椿、遊園地へ行く2
「弥子、今度のバースデーの発注書、そこにあるから確認しとけよ。」
憂は仕事中だった。
「店長のバースデーはどうしようかしらね。」
弥子が揶揄うように言う。
「なんで俺が?一介の従業員だっていうのに?」
「でも現役のときは稼いだんでしょう?稼げるだけ稼いですぐやめちゃって。女の子たちかわいそう。」
「言っておくけど、俺はかなりの優良ホスト……」
電話が鳴って、憂は会話を中断した。
「椿ちゃん?」
「いや……ちょっと外す。」
電話の相手は清臣だった。珍しい。
清臣からの電話は椿がここに来た時以来だ。
「どうした?」
「お嬢が、誘拐されました。」
「臣!お前……」
駆けつけた憂は清臣を怒鳴りつけようとしたが、直前でその言葉を飲み込んだ。
「すいません、若。また、しくじりました。」
清臣の服についた血痕。
本人はいたって平気そうだが、肩のあたり――憂にはすぐにわかったが――銃で撃たれた傷だった。
「何があった。」
「少し離れたすきに――」
「どうして離れた?」
憂の静かな怒りは、首を絞められるような圧迫感があった。
「落ち着け、憂。離れたといっても、視界の範囲だ。しかも開けてる。」
憂より先に着いていた興だ。
冷静になって見渡すが、平日のテーマパークで、しかもフードコート。
確かに、伝えられた状況によれば、なにかあって駆けつけるのは容易な距離、状況だった。
清臣はしっかり仕事をしている。
「撃たれたのが先か。」
清臣は黙ってうなずく。
誰も白昼堂々銃撃されるとは思わない。
「相手は、相当手馴れてるな。こんな人目のつくところで。」
「お嬢はここから連れ出された先で誘拐されてます。」
「あいつもばかだなあ。」
清臣は強く同意する。
「しかし、お前はなんで元気なんだ。」
「わかりません。」
清臣の生命力の強さは昔からだった。
「死んでもおかしくなかっただろ。幸いだったな。」
「かろうじて、よけきれませんでした。心臓は回避しましたが。」
憂は満足げにうなずきながら清臣の頭を撫でた。
「お前はよくやってるよ。」
そして、すぐ横にいる興に「こいつ本当に人間か?」と聞いた。
「どういうつもり?」
椿は仁を睨みつける。
仁はニヤリと笑うだけだった。
「ようやく『仁くん』って呼んでくれるようになって、心を開いてくれたところにごめんね。」
「まあ、謝ることでもないんだけど。」
この飄々とした調子が怖い。
まるで別人のようだ。
「昔の俺が君のことなんて呼んでたか、覚えてる?」
椿はただ仁を睨みつけることしかできない。
「つーちゃん、って呼んでたんだよ。忘れてた?」
気づいていた。
なんとなく、仁の言葉が嘘っぽく聞こえたのは、きっと、そのせい。
成長したから、もう高校生にもなって子供の頃のあだ名で呼び合うなんてできないから、そう言っているのだと思っていた。
「椿」と呼ぶ声がなんとなくぎこちないのもそのせいだと。
「俺は君に心許してなんてなかったからな。」
椿は震える声で問う。
「本当に東くん?」
もしや、自分はずっと騙されていたんじゃないだろうかと言う気持ちになる。
「いや、東仁だよ。大昔に京極椿と未来を誓い合った東仁。ちなみに、今も好きって言う言葉も嘘だから。」
「そこまでして、なにがしたいの?」
仁の言葉を本気にしていたわけじゃない。
でも、気持ちを弄ばれていたことに、悪意を向けられていたことに腹が立つ。
「守間清臣が見てる前で誘拐してあげたからには、君のことをすごく大切にしてるお兄さんや、ご両親が君のために集まるだろうね。」
椿に目線を合わせるようにしゃがむと、前のような優しさがすっかり消えてしまった瞳に、椿の絶望し切った顔が映る。
「その眼前で、君を殺す。」
“殺す”
憎しみのこもったその言葉は、椿から思考を奪った。
殺す……殺される……死ぬ……
追いつかないままに、仁は続ける。
「守間もかわいそうに。君の不注意で人生が終わったんだから。」
「何言って……」
「大事なお嬢様を守れなかったら、待つのは死だよ。ここはそういう世界。」
椿の困惑が表情にも表れていた。
仁は引きつった笑みをしている。
「本当になにもわかってないんだね。そもそも、君が忘れてさえなければ、こんなことにはならなかったのに。」
忘れていた……なにを?
仁のことだろうか。
昔、二人の間に何かあったか。椿は必死に思い出そうとする。
いや、それよりも清臣のことだ。
全部、椿のせい……?何を、間違えていた……?
「どうせなら、彼も一緒に殺してあげようか。お嬢様と一緒に死んだ方がまだメンツはたつよね。」
「相手の目的は?」
急遽閉鎖された遊園地の一エリア。
その従業員スペースに椿があることはわかっている。
仁は、単独犯ではないようだ。
どう見ても同業者の仲間が数人潜んでいることもわかっていた。
「大体わかっています。というか、お伝えしてあったはずですが。」
「は?」
清臣は平然と言ったが、憂にとっては初めて聞いた話だった。
「いやあ、若。申し訳ないですね。」
呑気な声がして振り向くとそこには、この緊張感から外れた調子の豪と、オドオドと視線を彷徨わせている陽太がいた。
「俺の部下がお伝えする手はずだったんですが、不具合が起きましてね。」
「口頭で伝えるべきことか?」
憂は元から不機嫌だったのがさらに不機嫌になる。
「それが、ボスのポリシーでしょう。」
憂と豪。この二人は何かあるわけではないが、何かと折り合いが悪い。
「なんの不具合だ?」
興が聞いた。
「襲われました。相手の刺客でしょう。」
「相当な間抜けだな。」
皮肉な笑い方だった。豪の笑みはピクリともしない。
「誰もまさか公衆の面前でやられるとは思わないですよ。」
清臣と同じだ。
相手には、あらゆることに対しての恐れというものがないように見える。
「しかしどうして、その情報が抜かれているんだ。まさか内通者がいるとは言わないだろうな。」
興は怒っているのかもわからない。淡々とした口調だ。
「本家の方でも至急調べましたが……結論、たまたまでしょう。」
「豪、いい加減にしろ。」
憂がさらに低い声で威圧した。
「私は本気ですよ。お嬢を攫った東仁の旧姓は
興と憂は揃って顔を顰める。
「なるほど、梵の子か。」
「やっぱりあのときに殺しておくべきだったなあ。」
よくあることだった。
でも、それがイレギュラーとなって、今にまで影響を及ぼしたのは、ほかでもないボスの弱みのせいだった。
「どこかで京極の情報を隠し持っていたんでしょう。彼はそれをしっかり頭に入れている。まあ、独力で海外留学するくらいですから、頭はいいんでしょう。」
「それなら目標は復讐か。」
納得したのか、憂の表情から怒りが消える。
「そうでしょう。それまでは、何事もなく平穏に暮らしていたようですし……要求もあるかと言われれば思いつきませんね。」
「厄介だな……」
憂が神妙な面持ちでつぶやいた。
「臣、最初にした約束、覚えてるか。」
清臣は珍しく沈んだ表情をしている――ように見えた。
「はい。」
「あの豪でも手を付けられなかったお前が京極に残るために、この役目を与えた。」
憂の言葉だけが通る。皆が黙って耳を傾けていた。
「今まではあのお姫様を十人近くで見守っていたが、そこまで人員をかけられない。お前の力量を買って、お前ひとりに任せたが、少し重荷だったかな。」
憂は人の悪い笑みを浮かべる。
「椿を助けられなければ、俺はお前を椿の護衛から解任する。すなわち、お前は京極をクビになる。命だけは助けてやれるよう、俺からも言っておくが……」
清臣は強い目線で憂の言葉を制した。
「そんなことがなくても、助けますよ。」
清臣の落ち込みは、気のせいだったかのようにしっかりとした声色でそう言った。
花に弾痕、鬼に衣 りんごンゴ @YoidukiAka
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