第12話 かりそめのひと時
「わたし、最低だ……」
ヘンリーさんの背中を見送って、しばし。平穏を絵にかいたような小川のほとりで、わたしはそこに座り込んだ。
母国が攻め込まれていると聞いて、狼狽するわたしを見かねたエリックさんが、援軍を出すと決断してくれた。
そんな中、わたしができたことと言えば、ヘンリーさんに
魔防壁が壊れたのはわたしのせいかもしれないのに、原因のわたしはここにいる。自分だけここにいる。
情けない。
でも怖い。
でも……情けない。
不安定でぐちゃぐちゃで、抱えきれなくて。
声に出して、こぼしてた。
「くに、大変なのに、怖いとか言ってる場合じゃないのに。行かなきゃいけないのに、「行く」って言葉、出なかった。……自分のことしか、考えられなかった」
「──最低なのは、俺のほうだ」
わたしの泣き言に釣られたのか、心の底から重いものを吐き出すような声で言う。
そんな言葉に釣られて、背中を丸めたまま視線を向けた時。
彼は、木の枝をつまみ上げると、焚き火の奥を突きながら、
「……君が戻れば、セント・ジュエルはまた安寧を手に入れるだろう」
ぱちぱち、ぷすんと音がする。
「それがわかっていながら、君を快く送り出すことも、帰れと説得することもしなかった。自分の欲を優先した。本来、民の命を守るべき立場にいるものとしては……最低の判断だ」
「………………」
……何も言えない。
吐露する彼の黒く青い瞳には深刻な反省の色が見えて、胸が軋んだ。
「……それに、彼らが君を無事に受け入れる保証もないのに、君に帰国の判断をせまった。……なに、やってるんだろうな、俺は……」
じっとりと、重く言われて気づいた。
……そうだね、そうだよね。
「帰る」とか、「心配」とか言ったけど、わたしはあそこで悪者だった。反逆者だった。「国に悪さした大罪人」。戻ったところで──…………
「………………あはは」
声は乾いているけど、全部がだるい……重い。
ずっしりと、頭が膝を打つ。
どろりとした疲弊感、意識も投げ出したくなる重だるさの中、逃げるように、逃がす様に、泣き言色でこぼれてく。
「…………そっか。そっか、そうだよね……言われるまで気づかなかったなあ……それ……」
「ん?」
「……セント・ジュエルが、まだ「
なんか……もうぐちゃぐちゃ。
わけわかんない。
なんにもしてないのにこんなことになって、母国がやられそうなのに、それを助けに行く勇気もなくて、でも捨てきれなくて…………
────苦しい。
「…………ミリア。大丈夫か?」
「……ん、まあ……へいき。」
気遣いのそれに、重い頭を上げて首を振った。
目の下のあたりが突っ張る。嫌な気持ちが暴れまわる。でも、大丈夫。平気だから。こんなの、気の持ちようでなんとかなる。世界は広い、わたしは強い、わたしはつよ
「────無理をしなくていい。酷い顔してる」
「……!」
葛藤を遮るようにぐっと引き寄せられて、息を呑んだ。
頬に当たる彼の体温。
背中で感じる腕の力強さ。
包まれている安心感に、『緩む』。
…………あったかい。……あったかい。
やさしい。ほっとする。
痛みが目の周りに集まって、苦しさと共に目じりからこぼれそうになる。
ぐるぐると渦巻く不安が、とくんとくんと、変わってく。
こそばゆく、照れくさい、息苦しさの方に変わってく。
────こんなの、無理だよ。こんなの、無理。
彼の温もりを頬に感じながら、わたしは顔をゆがめていた。
特別な意味なんてないのはわかってるのに、心が煩い。
いつもは口数多いのに、こんな時だけ何も言わないのがずるい。
ただ、黙って落ち着くの待ってくれてる。
好きとか嫌いとかじゃなく、心配して気をかけてくれている。
かまわないでよ、立てなくなるでしょ。
でも、無理だ、こんなの、どうしたって、
「────っていうか。おにーさんも人がいいよね、変わってる」
今まさに滑落しそうな自分を、散らして止めるために、わたしはわざと声を張った。
落ちない、落ちない、危ない、危ない。
声に含ませるのは
平気な声を作って見せる。
彼の胸を借りながら、強がりしてるのは解ってる。
でも、
そんなわたしの心情に、気づいているのかいないのか。
彼の声は、いつもより優しさを纏って返ってきた。
「うん? ……どうして?」
「……今のところ役に立ってない連れの母国に、兵を出すとか~。ふつうしないよ、そんなこと~」
「…………君は何もわかってないよな」
……?
呆れたような、諦めたような声に思考が止まった。
「え?」と、反射的に顔が上がる。が、後ろ頭を押さえる彼の力は強くて、逆に、肩に抑え込まれてしまった。
まって、待って、次を、期待する。
駄目だってば、この人、
思わず息を詰めて、黙るわたしに、彼の声が降りかかる。
「……俺が「帰れ」って言えなかった理由、気づいてない?」
「…………? なんだろ」
声が、ひっくり返りそうになった。
やめてよ、そういうの。
意味があると思うでしょ?
無意識に期待する。ダメだと理性が言う。
だめだって、この人、好きな人がいるんだから。
「……最初は、「ツテが欲しい」だけだった。けれど、君がいるのと居ないのでは、時間の流れ方が違う。世界の見え方が違うんだ」
…………優しい声で言わないで。
やめて、やめて。落ちる、落ちる。
「俺は、もともと一人で動くのは嫌いじゃなかったんだ。監視もない場所で、のびのびと
……駄目だって。
「何を言っても誰も返してこない。孤独で、寂しい。分かち合える仲間もいない。ふとした時、虚しさに潰されそうになる。けれど、君に出会って、時間の色が変わったんだ」
……だめだってば。
「……「一滴の水が、やがて全ての色を変えるように」。君は俺の時間に彩りを与えてくれた。感謝しているんだよ? 本当に」
「──…………」
まっすぐとわたしを見つめた彼の瞳が、とても綺麗で。
優しく甘い声が、誘うように響いて。
──とくん、とひとつ。音がした。
☆☆
──別に、恋仲じゃない。
彼の優しさに甘えてるだけ。
わたしは特別じゃない。
ただ、可哀想で同情してくれているだけ。
それでも、今はただ、彼の肩に寄りかかっていたかった。ちょっとだけ力を借りたかった。
焚火が静かに音を立てる中、肩を寄せ、目を閉じたまま。
「……ね、聞いていい?」
自分から出た声が、妙に甘えていて。
とろんとした感覚に、恥ずかしさと心地よさを覚える中、彼の声はくすぐるように返ってくる。
「どうぞ? 想像はついてるけど」
穏やかな声の柔らかさに”とく”っとする。
いつだったか読んだ本に書いてあった『恋は甘い罠』という単語がちらついて、唇を巻き込み噛みしめた。
ああ、なんか、分かる気がする。
こんなに痛くて苦しいけど、同時に出てくる幸福感が溜まらない。
いけないことをしているわけじゃないのに、イケナイことをしているような感覚が癖になる。
──そんな、幸福な酩酊感を覚えていることを、悟られないように。
くすくす、ふふっと笑いに乗せて、瞼を開けずに、声を投げた。
「……おにーさんって、なにもの……?」
「────そのうち話すよ。気づいてるかもしれないけど」
……ふふっ。
『らしい返し』に笑ってた。
多分彼も気づいてる。
わたしが気付いたことに気づいてる。
穏やかな笑いを含んだその声が、全部を語ってる。
それを証明するように、彼は続きを紡いでくれた。
「……「立場を気にせず話ができる相手が貴重」なのは、君も……わかってくれるだろ?」
理解を求めるような、親しい人に言うような甘えた声に、心がしびれた。
詐欺に遭う気持ちがわかる。
こうして甘えられたら──「いいえ」なんて答えは出ない。
心地よい感覚に身を委ねて、甘美な同意に沈みかけた時。彼の大きな手が、そっとわたしの後ろ頭に当たった。
「……今はまだ、騙されてくれる?」
「…………騙されといてあげる」
おねだりのような囁きに、酔い答えた。
わたし、この人が好き。
幸せにしたい。笑顔が見たい。
かなえたい。あなたの願い。
────『だから、』
よわよわタイムはもうおしまい。
すぅっと息を吸い込んで。
さっと身を起こして背筋を正す。
隣から、追いかけるような視線を感じつつ、わたしは胸を張って腕を組んだ。
──さあ。いつまでも、甘えてなんかいられない。
ジュエルのこと・おにーさんの探し人・
ふう! と気合を入れると、
「……さーて。ジュエル、無事だといいけどね……周辺各国を巻き込む戦争になったら困るよね。おにーさんの探してる人だって見つけなきゃならないわけだし……」
「──なに、心配ないさ」
「とりあえず復活したからお気遣いなく」をアピールするため、悩まし気に眉を寄せる前で、彼は堂々と頬杖を突き、述べた。
「──君の母国に攻め込んでいるのは、東シャトンでも最弱の”マルケッタ”。……我が国の隊を五つでも送り込めば──尻尾を巻いて逃げ帰るだろうよ」
……余裕の顔に震える。
……この頼りがいが、癖になる。
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