第5話 禁忌を犯す姫と狩人
双子の兄と対面した澪が真っ先に抱いた感想は、思ったよりも似ていないな、という呑気なものだった。
黒髪赤眼という古典的な吸血鬼のスタンダードである澪と、金髪赤眼、現在のスタンダードである森羅。二卵性ということを差し置いても、外見から双子であることを見抜ける者はいないだろう。
「あれ、澪さん、よね……?」
「でも今、エルダーガーデンのゼロって」
「……嘘よ。ゼロは結局、古代種だったって話なのに」
異変を聞きつけ、集まってきた生徒たちから聞こえてくるささやき声。疑念、疑惑、困惑、蔑視。それらの感情が渦巻いて、澪に向けられている。
澪は生徒らの視線を一切介することなく、さらに一歩前へ。森羅は警戒を露わに二歩分の距離を取るが、それは正しい。今は武器を一つも携えていないというだけで、澪が森羅にぶつけている敵意は本物なのだから。
「初めまして、森羅・エルダーガーデン」
敵意を露わにする澪を制止し、前に立ったのは譲葉。温和な表情を浮かべる譲葉だが、この状況を作り出した者としての自負と覇気がそこには宿っていた。
「譲葉姫……」
苦々しい声で、森羅は譲葉の名を呼ぶ。本来ならばブルーリッシュの姫と関わって良い立場ではない妹が、譲葉の供として女学院に入り込んでいた異常事態。
その中で、譲葉が何も知らずに巻き込まれていた被害者ではないことを、即座に理解した声音だった。譲葉もそのことを承知して、森羅へ話しかける。
「お察しの通り、澪――ゼロ・エルダーガーデンは、わたしがこの場に招きました」
ざわ、とどよめきが周囲に広がる。
禁忌を犯したことを譲葉自ら認めたのだ。罪が澪一人に収まるものではないことを理解させられた生徒たちは、これから起こるであろう混乱の証人に仕立て上げられていることも同時に理解する。
森羅はしばし思考を巡らせて、けれど答えは出なかったようで、譲葉へ問いかけた。
「……何故だ。どうして、この無能のためにここまで危険な橋を渡る?」
「澪がわたしの希望だから」
譲葉は躊躇わない。迷うことなく、己の行動原理を告げる。
「あなたの言う通り、澪は無能と呼ばれる生まれなのでしょう。けれど、そのうえで澪は狩人になった。あらゆる不平等を乗り越えて悪魔を狩っている。なのに、エルダーガーデンのゼロというだけで功績は認められない。そんなの、おかしいでしょう?
――だから、覆す。彼女の価値を世界に認めさせるために、わたしは生きているの」
澪が記録に残る真祖と同じドレスを纏ったのも、譲葉の発案だった。
誰の目にも分かるように。澪こそ、かつて真祖の再来と期待され、棄てられたゼロなのだと一目で理解させるために、視覚的な効果を狙った。
言い逃れようのない言動の数々。黒と赤のドレスは、禁忌を犯す二人の覚悟でもある。
「ちょ、ちょっと待ちぃ!」
その場の全員の視線が、声の主に向けられる。イオは集まる注目に臆することなく、三人の壇上に上がった。
「澪、姫様、どういうこと? あんたらまさか、最初からこれだけのために女学院に入ったん?」
「ああ、そうだ。公の場で兄を超えるなら、交流試合以上のチャンスはない。だから姫と共にあらゆるものを騙して、利用して、私はここにやってきた」
兄、とあえて呼ぶ。
物心ついたときにはすでに修道院に入っていたのだ。双子ゆえ、お互いに面識がないのだから、もちろん兄妹の情はない。
けれど無能のゼロを片割れに生まれながら、天才と謳われる森羅を超えてこそ、エルダーガーデンへの最大の意趣返しになる。己を無能と見限り、切り捨てた世界を見返す何よりの機会なのだ。
澪が森羅を睨みつければ、返ってきたのは底冷えのする男の声。
「……お前が俺を超える? ふざけるな、無能が。お前は生まれたその時に、あらゆる期待を裏切った。ただでさえ価値のないお前が、今度は禁忌を犯したなど、あまりに愚かしい!」
「し、森羅! それは言い過ぎ──」
「イオ、構わない。森羅は事実を言っているだけだ」
知っている。
ゼロは世界に求められていない。そんな事実、幼いうちに悟っている。
けれど、知っているからといって認めることはしない。ペラギアの澪だけではなく、エルダーガーデンのゼロの価値も認めさせる。それこそが、澪が戦いの果てに求める未来なのだから。
「私の楽園は、証明」
いつかの言葉。何度も口にしてきた言葉をもう一度。
「私は、私自身の価値を証明する。姫が私に見出した希望が間違いではないことを証明する。それが私の楽園だ。ゆえに森羅、私はお前を踏み台にする」
「ふん、ここまで愚昧な狩人がいたとはな。何が証明だ。絶対の原則を踏みにじって行われるエゴなど、誰が認める?」
言葉では絶対に譲らない平行線。もしも二人が平時と同じように武器を携えていれば、交流試合を待つ事なく武力での闘争が始まっていただろう。それだけの敵意が双子の間には存在していた。
「譲葉姫。あなたも同じだ」
そして、森羅の敵意は譲葉にも向けられている。譲葉が森羅を敵と見做しているのと同じように。
「あなたは己の感情よりも立場を優先しなければならない身だ。そのくらい、子供のうちから分かっているだろう」
「ええ、そうね」
「ならば何故、ここまで愚かなことを?」
譲葉がたたえるのは穏やかな微笑み。けれど、澪に向ける笑みとは感情の質がまったく異なっていた。
「あら、もう言ったでしょう? 澪はわたしの希望。わたしがこの生涯を使うと決めた人。ブルーリッシュの立ち位置がとても大切なものであることは知っているけれど、澪に比べれば取るに足らないものなの」
「……話にならん」
呆れ。失望。嫌悪。
そんな悪感情だけが込められた視線が森羅から譲葉に向けられる。対する譲葉も、己の信念を一切疑うことなく、悠然と佇んでいた。
迷わない澪と譲葉。怒りと厭悪に満ちた森羅。惑うイオ。硬直した状況下で、外から新たな声がかけられた。
「──澪。ペラギアの澪」
名前を呼ばれ、振り返る。そこには普段と同じ雰囲気のままの教官が、生徒の波をかき分けてやってきていた。
「先生」
「話は聞こえていました。随分と無謀な橋を渡っているようですね」
声にも特に動揺が見えないのは、猟友会の性質ゆえだろう。
猟友会は国に属さない唯一の存在。猟友会からすれば、四公家のパワーバランスを崩しかねない澪と譲葉の暴挙も、悪魔を狩るのに支障が出ないうちはさして問題視することではないのだ。
「譲葉・ブルーリッシュ、森羅・エルダーガーデン。ここは猟友会の管轄組織。国の政争には関与しません。あなた方の問題は、あなた方の戦場で解決するように。
――それでは皆、今は自室に戻りなさい」
パンパンと手が打ち鳴らされる。多くの生徒は渋った様子を見せていたものの、指示に従わないわけにはいかない。一人、二人とまばらに数が減っていき、やがて残ったのは事態の中心になっていた三人とイオだけになっていた。
「み、澪……」
「ゼロ」
躊躇いがちに発されたイオの声を遮って、森羅は妹へ呼びかける。
「何か?」
「お前はエルダーガーデンの瑕疵だ。お前が何を成し遂げようと、エルダーガーデンがお前の存在を認めることはない」
「ああ、そうだろうな。婆様──観測機械の予言を読み違えたんだ。貴様の言う通り、私の存在は目障りで仕方ないのだろう?」
真祖。遺伝子改造によって生まれた吸血鬼の祖。最も濃い、血の鬼。
現代の鬼族はそのすべてが真祖に源流を持っている。新たな人類を生み出す礎にもなりうるその再来は、悪魔との終わりのない戦いを続ける人類にとって一時の希望となるはずだった。
とはいえ、かつて向けられた期待は澪の言うとおり、予言を読み違えなければ発生しなかったもの。澪の皮肉に、森羅は苦々しい顔をする。
「姫。私が言いたいことは伝えたが、あなたは?」
「ええ、わたしも大丈夫。それでは森羅。わたしたちはまた然るべき場で、今日の続きを行いましょう」
堂々としたカーテシー。何も事情を知らなければ、譲葉こそ非がある立場だとは想像も出来ない優美な振る舞いだった。
森羅とイオを残して二人は立ち去る。声が届かない距離になってから、澪は声を発した。
「姫、私はどうだった?」
「いつも通り。堂々として凛々しい、わたしの澪よ」
「ならよかった」
正直なところ、不安はあった。
己がエルダーガーデンのゼロであると暴露すること。
初めて対面する双子の兄と、突きつけられる棄てられた過去。
それらが一気に押し寄せたのだ。ともすれば、初陣の前よりも緊張していたかもしれない。
「しばらくは荒れるな」
「ええ」
でも、と譲葉は言う。穏やかな表情はいつもとまったく変わらない。
「ここからはわたしの戦い。わたしが絶対にあなたを交流試合に送り届ける。邪魔なんて許さないから、安心して待っていて」
「ああ。姫が目的を成し遂げられないなんて、私は微塵も思ってもいないよ」
親友であり、共犯。二人の信頼は何があろうと揺るがない。
けれど、これだけの出来事があれば周囲はやはり、変わってしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます