第9話 楽園証明

 土砂降りの雨が窓を叩く。

 私室に戻ると澪は着替えを、譲葉は武装の点検を始めた。


「……ええ、問題なし。空間歪曲はちゃんと機能してる」

「重量は気にしなくていい。マガジンを詰められるだけ詰めてくれ。それとトラップ用の爆薬の手配を」

「分かった。連絡しておく」


 まだ着慣れない制服を取り払い、数ヶ月ぶりに引っ張り出した正装に袖を通す。

 黒のパンツスーツと白のブラウス。さらに朱色のヴィジット。

 動きやすさを重視しつつも、女性的で華美な印象を与える装いがペラギア修道院の戦闘衣装だった。


 身体のあちこちに仕込んだナイフの滑りを確認。愛刀とポーチを腰に、サブマシンガンを肩に。おおよその支度を終えた澪は最後に、真っ黒なペストマスクを装着した。


「やっぱり格好いいわね。修道院の狩人は」

「ああ。初代たちの覚悟には敬意を覚える」


 女性的な正装で着飾り、しかし素性は不気味なペストマスクで覆い隠す。それが今もなお受け継がれる修道院の伝統だ。


 そもそも。修道院とは女性狩人のための機関ではなかった。修道院の本来の役目は、国にとって不都合な少女たちを隠すこと。猟友会と国の橋渡しを務める教会が、円滑な関係構築のために国の不祥事を預かったのが始まりだった。


 狩人を引退した教師が隠される少女たちを養育する。少女たちは教会の思想を受け継ぎ、狩人の補佐に一生を費やす。

 しかし、その人生に疑念を覚えた娘も存在していたのだ。それも一人ではなく、何人も。


 隠されながら生きる人生に反発した少女たちは、自ら狩人となる道を選んだ。

 英雄と称される狩人でありながら、決して存在を明かせないことを受け入れて。


 素性を秘めるためにペストマスクで顔を覆い隠す。その一方で、女として生まれた誇りも忘れないために、戦場で許される限りの華美な装いを纏った。

 少女たちの反発こそが、今の修道院を形作っている。世界への反抗という、狩人としては異端な動機を持ちつつも、数多の戦果を挙げた者たち。それが修道院の狩人だ。


 準備を終えた澪は、譲葉と共にラウンジへ戻る。譲葉の連絡を受けた教官や職員が運び込んだ大量の爆薬によって、憩いの場であるラウンジはすっかり様変わりしていた。

 悪魔の襲来を前にして、普段よりも眼光を鋭くした教官は澪の姿を認めると、手早く話を始める。


「澪、地雷の設置指示書は?」

「ここに。余剰は防衛ラインに設置を」

「改めて問いますが、豊穣の仔を相手に一人で前線を維持するのですね?」

「ああ」


 指導者としてのシトゥリは無茶こそ課してくるものの、決して無理を課してくることはない。無理難題に思えても、自らのすべてを賭して挑めば勝機は必ず見えてくる。今回の戦も例外ではないのだ。

 教官も、澪の意思を確認したかっただけで、異を唱えるつもりは初めからなかったらしい。話は即座に切り替わる。


「観測は誰に?」


 戦場全体を俯瞰して、刻一刻と変化する戦況を前線に伝え続け、戦闘の効率化を図るのが観測手の役割だ。単独戦力と称される狩人にとってはとりわけ、観測手がいない戦場は考えられない。


 幸いなことに、ここは引退した狩人が幾人も詰める女学院だ。苛烈な戦場を生き残り、後進の指導を託された実力者ならば、観測の腕も間違いない。

 けれど、あえて。澪は誰一人として想定していなかった名を挙げた。


「イオ。イオ・アウラ。彼女に託したい」

「…………ふえっ!?」


 突如として名前を呼ばれたイオは、まず素っ頓狂な声を上げる。

 初めは澪の発言の意味を理解しかねていたイオだが、徐々にその顔は不安と恐怖で青く染まっていった。


「ま、待って、待ちいや澪! なんでうちなん!?」

「あなたの観察眼なら経験不足を補って余りあると判断した。それだけだ」

「い、いや、いやいやいや! 確かに観測授業の成績は良かったよ? でも実戦の観測なんかやったことない奴に命を託すなんて、そんなの」

「五日前、天体観測の手腕を見たときに確信した。イオ、あなたは天性の観測手だ。今、経験があろうがなかろうが関係ない。この場でさっさと経験を積んで、卒業したら前線を飛び回れ」

「なしていきなり命令形!?」

「それだけの才覚があなたにはあるからだ」

「い、いや、いや、いや……」


 耳がぺたんと倒れ、逆立っていた尻尾が徐々にしぼんでいく。

 澪が畳み掛ける賞賛は受け取りたいが、かといって命を預かる責務は恐ろしい。そんな葛藤が見える仕草をするイオの肩を、教官が叩いた。


「ええ、確かに。経験さえ考慮しなければ最適かもしれない」

「そこ一番大事! 一番大事なこと考慮して先生!」

「イオ。実戦に出なければ経験はいつまでも得られません」

「う、ううう……」


 現狩人と元狩人、その両方から強く促されれば逃げ場はないに等しい。

 イオは随分と小さくなった尻尾を抱きながら目を閉じる。しばらくの間、苦悩の呻き声がか細く続いていたが、やがて観念したように、イオは面を上げた。


「……わかった。やる。やってやる。あんたの命は預かるから、後悔しんといてよ、澪」

「感謝する」


 今まさに悪魔が接近しているのだ。これ以上、女学院に留まっている理由はない。さっさと前線に移ろうと気負いなく歩き出した澪の背へ、譲葉は声をかけた。


「いってらっしゃい、澪」


 戦場へ出ていく者への言葉とは思えないほどに穏やかで、いつも通りの声。

 対する澪は振り返ると、不気味な雰囲気を醸し出すペストマスクの奥で、確かに微笑んだ。


「うん。いってきます、譲葉」





 ごうごうと、激しい雨は今も降り続けている。森林の中、やや開けた場所で悪魔を待ち構える澪の耳へ、取り付けた無線機からイオの声が流れてきた。


『第一陣、入った。数はだいたい七十以上、百未満』

「大型はいるか?」

『ううん、大きいのはいない。小型七割、中型が三割ってところやね』

「尖兵か。ああ、慣らしには丁度いい」


 悪魔の群れが進むとき、大抵は力の弱い悪魔が道を拓くように先導している。

 今回もそのパターンということは、群れの規模が大きく、やってくる悪魔はどんどんと強大なものになっていくことが確定したようなものだが、やはり澪に動揺はない。


『あと五百メートル』


 呼吸を整える。


『三百メートル』


 精神にはいささかの曇りもない。

 狩りに支障が出るような要因は存在しない。


『百メートル』


 駆ける。


「オオカミ、ネコ、イノシシ――獣か」


 悪魔とは概念存在。質量を持つ概念とも称される人類の敵。

 今回出現した豊穣の悪魔が宿していたのは、ひたすらに増殖する形質。その仔である目の前の悪魔は見かけ通り、ただの獣と変わりない。


 地面を蹴り、悪魔の上を取る。

 澪が即座にサブマシンガンの引き金を引くと、ばらまかれた弾丸は悪魔を穿ち、息の根を止めた。


「退魔の銀で造られた弾丸だ。お前たちには実に効く」


 現れたカラスへ惑うように、悪魔の群れは進軍を停止する。

 澪はペストマスクの奥で笑い、久方ぶりの宣言を挙げた。


「ペラギアの澪、楽園証明を開始する」


 一斉に飛びかかる悪魔たち。澪は至極冷静に、弾丸を放つ。

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