子どもの頃に親しんでいた童話や童謡をいま読むと、こんなに短い話だったのかと愕く。
原稿用紙、一枚から数枚程度。
話の筋も他愛ない。
それなのに、どれほど豊かな情景や情感を、幼い心に与えてくれたことか。
世の多くの親が子どもに与える絵本を吟味するのは、「子どもには少しでも良いものを」と願っているからだ。アニメ風の絵が氾濫している今であっても、むかし発刊された芸術作品のごとき絵本の幾つかはベストセラーであり、児童館はじめ幼稚園にも置いてある。
かつてあった気品や矜持や国文化を「嗤うべきもの」として戦後コテンパンに貶めていったとしても、日本人の心にはちゃんと情緒や哀感が備わっている。消しても潰しても、それは絶えることはない。
『不思議なわらしっ子』は少し珍しい、子ども向けの劇の台本。
物語は怖ろしい場面からはじまる。
最初に衝撃的な場面を持ってくると、子どもたちの興味は一気に劇の中に引き込まれる。
わらべ唄に出てくるような、田舎の農村。口よりもげんこつで解決する竹馬の友。そこに突然あらわれた女の子。
この女の子のイメージは、小さな雪うさぎだ。
田畑を一面にそめる、蓮華のむらさき。
真夏の山の緑の濃さと、突然の夕立。こうもりの飛ぶ朱い夕暮れ。
書割にはなくとも、日本の四季の豊かさがありありと眼に浮かぶ。
早春、子どもたちは焚火の上を跳び超える。それは村の子どもたちの勇気だめしでもある。
この物語を、劇を観るような気持ちで、わたしは終わりまで読んだ。
残念ながら一度も上演する機会に恵まれなかったそうだが、子どもたちがもしこの劇を見たならば、焚火を見る度にそこを跳び越えていた子どもたちの影を、そして舞台の上にいたふしぎな女の子の姿は、劇が終わった後も、永遠の少女として彼らの心にいつまでも刻み込まれたことだろう。