第6話 呪詛を捨てた呪い姫

 朝からひそやかな話し声が反響し、普段よりも騒々しい教室。そこへ澪と譲葉が一歩入った瞬間、ざわめきは途端に収まった。

 視線そのものはすぐに逸らされたものの、全員が澪を見ていた。澪はそこに込められた感情を理解して、くるりと踵を返す。


「姫。少々席を外す」

「ええ、いってらっしゃい」


 普段と何一つ変わらない譲葉に見送られて、一人教室を後にする。教官室に向かい、扉を叩けば、「入りなさい」と声がやってきた。


「失礼する──む?」

「待っていましたよ、澪」


 これまで使われている痕跡のなかった応接用のローテーブルには、簡素ではあるが茶の用意がされていた。澪は促されるがまま、ソファに腰掛ける。


「皆の授業は?」

「代理を頼みました。流石に腰を据える必要がありそうでしたから」


 教官も澪の向かいに座る。年齢を重ねてもやはり狩人らしく研ぎ澄まされた眼光は、澪にとって親しみと敬意を覚えるものだ。


「さて、何から話せばいいものか。まずは、澪。あなたの事情をペラギアはすべて把握していて、その上でここに送り込んだのですね?」

「ああ。ペラギアに隠していることはない」

「ならば良いですね。シトゥリなら対応策は用意しているでしょう」


 狩人らしい反応は変わらない。教官は悩ましげな顔をして、問いかけを始めた。


「あなたの武勇が嘘ではないことは知っています。けれど、神秘的科学を扱えない古代種が、何のカラクリも無しで現行の狩人と張り合うとは信じ難い」

「幼い頃からの手術と投薬で肉体スペックは相当に底上げされている。あとは、月並みだが実戦経験か。十歳の時には前線に立たせてもらっていたから、私の年齢にしては長く戦っている方だ」


 澪の実年齢は十七。戦場で銃と刀を振るい始めてからもう七年が経つ。人生の半分

近くを実戦に費やしてきたのだから、練度は相応に高い。


「念のために確認しますが、あなたが今年の交流試合の果てに求めるものは?」

「楽園。楽園に到達するために私はまず、過去を打破しなければならない」


 狩人にはこの言葉だけで通じる。教官は納得に頷いて、さらに問いを続けた。


「政治的問題はどう解決する予定ですか?」

「……姫に一任している。政治の場に私が出ても敗北するだけだ」

「でしょうね。私たちはそれが出来ないから、狩人なのです」

「私からも尋ねたい。女学院は、私に対してどのような対応をする予定になっている?」

「特には何も。あなたたちはルールを破ったわけではありませんから」


 教官の言葉こそが、澪と譲葉の計画を支える命綱だった。

 二人はルールを、明文化された法を犯したわけではない。ただ暗黙の了解を破っただけ。詭弁ではあるが、女学院側が澪を追い出す根拠も理由もないのだ。


 とはいえそれも、国が二人の処遇を決めるまでのわずかな間に過ぎない。交流試合には国も関与している以上、そちらの意思も反映されるのが道理。

 譲葉はこの計画を練ったときから、自らに対する弾劾が行われることを前提にしていた。前例のない横紙破りに対する処分は必ず下される。それも、おそらくは王族と四公家がそろい踏みする場で。


 ならばその場を利用してやればいいのだと、譲葉はいつものように微笑みながら言っていた。

 政治、論争、詭弁。そのような戦いに疎い澪には譲葉がどうやって勝利を収めるつもりなのかは検討も付かないが、譲葉を信じることだけは決めていた。

 

 譲葉は必ず勝つ。宣言通り、澪を、ゼロを交流試合に送り込む。だから、澪はそのときを待つだけだ。たとえ不甲斐なさに押し潰されそうでも。


「それにしても、自己証明のための狩りとは。典型的な狩人ではないとは思っていましたが」

「愚かだろう?」


 教官が侮蔑を抱いているわけでないことは分かっていた。それでも自嘲は隠せず、澪は笑う。教官は澪の言葉に頷いて、しかし首を横に振った。


「確かにあなたの動機は私たち猟友会の狩人からすれば異端で、ともすれば愚かです。けれど、あなたほど修道院の狩人らしい狩人はいない。そうでしょう?」

「……ああ。師もそう言ってくれた」


 猟友会の狩人と修道院の狩人。今でこそ違いはほとんどない両者だが、発端を辿ると狩りへの原動力は大きく異なっている。

 すなわち、悪魔を狩るために狩るのか、自己証明のために狩るのか。


「さて、私たちは今回の問題に対して動くことはありません。あなたたちを排除することはありませんが、助力もしません」

「ああ、理解している」

「そうでなければこんな無茶はしないでしょうしね。生徒たちはあなたたちを認めないでしょうが、この潮流に対してはどうするつもりですか?」

「何も」


 静かに答える。

 羨望、憧憬。そんな感情がペラギアの澪には向けられていた。だからこそ、エルダーガーデンのゼロに向けられる反動は大きい。


「打つ手はない。ゆえに何もしない。私は私であり続けるだけだ」





 もともと澪が生徒と接する機会は少なかった。教導役として授業の補助をするくらいで、寮に戻っても譲葉と共にいたからだ。

 生徒たちからの侮蔑を受ける今となっては、教導の役目も果たせない。ならば事態が動くまでは待ちに徹しようと、ひたすら修練場に篭っていた。それでも、生徒たちとすれ違うたびに耳にする囁き声には、承知の上だったとはいえ辟易したものを覚えてしまう。


「……姫。平気なのか?」


 だから、夕食を終えて私室に戻るや否や、澪はそんなくだらないことを問いかけていた。


「え、何のこと?」


 きょとんとした顔。譲葉に心当たりはまったくないらしい。

「今の空気は私ですら嫌になってくる。渦中にいる姫なら、より強く感じているのではないかと考えた」

「ああ、なんだ。みんなのひそひそ話のこと?」


 くすりと、楽しげに譲葉は微笑む。


「そうね、どうやって言えばいいかしら。澪は悪魔を斬るときに、何か感じる?」

「……? いや、特には。悪魔を殺すのは私の役目だから」

「そういうこと。澪の役割が悪魔を殺すことであるように、わたしの役割は人と戦うことなの」

「ふむ」


 そう説明されれば理解しやすい。


 戦場。闘争。それらの定義は人によって異なる。澪が戦場と言われて想起するのが悪魔との戦いであるように、譲葉にとっての戦場は政治、人との対立。それこそ、今の状況においては踏んできた場数が違うのだ。


「わたしにとって重要なのはわたしの信念。森羅が言っていたように、わたしがブルーリッシュとして愚かで不適格なのは知っている。みんなの気持ちは理解できる。それでもわたしは自分を譲らないと決めた。だから大丈夫よ、澪」

「ああ、そうだな。姫はそういう人間だ。すまない、分かりきったことを尋ねた」

「可愛いところもあるのね、お姉さん?」


 譲葉は椅子から立ち上がると、からかうように澪の顔を覗き込む。実年齢は澪の方が二つ上なのだから「お姉さん」という呼びかけは正しいが、身長は譲葉の方が高い。アンバランスな光景に、澪はむう、と口を閉ざす。


「ふふ、冗談。それじゃあわたしはお風呂に──あ」


 譲葉は、はたと動きを止めると、軽い音を立てて両手を合わせる。

 何かあったのだろうかと様子を窺う澪に向けられたのは、いかにも嬉しそうなキラキラとした瞳。


「そうだ。もう澪も一緒に入れるじゃない」





 寮の大浴場。澪にとっては初めて入る場所。身体を流し、湯船に浸かると、その温かさにほうと息がこぼれた。


「心地がいい」

「ね」


 傷跡だらけの裸身を堂々と晒した澪は、久々の湯船に口元を緩ませる。譲葉も嬉しそうに、澪の独り言に頷いていた。


 神秘的科学が発展した今、肉体に傷が残るケースは限られている。

 白科学でも治癒が追いつかないほどの重傷、欠損か、自ら傷を残したか、あるいは白科学の効きが悪いか。


 古代種である澪は、神秘的科学への適性を持たない。扱う側としてはもちろん、受ける側としても。黒科学の呪いが効きづらいメリットもあるが、反面、白科学の治癒の恩恵も受けられない。従来の医療による手当てしか受けられないために、澪の身体には七年分の傷が刻まれているのだ。


 現代においては滅多に見ない古傷まみれの裸身に、大浴場を使っていた少女たちは驚愕と恐怖の入り混じった目をする。けれど譲葉だけはいつも通りの自然体で、澪の首にある、ひときわ深い傷跡に触れた。


 譲葉は目を閉じて、小さく、深く、息を吸う。

 澪の首筋に、湯とはまた違う温かさが伝わって、けれど変化は何一つ起こらなかった。古傷は古傷のまま、澪の頸部を飾っている。


「……ダメね」


 パシャリと、譲葉の腕が湯を叩いて水飛沫を立てる。


「うーん、まだまだか。そろそろいけるかなってちょっと思っていたけれど」

「姫の才覚は認めるが、ペラギアが治せないのだから無理もない」

「そうね。妖精族並み、程度じゃダメ。もっと上回らなきゃ」


 譲葉・ブルーリッシュ。狩人になることを定められていた彼女ではあるが、その適性は直接戦闘ではなく神秘的科学にある。


 譲葉が戦闘訓練へのやる気を見せないのも、適性のなさを自覚しているから。一方で神秘的科学の実演では目覚ましい成績を残し、特に白科学においては神秘的科学へ特化した形質を持つ妖精族の生徒を超えている。


 ――けれど、澪は知っている。

 確かに譲葉が生まれ持った神秘的科学の才覚は著しい。

 神童、麒麟児と謳われていたのも当然と思わせるほどに。しかし、譲葉本来の適性は彼女が傾倒する白科学ではないのだ。


「姫、何度でも言うぞ。あなたは人類に繁栄をもたらす大器だ」

「なら、わたしも何度だって言うわ。それは嫌」


 ピシャリと言い切る譲葉。出会ってから、もう何度も交わしている問答だ。言葉を続ける澪にも迷いはない。


「私は私の身体を誇りに思っている。それでも?」

「それでも。いつか、医学では間に合わなくなる。そうでしょう?」


 だからわたしは白科学を修めているのだ、と譲葉は言う。適性だけで稀少とされる黒科学の才に溢れる、呪いの姫は断言する。


「あなたたちに倣って言うのなら、わたしの楽園は澪の覇道とその証明」


 少しのぼせてきたのか、譲葉は浴場の縁に腰を下ろして、足だけを湯に浸ける。


「その過程に、呪詛も怨念もいらないの。ね、わかって?」

「……ああ、わかった。いつも通り、私の負けだ」


 両手を挙げる。譲葉はくすくすと、楽しそうに笑っていた。

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