第3話 狩人の楽園

「──祈りで人は救われない。救いは戦いの果てに待っている。各々が求める救いと未来を楽園と呼び、自らが定めた楽園に至るために戦いを続ける。それが狩人だ」


 春の陽光が差し込む教室で、澪は滔々と狩人の哲学を語っていた。


 澪が語るのは、終わりのない悪魔狩りを続ける中で、いつしか狩人たちの間で共有されるようになった思考。

 当然、元狩人である教官も同じ哲学を持っているが、初回の授業は澪に一任されていた。


 修道院はその武闘性から猟友会から派生した組織と一般的には言われているが、より正しく発生過程を説明するのなら、教会から派生した組織とするのが的確な表現だ。


 猟友会のバックアップ組織である教会の始まりは、現役を引退した狩人たちが教師として、蓄えた知識や経験、哲学をまとめ上げて後進を育成するようになったこと。

 その過程で狩人を狩りに専念させるためのあらゆる雑務を担うようになり、現在の形に至っている。


 教会とは狩人の思想の集積地。

 教会の流れを汲む組織である修道院で育った少女は、幼い頃から狩人の思想に浸っている。澪が概論の説明を任されたのもそのためだった。


「楽園はなんでもいい。楽園を定義するのは己自身だ。己が目指す楽園を胸に抱き、戦い続ける覚悟があるのなら、狩人となる資質はあるだろう」


 さて、生徒たちはどう受け止めるか。

 言葉を切った澪が思い出すのは初日の空気感。彼女らの戦いぶりを観察しながら教官と交わしていた会話で、やはり猟友会の狩人も自らの内から生じた意思を重視するのだと理解した。

 楽園の重みを理解しているのなら、その生徒はきっと残るだろう。覚悟に重きを感じるのなら、その生徒は脱落の可能性が高い。


 澪はただ哲学を語るだけ。その解釈には斟酌しない。

 狩人が増えるのは澪にとっても喜ばしいことだが、適性がない者を狩人に導く気はさらさらなかった。そんな無駄なことをしたところで、誰もが不幸になるだけなのだから。


「……あなたの、楽園は?」


 澪がそんなことを考えていた中で、不意に声が上がった。

 教室中の視線が、問いを発した生徒に向けられる。少女は慌てたように、首を横に振っていた。


「あ、あの、いえ。言いたくないのなら無理に聞こうとは思わないのだけど」

「いや、そんなことはない。私は楽園を秘めようとは思っていないから」


 当然ながら、教室には教官の姿もある。彼女が聞けば澪という狩人の不純な動機も見抜くだろうが、だからといって偽りを述べようとは思わない。


「私の楽園は、証明」


 ──あなたは、わたしの命を守って。その代わり、わたしはあなたの栄誉を証明します。


 まだ幼い頃に交わした約束が脳裏をよぎる。

 澪は、窓際の席に座る譲葉へチラリと視線を向けて、断言した。


「私の在り方に希望を見出してくれた人がいる。だから、彼女が抱く希望は幻ではないと証明してみせる。それが私の目指す楽園だ」


 激しい雨が降り注ぐ中でもこびりついた返り血まみれの姿。常人ならば怯える風貌を前にして、真っ白なワンピース姿の姫君は、澱んでいた瞳に生気を宿した。


 六年前の出会いが、譲葉に人生の転機を与えたことは澪も自覚している。

 けれど、救いを得たのは譲葉だけではない。あのとき、譲葉が希望を見出してくれたから、澪も自らに価値を見出せている。


 楽園を語り終えたそのタイミングで、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴る。

 澪はチャイムが鳴り終えるや否や、スタスタと教室から立ち去った。これから級友と交わすかもしれない議論の邪魔をすることもないだろう、と考えて。


 澪が向かうのは射撃場。神秘的科学の台頭によって銃火器が戦場の主役ではなくなった現代においては、さほど重視されない施設。

 だからこそ射撃場は、生徒が好きな時に出入りができる場所でありながら静寂に包まれている。その静けさが好ましくて、澪は射撃訓練という実益も兼ねて、たびたび足を運んでいた。


 用いるのは愛用の拳銃とサブマシンガン。装填するのは訓練用に用意されたゴム弾。青科学で空間歪曲が施されたポーチへ、大量のマガジンを収める。


 拳銃の重みが手に馴染むことを確認。的を一瞥すると、傍目には狙いをつけているようには見えない速度で引き金を引く。

 弾丸は十五発。すべてを撃ち尽くせば、的には中心点を狙った穴が十五個完成していた。


「ふむ」


 及第点程度はつけてもいいだろう、と頷く。次の的を狙うためにマガジンを装填して、その直後。

 澪は普段の無愛想な表情のまま、身体を反転させて拳銃を構えた。


「うぴゃっ!?」

「零点。背後から近付こうとしているのに呼吸すら殺さないのは、敵に待ち構えてくれと言っているようなものだ」


 安全装置をつけたままの銃口を突きつけるのは、ぴこぴこと動く狐の耳が生えた頭。イオだった。 


「あはは、流石は狩人やね。いつから気付いてたん?」

「入口から覗いていたあたりから」

「うひゃあ……どれだけ努力すればそうなるんやろね」


 ぴくりと、澪はまぶたをほんの少しだけ動かす。才能の一言で片付けなかったことが正直なところ、意外だった。


「それで、用件は?」

「ん? いや、特には。部活の後輩を見かけたから雑談しにきただけよ。お邪魔でなければ、やけど」

「ふむ。ああ、私も暇に任せて撃っていただけだ。喜んで付き合おう」


 拳銃からマガジンを抜いて、腰のホルスターに収める。場所が場所だけに、落ち着いて腰を据えられるような空間はない。澪は壁にもたれて腕を組んだ。


「私も、機会があれば聞こうと思っていたことがあった。あなたはどうして天体観測を学んでいるんだ?」

「あー……や、特に深い理由はないんよ。うちね、昔から星が好きだったから。どうせ星を眺めるんだから、ついでに勉強しとけばいいやんって思っただけ」

「ふむ。好き、か」

「うん。それだけ」


 はにかむイオを見て、そういえば、と澪は思う。狩人になることだけが生きる目的で、達成してからも悪魔狩りに人生を費やしてきたから気付かなかったが、生まれてこの方、趣味のようなものはなかったな、と。


 修道院を出る時に、師である院長、シトゥリからは外の世界を見てきなさい、と言われている。

 これが外から受ける刺激なのだろうかと考える澪へ、今度はイオが問いかけた。


「澪はどうして狩人になったん? 修道院の狩人なら、もっとずっと小さいときに、もう人生の使い道を決めてたってことよね? それにその名前なら、もともとの出身は名家やろ?」

「随分と遠慮がないな」

「ちびちびと探りを入れられるよりはマシやない?」


 澪が冗談めかして言ったからだろう。イオの返答も気軽な声音だった。

 エルダーガーデンの出身であることだけ露呈しなければいい。返答に矛盾を作らないためにも、澪はある程度の事実を答えていく。


「私は、狩人としては異端だ。悪魔を狩るために狩人になったわけではないから」

「ふうん?」

「例えばだが、私の友人にセーナクルシェの出身者がいる。彼女は悪魔に両親を殺されて、その復讐のために自ら修道院に入った。修道院ではそれが普通だ」

「っ……ちょっ、それうちに言っていいことなん⁉︎」


 四公家の関係者が修道院に所属している。その事実を唐突に告げられて慌てるイオへ、澪は淡々と答えた。


「セーナクルシェの悪夢と言えば、この女学院なら誰にでも通じるだろう。生存した一人娘の消息が知れないことも」

「……ま、それもそうやね。そういえば、何年か前に姫様も悪魔に襲われとったよな? そんときは被害はほとんど出なかったみたいやけど」

「ああ。あのときは悪魔の規模が大したものではなかったのが幸いだった。もう少し強大なものだったら、救援が間に合わなかった可能性は大きかった」


 その「もしも」は考えるだけで恐ろしい。

 紙一重の差で間に合わない、そんな現実は数え切れないほどに転がっていることを知っているから、狩人はひたすらに己の力を求めている。


 澪は無意識に、弾丸の入っていない拳銃を弄んでいた。


「話を戻すと、私の生まれはとある家の庶子だ。だから、物心ついたときにはすでに修道院へ入っていた」


 澪は吸血鬼に特徴的な牙を持っていない。実年齢も偽っている。これだけの情報で素性がバレるはずはないという予想通り、イオは不信感を抱いていないようだった。


「そりゃ、まあ。ひどい話やね」

「まあな。先も言ったが、私は悪魔を狩るために狩人になったわけではない。私は、己の価値を認めさせるために狩人になった。そんな在り方に希望を見てくれた人がいるから、私は戦い続けている。この回答で十分か?」

「うん、十分も十分。十分以上よ。まさかここまで話してくれるとは思わんかったわ」

「修道院だから秘密主義というわけではない。外部との接触がないから情報が流れないだけだ」

「うん、そういうことね。納得したわ。

 ──んじゃ、うちはそろそろ授業やから行くね。いろいろありがと。もしうちに用事があるなら、夜に物見台に来てくれれば大抵いるから」

「承知した。何かあれば訪ねさせてもらう」


 右手と金色の尾をひらひらと振りながら、イオは射撃場から立ち去っていく。

 一人になった射撃場で、再び拳銃を構えながら、澪はらしくないことを考えていた。


 イオ・アウラ。彼女なら、信用してもいいのではないか、と。



 夜半、澪が教官に呼び出されたのは、入学から一月が経とうかという頃だった。


「……随分と、早いのだな」

「あなたの他に候補はいませんからね」


 努めて冷静に振る舞いつつ、手短に話を進める。

 動揺を悟らせるような無様は見せないが、ようやく一息つけたと感じたのは譲葉が待つ私室に戻ってからだった。


「先生は、なんと?」


 譲葉も呼び出しの目的はおおよそ察していたらしい。問いかけてはいるものの、声音には確信が見えている。


「交流試合の件だった。こちらの代表は私。向こうはまだ固まっていないが、やはり森羅が有力だと。それと、両者の顔合わせはこちらで行うらしい」

「……それは、なにより」

「姫、改めて問う。本当にいいのだな? 私のわがままにあなたを巻き込んで」

「もう。何度も言っているでしょう。そもそもこの案を持ちかけたのはわたし。すべての責を負うのはわたしの義務で、権利なの」


 権利とまで言われてしまっては、もう口を挟む隙がない。

 ペラギアの澪を交流試合に送り込む。計画の前提は成し遂げた。事は二人の計画通り、順調に進んでいる。ならば次フェイズの達成は目の前にあるようなものだ。


 覚悟。その二文字が澪の脳裏をよぎる。予定調和とはいえ、現在の平穏は完全に崩れ去るのだ。

 ブルーリッシュの姫と四公家出身者が共にあることの意味をしかと理解しているから、いくら決意を固めても、わずかに心をさざめかせる波は生まれる。


 すぅ、と呼吸をして、澪は身体中に酸素を取り込む。戦場に立つ前のルーティンは、完全に無意識の動作だった。


「大丈夫」


 譲葉が膝と膝を近付けて、ほっそりとした指で澪の筋張った手を包む。


「わたしたちは戦いに赴くの。なら、大丈夫でしょう?」

「……ああ。その通り。戦いの果てに、いずれ天運という神が手を差し伸べる」

「戦い続ければいずれ、己が楽園へと到達できる、だったわね」


 たおやかに笑う譲葉を見て、澪は思う。


 やはり、彼女こそがペラギアの澪にとって、あるいはエルダーガーデンのゼロにとっての楽園の証なのだ。

 彼女が見つけた希望を証明することが、澪の楽園なのだから。


 古代種。そのハンデは重々承知している。

 エルダーガーデンに棄てられた理由も承知している。


 だからこそ、抗おう。

 澪と譲葉、二人の人生を賭して、自らの価値を証明するのだ。

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