になるのなら、私は黒科学を捨てる」
譲葉の口元に浮かぶのは、たおやかな笑み。
「真実を隠すのなら、事実を流布して認めさせる。それが私のやり方よ」
そもそも、譲葉からすれば己の処罰と澪の所属を絡めることに成功すれば、どちらに転ぼうとも構わなかった。
譲葉にとって最も重要なのは澪だ。
澪がエルダーガーデンと認められないのなら、その力を知らしめるだけだし、反対に澪がエルダーガーデンと認められ、表舞台に立てるのなら、己が蟄居を受けようがどうでもいい。
その思考を見て取ったのか。ロンダークはふむ、と頷くと、たしなめるように森羅へ言った。
「森羅、今回は諦めなさい」
「しかし」
「ここからの勝ち目はないと悟っているでしょう。
……ペラギア院の澪はエルダーガーデンゆかりの者ではなく、故に譲葉姫へ処分を下す根拠はない。そういうことになりますが、いかがでしょう、陛下」
「……構わん」
苦々しげな顔をしながらも、志導は首を縦に振る。
譲葉と澪が起こした前代未聞の騒動は、初めから存在していなかった。その結果を掴み取った譲葉は何も言わず、丁寧な所作でお辞儀をして弾劾場から立ち去った。
譲葉が去った後の弾劾場は静まり返っていた。してやられた志導と森羅の空気に押されて、セーナクルシェとカデナも口を開かない。
そんな中で真っ先に口を開いたのは、ロンダークだった。
「森羅。今回のことを失点と考えるなら、まだ挽回はできます」
「挽回?」
「あなたが公の場で、ペラギアの澪を破ればいい」
森羅の赤い瞳が、わずかに開かれる。
「……ええ、確かに。譲葉姫への処分がないのだから、奴もまだ女学院に残っている」
女学院の母体、猟友会は政治問題に頓着しない。澪が女学院に在籍しているのなら、交流試合への選出が取り消されることはないのだ。
「ま、相手は真正の狩人。そう簡単に事が運びはしないでしょうが、あなたの意地を通したいのならせいぜい気張りなさい」
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