ぬいラブ男子はモフりたい

三屋城衣智子

ぬいラブ男子はモフりたい

「お前ぬいぐるみなんか持ってんだな」

「男のくせに変なのー!」

「女男だ!」

「俺たちのヒーロー遊びには入れてやらねーよ」

「女子とおままごとでもしてればぁ?」




「……っそんな!」


 叫びながら目覚めた。

 季節の変わり目でここのところだんだんと暖かくなり、パジャマがわりのTシャツには汗をじっとりとかいている。

 僕は首筋に残る汗に、伸びるのも構わずTシャツをタオルがわりにするとごしごし拭った。

 けれど流石に気持ちまで拭き取ることはできない。

 時計の針は午前七時を指している、もう起きる時間だ。

 ベッドから軋む音をさせながらおりて、かけてある制服のところへとのっそり向かう。


 春の陽気に外の桜並木は段々とその蕾を膨らませ、満開の時を待っていた。




 ※ ※ ※




 今朝の夢も、もう遠い昔のことへと変化しているはずだけど時折ラインナップに上がる。

 気にしないことにした、それはもしかしたらいまだに僕が僕を騙しているだけなのかもしれない。

 そんなことを思いながら、高校の制服に袖を通した。

 今日は一年生最後の終業式だ。

 明日からは学生みんながお待ちかねの春休みが始まる。

 僕も少し期待していて、だからあんな夢を見はしたものの足取りは軽かった。


 そうして、何気ない日常を謳歌し終業式中他の連中とちょっとふざけて先生に叱られて、本当いつもの、何でもない日。

 そのはずだったんだ、下駄箱へ向かうまでは。




「え」

「ピュィイッ。手紙が入ってるじゃん」


 高校に入ってから仲良くなったこいつ、こと橋本が口を鳴らした。

 僕はまだ気持ちがついてこない、いや……脳みそもだ。


「さっさと受け取ってやれば? 蓋なしの下駄箱を選んだってことは見られて構わないのかもだけど、お前はそうじゃないだろ?」


 橋本はこの一年で僕の性格をだいぶ理解しているらしい、ありがたい助言に固まっていた体をほぐし慌てて手紙を手にすると、鞄に一応丁寧に、入れ込んだ。


「思考停止してたから助かった、ありがとう橋本」

「なんのこれしき。俺一応、須藤の親友ですし?」


 おちゃらけて言うこの橋本に、高校生活、何度助けられたかわからない。

 改めて心の中で感謝をしながらたわいもない話をしつつ、学校を後にした。




『三月二十八日、喫茶ハルカゼで待ってます。ぬいっころを持って来てください。』




 学校から帰って開封した手紙には、そう記してあった。

 なぜ知っているんだろう、僕が幼い頃に作った相棒の名前を。

 最初に思ったことはそれだった。




 だから今、こうして指定された喫茶店へ訪れて、窓際の席に座って二杯目のコーヒーを飲みながら相手を待っている。


 ドアについたベルのその春かぜを思い起こすような、軽やかな音をさせ、十時の十分前に待ち人はやってきた。

 知らない顔の眼鏡をかけたその子は、羽根でもついているかのように歩いて来て僕の向かいに座った。


「時間が書いてなかったんですけど」


 僕は用意していた文句を言う。


「ごめんね、うっかりしてた」


 その子は茶目っ気たっぷりに舌をほのかに出して微笑む。

 声までからんころんと鳴るかのように朗らかで、なぜこんな子が僕にあんな手紙を、と不思議に思った。


「用事は何ですか?」

「やっぱり、覚えられてなかったかぁ」


 奇妙なことを言われた、まるで昔に出会っているみたいに。

 合間にアイスコーヒーを店員さんに頼みながら、彼女は自身の真っ直ぐな黒い前髪をちょんちょんと手櫛で整えると、自己紹介を始めた。


「楓高校一年四組、春野なのかです。昔隣に住んでたんだけど、ほんとに覚えてない?」


 言われて、はっとなる。

 苦い記憶に顔がこわばってきっと酷い表情をしているだろう。

 そのことに気づいて申し訳なさそうにしつつも、彼女は言葉を重ね続けた。


「ぬいっころ、まだ作ってる?」

『ぬいっころって可愛いね! 私も一つ欲しいなぁ』


 昔言われたことがまるで昨日のことのようにその発言へ重なって、頭の中に次々記憶が浮かんでは消えていく。


「……な、の?」


 僕が呟いた女の子の愛称に、目の前の彼女はぱぁっと花開くように破顔した。




 ※ ※ ※




「たけちゃーん! あそぼ?」


 よくそう言って僕の後ろをついて来ていた「なの」は、僕のお隣に昔住んでいた幼馴染だ。

 小二になる前に親の転勤で引っ越してしまって、それっきりの。


 僕はその時ぬいぐるみがとっても好きで。

 親もそんな僕を認めておおらかに接してくれていたから、それがいわゆる世間の目からすると『変』なことだって知らなくて。

 だから初めて幼稚園の友達と遊ぶときにもお気に入りを持って行って、そうして時折夢に見るようなことを言われて、仲間はずれにされていた。

 友達がいないわけじゃなかったけど、それは大抵女の子で。

 贅沢だけれど、僕は男の子の仲間になりたかった。

 ウジウジしている僕に、なのは言う。


「なのもかわいいもの、すきよー? たけちゃんも、すき。いろんなすき、あるのにねぇ」


 単純だけれど、僕はそれだけでそう言ってくれる「なの」を大事に思ったし、守れる男になりたくなった。

 好きを仕分けして、見せていい相手と、見せるとあまり良くなさそうな相手を観察して区別して、そうしてだんだんと大きくなった。


 なのが引っ越すときには、流石に泣いた。

 涙にぐしゃぐしゃになって、渡したかったプレゼントも渡せなくて、さらに泣いた。




「……いつ帰ってきたの」

「高校からだよ、っていっても越境通学だけど。どうしてもたけちゃんと同じ高校に通いたくて、さ」


 窓際の暖かさに、なのの頼んだアイスコーヒーから、からん、と氷の溶ける音がする。


「なっ……!」

「ね、あれ。持って来てくれた?」


 コーヒーを飲んでストローに口付けたまま、少し上目遣いに聞いてくるなのは、きっと確信犯だ。

 これだけで僕の心はでろでろに溶けてしまって、もう役には立たない。


「持ってきた。後これも」


 僕は不承不承の体でその実嬉々として、古ぼけたぬいっころと、当時渡そうとして渡せなかった物をテーブルの上に出した。

 経年で少し劣化した包み紙にくるまれたそのプレゼントは、苦い記憶だったけどもうきっと苦しくはなくなるだろう。


 彼女は、開けてもいい? って聞いて来ながらも直感で自分のだとわかったらしく、返事をする前には包み紙を剥がし始めていた。

 一応のいいよという返事をして、僕もそれを見守る。

 開けきって中身をなのが見た瞬間に、ふと思い立って口を開くことにした。


「これ渡して、僕のお嫁さんになってください、って言うつもりだった。あの時」

「なっ……!」


 なのの頬っぺたがまるで桜のそれのように染まる。

 僕の顔はきっと、してやったりと言っているだろう。

 それで良かったしそれが良かったと思う、だって昔だって僕達の関係はこうだったから。


 だからしれっと続きの話題を方向転換してこの六年間を埋めるみたいに話して、これからどうしようと嬉しい煩悩を頭の中で繰り広げる。


 たくさん話して、たくさん笑い合って。

 そうして喫茶店を出る頃には、鞄にはお互い僕の作ったぬいっころがぶら下がっていたし、どちらからともなく手なんか繋いでみたりなんかして。

 浮かれた僕に、さらになのは爆弾発言をした。


「この春から、貸してた前の家に戻れることになったんだ。だからまたお隣さんだよ、よろしくね!」

「えっ……!」


 してやったり、となのは僕を見上げながらにんまりと笑った。

 僕の彼女は、ほんと色々と可愛くて負けた気分。

 お昼ご飯をどこにするか相談しながらも、帰ってくるというその話の詳細も尋ねながら食べ物屋があるあたりへと二人、足を向けて満開の桜並木を進んでいく。




 隣を歩く君のその柔らかそうな髪を、撫でていいものか悩む、そんな贅沢な雪解けの春だ。


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