第11話 無能の狩人
イオが観測場所に選んだのは、普段から天体観測に使っている物見台だった。
観測手は青科学を介して戦場のすべてを俯瞰する。わざわざ高所に陣取る必要はないが、イオは観測手の任を受け入れるや否や、迷わず物見台へ向かった。
きっと、本能だったのだろう。澪の命を預かる大任を前に、少しでも精神を落ち着けようとする本能。三年生を担当する教官に見守られながら、イオは己のすべてを観測に注ぐ。
「次、十時の方向から六時の方向に三組散らばってる。そのまま六時の方に中型が二十秒後。そいつを片付ければこの波は終わりよ」
『把握した』
時間が経つにつれて、悪魔一体一体の規模と力が強まってきているうえに、数は減るどころか増える一方。こうなるとすべての悪魔の位置を伝えたところで対処は追いつかない。
イオは澪一人で処理が追いつかないことを理解するや否や、教官の助言も必要とせずに、自ら観測の方向性を変えた。
事前に仕掛けたトラップで片付けられるような小物は放置し、澪が相手にするべき悪魔だけを知らせる。
戦況を把握し、悪魔の力量を把握し、必要な情報だけを前線に伝える。
凄まじい思考速度を要する、頭脳の戦場。初陣に臨むイオは滝のような汗を流しながらも、決して指示を過つことはなかった。
「次がそうやね、あと三分で来る。うちから見える限り、あと五回で終わりよ」
『そうか。思ったより少ないな』
狩りが始まって二時間。澪はすでに八回の波を退けている。にもかかわらず、澪の声に疲れは一切見られない。
これが狩人。人類を支える英雄。初めて目の当たりにした戦場は、あまりにも遠かった。
『イオ』
「うん、どうしたん?」
『やはり私の見立ては間違っていなかった。あなたほどの観測手は滅多にいない』
どくん、と。戦端が開かれてから、イオの心臓が初めて高鳴った。
「……そうね。あんたにそう言ってもらえれば、ちょっとは自信になる」
狩人にはなれないとわかっていた。それでも諦めきれなくて、けれど希望は見出せない。卒業が迫る焦燥だけが募る中で、唯一の救いだった天体観測がまさに今、実を結んでいる。
托卵されてしまった、誰にも望まれていない存在。イオ自身が自らに下していた評価が、徐々に徐々にと塗り替えられていく。
「ねえ、澪。うちも戦場に立てる?」
『当然。そうでなければ、この戦線はとうに崩れている』
古代種という絶望的なハンデを乗り越えた澪の言葉だから、脳髄に染みていく。
彼女が認めるのなら、それは本物なのだ。イオ・アウラは戦場に生きられるのだ。
「……次、来るよ。大型も二体いるから、気ぃつけて」
『承知した』
返り血に染まってもなお華やかなヴィジットを翻して、澪は悪魔の群れの中へ飛び込んでいく。
「──うちも、楽園を見つけないとね」
一瞬だけ通信を切って呟く。金色の瞳は、鋭く戦場を俯瞰していた。
◆
身体に打ち付ける雨が体温を奪っていく。跳ね回る身体はどんどんと上気していく。つまり、丁度いい。
『最後の大型、まっすぐそっちに向かってる。あとだいたい二分やね』
「了解、一分で片付ける」
熊が振るう爪を回避しながら接近。純銀の刀で胴体を袈裟斬りにする。
巨大な鷲が宙から迫る。即座にサブマシンガンの引き金に指をかけて発砲。
泥の中から微かな振動。その場から飛び退いて、手榴弾を投げる。
爆発と同時に澪は刀を鞘に収めて、サブマシンガンにマガジンを装填した。
「イオ、悪魔の形は?」
『巨大な蛇。頭は九つ。皮膚に毒は無さそうだけど、警戒はしておいて』
あと一体を片付ければ、この狩りも終わる。
油断はない。安堵はない。寂寥はない。澪のうちにあるのは、ただ悪魔を狩る執念のみ。異端の狩人といえど悪魔狩りに懸ける意思は変わらない。
一秒、目を閉じる。息を吐き出して、駆け出した。
九つ頭の大蛇に接近する。あと少しで刀が届く距離にまで近付いた瞬間、澪は跳躍して頭上の枝を掴み、木を足場にさらに上へ跳ぶ。即座に背中のサブマシンガンを引き抜くと、すべての弾丸を撃ち尽くした。
銀の銃弾は蛇の肉を穿ち、地面を掘り返す。
血と肉、泥が混ざった飛沫を浴びながら、澪は刀を抜いた。
「まあ、この程度で終わるはずもないか」
弾丸の雨を受けた蛇は今も健在。九つの頭もすべてが残っている。蛇は身を震わせて血液を払うと、澪を睨め付けた。
「痛いか。なら死ね」
踏み込み、首の一つを落とす。
蛇は多方向から澪を噛み千切ろうとし、さらに尾で包囲を試みる。
人の身体など容易く千切り、骨を砕く牙が迫る。澪はまず頭の一つにナイフを投げつけて牙を破壊。蛇を怯ませると、頭が瞬時には入り込めない首の付け根へ潜った。
今を逃せば次のチャンスは遠い。ゆえにここで仕留める。
まずは一閃、首を一つ落とす。
残りは七。迫る首から順番に落としていき、残る頭は一つだけ。それでもまだ蛇は息をしている。まだ澪を殺そうとしている。
降り注いだ血液で赤く染まった澪は普段とまったく変わらない声で、中継を見つける少女らに告げた。
「いいか、娘たち」
刀の握りを変える。狙うのは心臓ただ一点。
「これを、狩人は雑兵と呼ぶ」
言葉と同時に狩りが終わる。
南部大森林における豊穣の悪魔討伐戦。要したのは三日。犠牲者、ゼロ。
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