椿、遊園地へ行く

「東くん?」

椿の声に仁はハッと顔を上げる。

椿は眉を八の字にして笑う。

「お疲れだね。」

「あぁ……いや。」

仁は否定しようとして曖昧な返事をした。

仁とは椿を挟んで隣にいる清臣をチラリと見る。

相変わらず何を考えているのかわからない顔だ。

理由をつけて、椿の最寄りから一緒に帰ることにしたが、椿は学校からその最寄りまで赤羽唯華と帰ると言うから、仁はその間清臣と地獄みたいな時間を過ごしたのだった。

「そううまくいくとおもうなよ。」と言う清臣の言葉。

あれは一体どう言う意味だったのだろうか。

それに、米山美夏のことも。

椿のことを好きでもないくせに。

しかし、あの圧は、まさに本性を表した獣のようだった。

椿は何やら楽しそうに話している。

「椿。」

呼びかけるとまっすぐで純粋な瞳がこちらを見た。

「遊園地のチケットもらったんだけどさ。」

何を言うのだろう、と瞳が不思議そうに揺れる。

「一緒に行かない?」

椿は困惑の混じる瞳でチラリと清臣を見た。

仕方ない。

仁は心の中でため息をついて言う。

「守間も一緒に。」

どうせ、ストーカーのように後ろからついてくるんだ。

それが清臣か、他の京極家の人間かわからないが、その場にいるのは清臣である方が都合はいい。

清臣の方を見ると、険しい顔をさらに険しくして仁を見ていた。

仁にはある計画があった。


「おはよう!」

椿は息を切らして駆け寄る。

清臣は全く落ち着いている。

椿の寝坊に始まり、遅刻寸前だった。

走って乱れた髪を手櫛で直す。

「かわいい。」

仁は優しく笑って言う。

「ありがとう。」

椿はチラリと清臣と仁を見た。

どうしても並ぼうとしない二人だが、近くにいるだけで視線が集まる。

仁は思ったとおりだが、清臣の服は誰が選んだのだろうか。

今日はなんだかおしゃれだ。

休日はいつもラフな格好なっただけに、なんだか落ち着かない。

対する椿も、メイクもヘアセットもバッチリ決めてきた。

「すごい人。」

創立記念日を利用して平日に来たとはいえ、遊園地は親子連れからカップルまで幅広い層の人で賑わっていた。

「人混み平気?」

椿は頷いて返す。

「むしろ好きかも。」

少し後ろを歩く清臣が言う。

「動物と同じで仲間がいた方が安心するんだろ。」

「どういう意味!?」

仁は少し笑ってから言う。

「何から乗る?」

「やっぱり……」

椿は急勾配のジェットコースターを指差す。


「楽しかったー!」

笑顔で歩く椿の後ろから、断末魔に近い悲鳴が聞こえる。

「泣きそうになってたくせに。」

「そんなことないよ。」

自信満々に言う椿だが、実際に涙は目の端まで迫っていた。

椿は絶叫系は苦手だけど好きという、ヘーゲルもびっくりの矛盾を抱えている。

急降下するときには、乗ったことを後悔するのに、全て終えて降車した瞬間から次も乗りたいと思うくらいには、椿はバカだった。


そうやって、なんだかんだ楽しそうな椿と、すごく楽しそうな仁と、何を考えているのかわからない清臣は、午前中で人気のアトラクション三つ――すべて絶叫系――に乗った。

「椿叫びすぎ。」

「二人ともなんでそんな余裕そうなの?」

仁は軽く笑い飛ばした。

「椿は、好きな人いないの?」

「え?」

唐突な質問に椿は笑って聞き返す。

冗談だと思った。

「真面目に。」

言葉通り真面目に聞かれるから、椿は少し困惑しながら言った。

「いないよ。」

「実際、二人ってどうなの?」

二人は揃って仁を凝視した。

その視線が答えだったが、仁は続ける。

「どう、って……」

「ずっと二人でいて、仲よしじゃん。」

「まさか。」

二人の声が重なる。

笑いながら、椿は心の中で「知ってるくせに」とつぶやく。

仁も米山美夏の一件をすぐそばで見ていただろう。

仁は乾いた笑いを漏らす。

「俺、椿に告白してるから。」

椿は息をのんだ。

驚いた表情で仁を見る。

まだ、それは清臣には伝えていなかった。それに、伝える気もなかった。

仁の向こうの清臣は、意外にも驚いたような顔をする。

「守間ってイケメンだし、不安になってさ。」

清臣はため息を一つついて、「ない。」とだけ言った。

「私、飲み物買ってくる。いっぱい叫んだから、喉乾いちゃった。」

椿はわかりやすい言い訳を残してその場を去る。


残された清臣は、逃げたな、と思いながら小走りで去る椿の後ろ姿を見つめていた。

「守間は、椿のことどう思ってるの?」

清臣はなれなれしい口調の仁のほうをにらみつける。

「どういうつもりだ?」

「本当は、椿と二人きりでデートできると思ったんだけど、どうせついてくるだろ。」

清臣は何も言わない。言おうともしない。

「別にいいんだけど、それは仕事だから?それとも、好意があるから?」

「前者だ。」

ふうん、と仁は納得いかなそうな相槌を打った。

清臣が即答しなかったからだろうか。

「楽しい?」

清臣は少しの沈黙を置いて、口を開いた。

「そういうお前は、楽しいのか。」

「なにが?」

「あいつをからかって。」

「嫌だな、本気だよ。」

清臣は仁の表情を読もうとする。

少なくとも、嘘のない言葉のように聞こえたが、心底どう思っているのかはわからなかった。

「おまたせ!」

椿はストローの刺さったカップを一つと、二本のペットボトルを抱えて戻ってきた。

「無難に水にしちゃったけど、水嫌いだったりしないよね。」

「ありがとう。」

椿はちゃっかりジュースだった。

「ジュースが良かった?」

清臣がじっと椿を見ていたせいで、椿は気まずそうな顔をして聞いた。

「あぁ、いや……」

清臣の反応を気にも止めず、椿は宣言する。

「おなかすいちゃった。」

本当に、本能で生きている人だと思う。


「椿、ソースついてるよ。」

仁はそういうと同時に、椿の口元をぬぐう。

清臣のせいで忘れていたが、もともと異性への耐性のない椿は顔を真っ赤にした。

「かわいい。」

仁は思わずというような調子で言ってから、チラリと清臣のほうを見ると、その険しい顔つきにも思わず「こわっ」とこぼした。

「元からこんな顔で悪かったな。」

「それでも、モテモテなんて羨ましいな。」

「そっちこそ。」

椿はなんとも言えない空気感に目を白黒させていた。

お互い喧嘩越しなのに、褒めあっている。

椿の頭では理解しきれない高度なやり取りのようにも思えたが、熟考の結果、仲良くなったのだと思うことにした。

「おじょ――京極、それこぼすなよ。」

ミートグラタンを見ながら清臣は言う。

珍しいと思いながら、清臣が言い間違えたことに少し笑ってしまう。

幸い、仁は気にしていないようだ。

「大丈夫。」

のんきに返したその時、椿のスプーンからミートソースがぽろっと落ちた。

「あ。」

男子二人の声が重なる。

「やばっ!」

あいにく、真っ白な服で来ていた椿は慌てて、ティッシュを取り出そうとする。

だが、椿がそんなものを持っているはずはなかった。

「ちょっと待って……」

仁が何か拭くものを探そうと立ち上がった拍子に、机の上のカップが倒れ、中のジュースが椿の服にかかる。

「あ……」

椿は呆然とした顔で地獄絵図となった自分の服を見つめている。

「ごめん、椿!」

仁は慌ててカップを戻すが、手遅れである。

「なにか、拭くもの――ごめん、守間、店員さんに、聞いてきてもらってもいい?」

なんで、俺が。そう言いたげな清臣だったが、そんなこと言ってもいられない。

黙って席を立った。

パレードの始まりを告げる陽気な音楽が喧騒をかき消すように鳴った。

少し待って「遅いな。」と仁がつぶやく。

ものの数分だったが、焦る気持ちもわかる。

椿はとっくに諦めていたが。

「トイレに行って洗った方がいいかも。」

椿は呆然とした顔のまま聞く。

「お――守間くんは?」

「連絡しておく。」


「服、弁償するよ。」

トイレから出た椿に、開口一番に仁は言う。

「いいよ。ジュース、東くんがこぼしたとも限らないから。落ちたし。」

ミートソースは落ちなかったけど。

ハンカチをしまう椿に仁は少し低い声で聞いた。

「椿って、守間のこと好き?」

椿は強く否定した。

「まさか!」

「だよなぁ、あいつ、ちょっと女たらしっぽいもんな。」

「そう?」

椿の反応が意外だったのか、仁は不思議そうな顔をする。

「確かに、ちょっと何考えてるかわからないし、怖いところもあるけど。」

椿は自信を持っていう。

「いい人だよ。」

椿が命を預けられるくらいには。

「そっか。」

仁はやさしく笑う。なんだか、安心したような笑顔だと椿は思う。

「変なことばっかり聞いてごめん。」

「別に。私、もっと変なことばっかり言ってるでしょ?」

「そうだね。」

「否定してよ!」

仁を軽く小突いた。

「私、東くんに感謝してるよ。」

仁は微かに笑みの混じる声で聞き返した。

冗談だと思ったようだ。

「真面目に。」

椿はさっきの仁と同じ言葉で返す。笑ってしまったけど。

「嫌なことあったとき、仁くんのおかげで平気だったから。今も、昔も。」

「昔……俺、椿のこと泣かせてばっかりだったと思うけどな。」

「今みたいに気もつかえなくてさ。」

「なんだよ。褒めるところじゃん。」

椿はくすぐったそうに笑う。

「私、前に仁くんとここ来たことあるよね。」

「なんだ……忘れてると思った。」

「だって、今日と違ってすごい混んでたのに、二人で迷子になっちゃって……忘れるわけないよ。」

仁ははじかれたように笑いだす。

きょとんとする椿に仁は目元の涙をぬぐいながら言う。

「親と会えた後、椿拗ねちゃって、着ぐるみに八つ当たりしてたよな。」

そういえば、そんなこともあったかもしれない。

着ぐるみにドロップキックして、両親も怒りを通り越して、困惑していた。

「あとで観覧車、乗ろう。」

仁の一言に、椿は今日一番の笑みでうなずいた。

「ところでさ、ここ、どこ?」

椿が立ち止まると、仁も続いて立ち止まった。

人気のない場所だった。

『従業員以外立ち入り禁止』の中のように殺風景で、静か。

「また迷子?」そう笑おうとしたが、椿は何も言えなくなる。

大きく見開かれたら瞳が震える。

その瞳から幸福の色が消えた。

「死にたくなかったら、静かにしてくれる?」

仁が、椿に向かって銃を構えていた。

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