椿、心配する2

「奈乃香、一言一句聞き逃しちゃだめ。わかった?」

葵は鼻の穴を膨らませている。

「はいはい。」

今日は椿だけじゃなく、葵までちょっとおかしい。

葵がそうなった理由はわかるけど。

イレギュラーな出来事に興奮しているのは間違いないけど、それが好奇心か、椿への思いからなのかはわからない。

葵は椿に相当入れ込んでいる。

それにしても……

「ベストポジション。」

「でしょー。」

自慢げに笑う葵。

奈乃香たちがいるのは一階の空き教室の窓の下。

外からはどうやっても見えない位置だ。

そして、その外に当たるのが清臣の言った校舎裏だった。

窓を開ければ声はよく聞こえてくる。

「なんでこんな場所知ってるの?」

上機嫌の葵はその質問を聞くと視線を彷徨わせた。

「えっと……」

「なに、はっきりしてよ。」

誰もいないのに葵は奈乃香に耳打ちして言う。

「ちょっと前にはっさんがここに呼び出されたの。」

「えぇ!!」

奈乃香の勢いに距離をとってから、しーぃっ!と葵は焦る。

「こっちの声も外に聞こえるんだから。」

「それで?」

奈乃香は少し距離を縮める。

「断ってたよ。」

「相手は?」

さらに距離が縮まる。

「隣のクラスの……」

いいかけて止まる。

「ちょっと……」

奈乃香の言葉を葵は手で遮った。

窓の方を指差す。

話し声がした。

清臣と米山美夏だ。

奈乃香は息を飲んでその声に集中した。

「それで言いたいことって?」

「話さなきゃいけないことがあるのは先輩の方ですよね。」

二人は驚いた表情で目を合わせる。

「清臣くんの方から言ってくれないかな。」

いつのまにか名前で呼んでいる。

清臣はなにも言わない。

「今後ことを考えたら、男の子の方にリードして欲しいし、そう考えたらやっぱり清臣くんから言ってほしい。」

清臣がどんな顔をしたのかわからないが、沈黙が流れた後、米山美夏は小さくため息をついた。

「わかった……言うわよ。」

奈乃香は思わず葵の手を握る。

わかっていたことではあったけど、いざその瞬間を目前にすると辛いものがある。

葵が椿に入れ込んでいるなんて思ったが、奈乃香だって大概だ。

心臓がの鼓動が大きくなる。

「付き合ってください。」

米山美夏の言葉に、強く目を瞑る。


「私、他人の恋愛がうまく行きませんようにって願ったの初めて。」

「そりゃあ、他人じゃないからでしょう。」

椿は頷きかねた。

「幼馴染なら、家族みたいなものじゃない?」

確かに、幼馴染というのは嘘だけど、清臣が家族のような存在だということはあながち間違いではない。

「でも、例えば牡丹に彼女ができて、そのことをどうこういうかなぁ……」

「相手が浮気者でも?」

椿は何も言い返せなかった。

「その人の幸せを願うなら、それは優しさでしょ。」

椿は頭上に広がる青い空を眺める。

この感情は優しさというには程遠い。

椿のわがままだ。


「そうじゃないですよ。」

清臣の声は、冷たさを持ってそう言い放つ。

二人は顔をあげて目を合わせる。

「は?」

米山美夏は普段の可愛さを忘れて狼狽える。

「え?」

「付き合えませんし、俺が聞きたかったのはそんな話じゃない。」

米山美夏は怒りと悔しさのこもった声で乱暴に言う。

「なにそれ……じゃあ別に私のこと好きだったわけじゃないってこと?」

清臣は一言「はい」とだけ。

米山美夏がどんな顔をしているのかは奈乃香にも想像がつく。

「最悪!」

そう吐き捨てると、走り去る足音だけが聞こえた。


「ねぇ、今のどういうこと?」

勢いに任せて奈乃香が言う。

見た以上のことはないのだけれど、聞かずにはいられなかった。

「やっぱり私の見込んだ男は違うわね!」

そんなこと言っていた覚えはないのだけど。

遅れて笑いが込み上げる。

見事なすれ違いだった。

二人で一通り笑ったあと、葵は勢いよく立ち上がる。

「行くよ!椿のところに。」

奈乃香は慌てて引き止める。

「ちょっと!」

窓の外にまだ清臣がいるかもしれない。

口をつぐんで、二人揃って外を見る。

「あれ?」

そこには誰もいなかった。


「遅いね、二人。」

「そろそろ帰っちゃう?」

椿が半分本気で言う。

「そうだね……あ、私体操着忘れたからそれだけ取りにいっていい?」

椿は頷いて立ち上がる。

大きく伸びをした。

唯華と話していたら、なんだかすっきりした。

野球部の掛け声が響くグラウンドを唯華と並んで歩く。

まだ少し強い日差しが照らす。

「唯華さ、前に告白されてたじゃん。」

「そうね。」

唯華にしてみれば、よくあることだ。

「なんて言われたの?」

「普通に、『好きです付き合ってください』って。」

「シンプル・イズ・ベストだね。」

「守間くんは、なんて言うのかな。」

椿は俯いてうめき声をあげる。

「今忘れかけてたのに。」

唯華は軽やかに笑う。

「案外キザなセリフ言っちゃったりして!」

「やめてよ……」

唯華はますます楽しそうに笑う。

「あんだけ顔もよかったら、多少ナルシストでも許せるよね。」

「何言ってんのよ。」

「椿さ、守間くんのこと……」

唯華が何か言いかけた。

しかし、誰かの声がその言葉を遮った。

「京極椿!」

声のする方を見て椿は目を見開いた。

米山美夏だった。

「なんで……」

隣の唯華が怪訝そうにつぶやいた。

米山美夏はツカツカと歩み寄ってきたかと思うと、椿に掴みかかる。

「あんたのせいでしょ!」


清臣が曲がり角を曲がったとき、誰かとぶつかりかけた。

「なんだ、守間か。」

相手は東仁。

「走るなよ、危ないだろ。」

「そっちこそ。」

清臣は他所行きの笑みを作って答える。

「急いでんの?」

「ちょっとね。」

「椿のところか。」

清臣が頷くと仁の顔からふと笑みが消える。

「一つだけいいか。」

「なに?」

清臣の声が低くなる。

「そううまく行くと思うなよ。」

仁が清臣を睨みつけた。

清臣は感情の消えた瞳で仁の視線を受け止めた。


「な、なんのことですか?」 

米山美夏の勢いに押された椿だったが、陸に上がった魚のように口をぱくぱくさせて、かろうじてそう返した。

「わかってくるくせに!」

米山美夏は椿の肩を乱暴に押す。

「なんなんですか?」

唯華が割って入ろうとするも、米山美夏は椿しか見えていないようだった。

「どんな手を使っても、あんたのこと追い詰めてやるから。」

椿は息をのんだ。

唯華もなにかを言おうと口を開きかけて固まっていた。

「先輩、そう言うところですよ。」

椿は驚いて声の方を見る。

清臣だ。

「清臣くん……」

米山美夏は苦虫を噛んだような表情で清臣を見た。

清臣は落ち着いた様子で椿たちに近づく。

米山美夏が椿を掴む手が離れる。

それもそのはず。

一見、穏やかな清臣から感じられる威圧感は椿でさえ怯むほどだった。

清臣は米山美夏の耳元で言う。

「追い詰められるのはお前の方だよ。」

米山美夏は下を向いて小さく震えていた。

顔を上げたかと思うと、椿を睨みつけて、捨て台詞も吐かず走り去っていった。

「ダッサ。」

唯華が腕を組んで、そう呟いた。

「どういうこと?」

椿が聞いた。

「先日の嫌がらせ、あれはあの人のせいじゃないかと思って、聞こうとしたら、ね。」

わざとなのか、そうじゃないのかわからない。

「別にいいのに。」

椿は肩をすくめて笑った。

ちょっと嬉しそう、と思ったのは、側から見ている唯華。

「ちょっとやりすぎじゃない?」

あの言葉は、唯華には聞こえていなかったようだけど、椿にははっきりと聞こえていた。

いつも自信満々の米山美夏があんなに震えるなんて、相当やり込めたみたいだ。

「そうですか?」

清臣はわざととぼけて言った。

椿は小さく吹き出した。


仁は少し遠くからその様子を見ていた。

その表情は険しい。

「狂ったな。」

「あれ、東くん?」

後ろからするのはクラスメイトの女子たちの声だ。

「椿と会えた……って、あらら」

人の気持ちも考えないような、無神経で素直な反応。

「お取り込み中かぁ。」

先生に捕まることさえなければ、間違いなく仁の方が先に椿の元へ辿り着いていただろう。

「東くん、椿に何の用だったの?」

明るい表情で言う。

さっき見た米山美夏とのやり取りといい、守間清臣は、米山美夏のことを好きでもなかったらしい。

「ちょっとね。取り込み中みたいだし、明日にするよ。」

そう言って椿か、清臣か、もしくはその両方を少し睨みつけると踵を返した。


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花に弾痕、鬼に衣 りんごンゴ @YoidukiAka

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