第2話 変化

「いってらっしゃい」

僕はそう言って凪兎に手を振る。凪兎は僕に手を振ると正面玄関に向かって歩き始める。しばらくすると、凪兎の後ろから数人、凪兎に「おはよう」と声をかけてくれる。

病院に行って、凪兎が客観性思考障害と診断されて、数日経った。凪兎はやっぱり何も変わらないように感じた。いつものようにご飯を食べ、いつものようにテレビを見て、いつものように僕と少しだけ日常的な話をする。それだけだ。何も、違和感さえも、感じなかった。だから、学校から連絡が来るまで、何も心配をしていなかった。


「えっと、それって本当なんですか?凪兎が…」

僕はそう言って隣に座っている凪兎に目を向ける。凪兎はさっきから僕と目を合わせようとせず、ただひたすらに下を向いている。

「ええ、他クラスの男子生徒を三人、手に持っていた教科書で」

「凪兎、本当なのかい?」

僕は凪兎に問う。しかし、凪兎は下を向いたままだ。僕は諦めて、凪兎のクラスの担任である小西(こにし)先生を見る。そして、手を膝の上に置き、頭を机にぶつかるくらい深く下げる。

「凪兎が迷惑かけてすみませんでした。できれば、僕から親御さんに謝罪させてください」

「あ、いやあ、それは!」

予想していた返答と違い、僕は「え」と声を漏らす。顔を上げると、小西先生は少しだけ焦ったような顔で、こちらを見ている。

「凪兎くんが叩いてしまった生徒の親御さんは、こちら側にも不備があったということで、今回の件はもう大丈夫ですとのことです」

「そ、そうですか」

僕は少しだけ、心の気が緩む。しかし、隣にいる凪兎は相変わらずだ。


「なあ、凪兎、今日のことはしっかり反省しような。僕も一緒にするから」

僕はそう言って、手を繋いでいる凪兎を見る。凪兎はこくりと、首を縦にふる。凪兎も、反省しているのかな。僕は少しだけ、安心する。

空はすっかり赤く染まっている。遠くでカラスが群れを作って同じ方向に向かって飛んでいく。綺麗だ。僕は歩きながら、そんなことを思う。息子が問題行動を起こしたのに、こんなことを考えている僕は、楽観的なのだろうか。いや、実際、楽観的なのだ。よく、親戚のおじさんに言われていた。もっと物事を深く見るのだと。今になっても、僕にはできないが。

「お父さん」

「ん?」

凪兎は僕を呼び、僕の手を握る力を緩める。僕は歩くのをやめ、凪兎のことを見る。凪兎は僕と目を合わせずに、僕の手からするりと自分の手をぬく。カラスの鳴き声が、またどこからか聞こえてくる。

「ぼくさ、なんだか楽しいんだ」

「ん?何がだい?」

「あいつら叩いた時、楽しいって、思ったんだ」

その言葉を聞いた時、僕はすっかり楽観的になっていた考えが、一瞬で覚める。

僕はしゃがみ込み、凪兎の両肩に自分の手を置く。

「な、何を言っているんだ?凪兎」

「笑ってたんだ」

「…え?」

「あいつら叩いてる時、僕が笑ってることがすごくわかったんだ」

凪兎が何を言っているのかを理解ができないまま、僕はただ、凪兎の手を握って再び歩き始める。

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息子は客観性思考障害 neinu @neinu

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