第8話 戦場へ

『南部大森林にて豊穣の悪魔出現』

『豊穣の中でも類い希な大群』

『ペラギア修道院、および猟友会アウリカ・ファム出陣』

『戦局は順調、直に殲滅戦開始』


 寮のラウンジでテレビから流れるニュースの声を聞きながら、澪は通信端末に目を落とす。

 やはり報道よりも狩人の通信網の方が情報は遙かに早いのだな、と澪は今更ながらな知見を得ていた。


 報道ではまだ、豊穣の悪魔が出現し、ペラギア修道院が出陣したとしか伝わっていない。テレビ画面に映るのは、豊穣の名を冠する悪魔の特徴を微細に伝えるフリップボード。


 ――豊穣は、増える。

 ――本体が子を産み、群れをなす。一体一体の力はそれほどではないものの、とにかく数が多い。

 ――本体を仕留めなければ、戦いは決して収束しない。本体を仕留めても、産んだ子が幻のように消えることはない。

 ――耐久力が求められる物量戦。それが豊穣の悪魔と相対する戦場の常。


「姫。報道とはいつも今のように正確なのか?」

「うーん、状況によりけりね。悪魔のことなら微に入り細に入り、とにかく正確に伝えようとするけれど、まだ実験段階の技術なんかは曖昧なことしか伝えられないし」

「なるほど、おおむね理解した。情報の供給元の都合か」

「うん、そういうこと」


 豊穣が出現したのは、イオの予言から二日後のことだった。

 話によれば、科学技術の至宝である観測機械とほぼ同時期に襲来を察知していたというのだから、天体観測も侮れない。


 窓の外では大ぶりの雨が降り注いでいる。

 終盤にさしかかっているとはいえ、豊穣との長期戦の中、この天候とは運が悪い。報道を見に集まっている生徒たちは天気を不安視していたが、ペラギアの勝利を疑わない澪からすれば、不運に同情こそすれ、さして注目することではなかった。


 譲葉と二人して壁にもたれ、ニュースよりも外の雨音に耳を澄ませる。未だ針のむしろの中で敬遠される澪と譲葉に声がかけられたのはそのとき。


「――おや、ここにいるなんて珍しいね。何かあったん?」


 ぴこぴこと動く金色の耳が目に入る。イオが相手だからか、譲葉も自然体を崩さないまま返答した。


「あら、先輩。ううん、何かあったわけではないのだけれどね、澪がニュースを見たいって言うから」

「ニュース? なしてわざわざ……ああいや、もしかして見たことなかったん?」

「必要がないからな。けれど、せっかく外にやってきたのだから、経験しておくのも悪くないと考えた」


 狩りに必要なそれ以外は些末ごと。

 それが狩人という、悪魔狩りにすべてを捧げる人間の基本的な考えである以上、世間に興味を示さないのは必然だった。


 最前線で悪魔を狩る狩人たちに情報を秘したところで人類に益はない。悪魔狩りに必要な情報ならば、正確かつ迅速に届けられるのが当たり前の環境なのだから、幾つものクッションを挟む報道をわざわざ見る必要性が発生しないのだ。


「澪がいつも通りってことは、今回も心配はなさそうね」

「ああ。ペラギアの手に余るような相手ではない」


 修道院という集団戦力に加えて、猟友会が誇る単独狙撃部隊も出ているという話だ。数で押してくる豊穣には最適の布陣が引かれているのだから、万が一の可能性は限りなく低いと言っていい。


 澪は窓の外に広がる森林を見つめる。雨で煙る森林の南では、姉妹たちが戦っている。修道院の皆から送り出されて女学院へやってきたとはいえ、一人安穏とした場所で呼吸をしていることには小さな罪悪感、あるいは疎外感にも似た感情が湧いてくる。

 小さな吐息を吐き出すと、不意に手を握られた。傍らの譲葉からすれば、そんな澪の心中は手に取るように分かるらしい。青の瞳が、澪を捉える。


「戻りたい?」

「正直に言えば。だが、私にとっての最優先事項は交流試合だ。ここまで来ておいて放り出すのはあり得ない」


 イオの予言を聞いたその時、一時帰還の命令が出ることを期待しなかったといえば嘘になる。

 極端に例えるなら、今の生活は水棲生物が陸に上がっているようなもの。心のどこかでは一時だけでも戦場に戻りたいと思っているが、勝手に動くわけにもいかない。


 帰還を指示されなかった現状こそ、今はおまえの楽園証明を優先しなさい、というペラギアからの命令なのだと理解している。だから澪は女学院で、一生徒として事の経緯を眺めていた。


「公の場で森羅を倒し、エルダーガーデンのゼロという私を認めさせる。修道院に戻るのはそれからだ」

「うーん。仕方ないけど殺伐としてる双子やねえ」

「血縁があっても家族ではないからな。私の家族はペラギアと姫であって、エルダーガーデンは敵だ。──ん?」


 会話の最中、澪の身体に小さな振動が伝わってくる。

 振動の源は、制服の胸ポケットに収めた通信端末。取り出して画面を見れば、示されていたのは一通のメッセージ。

 差出人はペラギア修道院の長、シトゥリ。文面は「早急に青科学での通信を求める」という要件を伝えるだけの至ってシンプルなものだった。


「澪、どうしたの?」


 澪の表情に見えた緊張をすぐさま理解したのだろう。譲葉は繋いだままだった手に、力を軽く込めていた。


「……院長マザーから連絡が来た。姫、通話を繋げてほしい」

「分かった。二十秒だけ待ってて」


 ただ通話をするだけなら端末の機能で事足りるが、青科学で、と指定されてしまえば澪ではどうしようもない。端末を託された譲葉は生徒たちに声をかけると、テレビと端末の接続を始めた。


 接続が終わり、画面が切り替わったのは、宣言通りの二十秒後。

 テレビには報道スタジオの代わりに、戦場に設営されたテントとシトゥリの姿が映し出された。

 ざわ、とラウンジにどよめきが広がる。画面に映る古狩人が誰かは知らずとも、澪がテレビの中央に立つという状況だけで、おおよそを察せたようだ。


『久しぶりですね、澪。おまえたちの計画はどうですか?』

「概ねは順調に進んでいる。院長、私の役割は?」

『追撃』


 ──そうか、と。

 澪はシトゥリのその言葉だけで、すべてを理解する。命令の中身だけではなく、その意図も、すべて。


『豊穣本体の討伐は四十二分前に終了しました。けれど、類まれに見る出産規模は伊達ではなく、死に際にも多くの仔を遺していった』


 澪への命令はたった一言で十分。今の説明、あるいは詭弁は、澪ではなく女学院の生徒に向けられたもの。


『大半は掃討しましたが、やはりこちらの疲弊も大きかった。いくつかの討ち漏らしがそちらの方角へ向かっています』


 討ち漏らし。その言葉に、少女たちは顔を青くして小さな悲鳴を上げる。

 けれど、狩人からすればそれが嘘であることは明らか。

 いくら疲弊しているからといって、狩人が悪魔を逃すはずがない。存在を把握しているのなら、なおさらに。


 澪はすべての嘘を承知したうえで、踵を合わせ、敬礼する。

 修道院正式の礼は、家族への感謝を示すために。


「承知した。ペラギアの澪、追撃戦へ入る」

『ええ、任せましたよ、澪』


 通信が切断される。ラウンジで過ごしていた生徒の視線すべてを集める澪の表情は、普段よりも少しだけ柔らかい。

 この追撃戦は家族からの支援だ。エルダーガーデンのゼロが狩人として戦う姿を見せつけるための舞台。命を賭けて、己が楽園を証明するための機会。


「姫、支度を手伝ってもらいたい」

「ええ。もちろん」

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