第31話
お天道様が真上に来るまで寝ていたのか、蓮二はあくびをしながら昼下がりに暖簾を潜った。
千世は客あしらいを権六とみつにまかせて蓮二を奥に引っ張り込む。
座敷でときに関することを語って聞かせた。
蓮二は面倒くさそうにするかと思えば、案外素直に話を聞いてくれた。
「ほう。捨て子なぁ」
「今さら親を見つけるなんて難しいのはわかっているけれど、それでも捜してあげたいの」
蓮二は着物の裾を割って膝を立てると、小さく唸り声を上げた。
「十五年前の、十五夜――な」
さすがにその頃は蓮二も子供である。仙吉くらいにはふてぶてしい子供だっただろうが、思い当たる節はないだろう。
ここで意外にあっさりと蓮二は承諾してくれた。
「いいぜ、その辺をちっと調べてきてやる」
適当な生き方をしてはいるけれど、蓮二も人の子である。産みの親にひと目会いたいと願う、心優しい娘の願いを酌んでくれたのかもしれない。
「ありがとう。よろしくね」
どんなことでもいい。手がかりが少しでもいいからほしい。
千世が祈るように蓮二に願いを託したせいか、蓮二はその期待の重さに閉口したらしい。はぁ、とため息をついた。
「お前さん、そんな熱く見つめてくれるなよ。縁側から殺気が――」
縁側、と。
千世が見向くと、そこには木刀を手にした迅之介がいた。目つきが鋭いのは、多分気のせいではない。
とはいえ、千世には疚しいことなどなかった。むしろ、今は大事な話の最中である。
「迅之介さま、何かご用でしょうか?」
声をかけると、迅之介の方が怯んだ。
「うん、まあ、少し――」
「何か?」
重ねて訊くと、迅之介が目に見えて困っていた。大した用事もないのだとすぐにわかる。
蓮二との間に何かが起こるはずもないというのに、気を回し過ぎだ。蓮二が忍び笑いをするから、千世の方まで恥ずかしくなる。
「今、おときさんの二親を探すために色々と話しておりました」
「じゃ、俺はこれから探りに行くぜ。ただし、これは時が要りそうだ。少しばかり前借させてくれ」
と、蓮二は立ち上がりながら言った。これが目当てだったか。
千世は渋々うなずく。
「ええ、そうね。途中で逃げられても困るもの。しっかり働いて頂戴」
「信用ねぇなぁ」
そうぼやくけれど、信用しているから頼むのだ。
千世は部屋を出てすぐ、みつに向かって蓮二に多少の銭を持たせてくれと頼んだ。それから座敷の縁側に戻るなり、背中を向けて座っていた迅之介の横に正座をした。
「迅之介さま」
声をかけると、迅之介は恐る恐る千世を見た。蓮二を見ていた時の鋭さはすでにない。
「迅之介さまは、いつまでこちらにいらっしゃるのでしょうか?」
すると、迅之介は居心地が悪そうに肩を揺らした。
「いつまで、とは――」
それでも、千世は怯まなかった。いつかは言わねばならないことだ。
ここにいては、迅之介の行く末が、本来手に入るべきものよりもずっと無残なことになる。千世が迅之介に与えられるものはそう多くない。いつまでもこのままというわけにはいかないのだ。
千世も迅之介を便利に使ってしまう。だからこれではいけない。
「何度も申しておりますが、私はもう武家の者ではございません。町人なのです。迅之介さまと私とではもう何もかもが違うのです。迅之介さまがどうなさるべきなのか、それを真剣にお考えください」
こんなはずではなかったのだ。
千世が町人になると決めた時、縁が切れると思っていた。巻き込まないつもりだった。
それが、いつまでも――。
このまま迅之介を駄目にしてしまうのが、千世も忍びない。
後先考えず、己を好いてくれているのだと甘えればよいのだろうか。それをする気になれないのは、千世にとって迅之介が少なからず大事だからだ。
素直にそうは言えないけれど、常に見守り、助けてくれている迅之介に感謝の念がないはずもない。
だからこそ、もっと相応しいところで生きてほしいと願う。
そのためには、嫌なことも言わねばならない。
けれど、言ってしまってから、胸がちく、ちく、と針で刺されたように痛む。それを顔に出さないまま、千世はそこに座っていた。
迅之介は千世から目を逸らしてつぶやく。
「俺がどうすべきかは、わかっている」
わかっているのだそうだ。
それならば、もう言わなくてもいいだろうか。千世にしても、これを何度も言える気がしない。
迅之介が去ってしまえば寂しくないかと問われるのならば、寂しい。それは、自らが捨てたはずの実家から出ていく時の寂寥と似ていたかもしれない。
それでも、望んだ自由を手に入れた千世は、それと引き換えになるものを差し出さねばならない。
何もかも、己の思う通りに手に入るはずはない。そんな狡いことを考えては罰が当たる。
千世が諦めるのは、頼りになるあの手なのだ――。
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