昔は、雑誌に当たり前にペンフレンド募集って載ってましたね。名前も住所も普通に載って(文通が目的ならそうなりますけどね)。とある小学生向けの雑誌では、女子は「相手は男女どっちでも」という形で募集していたのに対し、男子は「女の子がいいな」と募集しているパターンが多く、子ども心に性別差のナントヤラを感じ取った覚えがあります(^o^)
作詞も手紙も、「相手に伝えるためのもの」ですね。文章を書くために、この上なくいい訓練だったのでしょうか。
作者からの返信
三奈木真沙緒さん。こんにちは。
昔はプライバシーも何も無かったですよね。
住所の番地までしっかり出てましたから。それでも何かあったなんて話はあまり聞かなかったな~。良い時代だったのかも。
そうですね。男子は女子で女子は両方なんて募集が多かったような。
書いていたのはくだらないことですが、何分相手がいますからうかつなことも書けない。
この間書いたことも書けないし。そう考えると多少なりとも練習にはなったんでしょうね。
コメントありがとうございます。
うわ〜!ペンフレンド(←昭和の言葉!)募集ってありましたね〜。
そうか、手紙も文章ですもの、相手を思って書くから面白い文が書けるんですよね。それ、すごく大事。きっとお世辞ではなく、本当に面白かったんだと思いますよ。そうでなければ、自然消滅したはずです。
作者からの返信
スミレさん。こんにちは。
もう、あっちこっちに募集欄が出てましたね~。良い時代でした。
手紙も相手に読んでもらうので、けっこう気を遣いますよね。
全く知らない相手ですから尚のこと。
それと過去にどんな話を書いたのかもある程度記憶しておく必要があります。
相手が数人だとだんだん混乱したりして、
前に書いたかもしれませんが…なんて前置きを入れたりして。
面白かったんでしょうかね。多少続いたってことはそうだったのかと
受け取っておりますけど…。(苦笑
最近文字を書いてませんね~。
コメントありがとうございます。
意外なオリジンに驚きつつ、こんにちは。
プールに更衣室がなく、学校前の大通りの向こう側なので、水着一枚の男子生徒の群れが大通りを渡るイカれた光景を見られるという、男子校へ通っていた友人を、急におもいだしました。
そういえばプレイバシーなんて、どこにもない時代もありましたね~。
今、考えると怖くて、不思議です。
見本と比べるのが校正で、見本なしに間違いを探すのは校閲というそうです。
最初に見本を作るので、校正の方が余計にお金がかかるそうです。
見本が出来ているのなら、校正はいらないのでは?
そんな違いを、つい最近しりました。
まだ文通が続いていたり、するのでしょうか。
途切れていた文通相手に、これを機会に手紙を送って見たら、返事が返ってきたりするのでしょうか。本人からでなく、子や孫だったりとか。
連絡の絶えた昔の友人知人が今、どうしているか想像するのも楽しいですね~。
作者からの返信
とぶくろさん。こんにちは。
ひと言でいえば、もてない男の苦肉の策って感じなんでしょう。
そんなことで女性と交流する。
自分のために書いてくれた直筆の文字は温かみもあって返事が来た時は嬉しかったですね~。
なるほど、校正と校閲ってそんな違いがあるんですね。
なるほど、そういえば辞書なんかは実際刷ったものと比べたりしますから、そういうのは校正になるんですね。
自分の書いた小説などは見比べるものがないから校閲と。
いずれにしても、間違い探しは後からジャンジャン出ますね。
いえいえ、さすがにもう手紙を書く習慣はありませんよ。
年賀状も一昨年で終了しましたから。
子供や孫ですか。
生存中は母がお世話になりました。なんて返って来たらびっくりでしょうが、その前に住所不明で戻ってきちゃうかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
文通は楽しいものでしたね。
私の文通は文章を書く訓練になるというより、もっぱら皆で楽しむ放課後のお喋りのようなものでした。
旅行に行った時、バスの中で歌った曲のことや、友達がこんなことをしておかしかったとか、どうでもいいようなことの羅列に、兄はちょっとガッカリして、もっとマシなことが書けないのかと言いたげでありました。
確かに風景やその地の歴史や特産等々、見たこと感じたことを作文のように書けていたら、兄も私の文通は有意義なものと思ってくれたことでしょうし、ひょっとしたら将来レポーターに・・・ああ、そこまではないでしょうが。
たいしたことを書くわけでなくても、文を書くことに楽しみが持てたことにはなりましたね。
作者からの返信
ローバさん。こんにちは。
知らない相手との文字の交流は楽しかったですね。ローバさんも経験があるようですね。
同じような趣味とか似たよな年齢とか、そんなので相手を選んだりして出すのですが、手紙が届いて開ける時などはワクワクしたものです。
歳も近いので割と畏まらずに書けるって点も良かったのでしょうね。
だから私も同様ですが、たいしたことは書いてませんでしたよ。
どんなことをやってて、何が美味しいとか、ネットもない時代だから今で思えば貴重な情報源だったとも言えます。
女性心理なども勉強になりましたしね~。(笑
コメントありがとうございます。
文通ですか。確かにその頃は雑誌に特集コーナーがありましたね。私も少しやったことあります。
手紙を書くのはいいことですよ。今は何でもラインとかで済ませますから、短縮された言葉ばかり使いますけど、文章をどうにでも膨らませられますから。
それに、文章から相手の感情を読み取る訓練にもなったかと。そうしないと返事書けませんからね。
作詞の方も便せん5枚は凄いですね。上達してきた証拠ですね。
作者からの返信
多肉ちゃんさん。こんにちは。
一時期はどの雑誌にでも文通コーナーはありましたよね。
それもご丁寧に住所氏名まで丸出し状態で。
それが普通だったので当時は違和感もありませんでしたけどね。
良い時代でしたね。
多肉ちゃんさんも経験がありますか。特に女子は多かったんじゃないでしょうかね。見知らぬ人との文字の交流は面白かったですからね。
普段言えないようなことも書けたりして。
呟きのような短文は簡単ですけど、手紙はそれなりの長さも必要とするので
どう話を進めていくか、そしてどんな話題を出して途切れないようにするか。
などと神経を使ったもんです。
出来れば長く続けたいと思ってたのでとにかくあれこれ考えましたね。
いやいや、便せん五枚は手紙です。
そのくらいの量を毎回頑張って書きましたよ。
それが今ではいい練習になったでしょう…きっと。
コメントありがとうございます。
確かに文通は文章書く力上がりますなあ
少なくとも全く書けないという状態も、相手の問いかけに返答するだけでも書く事になるますしね
自分はお気に入りの同人漫画作家さんの本への感想からしばらく何人か続けてて、多い時は月に一人十枚とか送りあってますたね
まー当時の様な情熱(感想送るとか)は今出来ないでしょうね(住所も公開されてませんしwメールでもあの文字数はきついw)
作者からの返信
あるまんさん。こんにちは。
相手が一人だとは言え、読んでもらうからにはやたら変なことも書けないし、
(書いたら即終了)ある程度は楽しませる必要もあるでしょうね。
そう考えると何気に書いていた手紙も書くことに対して役立ったのでしょう。
そもそも書くこと自体がもう今では面倒でダメですよね。
十枚も書いていたんじゃ、さぞ大変だったでしょう。
でもあの頃はそれが普通だったから出来た。懐かしい話です。
コメントありがとうございます。
ちびゴリ様、おはようございます😊
私も中学生の頃は文通していました。
手紙を出した後は、すぐ来るはずもないのに翌日から返事が来るのをワクワクして待ったものです。
懐かしいなぁ。
この時の事をいつかエッセイに書きたいと思っていたので、今度書いてみようかな。
エッセイのヒントを下さりありがとうございますってそういうことではないですね。
この文通が書くことのトレーニングになったんですね。
それは確かにあると思います。
意外と文章を書くのが楽しいと目覚めた時でしょうかね。
作者からの返信
のこさん。こんにちは。
確かやってたなんて聞いた覚えがあります。
ネットもない時代ですから他人との(知らない人)交流の手段は文通が多かったんじゃないでしょうか。
あっちこっちに募集コーナーがありましたよね。実名入りで。(笑
出した翌日辺りにもうポストとか覗いたりしてましたね。
そんな早く来るわけないだろうって気もしますが。
ただ、私の場合は来た翌日には返事を出してました。
遅れると悪いような気がして…。
おっ!何かヒントになりましたか。それは良かった。楽しみにしています。
トレーニングにはなりましたね。
自分しか見ない文と違って、読んでもらう文ですから、
変なことも書けないし、適度なお笑いとかもないと飽きられるだろうし。
いろいろ神経を使った…ふと思い出しました。
コメントありがとうございます。
文通、確かにあったような気がしますが、気に留めていませんでした。文通してたら、もう少しうまい文章が書けるようになっていたかもしれない。そう考えると、やらずに損していたな、と感じます。
作者からの返信
@windrainさん。こんにちは。
もう文通とかペンパルとか、そういったコーナーはどこにでもありましたね。
それも住所氏名全部出し。今考えると平和な時代です。
確かに役立ったとは思いますね。相手にいかに伝えるか。
それも面白みがないと継続出来ないので神経を使った気もします。
何より相手に読んでもらうことが第一ですから、そういうところは
小説とかエッセー形式とかにも似ている気がしますね。
コメントありがとうございます。
たぶんモノを書いた時、それに対して返事をもらうというのは、とても嬉しことなんです。
このカクヨムに来て、一人でも読んでもらえて、コメントをもらえる。しかも、それがペンネームだろうと何だろうと、誰かが反応してくれるということを体験したら、もう書くのを止められませんよね。
作者からの返信
根 九里尾さん。こんにちは。
何はともあれ反応があるというのが良いですよね。
人に見せるもんじゃないですが、日記などは独り言ですからね。
黙々と小説を書いていても読んでもらえないと、面白みも半減する気がします。自信はない。でも読んで欲しい。
こういうジレンマと格闘したりもしますかね。
コメントありがとうございます。