もしも太宰治がピザ屋へ強盗に入ったら

真白 まみず

メリイクリスマス

 一年三箇月、津軽の生家で暮し、十一月の中旬に妻子を引き連れてまた東京に移住してきたのであるが、来て見ると、ほとんどまるで二三週間の小旅行から帰って来たみたいの気持がした。


 雰囲気も変わらず、戦場の様だった。

 とにかく妻子を死なせてはならない。

 そう思わざるをえなかった。


 しかし私には、金がなかった。

 たまに少しまとまったお金がはいる事があっても、私はすぐにそのお金でもってお酒を飲んでしまうのである。

 私には飲酒癖という非常な欠点があったのである。


 その頃のお酒はなかなか高価なものであったが、しかし、私は友人の訪問などを受けると、やっぱり昔のように一緒にそわそわ外出して多量のお酒を飲まずにはいられなかった。


「ああ、あ、だ。ああ、あ、チドリの酒は、安くねえ。不味くねえ酒は、安くねえ」

 と酔った友人が奇妙に話す。

「お金の事ばっかり」

 と私が。

「よせ、よせ。最近は安くて味のうっすいスウプばかり飲んでんだ」

「それでは近いクリスマスのときには飽きてしまう」

「世間はクリスマスに決まってスウプを飲むのかい?」

 と友人は、なぜだか、しんみりとした口調で言った。


「私の娘は、ピッザを食べたがっていたね」

 と私が言うと、友人が楽しそうに笑って、

「なぜ、ピッザなんだい?」

 と聞いた。

「娘はバタが好きなんだよ」

「重いでしょうにねえ。我々が買えるような値段でもない。それに、子供じゃ食べ切れまい」


 そこで私は酔っているせいか、自分の性格のせいか。はたまた両方のせいかで、いじっぱりになってしまった。


「重いことなんてあるまい。娘の願いに、重いなんてあるまい」

「なら、買ってやればいい。君が重くないと言うならば、今すぐにでも買えるはずだろう?」

「どうも、私は信用が無くて困る」

「出よう、出よう」


 友人と外へ出るなり私は街行く人に声をかけ、ピッザを売る店の場所を聞いた。

 友人は私を笑うでもなく睨むでもなく、ただ私を見ていた。

 私は試されていると思った。


 ピッザの店は客がいないのに明かりで騒がしかった。

 私は友人を見ることもなくピッザを貰いに行った。

「1枚貰えるかね?」

 私がそう話した店先の店員は、大柄のまるで職人のような男であった。

「チイズかバタか選べ」

 と私は問われた。

「バタだ」

 それを聞いた大男はのしのし厨房に向かっていった。


 十分ほど待つと、体験したことのない美味の香りを纏った箱を私は渡された。

 値段は、身に余る金が必要であった。

 酒で殆ど金を溶かしていたから、到底不可能である。


「今日、どうしてもピッザが必要なんだ。明日、金を返しに行こう。今日のところは負けてくれまいか?」

「駄目。駄目」

 気の利かない阿呆だ。

「店につけていてくれればいいではないか」

「駄目だ。金が無いなら帰れ」


 私はそこでどうしてか、帰れと言われたことにむかっ腹がたった。

 家に帰れという意味なのは重々承知しているが、まるで津軽に帰れと言われた気分であった。


 大男がそう感じさせたのではない。

 東京という街が、私をそう感じさせた。

 私はこの街に向いていないから、とっとと田舎へ帰れ、と。


 そして私は、自分への不甲斐なさと、東京という街から受けた屈辱の、八つ当たりする場所を見つけられなかった。


「わかった。帰ろう、帰ろう。ピッザは君が食べてくれたまえ」


「どうしても必要なのに、諦めるんだな」


 その大男の捨て台詞で、私は完全に血が頭に上ったのである。


 諦めることを指摘されたからではない。


 私にこうして、ゴネるとピッザを貰えるかもれないという、一縷いちるの望みを与えることに腹が立ったのだ。


 私に望みを与えることで、私がすがると思っているからだ。

 私の縋る姿を見て、馬鹿にしたいのだ。

 そして何より、家に帰り、私の姿を思い出して上手い酒を飲むことが、許せない。


 恥をかかせてやりたい。

 どうにかして、この男の悔しがる姿を、私は見たくなってしまった。


 私は店を出た後、友人にあれよこれよと言われたものの、何も耳に入れなかった。






 翌日私は酷い酔いから覚めた後、外の空気を吸いに出た。

 それはもう午後五時頃で、東京の街には夕霧がけむりのように白く充満していた。


 もう既にまったく師走しわすちまたの気分であった。

 東京の生活は、やっぱり少しも変わっていない。




 私は本屋に入って、ピッザの雑誌を買い、それをふところに入れて、ふと入口の方を見ると、若い女のひとが、鳥の飛び立つ一瞬前のような感じで立って私を見ていた。


 口を小さくあけているが、まだ言葉を発しない。


 吉か凶か。


 昔、追い回した事があるが、今では少しもその人を好きでない。

 そんな女の人と会うのは最大の凶である。


 新宿の、あれ、……あれは困る、しかし、あれかな?


「太宰さん」

 女の人は呟くように私の名をいい、踵をおろしてかすかなお辞儀をした。

「アオイちゃん」

 吉だ。

「出よう、出よう。それとも何か、買いたい雑誌でもあるの?」

「いいえ。もう、いいわ。それより何かいただきましょう」

 私たちは、師走ちかい東京の街に出た。


「腹が減ったね。何が食べたい?」

「ええ。あなたの持ってるピッザなんかがいいわ」


 その人は、私の昨日の都合など知らなかったのである。

 だが私はここで、食い下がれなかった。

 私はまた、見栄を張った。

 その人は少しも私に惚れていないのにだ。


「そうかい。なら私がご馳走しよう。ピッザは初めてかい?」

「ええ」

「おや。家族で食べないのかね」

「ええ」

「夫は、いないのかい?」

「ええ」

「なら母親と二人かね。お家は、ちかいの?」

「でも、とっても、きたないところよ」

「かまわない。さっそくこれから訪問しよう。そうしてお母さんを引っぱりだして、大いに飲もう」

「ええ」


 女は、次第に元気が無くなるように見えた。

 ……。

「私がピッザを買ってくるから、家で待っていたまえ」

「私の家は、もうすぐ、そこですわ」

 そこは薄暗い廊下の目立つ、ひどいアパートであった。


 私はいよいよ自惚れた。

 たしかだと思った。


 彼女は、私を確かに勘違いしている。

 私がピッザを日常的に食べられる人間だと思っている。


 私は惚れてもない女性に見栄を張るべく、足を進めた。






 また、あの大男であった。

 彼の変わらない表情が、私を罵る顔芸に見えた。

「今度こそピッザをくれ。急いでいるんだ」

 私は一刻もはやく、ピッザを見せたかった。

「バタか?」

「バタだ。バタしかないであろう」

 大男は変わらずのっそと、厨房へ入っていった。


 私は今日、家を出るときにピッザを買えるだけの金を持ってきた。

 余裕はないが、払える金であった。


 十分後、厨房から出てきた大男が、私にピッザを渡した。


「今日はどうしても必要なモノ、変えたんだな」


 私はそこで、ハッとした。


 私は見栄を張るためにピッザを買いに来たのではないのである、と。


 娘にピッザを食べさせるために、ピッザを買うのだと。


 ただ私は自惚れていた。

 娘にもピッザを食わせたければ、女にも食わせたいのだ。

 そこで私の口は、奇妙に動いたのである。


「すまない。家族で食べるにはやはり、1枚では足らぬようだ。もう一枚焼いてくれぬか」

「そうかい」

「すまない。すまない」


 そして大男は、焼き始めてしまった。


 私は見栄を張るために、惚れてもない女のために、とんでもないことをした。

 到底今の私には払えない。


 ただこれで払えないと言おうものならば、またこの大男に笑われるではないか!

 私は断じて田舎者ではない!


 私のやることは、一つである。



 焼き上がったピッザを私は受け取る前に、金を置いておいた。

 そして大男がピッザを渡した瞬間を狙ったのである。

「いやはや時計を見るともう時間がなくてね。そこに金は置いてあるからとってくれたまえ。余分な分は、君のふところにでも」

 そう言って私は足早に店を出た。

 大男が何か叫んでいたが、私は必死に走った。


 すると大男は何とあろうことか、私の腕を掴んだのである。

「放せ愚か者!」

 と、私が叫んだ。

「お前に私の背負う重みがわかるのか?え?」

 そうして私はピッザを投げる勢いで饒舌となった。

「たかがピッザ屋ではわかるまい!私という価値を!それを失うのがどれだけ恐ろしいか考えたことはあるか?ピッザ屋にはせいぜい生地の重みと小麦の価値しかわかるまい!」

「それが強盗した理由か?ピッザ一枚で上等な奴だな」

 この男は私を刺激するのが上手であった。


 私は乗せられた。


 ピッザ屋にズンズンと戻り、厨房へ入った。

 生地の状態のピッザが数枚あった。


「ピッザを出せ。ピッザを出せ。もっと出せ」

「ここに出てあるのが全てだ」


 私はその全てを今持つピッザの箱に入れた。


「これで臆病とは言わせまい」

 こうして私は、大男にまで見栄を張った。

 そうして黙って見ている大男を脇目に店を出てやった。




 私は大層、気分がよかった。

 私をバカにした大男をコケにしてやったのである。


 そして私は本来の目的を忘れる前に、女ピッザを渡して慌てて家に帰路についた。

 女には、盗んだ全てのピッザを渡しておいた。


 清々しい気分であった。

 もう私になんの罪もないかのようであった。


 そうして私は家へ帰って、妻と娘にも見栄を張った。

 もう二度と、見栄など張るものか。





 翌々日、私の家のインターホンがなった。

 警官であった。

 私は震えながら、堂々と出てやった。

 やはり私は、また見栄を張った。

 とんだ愚か者であった。


「やあお巡りさん。メリイクリスマス」

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