第4話 森羅・エルダーガーデン

 森羅・エルダーガーデン。

 十七歳。本校の三年生。本校きっての俊英。未だ学生の身でありながら、四公家当主の名代として立つことも多い、エルダーガーデンの誇る天才。間違いなく、国家の運営に関わっていく人物である。


「ペラギア修道院の澪……」

「まだ十五歳。純粋培養のエリートとでも言うべきだな」


 初夏の入口が見え始めた頃。森羅は呼び出された教官室で、今年も交流試合の代表に選出されたことと、女学院の代表の名を告げられた。


 代表に選ばれたことは予想通り。けれど、ペラギアの澪という名は森羅にとって予想外だった。

 森羅も自発的に世情を知るように立ち回っているし、四公家の後継者という立場上、情報は自然と集まってくる。

 今年、女学院に入学したブルーリッシュの姫君の供として修道院の狩人も半ば教官のような立ち位置で入学したとは知っていたが、名前までは耳に入っていなかったのだ。


 森羅は自らが代表に選ばれることを疑っていなかった。ゆえに、女学院の代表生徒の予想も行っていた。

 昨年の代表、イオ・アウラか、神秘的黒科学の麒麟児、神童と謳われていた譲葉姫か、あるいは件の狩人。その三人におおよそ絞られるだろう、と。


 狩人が選ばれることは想定内。森羅の動揺は、そのような既知が原因ではなく。


「修道院の乙女たちは、そうだな。ひどく純粋だ」

「純粋、ですか」


 内心の動揺は出来うる限り押し殺して、森羅は老教官の語りに耳を傾ける。

 森羅は彼に対して、大木のようだと常々思っていた。

 白科学でも癒しきれなかった古傷は彼が踏み越えてきた悪魔の死骸を物語り、紡がれる言葉は確かな経験に裏打ちされている。


 狩人になるためではなく武名の箔をつけるため、また貴人の義務として本校に入学した森羅にとっても、敬意を払うべき人類の英雄が一人。

 そんな教官の声音は、どこか痛ましげなものだった。


「修道院は成立の経緯のために、狩人を志す少女を組織だって育成する。幼いながらに、人生を使って悪魔を狩ると決意した少女が集まる場で、ひたすらに鍛錬を行うのだ」

「……狩人になるために生きることが当たり前。だから、それ以外の生き方を知らない」

「ああ、その通り。ペラギアの澪。彼女も例外ではない、はずだが」


 言い淀むのは、譲葉の供という立場からだろう。

 悪魔狩りに人生を費やす狩人が、なぜか現役盛りの時期に前線から離れている。狩人であった教官には理解しがたいのだろう。


 けれど、森羅には。直感めいた思考が頭の中に浮かんで、そのたびに「ありえない」と自ら切り捨てている予想があった。


「まあ、そうだな。おおよそ国と教会の間でなにか取り決めでもあったのだろう。

 ──森羅。相手は現役の狩人だ。打ち勝て、とは言わない。だが、彼女の世界になんらかの変化をもたらすことができたのならば、それはお前の勝利だ」

「ええ。本校とエルダーガーデンに恥じぬ戦いを見せましょう」


 教官室から辞する。廊下に人の気配はない。

 森羅は歩きながら、らしくないと自認するため息を深く吐き出した。


「……澪」


 ミオ。さんずいに、ゼロ。

 ありえない。ありえない。絶対にありえない。

 エルダーガーデンに棄てられたあれは古代種。今となっては何の価値もない、無力な先祖還り。

 確かに修道院に送られたとは聞いているが、現行の人類でも指折りの英雄である狩人に数えられるはずがないし、そもそも年齢が違う。


 否定材料はいくらでもある。けれど、妙な符合と予感があって、どうにも頭から離れない。


「いいや、俺には関係ない」


 あえて声を発する。無意識下で、自分に言い聞かせようとしていることを自覚して、森羅は苦笑を浮かべながらもあえて続けた。


「俺は俺だ。エルダーガーデンの森羅だ。ゼロが何をしていようが、俺には関係ない」


 切り捨てる。ゼロという汚名は己の人生には関係ないのだと断じ、切り捨てる。

 けれど、宿命からは逃れられないのだと森羅も薄々は勘付いていたのかもしれない。

 女学院に赴き、ペラギアの澪と見えたとき、森羅の中にあった驚きは予想よりも小さなものだった。


「お、きたきた。久しぶりやね、森羅」

「――イオ。すまない、手間をかけさせたか」

「ん、いや。うちが勝手に来ただけ。ちょいとお話ししたかったし」


 森林の中に建てられた木造の校舎。その校門で待ち構えていたのは、昨年に代表として刃を交えたイオだった。

 ひらひらと手を振るイオに、代表の座を取られた歯痒さのようなものは見えない。友人として彼女の諦めの悪さは知っているからこそ、件の狩人の実力も察せられた。


「女学院はどうだ?」

「んー、うちの知る限りは相変わらずやね。澪の影響は確かにあるやろうけど、そこで克己して変われるような子はそうそうおらんし」

「辛辣だな」

「事実を言ってるだけ。うちなんかが代表になるような場所よ?」


 冗談めかしながらも、真剣さを覗かせてイオは言う。

 イオ・アウラ。才覚や実力といった点では確かに本校の上澄みには劣るだろう、と森羅も判断している。


 しかし、戦う力を求める執着の強さでは、比較になる者の方が少ない。

 卑下することはないのに、と森羅は思う一方で、その執念の強さから自らを卑下せざるを得ないことは理解できるから、何も言わなかった。


 イオの案内で校舎内を進む。澪は教官室で待っているという話だったが、しかし。

 奥へ進むにつれて、生徒たちの森羅とは関係のないざわめきが大きくなっていくのが気になって仕方ない。イオも同じ感覚を抱いているようで、金色の耳がぴこぴこと動いていた。


「……なんやろ。なんか嫌な空気ね」


 部外者である森羅からすれば単なる違和感だが、イオから見ればもっと明確な意思が感じられるらしい。イオの言う嫌な空気。不穏な気配を感じながらも二人は進んで、その源と対面した。


 流された黒髪。

 猛禽のように鋭い深紅の瞳。

 髪と瞳の色に合わせた、黒と赤のドレス。


「久しぶり、と言うべきか」


 狩人を育成する学舎には似つかわしくない装い。けれどその姿は、吸血鬼なら誰もが知っている。


「……お前、は」


 森羅の口からは、気付かぬうちに呆然とした声がこぼれていた。声を失うほどの衝撃ではないが、無意識に声が出てしまう程度には予感していたショック。

 相対する澪は挑発的な笑みを浮かべて、決定的な言葉を発する。


「主観としては初めましてだが、同じ胎で育った仲だ。ああ、やはりこちらの方が相応しいだろう。久しいな、兄上」


 その女の傍らには、銀髪の少女が寄り添っていた。ブルーリッシュの譲葉姫。その姿にも気付かないほどに、森羅の意識は、己を「兄」と呼んだ女へ引きつけられていた。


 ペラギアの澪。

 狩人は、秘め続けた本来の名前を口にする。


「エルダーガーデンのゼロ。貴様を倒すために、戻ってきたぞ」


 真祖と瓜二つの容姿。けれど牙を持たない口の端は、楽しげに吊り上がっていた。

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