第7話 カッコウの占星術師

「せやね。こんな大騒ぎなのに、姫様ったらいつも楽しそうよ」


 満天の星空の下、望遠鏡を覗きながらイオは言う。


 イオの手元に広げられているのはノートと色とりどりのペン。望遠鏡から目を離すことなく、さながらブラインドタッチのようにノートへ精緻な書き込みを行っていく光景は、澪にとっては圧巻ものだった。


 譲葉との入浴を終えた後に澪が向かったのは、天体観測部の活動場所である物見台。なんとなしに気が向いてやってきたときには、イオはすでに天体観測を始めていた。


「普通、いくら覚悟があったとしても、あんな針のむしろに座っていればちょっとくらいへこたれると思うんやけどね」

「やはり、空気は重いか」

「そらそうよ。ごく普通の女の子って怖いんやから」


 イオの冗談めかす声音の中にも真剣味は窺える。

 ごく普通の女の子。悪魔狩りに人生を費やすと、幼いながらに決意した姉妹たちが当てはまらないことは理解できる。未だに慣れない世界に、澪は腕を組んだ。


「それにしては、あなたは普通に接してくれるのだな。いや、わかっていたからここに来たのだが」

「んー? まあそうね。うちは政治とかタブーとか興味ないし」

「ふむ」

「うちも嘘はついてたし」

「……ふむ?」


 予想外の言葉に、反応が少し遅れる。

 わざわざ口に出した以上、内容を秘める気もないらしい。イオはほとほと呆れたようなため息をつくと、天体観測の手は止めないまま話し始める。


「そうね。簡単に言えば、うちの本当の父親は誰でしょう、ってお話なんよ」


 本当の父親。

 初めて会ったときに四公家、カデナの系譜ではあると語った事実。

 ついていた嘘。

 今、このタイミング。


 点と点を結んでいけば、朧気な答えは見えてくる。


「……もしかすると、同朋だったかもしれないのか」

「そういうこと」


 イオは尻尾をゆるゆると動かしながら、言葉を続ける。


「うち、本当はアウラさんちの子供じゃないんよ。カデナの男の人と母親の火遊びでできちゃった、って感じ。ただ時期が悪くてね。どっちの子供なのか、母親にも分からなかったんやって」


 堕胎するにできなかった、托卵された子。

 その事実をイオ自身が知っていることと、淡々とした口調。あまりいい想像はできなかった。


「うちが隠し子ってことはそうね、カデナの中なら知ってる人間は知ってる話。だからうちが姫様と接触するのもタブーみたいなものだし、うちは知ってて不義理を働いてたの」


 話をする間も夜空の記録は淀みなく進んでいく。

 数えるだけでも気が遠くなるほどの星の海。そこからまったく迷いを見せず、必要な情報を抜き出していく様は、イオの卓越した観察眼を示していた。


「狩人を志しているのなら、修道院に入ろうとは思わなかったのか?」

「そりゃもう。何回も思った。さっさとアウラから離れた方が生きやすいのは目に見えてたし」


 でも、とイオは言う。

 これまでの淡々とした口調とは異なる、悲しげな声。


「小さい頃から薄々と思ってたんよ。うちは狩人になれる器じゃないって。で、そんな弱気な奴が狩人になれるはずもない。そうやろ?」

「否定はしない」

「正直やね。……うちがここに来たのは猶予が欲しかったから。うちは結局、社会の表舞台には立てない。狩人になって政治のしがらみから離れるか、カデナの使用人として生きるかの二択しかないの」


 その焦燥がイオの根源。代表として選ばれるほどの戦意の由来。

 できないと分かっていても目指すしかない。その矛盾と苦しみは澪にとって想像しやすいものだった。


「似ているな」

「せやね。この際だから白状するとね、エルダーガーデンのゼロのことは昔から気にしてたんよ」

「ふむ」

「真祖じゃないからって失望された、同い年の四公家の女の子。まったく話を聞かないから、修道院に行ったんやろなって勝手に思ってた。まさか狩人になってたなんて想像もできなかったけど」

「私の場合は環境が大きいはずだ。私の周囲は狩人を志すのが当たり前だったし、誰一人として私が古代種であることを意識していなかった。あなたと同じ環境なら、奮起できたかは怪しい」


 もしもの話に意味はない。けれど、ありえた可能性を考えると恐怖にも似た感情を覚える。


 もしも修道院に送られなかったら。

 もしも森羅と共に育っていたら。

 もしも澪の名を与えられなかったら。


 世界を見返そうなどと思えただろうか。イオのように無駄と悟りつつも抗えただろうか。譲葉と出会えただろうか。


 澪は小さくため息をついて、首を横に振る。存在しなかった過去に怯えても仕方ない。考えるべきは今と未来だ。


「あなたの出自を考えると、森羅と親しいのは少々不思議に思えるな」

「まあね。森羅が自分の生まれに胡座を掻くような人間だったら、うちは絶対に近付かない」


 星見図はおおよそ書き終えたらしい。イオは望遠鏡から目を離すと、今度は自作のノートと資料を突き合わせ始める。


「言うて森羅とは数回会ったくらいだけどね。それでもあそこまで自分に厳しい人間、うちは見たことないよ」

「ふむ、確かに。いかにも堅物そうだった」

「じゃ、その感想を五倍くらいにするといいよ。あのときの森羅、だいぶ動揺してたからね。普段ならあんなに辛辣なことは言わないし」


 つい先日まで顔すら知らなかったのだ。森羅の性格はイオの方がよっぽど正確に把握しているのは分かっているが、なぜか。なんとも言語化のしづらい、かすかな違和感は禁じ得なかった。


 私は森羅の何に対して違和感を覚えているのだろう。イオの言う、動揺とは何かが違っていたような。

 澪が自らの思考を深掘りしようとする隣で、イオは「ん?」と言いながら尻尾の動きを変化させていた。


「うーん、これは……うーん」

「イオ?」

「ああ、うん。やっぱり。ってなると、方角はこっちね」


 澪の問いかけにも気をそぞろに、イオは立ち上がると南の方向をじっと見る。

 女学院から南には、未だ人の手が入っていない大森林が広がっている。

 そこは澪にとって馴染み深い戦場。ペラギア修道院が任されている一帯だった。


「大きいの、来そうね」


 大真面目に、けれどどこか遠い世界のように。

 現代の占星術師は悪魔の襲来を予言した。

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